「へー、それはそれは」
「そうなんです。なんかメールもすごく優しくて、気さくで」
大橋くんと友達になって二週間くらい経った。
私は結構な頻度で帰り道にマンションの屋上に通い、ウソツキさんに近況報告をしていた。
「で? なんなの、それ。ノロケ? このまま付き合いたーい、とか?」
「なっ……そんなこと言ってないです」
「ネコさ、そういうオチのないトークは同級生のお友達としてくれない? 二十代のおにーさまにするような話かよ」
「だって……」
なんだかあの三人には、こうやって出しゃばってしゃべることができない。
やっぱり聞き役に回ってしまうのだ。
「ねぇ、ウソツキさんて二十代って言ってるけど、結局、今何歳なんですか?」
「ハタチ以上三十路未満」
「だからそれが二十代ってことでしょ? 本当は何歳? ちなみに、なにやってる人なんですか?」
「興味あるの? 俺のこと」
背もたれに肘をつきながら、私を視線で射るウソツキさん。
幾分慣れたものの端正な顔にはちがいないから、見つめられるといまだにひるんでしまう。
「だって、私だけウソツキさんのことなにも知らない。本名だって」
「言ったでしょ? 知らない他人だからこそ話せるんだって。ネコがこうやってベラベラしゃべれるのも、そのおかげでしょ」
「うん……まあ」
たしかに、それはそうなんだ。
だって、お兄ちゃん以外の男の人にこんな話をすることも、こんなに打ち解けられることも今までなかったから。
きっと、互いの日常の生活範囲にいない人間だからこそ、余計な心配や気後れをしてしまうことがないんだ。
加えて、私に危害を与える気がないのも伝わってくるから。
「ね、髪、サラサラすぎない? なにかしてんの? コレ」
「わっ、びっくりした」
「ハハ、地肌には触れてねーよ」
肩までの長さの私の髪をひと束握り、遊ぶようにスルスルとばらしていく。
ウソツキさんはたまにこんなイタズラをするけれど、肌に直接触れるようなことは決してしない。
「夕陽に透けて、金髪みたいに光ってんね」
直にさわられていないのに、なぜかくすぐったい気持ちになり、私は「やっぱりセクハラです」と訴えた。
ウソツキさんはそんなのは無視して、クスクス笑いながら私の髪で遊び続ける。
ちょっとずつ陽が落ちるのが早くなりはじめてきた。
ベンチに座っているふたりの影も徐々に長くなっていく。鰯雲は下半分をオレンジ色に染めて、風も少し冷たさを含みだしてきた。
斜めに体を倒しながら座るウソツキさんのとなりで、私は、
「チョコ」
と、今日の分のチョコをねだる。
「はいはい」
なんだか本当に猫とエサやりお兄さんみたいだ、と思った。
今日は雨だから、チョコをもらいにいけないや。
きっと、ウソツキさんもいないだろうし。
十月下旬。
靴を履き替え、校舎の昇降口で折りたたみ傘を開きながら思う。
最近毎日のようにマンションに通っていたから、まっすぐ家に帰るのがなんとなくもったいないような気がする。
「種田さんて、帰宅部だっけ?」
傘を広げた私の横に、ひょいっともうひとつ紺の傘、そして男の子が出てきた。
「大橋くん」
急な登場にちょっとびっくりしたけれど、大橋くんだとわかり、ホッとする。
「うん、帰宅部だよ」
「ちょうどよかった。一緒に帰ろうと思って追いかけてきたんだ」
なんでそんなにさわやかに、はずかしげもなく言えるのだろう、大橋くんは。
私は内心動揺しながらも、
「え? だって部活は?」
と尋ねる。
大橋くんは、たしかサッカー部のはずだ。
「雨でグラウンド使えなくて、どうせ体育館だから、今日はサボることにした」
ニッと笑ってピースをする大橋くん。
全然悪びれずに小学生みたいな顔をした彼に、一瞬心臓が跳ねた。
私が、同級生の男の子と並んで帰る日が来るなんて……。
一緒に歩きながら、緊張とちょっとした高揚感でドキドキする。
周りからどういうふうに見られているんだろうか。
付き合ってるみたいに見えるのかな?
というか、男友達と一緒に帰るって、普通によくあること?
パシャパシャと小さく水を跳ねて歩きながら、私はなかなか顔を横に向けられなかった。
べつに相合傘をしているわけじゃないのに、意識してしまう。
「二丁目だったよね、種田さんの家。俺、五丁目だから、あのT字路のところまで一緒だね」
「あ、うん」
グルグル考えていると、ふいに大橋くんが聞いてきた。
「あの辺、コンビニ近くていいよね。俺の家の近くにもできればいいのに」
「あんまり行かないよ、コンビニ」
「マジ? 立ち読みとかしないの?」
「しないよ」
ようやくクスリと笑うことができた。
慣れないふたりきりの状況に戸惑いこそすれ、メールや学校でいろんな話をしてきたからか、大橋くんに対する警戒心や怖さは和らいでいる。
ウソツキさんとまではいかないけれど、高校の男子の中では一番話しやすい存在だし、ちょっとずつ歩みよってくれる感じが、なんだか嬉しくもあった。
「それでさ、マジで驚いたのなんのって」
それに、大橋くんは自分からポンポンと話題を出してくれるから、沈黙に気後れする必要がない。
今だって、学校のこと、部活のこと、家族のこと、いろんなおもしろエピソードを聞かせてくれて、私はほぼ聞き役兼笑い役に徹して歩いた。
「よかった」
「え?」
T字路に近付いた時だった。大橋くんの声のトーンが急に変わった。
表情も、ちょっとだけ強張っているように見える。
「俺フラれてるからさ、種田さんが友達になってくれると思ってなかったんだ、本当は」
「あ……」
ああ、と無理に笑いながらごまかす。
大橋くんの表情が伝染して、今の今まで自然に上がっていたはずの私の頬も硬くなったような気がした。
「俺、ウソつけないから言うけどさ、正直言って、種田さんへの気持ちがなくなったわけじゃないんだよね」
どうしよう。
話の流れが、苦手な方向に向かっている。
T字路まで来てしまい、道の分岐点でふたりとも立ち止まってしまった。
水音の合わさった足音がなくなったせいで、傘にポツポツと当たる雨音が異様に響いて聞こえる。
「まあ、次の日に友達になって、とか言うくらいだから、わかってると思うけど」
私はなんて答えたらいいのかわからずに、傘を少し傾けてうつむいた。
「いや、でも、そんな今すぐどうこうとかじゃなくて、知っててほしかっただけだし、そんな意識しなくてもいいっていうか、いや、意識は本当はしてもらいたいんだけど……あれ? なに言ってんの俺」
ハハッと、大橋くんが空笑いをしたその時。
「うわっ! 種田さん、あぶなっ……」
「きゃっ!」
ちょうど車が通って、水たまりの水が跳ねた。
と同時に、それを避けるようにぐいっと大きな力で大橋くんに手を引かれる。
手を……。
「いやあぁっ!」
その瞬間、私はバッと乱暴に手を振り払った。
勢いで傘を落としてしまう。
「あっ……ごめん。あぶなかったから、つい」
そう言いながら、私の顔を見た大橋くんは硬直した。
「だ、大丈夫? 種田さん、顔、真っ青だけど」
手……。
手、握られた。
直で……手を……。
そう思った瞬間、触れられたその部分に強い熱が走った気がした。
ジリジリとその熱がかゆみを伴い、腕をはうように上ってくる。
この感覚を、私は知っていた。
即座に握られたほうの手を見られないように後ろへ隠し、そのままあとずさる。
「ごめ、ごめん、な、さ……」
うまく言葉が出てこない。
手も声も震えている。
パニックだ。
蕁麻疹が……出た。
出てる、絶対。
見られた?
あんな、気持ち悪いブツブツ、見……。
「あっ、種田さんっ」
私は落とした傘もそのままに、自分の家の方向へ走りだした。