「・・・・・・走るか」


覚悟を決めて、フンっと勢いよく鼻から息を出してから、バックをギュッと胸の前に抱く。

運よく今日はパンツ姿で、ヒールも低い。

駅まですぐだし、少しくらい濡れても大丈夫だ。


よし。と心の中でそう呟いて、勢いよく駆け出した。

途端に冷たい雨が服や髪を濡らしていったけど、目をしかめながらバシャバシャと駆けて行く。

そんな時――。


「おい、一ノ瀬、行くぞ!」


不意に聞こえた声に、体が止まった。

心臓を握られた様に、ドクンと脈打って胸を締め付けた。

無意識に走っていた足を止めて、声のした方を振り向く。

視線の先にはワラワラとスーツの団体が見えて、ドクドクと心臓の音が速くなる。

目を凝らして、その姿を探す。

それでも。


「お~悪い悪い。今行く~」


呼ばれた『一ノ瀬』さんは、私の知らない『一ノ瀬さん』だった。

そうと分かった瞬間、力の入っていた体がダラリと揺れる。

そんな呆然と立ち尽くす私を置いて、スーツの団体は楽しそうに笑いながら夜の街へと消えて行った。