サリムは、落ち着かない様子で待っていた。
シャラは、無事だろうか…。
祈るように手を組んだ時、誰かが森の奥から歩いてきた。
その腕に抱かれている人を見て、サリムは駆け寄った。
「シャラ!」
シャラは、血と雨水にまみれ、ぐったりとしていた。
シャラを抱きしめると、運んできた青年が、表情のない声で言った。
「…矢を無数に受けている。落ちていた矢を見たが、先が尖らせてあった。結構深く、刺さったんだと思う。だが、何よりも、雨に長く打たれて、身体が冷えきっている。…率直に言えば、このままだと、命の危険がある。」
思わず、相手の顔を見た。
雨がしたたるその顔は、何の感情もなかった。―まるで、元々ある感情を、全て押し殺しているような…そんな顔だった。
サリムは振り向くと、リューサに声をかけた。
「リューサ…カヤンを獣舎の中に入れてあげて。」
リューサは頷くと、走っていった。
もう一度、青年に視線を戻したが、青年は、わずかも動いていなかった。
相変わらず、無表情で、静かにその場に立ち続けている。
「あの…シャラを助けてくれてありがとうございます。」
すると、青年は即座に首を振った。
「俺じゃない。兄のハジャレンが助けたんだ。」
サリムは耳を疑った。
「ハジャレン?たしか…母上の…兄の…」
青年は頷いた。
「俺はハジャレンの弟、カルエン・バス・アスジオだ。リヨンの兄でもある。」
サリムは首をかしげた。
カルエン?…シャラは、母の兄は、ハジャレンしかいないと思う、と言っていた。
それに、この青年は目が茶色だ。
リヨンの兄ということは、魔術ノ民の出身のはずだ。普通なら、目が青いはずなのだ。
カルエンは、サリムの考えを読み取ったかのように、小さな声で囁いた。
「俺は、一族の中では、かなり珍しい人間だ。こんな目の色を持つ一族の人間は、どこを探しても俺しかいないだろう。だが、遥か昔、この目の色をした人間が、一族にいたと言うから、恐らく隔世遺伝だ。こんな目の色だが、紛れもなく、リヨンの兄だ。リヨンもよく知らない。俺は、かなり早くに出家したからな。」
サリムは、カルエンが来た理由がわかった気がした。
(そうか…ハジャレンが出てくれば、まずいことになる…。見た目だけで、魔術ノ民だと分かるハジャレンが出てくれば、一目でシャラが魔術ノ民と繋がっていることが、リーガン達に知られる…。この、カルエンと名乗る青年は、口で言わない限りは、魔術ノ民だということは分からない…だから…。)
さっき、森の奥で激しい突風が吹いたのが見えた。
恐らく、あれがハジャレンの力なのだろう。だが、その力を見ていたのは、自分たちだけではないはずだ。
ちらっと、リーガンたちを見た。
彼らもまた、さっきのものを、見ているはずだ。
(あの力を使ったのが、魔術ノ民であり、シャラの親戚だとわかったら…)
そこまで考えて、サリムは目を閉じた。
そうなった時の、シャラが辿らねばならない苦しい道が、はっきりと見えた。
サリムの考えを読み取ったかのように、カルエンが口を開いた。
「俺がここに来たのは、それだけの理由じゃないぞ。」
はっとして、カルエンを見た。
相変わらず、感情のない目で、こちらを見つめている。
「俺は、元々アントナ国の近衛兵だ。そこにいるマーサーなら、知っているはずだ。」
カルエンは、マーサーに視線を移した。
眉をひそめて考え込んでいたマーサーは、はっとした。
「カルエン?お前…カルエンなのか?お前…死んだんじゃ…」
カルエンは、即座に答えた。
「そんなことを聞かれても困る。目の前にいる時点で、生きているのは事実だ。」
カルエンの目に、冷たい光が宿った。
「生きている、つまりこの星の王は、どれだけ酷いのか、ということを目の前で見てきた。そうだな、特に…」
リーガンに視線を移した。
「あんたの酷さには、正直言って失望した。あんたの頭、絶対におかしいだろ。なぜ、シャラを襲わせたんだ?それも、自分の国の兵に。」
全員が、息を飲んで、リーガンを凝視した。当の本人は、真っ青になって、震えている。
「いや…そんなこと…」
「してないって言うのか?」
その瞬間、カルエンは、リーガンの胸ぐらを掴むと、怒鳴った。
「ふざけんな!魔術ノ民をなめんなよ!?自然と一体化する一族が、木立の間にいる人間の、服装を見逃すとでも思うのか!?明らかに、カウン国の兵の制服だっただろうが!」
サリムは、びくっと身体を震わせたが、止めようとはしなかった。
リューサも、冷淡な視線を、リーガンに向けるだけだった。
誰も、王の胸ぐらを掴むという、非礼を働いたカルエンを、咎める者も、止める者もいない。
こうなって当然だ、と全員が思っているかのように、全員が冷淡な視線を、リーガンに向かって投げかけている。
カルエンは、サリムに視線を移した。
「ここは俺が何とかする。とりあえず、治療してやれ。このままだと、本当に取り返しのつかない状態になりかねない。」
サリムは、曖昧に頷くと、カヤンを獣舎に入れ、戻ってきたリューサが、シャラを抱き上げ、二人で走っていった。
「さて…」
カルエンは、二人の背を見送ってから、リーガンに視線を戻した。
「リーガン・アントナだったか?あんた、シャラに仕えていたんじゃないのか?なんで襲わせたんだ?」
リーガンは、ぐっと手を握りしめると、口を開いた。
「俺は…もう耐えられないんだ…昔の罪に囚われ、苦しみながら国を治めるなんて…もう無理なんだ…。」
カルエンが、微動だにせず、口を開いた。
「で?」
「え?」
「え?じゃねえよ。お前がそうやって考えていることを聞いたわけじゃない。俺は、なぜシャラを襲わせたのかと聞いたんだ。」
「…シャラという、この星にとって、かなり重要な人物を殺したとすれば、王位剥奪となるから…そうしたら…王を辞められる…だから…」
「シャラを襲わせた、と?」
リーガンの言葉を、引き取ったあと、カルエンは、深くため息をついた。
「たしかに…シャラは、この星にとって、重要人物だろう。だが、重要人物にしたのは、誰だ?リヨンを処刑した、お前しかいないだろう?リヨンは、シャラの母だ。共に十年過ごしてきた娘を、リヨンが助けないとでも思うか?」
震えながら、こちらを見ているリーガンに向かって、カルエンは静かに続けた。
「リヨンは、一族の中でも、かなり聡い奴だった。それに、目がかなり良かった。岸から見ているあんたに、気づかないはずはないだろうな。どうせ、刑執行人の衣でもまとっていたんだろ。あいつのことだ。頭に浮かんだのは、シャラを逃がすことだけだろう。」
カルエンの頭には、あの日―リヨンが処刑された日―のハジャレンとの会話が蘇っていた。
『カルエン、お前だからこそ言うよ。リヨンが、操りノ術を使った。』
『なっ…あの術を!?使ってはならない禁忌だろう!?』
『落ち着け。頼むから、最後まで聞いてくれ。リヨンに、シャラという娘がいることは伝えたよな?』
『ああ…』
『その子が、生けにえノ刑に処される寸前のリヨンを、助けに行ってしまって…。』
『助けに……そうか…あいつの事だ…その娘を助けたいがために…』
『そうだろうな』
『リヨンは…やっぱり…家族愛が強いんだな。昔から変わらない、本当に優しい奴だ…。』―
リヨンは、直感的に、シャラを逃がした方がいいと感じたのだろう。
そして、シャラを逃がし、自分は禁忌を犯した者として、死を選んだ。
そこまで考えた時、急にリーガンに対する憎悪の念が湧いてきた。
その時、リーガンが震えながら口を開いた。
「で…でも…俺は…シャラに謝ろうと…ここに来たんだ…。」
その言葉が頭の奥に届いて、意味を成した時、カルエンは、咄嗟に剣に手をかけ、さっと抜いた。
びくっと身を引いたリーガンの顎に、剣先を当てながらカルエンは怒鳴った。
「やってることと、口にすることを統一しろ!この腐れ外道が!あんなことをしておいて!シャラに謝りたいだと!?」
燃えるような目でリーガンを見つめながら、カルエンは続けた。
「ふざけてるとしか思えん言動だな!殺しちまったら、謝るも何も無いだろうが!俺は、このまま、お前の喉を掻っ切ることだって可能なんだ!元近衛兵をなめんなよ!?俺が、リヨンの兄だからといって、あいつと同じ性格だと思うな!」
ぴっとリーガンの頬を切ってから、剣を鞘に収めると、溜息をつきながら踵を返し、シャラが運ばれて行った学舎へと、歩いていった。
見送る人々は、何も言えなかった。
マーサーは、頬から血を流しているリーガンを立たせると、ため息混じりに話し始めた。
「カルエンは、アントナ国の近衛兵だったが、管轄区域はカウン国だったんだ。自ら、カウン国を管轄したいと、志願してきた。なぜだと思っていたが、さっきのカルエンの話でよくわかった。…リヨンの兄だったんだな。妹を、近くで見ていたんだろう…。一族から出た妹のことを…ずっとそばで…。」
リーガンは、声もなく、歩いて行くカルエンの背中を見つめた。
自分がカウン国王家に入る、本当に少し前、アントナ国にカルエン・シエンタと名乗る青年が、入ってきた。
冷徹な目、笑うことは無い口元…二つを兼ね備えたカルエン。
あのカルエンこそ、今あそこを歩いている、カルエン・バス・アスジオだったのだ。
「あれ?アスジオ?…じゃあ…シエンタっていうのは?」
マーサーが口を開きかけたその時、激しい怒声が響いた。
「それは、サラ・シュニアンが、俺たちの一族にいた時の名前だ!」
はっと全員が振り向くと、そばに青ノ瞳を持つ、男性がいた。
雨水がしたたる頭巾の下で、燃えるような目が、リーガンを睨みつけている。後ろには、ラルとアストがいた。
「ラル…アスト…この方は?」
二人が言う前に、男性が口を開いた。
「俺の名前は、ハジャレン・バス・アスジオ。カルエンとリヨンの兄だ。そこに、サラという、ここの用務がいるよな?…おい、俺のことを、お前は知っているよな?違うか?サラ・シュニアン…いや、シエンタ・バス・リアソン!」
びくっと、サラの肩が揺れた。他の教導ノ師達の視線が、サラに集まった。
サラ・シュニアン、もとい、シエンタ・バス・リアソンは、リアソン家の長女で、第二子だった。兄が一人いたものの、目の色が周りと違うことが嫌だった。
ある日、カルエンから求婚の申し出があり、その時にカルエンも、目の色が違うということを知った。
だが、シエンタは、一族を抜けることを考えていて、ほとんど決意している状況だった。
そして、カルエンには何も言わず、一族を抜け出し、森を抜け、見つけたウォーター学舎に駆け込み、サリムの元で、事務をやらせてもらえるように、必死で交渉した。
そして、今に至るのだ。
ハジャレンが、ゆっくりとリーガンに凍てついた視線を向けて、口を開いた。
「俺とカルエンは、お前のことを、一生許さない。大事な妹を殺し、姪を殺されかけた。俺たちの一族の中に、お前のことを許せるやつは、もういない。お前は、自分で自分の首を絞めているんだ。それをそろそろ自覚しろ。」
そう言うなり、ハジャレンは踵を返し、学舎へと歩いていった。
あとに残された人々は、サラが学舎へと案内するまで、豪雨の中、呆然と立ち尽くしていた。
思い出したかのように、雷鳴が鳴り始めていた。
シャラは、無事だろうか…。
祈るように手を組んだ時、誰かが森の奥から歩いてきた。
その腕に抱かれている人を見て、サリムは駆け寄った。
「シャラ!」
シャラは、血と雨水にまみれ、ぐったりとしていた。
シャラを抱きしめると、運んできた青年が、表情のない声で言った。
「…矢を無数に受けている。落ちていた矢を見たが、先が尖らせてあった。結構深く、刺さったんだと思う。だが、何よりも、雨に長く打たれて、身体が冷えきっている。…率直に言えば、このままだと、命の危険がある。」
思わず、相手の顔を見た。
雨がしたたるその顔は、何の感情もなかった。―まるで、元々ある感情を、全て押し殺しているような…そんな顔だった。
サリムは振り向くと、リューサに声をかけた。
「リューサ…カヤンを獣舎の中に入れてあげて。」
リューサは頷くと、走っていった。
もう一度、青年に視線を戻したが、青年は、わずかも動いていなかった。
相変わらず、無表情で、静かにその場に立ち続けている。
「あの…シャラを助けてくれてありがとうございます。」
すると、青年は即座に首を振った。
「俺じゃない。兄のハジャレンが助けたんだ。」
サリムは耳を疑った。
「ハジャレン?たしか…母上の…兄の…」
青年は頷いた。
「俺はハジャレンの弟、カルエン・バス・アスジオだ。リヨンの兄でもある。」
サリムは首をかしげた。
カルエン?…シャラは、母の兄は、ハジャレンしかいないと思う、と言っていた。
それに、この青年は目が茶色だ。
リヨンの兄ということは、魔術ノ民の出身のはずだ。普通なら、目が青いはずなのだ。
カルエンは、サリムの考えを読み取ったかのように、小さな声で囁いた。
「俺は、一族の中では、かなり珍しい人間だ。こんな目の色を持つ一族の人間は、どこを探しても俺しかいないだろう。だが、遥か昔、この目の色をした人間が、一族にいたと言うから、恐らく隔世遺伝だ。こんな目の色だが、紛れもなく、リヨンの兄だ。リヨンもよく知らない。俺は、かなり早くに出家したからな。」
サリムは、カルエンが来た理由がわかった気がした。
(そうか…ハジャレンが出てくれば、まずいことになる…。見た目だけで、魔術ノ民だと分かるハジャレンが出てくれば、一目でシャラが魔術ノ民と繋がっていることが、リーガン達に知られる…。この、カルエンと名乗る青年は、口で言わない限りは、魔術ノ民だということは分からない…だから…。)
さっき、森の奥で激しい突風が吹いたのが見えた。
恐らく、あれがハジャレンの力なのだろう。だが、その力を見ていたのは、自分たちだけではないはずだ。
ちらっと、リーガンたちを見た。
彼らもまた、さっきのものを、見ているはずだ。
(あの力を使ったのが、魔術ノ民であり、シャラの親戚だとわかったら…)
そこまで考えて、サリムは目を閉じた。
そうなった時の、シャラが辿らねばならない苦しい道が、はっきりと見えた。
サリムの考えを読み取ったかのように、カルエンが口を開いた。
「俺がここに来たのは、それだけの理由じゃないぞ。」
はっとして、カルエンを見た。
相変わらず、感情のない目で、こちらを見つめている。
「俺は、元々アントナ国の近衛兵だ。そこにいるマーサーなら、知っているはずだ。」
カルエンは、マーサーに視線を移した。
眉をひそめて考え込んでいたマーサーは、はっとした。
「カルエン?お前…カルエンなのか?お前…死んだんじゃ…」
カルエンは、即座に答えた。
「そんなことを聞かれても困る。目の前にいる時点で、生きているのは事実だ。」
カルエンの目に、冷たい光が宿った。
「生きている、つまりこの星の王は、どれだけ酷いのか、ということを目の前で見てきた。そうだな、特に…」
リーガンに視線を移した。
「あんたの酷さには、正直言って失望した。あんたの頭、絶対におかしいだろ。なぜ、シャラを襲わせたんだ?それも、自分の国の兵に。」
全員が、息を飲んで、リーガンを凝視した。当の本人は、真っ青になって、震えている。
「いや…そんなこと…」
「してないって言うのか?」
その瞬間、カルエンは、リーガンの胸ぐらを掴むと、怒鳴った。
「ふざけんな!魔術ノ民をなめんなよ!?自然と一体化する一族が、木立の間にいる人間の、服装を見逃すとでも思うのか!?明らかに、カウン国の兵の制服だっただろうが!」
サリムは、びくっと身体を震わせたが、止めようとはしなかった。
リューサも、冷淡な視線を、リーガンに向けるだけだった。
誰も、王の胸ぐらを掴むという、非礼を働いたカルエンを、咎める者も、止める者もいない。
こうなって当然だ、と全員が思っているかのように、全員が冷淡な視線を、リーガンに向かって投げかけている。
カルエンは、サリムに視線を移した。
「ここは俺が何とかする。とりあえず、治療してやれ。このままだと、本当に取り返しのつかない状態になりかねない。」
サリムは、曖昧に頷くと、カヤンを獣舎に入れ、戻ってきたリューサが、シャラを抱き上げ、二人で走っていった。
「さて…」
カルエンは、二人の背を見送ってから、リーガンに視線を戻した。
「リーガン・アントナだったか?あんた、シャラに仕えていたんじゃないのか?なんで襲わせたんだ?」
リーガンは、ぐっと手を握りしめると、口を開いた。
「俺は…もう耐えられないんだ…昔の罪に囚われ、苦しみながら国を治めるなんて…もう無理なんだ…。」
カルエンが、微動だにせず、口を開いた。
「で?」
「え?」
「え?じゃねえよ。お前がそうやって考えていることを聞いたわけじゃない。俺は、なぜシャラを襲わせたのかと聞いたんだ。」
「…シャラという、この星にとって、かなり重要な人物を殺したとすれば、王位剥奪となるから…そうしたら…王を辞められる…だから…」
「シャラを襲わせた、と?」
リーガンの言葉を、引き取ったあと、カルエンは、深くため息をついた。
「たしかに…シャラは、この星にとって、重要人物だろう。だが、重要人物にしたのは、誰だ?リヨンを処刑した、お前しかいないだろう?リヨンは、シャラの母だ。共に十年過ごしてきた娘を、リヨンが助けないとでも思うか?」
震えながら、こちらを見ているリーガンに向かって、カルエンは静かに続けた。
「リヨンは、一族の中でも、かなり聡い奴だった。それに、目がかなり良かった。岸から見ているあんたに、気づかないはずはないだろうな。どうせ、刑執行人の衣でもまとっていたんだろ。あいつのことだ。頭に浮かんだのは、シャラを逃がすことだけだろう。」
カルエンの頭には、あの日―リヨンが処刑された日―のハジャレンとの会話が蘇っていた。
『カルエン、お前だからこそ言うよ。リヨンが、操りノ術を使った。』
『なっ…あの術を!?使ってはならない禁忌だろう!?』
『落ち着け。頼むから、最後まで聞いてくれ。リヨンに、シャラという娘がいることは伝えたよな?』
『ああ…』
『その子が、生けにえノ刑に処される寸前のリヨンを、助けに行ってしまって…。』
『助けに……そうか…あいつの事だ…その娘を助けたいがために…』
『そうだろうな』
『リヨンは…やっぱり…家族愛が強いんだな。昔から変わらない、本当に優しい奴だ…。』―
リヨンは、直感的に、シャラを逃がした方がいいと感じたのだろう。
そして、シャラを逃がし、自分は禁忌を犯した者として、死を選んだ。
そこまで考えた時、急にリーガンに対する憎悪の念が湧いてきた。
その時、リーガンが震えながら口を開いた。
「で…でも…俺は…シャラに謝ろうと…ここに来たんだ…。」
その言葉が頭の奥に届いて、意味を成した時、カルエンは、咄嗟に剣に手をかけ、さっと抜いた。
びくっと身を引いたリーガンの顎に、剣先を当てながらカルエンは怒鳴った。
「やってることと、口にすることを統一しろ!この腐れ外道が!あんなことをしておいて!シャラに謝りたいだと!?」
燃えるような目でリーガンを見つめながら、カルエンは続けた。
「ふざけてるとしか思えん言動だな!殺しちまったら、謝るも何も無いだろうが!俺は、このまま、お前の喉を掻っ切ることだって可能なんだ!元近衛兵をなめんなよ!?俺が、リヨンの兄だからといって、あいつと同じ性格だと思うな!」
ぴっとリーガンの頬を切ってから、剣を鞘に収めると、溜息をつきながら踵を返し、シャラが運ばれて行った学舎へと、歩いていった。
見送る人々は、何も言えなかった。
マーサーは、頬から血を流しているリーガンを立たせると、ため息混じりに話し始めた。
「カルエンは、アントナ国の近衛兵だったが、管轄区域はカウン国だったんだ。自ら、カウン国を管轄したいと、志願してきた。なぜだと思っていたが、さっきのカルエンの話でよくわかった。…リヨンの兄だったんだな。妹を、近くで見ていたんだろう…。一族から出た妹のことを…ずっとそばで…。」
リーガンは、声もなく、歩いて行くカルエンの背中を見つめた。
自分がカウン国王家に入る、本当に少し前、アントナ国にカルエン・シエンタと名乗る青年が、入ってきた。
冷徹な目、笑うことは無い口元…二つを兼ね備えたカルエン。
あのカルエンこそ、今あそこを歩いている、カルエン・バス・アスジオだったのだ。
「あれ?アスジオ?…じゃあ…シエンタっていうのは?」
マーサーが口を開きかけたその時、激しい怒声が響いた。
「それは、サラ・シュニアンが、俺たちの一族にいた時の名前だ!」
はっと全員が振り向くと、そばに青ノ瞳を持つ、男性がいた。
雨水がしたたる頭巾の下で、燃えるような目が、リーガンを睨みつけている。後ろには、ラルとアストがいた。
「ラル…アスト…この方は?」
二人が言う前に、男性が口を開いた。
「俺の名前は、ハジャレン・バス・アスジオ。カルエンとリヨンの兄だ。そこに、サラという、ここの用務がいるよな?…おい、俺のことを、お前は知っているよな?違うか?サラ・シュニアン…いや、シエンタ・バス・リアソン!」
びくっと、サラの肩が揺れた。他の教導ノ師達の視線が、サラに集まった。
サラ・シュニアン、もとい、シエンタ・バス・リアソンは、リアソン家の長女で、第二子だった。兄が一人いたものの、目の色が周りと違うことが嫌だった。
ある日、カルエンから求婚の申し出があり、その時にカルエンも、目の色が違うということを知った。
だが、シエンタは、一族を抜けることを考えていて、ほとんど決意している状況だった。
そして、カルエンには何も言わず、一族を抜け出し、森を抜け、見つけたウォーター学舎に駆け込み、サリムの元で、事務をやらせてもらえるように、必死で交渉した。
そして、今に至るのだ。
ハジャレンが、ゆっくりとリーガンに凍てついた視線を向けて、口を開いた。
「俺とカルエンは、お前のことを、一生許さない。大事な妹を殺し、姪を殺されかけた。俺たちの一族の中に、お前のことを許せるやつは、もういない。お前は、自分で自分の首を絞めているんだ。それをそろそろ自覚しろ。」
そう言うなり、ハジャレンは踵を返し、学舎へと歩いていった。
あとに残された人々は、サラが学舎へと案内するまで、豪雨の中、呆然と立ち尽くしていた。
思い出したかのように、雷鳴が鳴り始めていた。