春。

桜が咲き乱れ、花の香り漂う頃。



今日も変わることなくうつ伏せになり、流れる時間と共に惰眠を貪る。



暖かく心地よい日差し。

芳しい桜の花の香りに包まれる時は、こうしているのが常だ。



ースン



………。



ほんの…微かな違和感に、閉じていた目を開ける。



住宅街の外れにある、小高い山の山頂に建てられた日本屋敷。

その敷地内の咲き乱れる様を見せる樹齢何百年の桜の大樹の枝木の上。



結構な高さにまでなった大樹から見える、特に変わった様子もないいつも通りの景色。



………。



諸行無常。

変化も消滅も、何れ訪れるというが…。



ーカサっ



どこからか飛んできた札が私の視界に移り、手に取る。

札には文がくくり付けられていた。



これは…、門川だな。



文を開ける。



『屋敷に来て下さい、面白いモノがありますから』



………。

ーボッ



読み終えた頃には札は燃え尽きた。

そういう術だ。



だが、屋敷に来い…か……。



身体を起こし、伸ばす。



「っ〜」



サラサラと流れるように、組紐に結ばれた銀の髪が揺れる。



着物は羽織も着物も帯も白地のもの。



着物は男装風にし、羽織は大きめのものを着ている。



柄は着物と帯が無地の白地。

羽織は背に藤の花が浮かぶ水面の様な柄。



近くにあった淡い色の桜の花の香りを嗅ぐ。



冷たいような、でもどこか暖かい、

和むような、そのまま優しく包み込まれるような香り。



「行ってくる」



【あぁ】



のんびりとした幼い少年のような咲貴の声に見送られ、

私巴衛は門川の屋敷へ向かった。



空を進む住宅街を進み、門川の屋敷の方へ降りる。



私と地面の間には結界が張られている。



この淀みない霊力は妖を阻む事を目的として使われており、

雑魚は近付く事さえ本能的に、無意識に避ける程のものだ。



私には効かないが。



ースゥッ



結界を抜けた途端。



「!」



懐かしいような、強い匂いがした。



「…」



屋敷の中心部からだ。

匂いの濃さですぐに分かった。



着地もしてしまったし、音もたてずに進む。

広さ故にか人の気配は薄いが、一つ気になるものがある。



…強いな。



何が強いといえば、霊力がだ。



妖の妖力は、人が使う事はまず不可能だろう。

だが使う事は出来ずとも、感じることは出来る。



それは逆も同じ。

妖も人の霊力…いや正確には霊力を感じる事が出来る。



妖力を封じるこの組紐…この前では酷く簡単に覆される事実だが。



まぁいい。

門川の当主は当然として、これだけのものとなれば他家…他三家の者だろう。



4家。

深山の結界、風魔の封印、黒墨の契約、門川の祓い。



それぞれ血故に継承されてきた術があり、

得意とする術の系統は大体それに当てはまる。



深山一族は結界を得意としていると言われ、大体が結界師。

風魔一族は封印を得意としていると言われ、大体は封印師。

黒墨一族は契約…妖を従属し従える術が得意といわれ、その殆どが結び師。

門川一族はそれらをバランス良く得意とし、総合的に祓い自体が得意と言われている祓い屋。



この4家は妖の間のみならず、こういった血筋の者に広く認知されている。

さすがに一般人には然程影響力は無いようだが。



…妖から見ても歴史が長く、能力も高いエリートのようなもので、

要はそれ故に他と違い目立つのだ。



例として今、その霊力の高さが目立っている。



霊力を頼りに、門川が居る部屋を見つけ入る。



ースッ



部屋の周りには結界が張ってあったが、

妖力を封じた状態の私は人と認識される為すんなり通れた。



襖を開けて入ったのだ。

誰か一人くらいは気付くと思ったが、誰もこっちを見ない。



一人くらい気付いても良いはずだがな。



「来た来た」



ー「!」



呑気な門川の声は私に向けられたもの。

だが静かな室内の中、突然出入口に向けられた意味を知ろうとこちらを見た一同。



室内は4家の当主と、15、6、7の子供らがいた。



「え…誰?」



「父さんの知り合い…」



その中の2人が声を出し、内一人は私を知り合いと認識した。

恐らく門川の息子だろう。



黒い髪、瞳の整った容姿が門川と似ている。

怪訝な視線を向けて来るが、敵意はないようだ。



少し視線をズラせば、門川意外の当主3人が唖然としている。



「門川、貴方って人は…」



彼岸花の様に赤い緋色の真っ直ぐな胸下までの髪。

スッと切れ長タレ目の焦げ茶の瞳。



黒墨の現当主であり、華。

名を黒墨花織は苦笑いをして額を抑え…



「さっきの文…こういうことだった訳」



天を仰ぐ風魔の現当主。

名を風間一二三は脱力して壁に凭れていた。



そんな2人の声の後、門川に視線が集中する。



それを察したのか、それとも待っていたのか。



「フフッそうですよ。適任ですし」



「適任って、何の?」



「あぁそれはも」

「いいや、俺は反対だ」



ー「え?」

門川の言葉を遮ったのは、深山だった。



名を深山夏目。

金髪茶目の



「確かに技術や知識は優れている。だが、この子の事は人で片付けた方がいい」



………。



「まぁ、一理ありはしますけれど」



「母さん?」



近くにいた少年が黒墨の華のことをそう呼んだ。



髪は黒く、瞳が緋色をしている少年だ。

黒墨の華の…夫の方に寄ったな。



大きく垂れ目な感じと、中性的な容姿。

まぁ今は女装をして、制服らしきものはスカートを穿いて居るが。



「うーん」



唸る黒墨の華。



他3家もらしくもなく黙っていた。



「…門川、俺は反対だ。この子の事はこの子が考えて行うべきだ」



そう言い終え、私を見る深山の目は良い気がするものではないし、

いつも深山が私に向けるものとは違っていた。



4家の子供らは、普段流されるのを許容している深山が反対した為か、

深山の横に並び、結界を背にしていた。



…空気など気にしてやる気がないからな。



「門川、面白いモノとは何だ?」



そこで、門川は笑みを深めスッと深山の前を指す。

子供らの後ろだ。



ースッ



「なっ!門川!」



深山の張る結界が解かれた。

それは門川が札を結界に向けて放った直後。



そういう術だったのだろう。



何が起きるでもなく、ただ結界が消えた事だけがわかった。



「っ風魔」



「はいはい」



結界があった場所、深山の近くに風魔が行く。



その時。

「巴…衛」





「あ…」



風魔がそう何か気付いたような声を出した直後。



「風魔、どういう事だ」

「貴方達、そこをお退きなさい」



深山と黒墨の華の声が重なった。



「母さん、良いの?」



「えぇ」



その時の黒墨の華の声は優しいものだった。



そして、子供らが端に寄ったことにより、結界があった場所が見えた。



そこには、一人の子供が居た。



4家の子供らと同年代だろう、眠る少年。



それがどうしたとは思ったものの、 

すぐに辿って来た匂いが濃くなったことに気付いた。



一歩、また一歩と進む。



眠る少年は、特徴的な淡い桜色の髪をしていた。

長く伸びた淡い桜色の髪、比較的華奢な体躯。



縁のないとまで行かずとも、これが面白いとは思えない。



そう思ってはいるのだが、何故か…。



眠る少年の真ん前まで来ていた。

そして、見下ろしていた。



「…似ているな」







無意識にそう言っていた。



それがきっかけとなり、記憶を遡る。



ずっと昔の事だ。

もう、何百年も昔の…忘れた記憶。



その中に色濃く残る、一人の人の子。



目を閉じてその人影が浮かんだ時、目を開ける。



「んっハァーっ、ハァーっ」



途端、息が荒くなった目の前の桜色の少年。



「っだから結界を張っていたんだ」



深山が隣でそう言った。



「この子だけでは、封じていた力など制御できない。まして安定して間もなくなんて」



「封じ直せば良いだろう」



「簡単に言わないでくれ。それに、もう試した」



それでダメだったんだな。



「しーっ」



後ろで黒墨の華が静かにするようそう動いた。

深山に対してでは無いようだが。



「風魔、今からでも間に合わないのか」



「んー…どうかな」



「風魔!」



そんな風に話す彼らを意識から外す。



「ハァーッ、ハァッハァッ」



苦しそうだ。

胸を抑えて、息が荒い。



ースッ



ー「!」



前で止めていた羽織を脱ぎ、掛けてやる。

少年には特に意味はないだろう。



ただ、

邪魔するなと一瞬、横で口論していた2人に目を向けた。



「…」

「「!」」



伝わらなくても良い。

邪魔など出来るはずも無いからな。



「っん…ハァ…ハァ」



「え、落ち着いてる…」



後ろでそんな声が聞こえたが、無視して再開する。



少年を見て、視る。

今の私では、人並み程度でしか視れないが。



見下ろしながら体全体を視る。



「…」



分からない。

だが、封じていた力とやらが原因で間違いない。



そして、4家だけでは何も出来ない。



視るのを辞め、隣で呆然としている風魔に声を掛ける。

…いや、掛けようとした。



ーガシッ



ー「!?」



ん?



着物の裾を横になる少年が掴んでいた。



後ろで驚いているのがよく分かる。



「何だ」

「見つ…けた」



見つけた…って。



記憶に重なる言葉だった。



さっき私の名を口にしたことといい。

「巡くん!?」



黒墨の華が大声でそう呼んだ。



少年は巡というらしい。



ーガシッ

…って。

「ちょっ、大丈夫?えっ…」



風魔の言葉も聞こえないというように、

私の服を掴んで、這い上がる様に立ち上がって来た。



「今は大人しくし「巴衛っ」」







胸の辺りまで来て、はっきり聞こえた私の名。



私の目を真っ直ぐ見る桜色の瞳。

見覚えなどない。



だが、懐かしい気がする。

そして、同時に思った。



…あぁ、やはりあの時の人の子なのだろう。



記憶の中にある、人影。



思い出したくない、記憶の一部。



でなければ、私の名を知るはずがない。

そして、こうして離すまいとすることも。



あぁ…今すぐ奪いたい。



ー「!?」



手の届く所に居る。

私に触れている。



攫うことなど簡単だ。



私と少年以外が、私の考えを察したのか身構えたのが分かった。



…ずっと、ずっと待っていた。 



曖昧な記憶の中、私に笑い掛けてくる一人の人の子。



私を置いて逝ってしまった人の子。



まだ幼い成人も迎えず、当時でも哀れまれる年齢だった。



…曖昧だ。

だがそれでも、『一緒にいたい』と言われたことは覚えている。



『来世でも、僕見つけるよ。妖怪さんのこと』



『妖怪さんの名前、巴衛って書くんだね。僕はザザッ〜だよ』



『見つけたいけど、いつ見つけれるか分からかないから、探してほしいな』



『一緒にいたい…な。…でも、もう無…』





溢れ掛けた記憶を封じる。



そして、思い直す。