その時、私の鼻に爽やかな香りが届いた。

 ...絞りたてのレモンみたいな。


 あれ?

 この匂い、知ってる。どこかで...


「うん、じゃあ」


 思考の渦から現実へ引き戻される。

 それでもレモンの匂いが私の記憶の中でさ迷っている。


 小野先生がくれたヒントを少し捻って考えると、最後の1つが分かった。

 シャーペンを置くと、先程の距離感が脳裏に蘇ってくる。

 吐息が触れ合う距離。


 先生の存在をあんなにも近くで感じられるなんて。

 普段は近付けないから、この一瞬が堪らなく嬉しい。

 自然と頬が緩むのを抑えきれずにいた。


 先生は教壇に立って合同条件の説明をしている。


 私は熱心に聴きながら、その瞳を見つめてため息をついた。

 やっぱり、同級生より誰より格好いい。

 小野先生はきっと校内で一番格好いいと思う。

 見た目だけでなく、全部素敵なんだけど。


 先生を見る度、目が合ってほしくて。


 すれ違う度、声をかけてほしくて。

 変わった髪型に気付いてほしくて。


 そんな風に、私の「好き」は毎日毎日、加速してく。

 大きくなって膨らんで。


 それでも私は、この思いを胸にしまうことをもう決めている。


 小野先生には、同い年の奥さんがいるから。

 私は見たことはないけど、噂では相当綺麗な人らしい。

 結婚は今年で5年目らしい。


 到底敵わない。


 それに、相手は先生なんだし、許されない。許されちゃいけない。


 なのに、どうしても好きで。


 男子生徒の冗談に笑う先生を見ながら、私は締め付けられたような苦しみを覚えた。


 気づけば、あの香りのことは忘れていた。