組織に報告するも、「彼女はこちらで預かり、少年少女からの実験を始めろ」とのこと。
彼女を見続けて十七年、吐き気と嫌悪と戦いながらも少しながら愛着が湧いてきたが、どうやら別れの時らしい。
この実験は明らかに年月かかるもの、組織の要望を満たすまで果たして生きていけるのだろうか。
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ここで更新は止まっていた。日付を見てみると六年前の記録、これから間もなくして夫婦は亡くなったと思われる。
「....じゃあこの記録者と相棒はあれか?鬣犬を檻から出した、出てきてしまったから襲われて殺された。その時にたまたま警官が出くわしたということだよな?」
青山は息を呑みながらそう言った。
「そうだな....俺達が追っているのは鬣犬で、実験の被験者ってことか...そうなると複雑だな....」
「ど、どうして複雑なん、ですか?」
「いや、鬣犬は生きるために人を喰っていた。だから今回の件は快楽殺人とかじゃなくて、習慣に近いものになってる。
そうなると....少し同情してしまっていうか、可哀想だとも思う。
まぁ、それでも許せるわけではないがな。」
俺は身体を伸ばしながらそう言った。
「なぁ栄治君。このファイルで他のことも早く調べてみよう。今回の事件は鬣犬だとして、何故死んだ筈の彼女が襲えるのか、もしかしたらこの組織でそんな風な実験を行ってるかもしれない。」
「実験....幽体離脱とか生き霊みたいな感じの実験ですか?」
「あぁ、この組織のイカれた実験は自分達の種、人間の真理を知ろうとしている。なら、怨霊とかにも目がいくんじゃないか?
悔しいがこの組織の行っている実験は凄い。許されるべきことではないが、実験の成果は本物だ。」
「...分かりました。なら時間が許す限り調べてみましょう。まずは"組織について"からっと」
俺は野宮さんの助言通りにマウスを動かした。マウスをファイルの真上に置き、左クリックを押そうとした瞬間、パソコンの電源が落ちた。
というより、この隠し部屋自体の電源が一気に落ちたのだ。
「な、なんだ?急に電気が落ちたぞ?」
青山が困惑している隙に、野宮さんは懐中電灯で照らし始めた。この瞬間的な反応は惚れ惚れするものを感じる。
だが、懐中電灯で映すのは特に変化のないものばかりだった。
普通に何かのトラブルが生じたのだと思った直後、隠し部屋のドアが左右から勢いよく真ん中へ移動し、そのまま大きい音を出しながら閉まってしまった。
俺達は暗い隠し部屋に閉じ込められてしまった。
真っ黒の空間には三つの光筋とガンガンと物に当たる音、そしてそれにパニックする声だけがあった。
隠し部屋の扉は見た感じからも分厚く、とてもじゃないが壊して開けるのなんて爆弾を用意しないと無理だ。
そんな事を分かっていても、青山はその壁に蹴りをくらわしたり、必死に開こうとした。
「クソッ!何で急に閉じたんだ!?それに電気も落ちた....こんなの意図的でしかねぇッ!」
「落ち着け潤平君。まずは脱出の方法を考えよう。ムキになっても事は進まらない。」
「でも野宮さん、脱出って言ってもそんなのどうやって....」
野宮さんは光を当てられながらも、さも当然のような顔をした。
「そりゃあ...抜け道しかないだろ。それ以外ないと思わないか?」
「そんな事を言っても....抜け道って....ここは緊急避難所じゃないんですから....」
「ここを作るんならこういう不具合のケースを頭のイイやつほど考えるんだ。だから、もしもの時のために何か抜け道じゃなくても手段がある筈だ。
とにかく探せ。普段目に入らなそうな隙間とか隅々までだ!」
俺達は野宮さんの言葉を始めに、机の下や棚などを調べ始めた。青山も蹴るのはやめて、近場の地面を念入りに探していた。
見えるのは計四つの光に照らされるものだけだ。その光自体もあまり大きくなく、イライラが増すだけだった。
「み、皆さん!これって隠し通路じゃないですか!?」
加奈の声に俺達は反応し、一斉にその声の方向へ視線を合わせた。そこには光で照らされてる加奈の顔と壁から漏れる弱々しい光が見えた。
俺達はバラバラだった光を集中させ、その壁を照らした。照らした場所は本来タンスがあった場所で、加奈がほんの少しだけ退かして見えていたという状況だ。
俺達は加奈に三つの光を預け、三人がかりで重いタンスを退かした。
タンスはズズっと動いていたが、何かにつまづいたのか、傾きそのまま倒れてしまった。
俺達は慌てたが、加奈は最初から下がっていたので被害に遭うことは無かった。
加奈が見つけた光筋は確かに隠し通路だった。ブロック状に光が漏れ、俺はそのブロックの中心を押した。
壁は隠し部屋に来たように左右に開いて、目の前には弱々しい光で照らされる、錆色の螺旋状の階段が姿を現した。
「....だいぶ古びてるけど、崩れることは無さそうだな。よし、じゃあ...」
「待て栄治君!あまり不用心に入らない方がいい!罠の可能性が高い。」
「罠ですか?ここは抜け道の筈です。野村さんが言ったんじゃないですか。「抜け道はある筈だ。」って」
「あぁ言った。だが、栄治君。気付かないか?こっちの部屋は電気が消えたが、階段の部屋は?弱々しいが電気を灯している。これは意図的に隠し部屋"だけ"を消した可能性が高いんだ。
誰かが俺達をあの部屋に閉じ込めようとしたのは明らかで、この階段の部屋に導こうとしているのかもしれない。」
「それはそうですけど....もしかしたらそんな事を知らないかもしれないじゃないですか!」
「あぁ。だから「不用心に入らない方がいい」と言ったんだ。慎重に行こう。俺の後ろに皆付いてきてくれ。」
野宮さんはそう言いながら先行すると、机で拾った鉛筆を投げたり、叩いたりして慎重に足を進めた。
錆色の螺旋状の階段はギイギイと嫌な音が鳴ってはいるものの、床が抜けるような感じはしなかった。サビの臭いが鼻をツンっと刺激し、手すりに触るものの手に付着してしまう。
だが、今の調子で何も無いので少しだけ緊張感が解れてしまったのか、こんなことを聞いた。
「....さっきみたいな対処、これも警察で教わったりするんですか野宮さん。まるでプロみたいでしたね。」
「.......習うっていっても集団行動だ。単独の対処なんざ習ってないさ。」
「え?でも....俺たちが気づかないことも気を配っていたし、とても慎重だったし....まるで、特殊部隊みたいな感じでしたよ?」
「....趣味なんだよ....」
「え?趣味?」
俺がそう言うと、野宮さんは顔を少しばかり赤くして視線をそらした。
「....特殊部隊、そういうのが好きなんだよ俺は。だから、単独になった時の行動とか調べてみたりしてたんだ....
笑いたければ笑え。いい歳こいて特殊部隊に憧れるなんて...全く、娘に聞かれたらいい笑い者だ....」
いつも敵で、あまりいい印象が持てなかった野宮さん。人間としての部分が欠如していると思っていたが、初めて人間っぽい反応を出して、衝撃と同時に安堵が訪れてきた。
そんな何気ない話をしていると、野宮さんの足がピタリと止まった。俺は野宮さんの向こう側を見てみると、人一人が這って通れるくらいの穴があった。
その穴の先は塞がっているのか、光などは見えなかった。
「....いけそうですか?何か塞がっているっぽいですけど...」
「あぁ大丈夫だ。これもまた窪みがある。そしてこの位置、出るところはまだ屋敷内だ。恐らく二階に出るはずだろう。」
野宮さんはそう言うと姿勢を低くし、地面に高そうなネクタイを擦りつけながらその中に入って行った。
ガラッと音がしたら、野宮さんの身体が一瞬ビクッと震えた。
だが、それからなんなく前に進み、俺達に来るよう声を掛けてきた。
俺を先頭に這って通っていくと、出口の先は真っ暗なのか、後ろの階段部屋の弱々しい光が照らしてぎりぎり見えたが、野宮さんが銃を出口付近の上の方に抑えているのが目に入った。
「何してるんですか?邪魔なんですけど....」
「理由は後で言うが、取り敢えずこの銃に当たらないようにくぐり抜けて欲しい。」
野宮さんの言葉が理解出来ず、ハテナが頭に浮かんだが野宮さんの言うがままに従った。銃に当たらないようにくぐり抜け、服を叩いていると野宮さんから木の棒を渡された。
「?野宮さん、これは一体」
「栄治君。その木の棒で辺りの床を叩いて欲しい。それも静かにだ、安全確認のためだからやってくれないか?」
野宮さんがそう言うと俺はしぶしぶ言う通りに従った。いくらなんでもそれは警戒過ぎるのではないかと思っていた。だが、目が暗闇に慣れてきて薄ら視界が見えてきた時、野宮さんの言うことの意味がわかった。
野宮さんが拳銃で抑えていたのはギロチンより少し小さめの鋭い刃だった。
ここへ繋がる出口は上へスライドするシステムで、それに刃が付いているといった構造。
出口を前回にしたらその刃だけ落ちるというシステムを理解した。
何故ならば、刃は既に出口から離れていて、野宮さんが拳銃を離すとすぐに落下してしまう。
こういう罠があったからこそ、野宮さんが俺に木の棒で安全確認を強いたのかと納得した。
俺は一応安全地帯と確認をし、出てきた二人を安全地帯へと誘導した。
目が慣れたとはいえ、暗いのは確かだ。ぼやけてみえるだけで、全体像がまだ把握出来ていないのが逆に不気味に感じた。
電気を点けようにも、さっきの刃のような仕掛けがあるかもしれないので、不用心に入ることが出来ないのだ。
全員が部屋に入った事を野宮さんは確認すると、刃をまるで赤ん坊が起きないようにそっと置こうとゆっくり下へ下げた。
出来る限り下へ下ろしていくと、最後に野宮さんは素早く拳銃を引いた。
刃は拳銃という支えがなくなり、重力が働くまま床へ落ちた。
刃が床へ落ちる音は小さいが、よく響いた。
コン....カチッ
刃が床へ落ちた即後にスイッチが入った音が聞こえた。俺達はその音に過剰反応をした。
そのスイッチ音の正体は部屋の電気がつくスイッチというのは反応してから数秒後に分かったことだ。
部屋は寝室のようだ。大きいベットが三つ並んでいて、タンスや縦鏡がある。窓は閉じ切っていてホコリが充満していたが、本来なら洋風な感じが出て寝心地が良さそうな部屋だった。
「...何で刃が落ちたら電気がつくんだ?意味がわかんねぇ....」