舞が淡々と説明するその言葉に、
私の脳裏には『敗戦?』の文字が浮かび上がる。


あぁ、もう私もちゃんと瑠花みたいに歴史を真面目に勉強しておくんだった。

新撰組って、鳥羽伏見を追われてどうなるんだっけ?
箱館で土方さんが死ぬのは、なんとなく覚えてる。
後は、近藤さんが捕まって、斬首されて首が三条河原にさらされるんだったかな……。

でもそれは、何時だった?


途端に、この先の歴史が怖くなる。


「総司、俺は局長たちにこの事実を報告に戻る。
 お前は引き続き、近くで体を休ませながら、二人と共に行動してくれ」


それだけ伝えると、慌てて馬を駆ってもと来た道を駆け出した。


現代から来た三人だけ、この地に残された私たちは、
とりあえず近くの村人に頼み込んで、体を休ませる場所だけを確保して敵方の様子を観察し続けた。
 

物陰に隠れて息をひそめながら敵地を伺ったり、
時には、村人たちに紛れて農作業を手伝いながら様子を伺ったり。

そうやって、丞も今までの戦いでいろんなことを調査してたのかなーっとか、
今任されてる役割を通して、丞を感じることが強くなっていた。


そして恐れていたことが告げられた。
甲府城を出て、3000人の部隊で近藤さんたちの部隊制圧にうって出るということ。

そんな情報を手にして、本隊と合流するかこのまま様子を見るかを話し合ってた時、
敬里がふいに口にする。


「小仏峠、笹子峠に談合坂。
 武器弾薬を持って歩いて移動してる。
 多分、もう暫く到着は出来ないよ。

 ここに居ても、この場所で戦いにはならない。
 俺たちは、本隊にこの情報を伝えて、その場所で新政府軍を迎え撃てるようにしないといけない」


そうやって言い切った敬里の言葉に、私たちは慣れない道を馬で戻る。
舞が案内しながら走り戻る。

ようやく本隊が見つけた私たちは近藤さんや原田さん・永倉さんたちにその旨を告げる。
土方さんは先に話してた通り、援軍を呼びに別行動してたみたいだった。



3000人の新政府軍が甲府城を出発した。



それは、一般隊士たちには伝えないということになっていたのに、
人の噂に戸はたてられない。

一般隊士たちにも知るところになり、逃げだすものが多くなり始めた。
食事やお酒で、ここまで必死に引っ張ってきた行列。


「皆、大丈夫だ。
 もうすぐ会津から援軍が来る。
 それまでお前たちは、この場所で踏ん張ればいい」 


そう言って、隊士たちを必死に繋ぎとめる。


近藤さんのその言葉を借りるように、私たちも、口裏を合わせて「援軍は必ず来ます。一緒に頑張りましょう」っと
震える隊士たちに声をかけ続けた。



「新政府軍に使者を送り時間を稼ぐ」

そう言って近藤さんは頑張っていたけど、だけど戦いはおこる。



柏尾山の麓に布陣した私たち。

だけど出発時には5つほどあった大砲も、人員不足で、
一つまた一つと手放したらしく、この場所にあるのは僅かは2つばかり。

そしてもう一つの問題は、幕府から与えられた近代兵器の訓練などする間もなく出発しているのだから、
殆どの隊士たちが扱うことが出来なかった。

私たちも隊をわけて、甲州街道沿いの木を切り倒して新政府軍の進軍を足止めしたり、
二つある大砲の一つを甲州街道に向け、もう一つを柏尾山の南に位置する岩崎山に向けて配置し、
永倉さんに一部隊を託して菱山を守らせ、土方さんと近藤さんの故郷の春日隊が岩崎山に布陣。

守備は万端だと思われた。

だけど実際に戦いが始まると新政府軍は近代兵器の扱いに慣れた訓練された兵士たちが多く、
次から次へと銃弾が撃ち込まれた。

晒される銃弾の嵐に、負傷するものが増え始めた。
負傷兵が多くなると、私たちの役割も京都の時みたいに増え始める。


前線で奮闘する生粋の新選組の仲間たちの活躍もむなしく新政府軍に援軍が合流すると、
本陣は背後から回り込まれる形で砲撃されて、
あっという間に新規の隊士たちは散り散りに我先へと逃げ始める。

もう統制も何もあったものじゃなくて、
会津からの援軍が嘘だったことも一般隊士たちの逃走要因に追い打ちをかけ始めた。


大砲は破壊され近代武器での攻撃手段を持たない私たちは、
銃に倒れる仲間たちを残しながら敗走した。

負傷者輸送指揮官を任せられた斎藤さんと一緒に、
大善寺・笹子峠・八王子を経由して日野へと逃げ戻った。


その数日後、江戸で土方さんと再会した。