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「な、なんだ? なんの騒ぎだ?」
町に入ったユンジェは戸惑った。
何やら、町の様子がおかしい。
あちらこちらで、かっちりと鎧を着た人間が見受けられる。肩に弓を掛けている者や槍を持った者、馬に乗っている者もいた。
それらは無遠慮に町人の家屋に入っている。そのせいで、町人達は酷く怯えていた。
物々しい町の雰囲気に眉を顰めながら、油屋を目指していると、『カエルの塩屋』の前で悲鳴が聞こえた。
足を止めて様子を窺うと、カエルの顔をした店主が膝をつき、青い顔で懇願している。
それを尻目に、鎧を着た人間達が塩の入った大袋を、次から次へと刃物で裂いた。
あの店主には積年の恨みがあるユンジェだが、あれは酷いな、と思う。
あんな風に破かれてしまえば、多くの塩が地面に零れ落ちる。売り物にはならないだろう。
(何だろう。すごく嫌な予感がする)
鼓動が早鐘のように鳴る。
息が詰まるような胸騒ぎを感じていると、広場の方から厳かな声が聞こえた。
近寄ってみると、馬に乗った勇ましい男が、集う野次馬達に向かって声音を張っている。ユンジェは野次馬にまぎれた。
「この辺りに、簒奪者を匿う、愚かな謀反人がいると聞いた。麟ノ国第三王子ピンインを匿う者は、誰であろうと縛り首だ」
野次馬達がどよめく。ユンジェは首を傾げた。聞いたことも無い、難しい単語ばかり耳に入ってくる。
(さんだつしゃ。むほんにん。りんのくに? まず王子ってなんだよ。第三ってことは第一や第二もあるのか? 縛り首は、なんとなく分かるけど)
反芻したところで、知識の乏しいユンジェには、まったく理解ができない。ティエンなら意味が分かるだろうか。
「ピンイン王子の特徴は次の通りだ。黒髪に黒目。華奢な体躯をしており、容姿は美しく、おなごのよう。その容姿を活かして性別を偽っている可能性もある。誰か、ピンイン王子や、輩を匿う謀反人のことを知らぬか。知らせた者には褒美を渡そう」
すべての音が遠のいた。口内の水分が吹き飛び、背中に冷たい汗が流れていく。息を詰めると、腕におさめる小壷を強く抱きしめる。
(まさか、ピンイン王子って……)
しかし、ユンジェはすぐに己の考えを否定した。
いくら特徴が重なるからといって、それがティエンだとは限らない。彼のように、美しい容姿を持つ、天女のような男が近くにいるやもしれないではないか。
けれど。脳裏に過ぎる一年前の記憶が、ユンジェを嘲笑う。
出逢った当初のティエンは、浅いながらも怪我を負っていた。高価な衣を着ているにも関わらず、無一文で倒れていた。
目覚めた彼は声を失い、ユンジェに酷く怯えていた様子で、懐剣を向けてきた。慟哭する姿は、本当に可哀想であった。
(……生活に慣れても、あいつは俺にしか顔を見せようとしなかった)
彼はいつも人を避けていた。
(俺はティエンのことを、ほとんど知らない)
べつに知らなくても良いと思っていたのだ。
ティエンも口が利けないし、仮に事情を聴いたところで、自分には理解できない話だと決めつけていた。大切なのは今だと思い込んでいた。
手汗を衣で拭うと、ユンジェは予定通り、小壷を抱えて油屋へと向かう。
(落ち着け。下手に焦って周りに見られたら、怪しまれる)
こういう時だからこそ、よく考えろ。人間は予期しない場面に出くわすと、冷静さを欠かしてしまう。
そのせいで余計な行動を取ってしまい、自ら悪い事態を招いてしまう。
(思い出せ。爺の教えをよく思い出せ)
ユンジェは自分に言い聞かせた。
角を曲がると、向かい見える油屋にも、鎧を着た人間達が立っていた。
塩屋とは違い、そこは穏やかであった。何やら話し込んでいるようで、初老の店主が鎧を着た人間達に、媚びへつらっている。
あの顔は金にがめつく時の顔だ。