他人の家の勝手がわからず、僕は仕方なく『緊急呼び出し用バッグ』に備えているタオルを取り出すと、台所を借りて暖かいタオルを作って紗綾樺さんの手を温めた。
 しかし、この程度では、ちっとも温まりはせず、紗綾樺さんの体は氷のように冷たいままだった。
 更にバッグをゴソゴソとあさってみると、冬に備えての携帯用カイロが見つかったので、必死に温めてから紗綾樺さんの足を温めるのに使った。
 せめて体が温まるようなものを紗綾樺さんに飲ませてあげたいと思うが、意識を戻してくれない事には、お茶も飲ませることができない。
 最後に食べたのは、軽井沢のティールームでケーキと紅茶だったから、カロリーや急激な血糖値の低下からくるものではないだろうという予想はできた。
 でも、僕には決定的な情報が足りなさすぎる。宗嗣さんの教えてくれた紗綾樺さんの健康状態には、こんな風に突然、意識障害を起こすような内容は含まれていなかった。
 だとしたらなぜ?
 やっぱり、記憶を取り戻しかけたことに原因があるってことなんだろうか?
 いや、記憶障害の人に関しての簡単なことはネットでいろいろと調べてみたけれど、記憶を思い出すと意識を失うなんて、どこにも書いていなかった。それとも、僕の調べ方が足りなかっただけで、これって普通の事だったとか? いや、そうだとしたら、あんなに宗嗣さんが焦るはずはない。まてよ、宗嗣さんが焦ったのは、紗綾樺さんがご両親の事を話したから? わからない・・・・・・。
「紗綾樺さん」
 固く目を閉ざしたままの紗綾樺さんに呼び掛けてみるが反応はない。仕方ないので、僕は紗綾樺さんに話しかけながら、いつ目覚めてもいいように、熱いお茶を煎れる。
 さすがに、カップがやけどしない程度に冷えてから、紗綾樺さんの冷え切った手を添えてみるが、反応はない。
 ゾクリと寒気がして、部屋全体の温度が下がっている事に僕は気付いた。
 お世辞にも気密性の高いとは言えない部屋は、襖を閉めて居ないと玄関の隙間風が吹き抜ける程だ。
 エアコンは?
 火を怖がる紗綾樺さんの為に、IHのクッカーを用意している宗嗣さんなら、エアコンがないはずはない。
 見上げると、紗綾樺さんに直接風が当たらないように、奥の壁にエアコンが設置されていた。
 僕は慌ててリモコンを探し、エアコンを暖房にしてスイッチを入れる。
 どうか、紗綾樺さんが目覚めますように・・・・・・。
 ぎゅっと手を握り、祈るように、手を伝って想いが紗綾樺さんに届くように必死に想いを集中させる。

☆☆☆

 暗闇だと思った空間に金色の光が立ち込める。
 初めてなのに、とても懐かしい感じがする。
「ずいぶんと元気になったものだな」
 凛とした女性の声がして、私は光の中心を見つめる。
 ほんの一瞬、金色の狐が見えた気がしたが、そこには見たことのない豪奢な衣装を纏った女性が立っていた。頭の上の髪飾りは全て金と銀と、あらゆる色の砡で飾られ、私を招くように差し出された指も金色の飾りで覆われている。
「来なさい。そして、妾(わらわ)の手を取るがよい」
 私はゆっくりとその女性の元へと向かう。
 足元は固くなく、まるで宙を浮いているような感覚のせいで歩みがとても遅くなってしまう。
「他愛ものないこと。ただ信じればよい、そなたの足物には大地があると」
 女性は少しだけ笑みを浮かべて言った。
 足元に、大地がある?
 そう考えた次の瞬間、私は足にしっかりとした堅いものを感じ、歩みが早くなる。
「さあ、手をとるがよい」
 女性に近づくと、私はゆっくりと手を伸ばす。
「妾を恐れるな」
 近づくほどに、私には女性が金色の狐とダブって見える。
 この手をとったら、私はどうなるの?
「言ったであろう? 妾を恐れるなと」
 女性は言うと、私の手を取った。
「受け取るがよい、妾の力を・・・・・・」
 次の瞬間、女性の体が光の塊になり私の腕から私の中へと溶け込んでいった。
『そなたの回復の為に封じられていた全ての力を今こそ解き放とうぞ』
 既に姿の見えなくなった女性の声だけが聞こえた。
 私の体は金色の光に包まれ、そして重力などないかのように体が軽くなる。
『だが、忘れるな。約束の時が来るまでのこと。その時が来たら全ての力は、妾の元に戻る。まあ、人としての天命には充分であろうな』
 その薄い笑みを浮かべているような声を最後に、金色の光は消えていった。それと同時に、氷のように冷たかった体がポカポカと温かさに満たされていった。

(・・・・・・・・懐かしくて暖かい・・・・・・・・)

 紗綾樺は暖かい光に包まれ、空間を揺蕩いながら、ずっと失くしていた幾つかの感覚や感情を取り戻していった。

☆☆☆