手持ちの案件を全部片づけ、ふと見上げると時計は八時を指していた。既に、定時を過ぎて二時間になる。
 振り返ってみると、今日はずいぶん効率よく仕事が片付いて、明日以降に回す予定の分まですべて終わらせることができた。
 つまり、さやのことに思考のほとんどを回している時と、回していない時では仕事をこなせる量が大幅に異なるということの実証だ。
 いつもはさやの事ばかりを考えながら仕事をしているが、さやが奴と交際宣言をして以来、だんだんとさやの事ばかり考えている自分から脱しつつあるのを自分でも気付いていた。
 今までなら、今日みたいにGPSが変な動きをすると、一日さやの事が心配で、定時で会社を走り出てしまっていたが、さやはもう高校生じゃなく大人なんだと、段々に自分で理解できるようになってきている。俺がどうこう言わなくても、さやは自分で大人としてふるまえるようになってきている。少なくとも、家の外では。家の中でのことは、この際どうだっていい。もし、奴が本当に結婚する気でいるのなら、家の中でのさやを知っても良いというか、知る必要がある。そう思えるようになってきたからだ。
「天野目君、仕事は一段落ついたかい?」
 書類を片付けながら、さやの事を考えていた俺は、慌てて声のする方を振り向いた。
「あっ・・・・・・」
 あのお偉いさんだ。
 俺は慌てて立ち上がった。
「すいません、長々と残業をしてしまい・・・・・・」
「君の仕事は確かだから、残業してくれるのは歓迎だよ」
 返事に困って黙すると、お偉いさんが言葉を継ぐ。
「もしよければ、付き合ってくれないか?」
「飲みですか?」
「まずは、食事だな、それから、飲みもいいね」
 お偉いさんは言うと、くいっとお猪口を傾けるような仕草をした。
「じゃあ、ちょっと妹に連絡をいれて、すぐに片付けます」
 食事をせずに俺を待っているだろうさやの事が心配だったが、俺は誘いを断らずに受けることにした。
「じゃあ、十五分後にエレベーターホールで」
「わかりました」
 俺は返事をすると、さやにメールを送り、デスクを片付けた。
 お偉いさんを待たせてはいけないので、資料を片付け、パソコンの電源を落とし、机に鍵をかけて、荷物を掴むと廊下へ走り出た。
「こっちだよ」
 声をかけられ、俺は歩み寄ると、タイミングを合わせたように扉を開けたエレベーターに一緒に乗り込んだ。
「じゃあ、今日は私に付き合ってもらうよ」
 お偉いさんは言うと、父のような優しい笑みを浮かべた。
 もちろん、俺の父親という歳ではない。でも、たぶん、父が亡くなったころの年齢に近いのではないかという気はした。

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