紗綾樺さんに『大切な人』と言われ、僕はその言葉をどう理解していいのか迷い、かなりリアクションが遅れた。
 言葉の意味が『恋人』なのか『友達以上恋人未満』なのか『友達』なのかわからなかったからだ。昨日も、自分で思い出すだけで穴に入りたくなるくらい何度も告白をしたが、全てスルーされた。それは、宗嗣さんが言うように、紗綾樺さんの中にある人間関係を表す言葉が『兄』と『友達』と『それ以外』の三種類しかないからだという事は理解できてきている。でも、真顔で『大切な人』と言われると、どうしても期待してしまう。
 しかし、このリアクションの遅れは致命的だったとも言える。
「やっぱり、迷惑ですよね」
 紗綾樺さんは言うと、うつむいてしまった。
「ち、違います。迷惑なんかじゃありません、全然ありません」
 フォローを入れてみるが、紗綾樺さんは俯いたままだ。
「えっと、帰りの新幹線、予約してますか?」
 仕方ないので、僕は話題をすり替えた。
 万が一にも、同じ電車、同じ車両に乗れないなんて言う悲しい事にはなりたくない。
「これが、帰りのチケットです」
 紗綾樺さんは言うと、僕にチケットを差し出した。
「えっ、グランクラス?」
 思わず僕の声が裏返る。
 それこそ、アウトレットまで買い物に来る必要がない。グランクラスに乗ってここまで買い物に来るくらいなら、銀座で買った方が早くて簡単だ。
「空いているので、何時でも取れると言われたので」
 この切符を売った駅員は、絶対にぼったくりバーかどっかで学生時代に客引きのバイトでもしていたに違いない。なんで、指定席があるのに、ましてやグリーンだってあるのに、グランクラスなんて馬鹿だかなものを売りつけるんだ。
 自分の財布の具合を考えると、余計に腹立たしくなってくる。これじゃあ、同じ車両に乗れないのは確定だ。
「まだ時間はありますね。じゃあ、宗嗣さんのプレゼント探しましょう」
 僕は怒りに震えながらも、これ以上悲しい懐具合を紗綾樺さんに知られたくないこともあり、一気に立ち上がった。
「どんなものにしますか?」
「あの、男の人は、どんなものが嬉しいんですか?」
 紗綾樺さんらしい質問だったが、僕はうっかり紗綾樺さんと腕を組んでいる姿を思い浮かべてしまう。
 すると、紗綾樺さんが僕の腕にすっと腕を絡めた。
「えっ・・・・・・」
「ここでは、みなさんこうして歩いてますよね」
 バッチリ読まれていたのだろうが、カップルの多くが腕を組んだり、手を繋いだりしていてくれるおかげで、紗綾樺さんは不思議に思わなかったようだ。
「そうですね、予算によりますけど、財布とか、ベルトとか、名刺入れとかですか?」
 無意識とはいえ、自分の欲しいものを羅列したせいで、最後に『靴』と付け加えそうになった。
「サイズがわからなくても帰るとなると財布か名刺入れかな・・・・・・」
「じゃあ、尚生さんが選んでください」
「えっ、でもそれじゃあ、紗綾樺さんからのプレゼントにならないですよ」
「お兄ちゃんも、それくらいわかります」
 まあ、確かにそうだ。僕よりも紗綾樺さんの事をわかっている宗嗣さんなら、プレゼント自体、僕のアイデアだと思うかもしれない。
 それから僕たちは広いアウトレットの中を歩き回り、宗嗣さんのプレゼントを探した。しかし、アウトレットとは言え、さすがブランド物、値段の高さも一流だ。
 ぐるぐると見て回るうちに、段々と紗綾樺さんの顔が曇り、僕たちは再び店の外にあるベンチに腰を下ろした。
「どうしたんですか?」
 どんどん無口になる紗綾樺さんに、僕は体調が心配になる。
「私、どれが身の丈に合った物かわからなくて・・・・・・」
 言われてみればそうだ。宗嗣さんへのプレゼントが、宗嗣さんのポリシーに合わない身の丈に合わないものだとしたら、紗綾樺さんが怒られるだけで、宗嗣さんには喜んでもらえない。
「じゃあ、もう、完全に僕の財布に合うような品ってことにしましょう!」
 これが一番簡単だし、母を養えない僕よりも、紗綾樺さんを養っている宗嗣さんの方が収入も高いはずだ。
「尚生さんとお揃いですね」
 笑顔で言う紗綾樺さんには悪いが、宗嗣さんの嫌がる顔が僕には目に浮かぶ。
 そして、僕たちは再びアウトレットをぐるぐると歩き回り、最終的に本日限定、全品半額から更に三割引という、信じられないようなセールをしていた有名ブランド店で本革の財布を見つけた。ズボンのポケットに入れることが多い宗嗣さんのは二つ折り、僕のはスーツの胸ポケットに入れられる長財布にしてもらった。
 どちらも少し光沢のあるなめし革で、ビジネスで使える黒にした。角に小さくブランドのロゴが刻印されているのが、嫌味がない。
 それでも、一万円を超える金額に、僕はプレゼントを辞退したが、紗綾樺さんがひいてくれなかったので、ありがたく頂戴することにした。
 会計も終わり、商品を受け取って出口に向かう途中、レディースのコーナーで紗綾樺さんが足を止めた。
 紗綾樺さんの視線の先には、赤い革の小ぶりなバッグが置かれていた。
 本革の上に、同じく革を重ねて作られて花のモチーフが散りばめられ、可愛いチャームが複数ぶら下がっていた。
「可愛い・・・・・・」
 小さな声で紗綾樺さんが呟くのが聞こえた。
 すかさず、商売上手そうな店舗スタッフがポシェットを紗綾樺さんの目の前に差し出した。
「どうぞ、お手にとってご覧ください」
 その積極性に紗綾樺さんが後退るが、店舗スタッフは更に一歩と歩を進める。
「紗綾樺さん、見るのは自由ですよ」
 僕が言うと、紗綾樺さんはおずおずと手を伸ばしてバッグを受け取った。じっと眺め、肩から下げたりしていると、店舗スタッフはすかさず紗綾樺さんを鏡の前へと誘導した。
 さすがプロだと感心している間に、店舗スタッフは何処から取り出したのか、計算機をパタパタと叩き、僕の前に提示した。
「どれも最後の一点になります。特に、チャーム類は、本日、表示価格の八〇パーセントオフで、更にそこから三〇パーセントオフになります」
 その笑顔が恐ろしく感じるのは、僕だけだろうか。
 値段は決して安くはない。が、高過ぎもしない。
「彼女さんから、お財布のプレゼントされてましたよね?」
 それは『お返し買うのは当然ですよ』と、言われているようだった。
 べつに、紗綾樺さんが相手なら、惜しむほどの金額ではない。もし、紗綾樺さんが本当に気に入ってるのであれば、逆にプレゼントしたいくらいだ。朴念仁の僕が、誰にも相談できずに財布のお礼を考えて、悩み続けてお礼ができないまま時間が経過してしまうくらいなら、いっそこの場で紗綾樺さんが気に入ったものをプレゼントのお返しとして用意したい。
「紗綾樺さん? 気に入りました?」
 僕は念のため、紗綾樺さんに確認する。
「とてもかわいいですね。このチューリップ」
 紗綾樺さんは、バッグではなくぶら下がっているチャームを片手に答えた。
 隣に立つ店舗スタッフの視線が『まさか、チャームだけ買うつもりじゃないわよね』と言わんばかりに鋭くなる。
「バッグの方はどうですか?」
 少し脅されているような気分になりながら、僕は問いかけた。
「可愛いと思います」
 紗綾樺さんの感想を聞くなり、店舗スタッフがカットインしてきた。
「とても良くお似合いですよ。こちらは最後の一点で、バッグのサイズは小さいですが、ショルダー部分の金具を利用して複数のチャームを楽しんでいただけますし、気分転換にこのようにスカーフを巻いていただくことにより、チャームやスカーフを外した時のシンプルな感じとその日の気分に合わせてデコレーションを変えることによって色々な楽しみ方ができるので、バッグとしてだけではなく、おしゃれのトータルコーディネートとしてお楽しみいただけるものになります」
 要約すると、沢山チャームを買い足したり、スカーフを買い足せば、色々とコーディネート出来て楽しめるという事らしい。
 案の定、店舗スタッフの早口に戸惑っていた紗綾樺さんが僕の顔を見て納得したという表情に変わる。
 しまった、筒抜けなのは良しとして、必要以上にノルマをこなすのに必死な店舗スタッフの印象を悪くするようなことを無意識のうちに考えてしまったかもしれない。
「あの、すいません、彼女は人見知りが激しいので、少し二人にしてもらえますか?」
 僕が言うと、『かしこまりました』と言って店舗スタッフは少し離れた二人の会話が聞こえない場所にあるディスプレイ商品の位置を直したりし始めたが、視線が僕たちにロックオンされているのは、刑事の感でわかる。
「紗綾樺さん、気に入りましたか?」
 僕は少し疲れているのか、表情が暗くなっている紗綾樺さんを心配しながら問いかけた。
 もちろん、紗綾樺さんがバッグを気に入らないのなら、気に入っているチューリップのチャームだけでも良いと僕は思っている。
「可愛いですね。でも、私、コーディネートとかわからないですから・・・・・・」
 そこまで聞いて、僕はなるほどと気が付いた。宗嗣さんの話では、紗綾樺さんは自分の服も宗嗣さんにお任せだと言っていた。そんな紗綾樺さんにバッグをお洒落にコーディネートしましょうと積極的に説明しても、戸惑わせてしまうだけだったのだ。
「別に、気に入っているのであれば、そのままでいいと思いますよ。飽きたら、コーディネートを変えられるってだけですから」
 僕の言葉に紗綾樺さんは鏡の中の自分の事を見つめた。
「あの、尚生さん」
 振り返った紗綾樺さんに名前を呼ばれ、僕は紗綾樺さんの傍へと、もう半歩近づいた。
「あの・・・・・・」
 なぜか紗綾樺さんは少し緊張しているように感じる。
「どうかしましたか?」
「あの、似合ってるんでしょうか?」
 紗綾樺さんに訊かれ、僕は自分の朴念仁度が自覚を大幅に上回っていたことに気付かされた。そうだ、僕は店舗スタッフの態度や自分の懐具合がどうのと考えたけれど、一度も紗綾樺さんに似合っているとか、紗綾樺さんが可愛いとか、個人的な感想を伝えていなかった。
 改めて鏡の中の紗綾樺さんを見ると、可愛くコーディネートされたバッグは、紗綾樺さんの為のコーディネートと言ってもいいくらい、しっくりと紗綾樺さんに似合っていた。
「似合ってます・・・・・・すごく、似合ってます」
 僕の言葉を聞きつけて、店舗スタッフが戻ってくる。
「じゃあ、この・・・・・・」
「バッグとチャーム類をセットで戴きます」
 僕は紗綾樺さんの言葉を遮るようにして言うと、とまどう紗綾樺さんからバッグを受け取り店舗スタッフに手渡した。