楽しい時間を過ごしたディズニーシーを後にし、尚生さんと私はモノレールで崇君たちが宿泊していたと思われるホテルへと向かった。
 もちろん、尚生さんにそのことは伝えていない。でも、ホテルに協力を求めるには、尚生さんに本当の事を話さなくてはならない。でも、話したくない。今日の楽しかった時間を嘘にしたくないから・・・・・・。
 私が葛藤している間に、私たちはホテルの正面までやってきていた。
 疲れ切った家族連れがホテルの暖かく眩い光を目にした途端、再び夢の国に戻ったように明るい表情を浮かべ、少し軽くなった足取りで光の中に吸い込まれていった。
「あの、ここへは何をしに・・・・・・」
 尚生さんは迷っている。もしかして、これは崇君に関係がある事なのかと、問いかけたいのを必死に飲み込んでいる。それは、私と同じ気持ちだからだ。もし今日一日が崇君を探すためだとしたら、私たちの楽しかった時間が全て嘘になってしまうから。
「一度、来てみたかったんです」
 私は笑顔で言うと、意を決して一歩を踏み出した。
 もう、ここまで来たら後戻りはできない。たぶん、崇君の居場所を見つけられるとしたら、これが最後のチャンスだ。
 まるで光が溢れるようなエントランスをくぐり、私はまっすぐにフロントへ向かった。
 フロントには、家族連れの列ができており、私はしかたなくキャッシャーのカウンターにいる男性スタッフに歩み寄った。
「すいません」
 私が声をかけると、『斎藤』という名札を付けた男性スタッフが笑顔で応えてくれた。
「じつは、叔母夫婦に連れ去られたと思われる弟を探しているんです」
 私の言葉に、斎藤というスタッフは笑顔を引き攣らせた。
 たぶん、こんな夢の国にふさわしくない問い合わせを受けるとは、想定していなかったのだろう。
「お客様、大変申し訳ないのですが・・・・・・」
 斎藤と言う名のスタッフが型通りの返答をしている間に、私は全身の力を集中していく。それと同時に、激しい眩暈に襲われ、私は演技ではなく本当にガクリとその場に膝をついた。
「お客様?」
 驚いてカウンターの向こうから出て来たスタッフの腕に掴まる。それと同時に力を開放する。
 私を抱きとめたスタッフの体がビクリと不自然に震え固まった。
 精神を集中して崇君のイメージを、一緒に居たと思われる夫婦のイメージを彼の頭の中に注ぎ込む。そして私は命じる。
『この子の事を私に教えなさい』
 これは一種の賭けだ。このスタッフが当日勤務していなければ、勤務していたとしても、崇君の姿を見かけていなかったら、全ては無駄という事になる。
 そこへ驚いて駆け寄ってきた尚生さんが私をスタッフの手からもぎ取る。
「紗綾樺さん、大丈夫ですか?」
 機械仕掛けのような動きをする男性スタッフは私たちから離れると、再びカウンターの向こうに戻っていき、一心不乱にキーボードを叩いている。
「何があったんですか?」
 尚生さんは今にも私を抱きしめそうな勢いで私の事を見下ろしている。
「ちょっと、宿泊の価格とか、訊いてみたくて、そうしたら急に眩暈がして」
「そんなの、インターネットですぐわかるんですよ」
 安心したような、少し不安げな尚生さんの言葉に、私は世の中にはインターネットというものが普及していることを思い出した。スマホですら公衆電話の代わりとしてしか使用していない私には、インターネットなんて、違う次元の代物のように感じられる。
「そうなんですか?」
 インターネットって、どんなものなんだろう。昔の私は、知ってたのかな?
 やっとの事で尚生さんに支えてもらって立ち上がると、さっきの男性スタッフが一枚の紙を無言で手渡してくれた。
「ありがとうございます。もう、大丈夫です」
 私が言うと、私の念に縛られて動いていた男性スタッフが、驚いたように辺りをくるくると見まわした。
 これで良い。書いてある内容が多々しいかどうかは別にして、私ができるのは、これが全てだから。
「じゃあ、かえりましょうか」
 笑顔で私が言うと、尚生さんは心配げな表情まま私の手を引いて歩き出した。
「ありがとうございました」
 狐につままれたような顔をしたまま、斎藤さんは頭を下げてくれた。
 私は渡された紙をしっかりと手に握り、尚生さんと共にモノレールの駅を目指して歩き始めた。


 モノレールの切符を尚生さんが買いに行っている隙に私はメモを広げた。
 メモには、中澤正信、恵子、崇という三人の名前と住所に電話番号が書かれていた。
 間違いない。この夫婦が崇君を保護しているんだ。私は確認すると、メモをバッグの中にしまった。
「お待たせしました」
 尚生さんの声は、いつも清々しく感じる。きっと、この人の心の中には私が恐れる闇が存在しないからだ。
「ありがとうございます」
 私はお礼を言うと、尚生さんについてモノレールの改札口を通った。
 今の私と尚生さんはデート中だ。恋人ではないけど、友達でもデートって言っていいのかな? それとも、デートなんて言うと、お友達だと迷惑なのかな?
 考えても私にはよくわからない。でも、お兄ちゃんには付き合ってますって言ってしまってるから、今更、そんなことは質問できない。でも、尚生さんに訊いたら、きっとまた、来る時の電車の中みたいにまずい雰囲気になる気がする。
 帰りの電車は、夢の国から一転して、通勤ラッシュの地獄だった。たぶん、いつもよりは空いているのだろうけれど、日頃電車に乗りつけていない私には、他人と体のどこかが常に触れ合っている状況はかなり苦しい。
 正面の席で隣りあって座るカップルの睦まじい様子を見ていると、なんだか不思議な感じがした。
 電車は夢の国を離れ、どんどん猛スピードで現実の世界に戻っていくのに、可愛い耳のついたカチューシャをつけ、お洒落なコスチュームを抱いた女性の隣と私の知らないキャラクターの絵が一面に書かれたブルーのポップコーン入れを大切そうに抱きかかえる男性の二人の周りだけ、夢の国の魔法が解けずに残っているようだった。
 羨ましい・・・・・・。
 突然沸き起こった感情に、私は戸惑った。そして、もやもやとした霧のかなたから誰かの声が聞こえた。
『・・・・・・ディズニーランドらしいって。どうせ皆カップルで回るだろうし、そうしたら俺らも一緒に回ろうな!』
 次の瞬間、激しい眩暈に襲われた。
 よろけて立っていられそうもなくなった私を尚生さんが抱き留めてくれる。
 次の瞬間、『どうぞ』という男性の声がした。
「ありがとうございます」
 尚生さんの声が耳元で聞こえ、私は椅子に座らせてもらった。
「すいません」
 なんとかお礼を言ってみるが、激し似眩暈に目を開けることもできず、私は頭を抱えて体を二つ折りにした。

(・・・・・・・・さっすが潤君、紳士~。明日、大学でみんなに自慢しちゃおう・・・・・・・・)

 隣に座っている女性は、自分の恋人が見ず知らずの私に席を譲ったことに怒ってはいないようだった。
「紗綾樺さん、大丈夫ですか?」
 今日何度目だろう、尚生さんのこんな心配そうな声を聴くのは。きっと、この先も私と一緒に居る限り、尚生さんは私のせいで心配し続けるんだ。
 そう思うと、私はとても申し訳ない気がした。
「顔、やっぱり蒼いですよ」
 尚生さんは私の顔を覗き込むようにして言うと、腕時計に目を走らせた。
「やっぱり、遅くまで居すぎましたね」
 尚生さんが自分の事を責めているのを感じ、私は頭を大きく横に振るが、再び眩暈に顔をしかめてしまう。
「終点で乗り換えますから、それまで休んでいてください」
 尚生さんの言葉に頷くと、私は目を閉じた。