第六話 衝突
「楓さん!!!!!!」
その日
真緒の顔色は真っ青だった
「…おや、酸欠かい?
顔が真っ青じゃん。真緒くん」
冗談交じりに小さく笑う楓
「…っ、そんな事どうだっていい!
あんた…奈千は!!一体どうなってるんだ!!!!」
バン!!!!と楓の居るデスクを叩き、詰め寄る真緒
「…君が見てきたままで、間違いないと思うけど」
一瞬きょとん、とした顔をした楓だがスッと元に戻る
「なっ…何でそんなに平然としていられるんだよ?!
奈千…あいつ、記憶、が…!!」
「…一時的な記憶障害なら、誰にだって起こり得る
しばらくしたら、じきに回復するよ」
「…本当ですか」
いまだ自分を睨み続ける真緒を少し引き離して、大きく頷く楓
「…それよりも。
君は彼女の異変には他に気が付かなかった?」
他の、異変…?
「…まだ何か、あるって言うんすか」
「…君、今何を見てきたわけ?」
楓の声が、ひどく冷たく突き刺さる
「確かに一時的な記憶障害からのショックが大きくて、他の所なんて目がいかなかっただろうね
…けど、すぐに気付いたはずだよ」
楓が真緒を見透かす
「…彼女の所に一緒に行こうか」
楓はそう言って席を立ち、真緒の手を引いて奈千の病室へと向かった
「…あ、せんせー……」
上体を起こしたベッドにもたれ掛かり、ぼんやりと外を眺めていた奈千
「調子はどう?…気分は悪くない?」
「はい。…大丈夫、です」
「…」
声や存在、そのものは
紛れもなく、奈千なのに…
どこか、全く知らない別人のような雰囲気がした
「…ちょっと申し訳ないんだけど、こっちの布団取って経過を見せてくれる?」
奈千の右側に立ち、奈千に掛けられていた布団を指さす楓
「あ、はい…」
奈千の承諾を得ると、楓はおもむろに布団を剥がす
「…っ、!!!!」
目を見開かずには、いられなかった
「痛むところはある?」
楓が真緒にお構いなく、奈千に優しく声をかける
「今は…どこも…」
「そう。…良かった」
奈千に笑顔を向けつつ、次の言葉は真緒に向けられる
「…分かっただろう?彼女の現状を」
「…っあ…あ…」
自分でも、血の気が引いたのが分かる
「…ありがとう。元に戻すね」
楓が奈千の布団を元に戻すと、真緒と共に部屋を出る
「…っ、…。」
真緒は、衝撃の大きさに固まっていた
「…彼女、今回の後遺症として右半身が麻痺してしまってね
感覚が麻痺しているから、どこかにぶつけたりしないように、右側はさっき見たようなクッションを入れたりと配慮はしている
…それに、あまり上手く喋れていなかっただろう?
それも、あれが原因だ」
…右半身が麻痺?
それじゃあ奈千は、これからどうやって生活していくんだ?
「恐らく、というか…彼女にはこの先、援助してくれる人が絶対条件なんだ
ご両親はまだ迷われているけど…
もしかしたら、何処かの施設に入れることも、視野に入れているらしい」
「なっ…施設?!」
楓の言葉にふっと我に返る真緒
「ご両親は共働きだそうだね
…家でみるというのも、なかなか大変なんだ。
だからそういう選択をする人も、少なくは無いよ」
「そんな…!」
それじゃあ奈千は、俺から離れていってしまうのか?
怪我をしたまま、
何もわからないまま、
自分の事を、忘れたまま…
「…だ」
「ん?」
「そんなの、絶対に嫌だ!!!!」
真緒は真っ直ぐに楓を見つめる
「いくらおばさん達がそう言おうが関係ない!
奈千は…あいつは俺が守るんだよ!!」
「…」
突然大声を出し、訴える真緒
そして
ゆっくりと、息を整えた
「…っあ、す、すみませ…」
はっと我に返り、慌てて訂正しようとするも、楓は表情を変えない
「…あのさ」
「っ、…?」
ふー…と大きくため息をつく楓
「…馬鹿じゃねーの、お前」
?!
楓の声色が、一気に低くなった
「俺が守る?…高校一年生のガキに?
言葉を選んで言ってもらえる?
そんな無責任なこと口走っといて、今のお前に何が出来るっていうんだよ」
「楓さ…」
射抜くような眼差しが、真緒を更に追い詰める
「…どれだけお前があの子に尽くそうが、所詮は“他人”だ
幼馴染みだのなんだの言っても、血の繋がっていないただの“他人”なんだよ」
「…っ、…!」
悔しい
悔しい、けど
楓さんの言ったことは正しい
楓さんの言う通り、俺と奈千は他人だ
血は繋がっていないけど…小さい時から、そばに居る
ただ、それだけだった
「…もうすぐ英治がこっちに来るだろうし、その辺で待ってな」
それじゃ、と楓は書類整理をするため部屋に戻った
「…」
俺…このまま思い出してもらえずに、あいつと離れ離れになるのかな
それに
もし仮に思い出したとしても、今まで通り、一緒に行動したりする事が難しくなるだろうし…
「それでも、守ってやりたいのに…」
自分の手に目を落とし、ぐっと歯を食いしばる
…
十六歳の自分の手は、
どうしてこうも小さいのだろう
大切なものがこんなに沢山あるのに
次々と、指の隙間からこぼれ落ちてしまう…
「…俺、どうしたらいんだよ…!」
とめどない涙が溢れ…
力なく、その場に座り込む真緒
「…っ、情けねえなぁ…もう…」
大事な人一人、守れないのか
「…なんで…なんで…っ、!!」
思わず感情が高まり、再び楓の元へと行こうとする
…が、
ーーーーパシッ、
「…っ、!!」
「…遅くなった、悪い」
力強く、後ろに腕を引かれて。
「英治、にいちゃ…」
「なあに泣いてんだよ。…男だろ?」
にっと口角を上げ、真緒の頭をくしゃくしゃと撫でる英治
「…ほら。帰るぞ」
「…うん」
真緒の行動が読めていたのだろう
手を差し出して、真緒を立たせる
「…」
あと数秒遅ければ…
間違いなく、楓と真緒は大喧嘩していただろう
「…危なかったな」
「?何か言った?」
「いや、こっちの話」
「ふうん…?」
苦笑いする英治とエレベーターに乗る真緒
「…ちょっと、休憩するか」
そう言って、病院を出て外にあるベンチに並んで腰掛ける
「…奈千ちゃん、大変だな」
「…楓さんから聞いたの」
「おう。…あいつも珍しく、考え込んでたよ」
「…楓さんが?」
不思議そうな真緒に、英治は笑いかける
「お前も奈千ちゃんも、楓にとって大事な人なんだよ」
そう言って、真緒の頭を撫でた
「…俺さっき、楓さんにめちゃくちゃ言われて。
やっぱり、今の俺じゃあまだ…」
それでもやっぱり、不安になる真緒
「…真緒」
「…」
「…真緒!」
「…っ、!」
英治の眼差しに熱を帯びる
「お前はこれから、どうしたいんだよ」
「どう、って…」
真っ直ぐに真緒を見つめる英治
「ーどうしたい、真緒」
結局その日、真緒にはその答えを出すことが出来なかった
…
rrr…
『…はい』
「お、出たでた」
『…何。用件無いなら切るよ』
「そう言うなって。…まだ仕事?」
電話の相手はすこぶる不機嫌だった
「…後悔でもしてんのか?」
『からかってんの?
…英治のくせに、生意気なんだけど』
けらけらと楽しそうな英治と相手はご機嫌斜め
「…あいつなら、大丈夫。
お前にキツく言われたくらいじゃ倒れねえ
倒れたとしても、また起き上がれるから」
『…そう』
まあ…あれだけ僕に大口叩いたんだし、そうでもなくちゃ困るよね
そう言うと、電話越しに聞こえていた声は途切れ…
ツーツー…と機械音だけが英治の耳に聞こえた
「…相変わらず、不器用なやつ」
ふっと笑うと、英治も眠りについた
第七話 言葉の裏には
あれから一ヶ月
真緒は何処へも行けず、家にこもっていた
〜♪
「…」
恐らく、英治だろう
真緒が病院にも学校にも行けず、家にこもっていることを誰かから聞いたのだろう
毎日のように、連絡がくる
「…」
しかし…
〜♪…プツン、
「…」
真緒がその電話に出ることは無かった
そしてもう一つ
同じ時間に、毎日欠かさず来る人がいた
「真緒くんのクラスの子に頼まれて」
二階の真緒の部屋でうっすら聞こえるのは結花の声だった
「これが今日のノートで、こっちがプリントで…」
「いつもごめんなさいね。ありがとう」
応対していたのは真緒の母親だった
「全然です!また明日来ますね」
…何故、クラスのやつじゃなく結花なのだろうか
田代たちからも連絡は来る
だけど、彼らが真緒の元へ来ることは無かった
「…まあ、そんなもんか」
田代たちは二人とも、陸上部に入ったと聞いた
しかし真緒は…
結局、どこに所属する事も無かった
「…」
毎日毎日、ベッドの上でスマホを眺める真緒
無気力な自分が嫌ではある
だけど、もう何もする気が起きない
「…」
“ガキに何が出来る”
「…っ、!」
楓の言葉を思い出しては、自己嫌悪に陥った
「…何も出来ないなんて、自分が一番よく分かってる…!!」
悔しいのに
それが正論だと知っているから
何も、言い返せなかった
その日の夜
英治が、真緒の元へとやってきた
「うわ、この部屋暗っ!!」
真緒の部屋の電気をつけ、ずかずかと踏み入る英治
「…辛気臭い顔してんな、真緒」
「…」
真緒は英治の方を向いてベッドに横になっていたが…
視線は床から離れることは無かった
「…奈千ちゃん、お前が守るんじゃなかったのか」
「…俺には、何も無いから。
あいつを守れるような力もなければ、器も持ってない…」
英治に背を向けるように、真緒が寝返りを打った時だった
ーーーガンッッ!!!!
「…っ、!!」
「…お前、何言ってんの?」
笑顔を崩さない英治
しかしその足は、力強く真緒のベッドを蹴った
そしてその笑顔の裏に、怒りがはっきりと見えた
「…っ、……」
「…楓にキツく言われたのは知ってる
無責任なこと言うなって、ガキに何が出来るんだって、そう言われたんだろ?」
「なんで…」
英治は真緒をベッドに座らせ、目線を合わせる
「…それがどうしたよ」
「!」
「お前の奈千ちゃんを思う気持ちって、そんなもんだったわけ?
…俺には、そうは見えなかったけどな」
「にい、ちゃ…」
真緒の表情に、ようやく色がつき始めた
「…楓が、お前に話があるらしい」
「…楓さんが?」
「…一緒に来てくれるか?」
英治の言葉に少し躊躇う真緒
でも…
「…わかった」
小さく、確かにうなずいた
「おーい。…連れてきたぞ」
既に夜中の十一時をまわっていた頃
英治と真緒は、楓の自宅を訪れていた
「…あぁ、来てくれたんだね」
楓は
いつもの、優しい楓だった
「…英治、少し席を外してくれるかい」
「わーったよ」
そう言って英治が楓の自室から去ると、室内は二人きりになった
「…この間は、すまなかったね」
「……いえ」
真緒の雰囲気が変わったことに、楓も気づいた
「…決して、君を傷つける目的で、僕は君にあんな事を言ったわけじゃないんだ」
楓は向かいのソファに真緒を座らせた
「…僕、母親と姉を早くに亡くしていてね。
自分の無力さが、あの頃はとても辛かったんだ」
そう言って、楓は自分の過去を話してくれた
「僕が君に伝えたかったのは…
“後悔”を、してほしくなかったんだ」
「後悔…」
「僕らみたいな大人でも、救えるものと救えないものがある
尚更、真緒くんみたいな学生には…きっと、もっと沢山、救えないものも出てくると思うんだ」
…救えないもの
それに、奈千は入っているのだろうか
「…だけど、初めから“救えないもの”としてまとめることを、僕はしない」
「…?」
「…あれからずっと、奈千ちゃんに付きっきりなんだよ、僕」
「…っ、?!」
真緒にあんな事を言ってしまった後
その償いをしようと、毎日奈千の側で
記憶が一日でも早く戻るように
楓は、奈千に語りかけていた
そしてそんな時
楓は、過去の自分を思い出していた
『あんたみたいな子供に、何が出来るの?』
『優秀なお母さんやお姉さんとは大違いなのね』
『生き残る方、間違えたんじゃない?』
…
楓も過去に、周りから様々なことを、心無い言葉をぶつけられて。
「…二度と、同じことはしないようにって、決めてたんだけどな……」
焦ってしまうと、どうしてもあの時のことを思い出してしまう
「…君が奈千ちゃんを想うように、僕や英治たちも、君が大事なんだ。
英治の言う通り、僕は言葉足らず…いや、言葉にして伝える事がとても苦手でね」
そして
「…僕は……」
切ない顔で、楓は笑う
「大事にしたかったものを、すぐ壊してしまうんだよ」
そう言った楓は
項垂れるように、深く深く頭を下げた
「…すまなかった、真緒くん」
「…っ、!」
「…君には、僕と同じ思いを、して欲しくなかったんだ…
僕と同じように、もう誰も、傷ついてあんな思い…してほしく、無かったんだ…」
もしかしたら
もう、記憶が戻らないかも知らない奈千
昔の…過去の奈千を追い続けていても
傷つくのは、真緒自身だと
それを、伝えたかったらしい
「…顔を上げてください、楓さん」
「…」
真緒の言葉に、顔を上げる楓
「…俺もあの日、楓さんに大声出して…色々と、言ってしまってすみませんでした」
真緒は真っ直ぐに、楓の目を見据えた
「…俺、もう一度、頑張ってみます」
「…!!」
「もしかしたらもう…奈千の記憶、戻らないかもしれないんですよね?」
…それなら
「俺、また一から始めます」
また一から始めればいい
それがだめなんてこと、無いんだから
「俺…実は楓さんに言われてから、学校にも病院にも行けなくて。
毎日毎日、ベッドの上でスマホの画面を眺めていたんです」
何をする気にもならず、毎日毎日時間が経つのをただ待っていた日々
「…でも、もうやめます。
学校にも行くし、奈千の所へも行きます」
そうしたら
「…また、奈千と話せるようになりますかね」
真緒は精一杯、笑顔で笑った
「…楓とは話せたか」
帰り道
英治の車の助手席に乗った真緒は、行きよりも確実に晴れやかでいい顔をしていた
「うん。…明日から、また学校にも戻るよ」
「…そうか」
英治も、少し嬉しそうだった
「…英治兄ちゃんも、ありがとう」
「あ?…何だよいきなり、気持ち悪い」
「?!
人が珍しく感謝の気持ちを伝えてんのに!」
「うっせ。
気持ち悪いもんは気持ち悪いんだよ」
「はあぁ?!
もう頭きた!兄ちゃんなんか…こうだ!」
「は?!ちょ、やめろって!
俺、今運転中!おい、やめろって!」
月が輝く夜空の下で、家路を走る車
じゃれ合う二人は
以前のように、明るく笑いあっていた
第八話 RESTART
コンコン、
「…失礼します」
秋晴れの空の下、奈千の病室に来客が現れた
「…!あなた、は、いつかの……」
奈千の瞳に映ったのは…
「…どうも」
真緒だった
「えっと…俺のこと、覚えてる?」
「…前に一度、来てくれた、人、ですよね?」
「…うん」
奈千が自分を覚えていたことに安堵する真緒
「…改めて、自己紹介させてほしい
俺は一条真緒、高校一年生。
お前と同じ、十六歳だ
そして…
お前とは、小さい時からの幼馴染み“だった”んだ」
「…おさな、じみ?」
不思議そうに真緒を見つめる奈千
「あぁ。
…でも、今お前に過去の記憶は無い
それは、俺もよく分かってる」
だから
「…奈千、またここから始めよう」
一瞬、悲しそうな目をした真緒
だけど
すぐに笑顔に戻って。
「…よろしく、奈千」
「…!」
どうしてだろう
何も、覚えてないはずなのに
…心の奥が、ざわついた
「…ま、おくん…?」
「真緒でいいよ。…何か、こそばゆい」
照れるように笑う真緒
「…っ、?!」
ーーーーズキン、
“奈千!”
何処かで、私を呼ぶ声がした
“お前、まーたこけたの?どんくせーなぁ”
私の頭をくしゃくしゃと撫でる大きな手
“もう、やめてってば!”
子供扱いされた自分はふくれっ面になって
でも…
ぱっと上を見上げると、
大好きな笑顔があって…
…あれ?
…なん、で…?
初めて、この人とこんなに話したはずなのに…
私、この笑顔を知ってる…?
「…ええと、まあ、そういう事…だから」
少し緊張しているのだろうか
真緒の口調もぎこちなかった
「…また、明日も来るよ。それじゃ」
この日、挨拶だけをして真緒は去ってしまった
…その夜
「…かんご、し、さん」
「どうしたの?」
「…わ、たし…わた、し…」
「…?」
看護師が振り返ると、奈千は涙をぽろぽろと零していた
「?!
奈千ちゃん、大丈夫?どこか痛い?」
看護師が慌てて奈千に駆け寄る
「ちが…っ、そう、じゃ、なく、て…!」
嗚咽混じりの奈千は看護師の服の裾をぎゅっと掴む
「…お話、聞いて、くれますか」
真緒の新たな一歩は
奈千に、大きな影響を与えた
「…そう、か」
同時刻
仕事が終わった英治は千尋と千尋が働くフロアにある休憩室で、待ち合わせをしていた
「…意識が戻ったのは良かったんだけど…やっぱり、なかなか難しいみたいで。
奈千ちゃん、思ったより記憶の戻りが悪いらしいの」
本当なら、もう徐々に記憶が戻り始めてもいい頃のはず
それなのに
奈千の記憶は、一欠片も戻ってはいなかった
「…真緒も、辛いだろうな」
「ずっと…一緒にいたんだよね?」
ずっとずっと、隣同士にいた真緒と奈千
この先も変わらず、二人は笑いあっていけるはずだった
「…奈千ちゃんのご両親も、そろそろ諦める頃かもしれねぇぞ」
英治は、薄々と奈千の両親の意向について感じ始めていた
「…っ、!!」
諦める
すなわち…
「…私、もう一度ご両親にちゃんとお話してくる!
このままじゃ…!」
ガタン!と席を立つ千尋
しかし…
「お前が口出すことじゃない」
「でも…!」
「千尋」
「…っ、!」
「…座れ」
英治は顔色一つ変えず、千尋を座らせた
「…真緒くんは、どうするの」
おずおずと切り出す千尋
「どうするって…あいつにはまだこれからがあるんだし。
言い方は悪いかもしれねーけど、これもいい機会だったんじゃねーの」
ーーパシンッッ!!
頬杖を付きながらそう語った英治の頬に
乾いた痛みが走った
「…何すんだよ」
「英治のばかっ!!
何でそんなことが言えるの?!真緒くんの事が、心配じゃないの?!
二人の事、大事じゃないの?!」
「大事だよ!!!!」
時刻は午後九時半
二人きりの休憩室に、英治の怒鳴り声が響いた
「…俺だって、どうにか出来るならしてやりたい
でも
今の医療にだって限界はあるし、何よりあいつらだけ特別扱い、する訳にはいかねーだろ」
「それは…!」
「…お前も、分かってんだろ?
身内だから、今まで以上に心配するのも分かる。
でもな、じゃあ他の患者はどうなるって話なんだよ」
「…っ、」
「お前が真緒の事も奈千ちゃんの事も、大事にしてくれてたのは俺もよく分かってる
それでも
変えられない、受け入れるしかない現実だってあるんだよ」
…急に怒鳴って悪かった
そう言って、目に涙を溜めた千尋の頭を英治は優しく撫でた
「…俺だって、何もしてない訳じゃない。
…昨日、真緒の所に行ったんだ」
「…真緒くんの?」
小さく頷く英治
「…あいつ、楓にキツく言われたらしくてな
楓もほんと…言葉足らずなんだよ」
そう言って、くしゃくしゃと髪をかきあげる
「…だから昨日、楓の所に真緒を連れて行ったんだ」
「…どうなったの?」
「…楓も、ちゃんと伝えたい事を伝えられたらしい。
真緒も、今日からちゃんと学校に行けてるって本人から連絡あったし」
「そう、なんだ…」
英治も、ちゃんと心配してくれてたんだね
「…叩いちゃって、ごめんなさい」
何も知らずに英治をぶってしまった事を反省する千尋
「…お前もう上がりだろ?
送ってく。今日は、帰ろうぜ」
「……うん」
前を歩く英治の白衣を掴み、俯きがちにその場を去った
〜♪
「…はい」
『あ、山本先生ですか?今、お時間宜しいでしょうか』
「なに」
『実は…』
「……っ!」
楓にかかってきたピッチは
奈千を担当している、看護師からの連絡だった
ーコンコン、
「失礼します」
淡々とした声で慣れたように病室のドアを開ける
「…今日は、よく、会いますね」
「…嫌だった?」
「全然。
あんまり人、来ない、から。
一人だと、少しだけ、寂しくて」
儚いその笑顔は、今にも消えてしまいそうだった
「…実は、奈千ちゃんにいくつか質問をさせてほしいんだけど…いいかな?」
「私に、ですか?」
「そう。君に」
「…いい、ですよ」
ニッコリ笑う奈千に安堵しつつ、楓は続けた
「…今日、誰かお見舞いに来たかい?」
「ええと…真緒く…真緒、という人が、来ました」
「…真緒くんが?」
まさか、昨日の今日で本当に立ち直ったのか…?
「はい。
彼…私の、幼馴染みって、言ってまし、た」
「幼馴染み…ね」
何か言いた気に、奈千が楓を見上げる
「…真緒、は…私の、幼馴染み、だったんですか?」
「…みたいだね」
楓の言葉を聞いて、くすりと笑う奈千
「…先生」
そして、続けた
「…私、過去、を…思い出し、たい」
「…!」
奈千が入院してから、一度も聞けなかったこの言葉は
楓に、大きな衝撃を与えた
「…真緒君のこと、かい?」
「…はい」
自分の幼馴染みと言って会いに来てくれたあの子
やっぱり、ちゃんと思い出してあげたい
「彼は…明日、また、来てくれるって、言いました
その時に…いっぱい、お話、聞こうかな、って」
奈千の笑顔に、色がつき始めていた
第九話 予感
「…それで、奈千が何も無いのにすっ転んじゃってさ」
あれから数日
毎日のように、楽しそうに昔を思い出してはそう話してくれる真緒
奈千は目をキラキラとさせながら、それを聞いていた
「…私、すごく、ドジっ子だったん、ですね」
「…天性のドジっ子だったよ、奈千は」
…
何故だろう
私の話をしている時のこの人は
すごくいい顔…というか、嬉しそうな、楽しそうな顔をする
…この人にとって私は、どんな人だったんだろう
この人にとって私は、どんな風に映っていたんだろう
彼の話を聞けば聞くほど、今の自分とはかけ離れていて…
何だか、他人の話を聞いているような…
そんな気持ちになることもあった
「…ってやば。もうこんな時間か…
今日はこの後、リハビリ?」
「うん。…真緒く…真緒、は、もう、帰るの?」
「そうだなぁ…まあこれといって用事は無いけど…」
「…ほんと?」
「? 何かあった?」
奈千はぎゅっと拳を握りしめ、真緒を見つめる
「…リハビリ、見て、いかない?」
記憶を失くしてから奈千が初めて、真緒にお願いをした日だった
「それじゃあ昨日の続きからいこうか」
「…はい!」
リハビリ担当の理学療法士さんと一緒にリハビリを始める奈千
真緒は壁際のソファから、それを見ていた
「そうそう!次はこっちね」
「…っ、」
「…ゆっくりで、いいからね」
「…はい!」
一生懸命にリハビリをする奈千の姿は
真緒にも、光を与えた
「今日は一段とやる気だね、奈千ちゃん」
「ふえっ?!」
にこやかに笑いかける理学療法士
「…もしかしてあそこに座ってるの、彼氏?」
「なっ…!」
真緒をちょこんと指差して楽しそうに笑う
「ち、違います!
彼、は…幼馴染、みって、…!」
慌てて訂正する奈千
奈千の顔は真っ赤だった
「へぇ…幼馴染みなんだ
じゃあせっかく見に来てくれてることだし、頑張らなくちゃね」
「はい!」
しっかりと頷く奈千は、リハビリを再開した
…
奈千のリハビリを見学し始めて早三十分
真緒は、色々なことを思い出していた
「…本当、努力家な所は変わってないな」
リハビリに懸命に取り組む奈千の姿は、懐かしい記憶を思い起こさせた
…まだ、二人が幼かった頃の話である
『真緒ちゃあん……』
『なっ…おま、それどうしたんだよ?!』
『うわあぁぁん…!!』
泣きながら真緒の家にやって来た、幼い日の奈千
全身泥だらけになって、わんわんと泣き喚いていた
『ったく…ほら、取り敢えず風呂場行くぞ』
真緒が奈千の手を引いて、風呂場へと奈千を連れて行った
『…っ、!!
真緒ちゃん、痛いよぉ〜!!』
『ちょっとは我慢しろ!…ったく、何でこんなに汚れてんだよ…』
椅子に奈千を座らせて、泥を落としながら怪我の具合をみる
『…もしかして、お前また練習してた?』
『だって…だってクラスで出来ないの、奈千だけだから…』
小学四年生の夏
クラスで唯一逆上がりが出来なかった奈千は
毎日のように近所の公園に一人で行っては…日が暮れるまで、逆上がりの練習をしていた
『あのなぁ…逆上がりの練習する時は俺を呼べって、いつも言ってるだろ?』
『だって真緒ちゃん…サッカーあるし…』
『だってじゃない!…サッカーが無い日に、一緒にすればいいだろ?』
この頃の真緒は地元のサッカークラブに所属しており、週五のペースで通っていた
『それじゃあだめなの!!
早くみんなと、同じになりたいの…!』
そう言ってさらに泣き出す奈千
『…っ』
頭を抱えた真緒は
『…!』
『…お前が逆上がり出来るまで、俺も付き合うからさ
…もう泣くなよ』
『真緒、ちゃ…』
顔を上げ、真っ直ぐに自分を見つめる真緒を見ると
『俺じゃなきゃ、だめなんだろ?』
『…うん!!』
それからの真緒は
サッカークラブを度々休んでは、奈千の逆上がりの特訓に付き合っていた
そして…
『真緒ちゃん!奈千、出来たよ!!』
『見てた見てた!…やったな、奈千!』
『うん!!』
真緒の特訓は少々スパルタだったが…
無事、奈千は逆上がりを克服した
しかし…
『…パパやママにも、いつか見てもらえるかな』
『…そうだな』
滅多に家に帰ってこない共働きの両親
奈千が一番に見てもらいたかった両親が奈千の逆上がりを見ることは、結局無かった
「…ふう」
時刻は午後七時
そろそろ、奈千のリハビリも終わるはずだ
「あれ、真緒くん?」
「…あぁ」
真緒の隣にやって来たのは、結花だった
「偶然だね!…奈千のリハビリ見学?」
「うん」
「そっかぁ!…真緒くん、優しいんだね」
「…そうか?」
異様にテンションの高い結花
そういえば、プリントやノートを毎日持ってきてくれていたお礼、まだ言ってなかったっけ…
「…プリントやらノート、ありがとな」
「全然!
やっぱり…奈千がいないと、寂しいよね」
俯き静かにそう告げる結花
「…まあ。記憶が戻らなくても、ここからまた始めればいいものね」
そういって、目の前の奈千を見据えた
「…本当に」
「…?」
何故かその時の結花は…
怒りに似た目をしていた
「わ、もう七時じゃん!
真緒くんは帰らなくて大丈夫なの?」
ぱっと左腕に付けられていた淡いピンクの腕時計に目を落とす結花
「んー…もう少ししたら、帰るよ」
「…そう。
け、結構暗いよね?外…」
「?
あー…そうだな」
「…っ、!!」
あれ、結花何か怒ってる…?
真緒には結花の意図が全く伝わらず、相変わらず首を傾げていた
「…それじゃあ、先、帰るね」
「おー。…気を付けて」
そういうと、結花は踵を返してすたすたと早々と立ち去ってしまった
「…何、あいつ」
ぽかーんとしていた真緒の元へ、タイミング良くリハビリを終えた奈千が車椅子でやって来る
「…どうしたの?」
「あー…いや!何でも!」
「…」
さっきの子…
「…結花ちゃん、と、…何、話して、いたの?」
「特にこれと言っては話してないけど…あいつも、お前を見に来たんじゃないか?」
「…そっか」
奈千は、結花に違和感を感じていた
過去のことを思い出せないから、これが何を意味しているのかは分からない
でも…
「…あの子、は…」
「?」
結花が奈千を見る目と、
結花が真緒を見る目では
全く違うように、奈千は感じていた
「…結花、ちゃん…って、さ。
真緒の事…好き、なの?」
「……は?」
今日の真緒はぽかーんとあほ面するばかりだった
「…あいつが?俺を?
…奈千、どっかで頭ぶつけてねーか?リハビリ中にこけたとか…」
「なっ…!
こ、こけてない、もん!!」
ポカッと軽く真緒に頭突きする奈千
「…もういい。帰る」
「ご、ごめんて奈千!!
あー…ほら、お前の好きなアイス!さっき売店見たら売ってたからさ!行こーぜ?!」
拗ねて帰ろうとする奈千を慌てて引き止める
「…私、アイス好き、って…言ってない、よ?」
不思議そうに首を傾げる奈千
「…」
そっか…
こんな事ですら、覚えてないんだな…
「…よし!今日は特別!
リハビリ頑張った奈千に、アイス奢っちゃいます!!」
「あ、ありがと…?」
にかっと笑って奈千の車椅子を押す真緒
心の中に、チクンと小さな針が刺さったようだった
第十話 裏切りの幕開け
「はぁっ…はぁっ…!」
十二月三十一日
寒空の下、早朝から真緒は全速力で住宅街を走り抜けていた
「はぁっ…は…ぁっ…!」
なんで…なんでなんだよ…!!
その面持ちは険しく…
どんなに叫んでも、収まらない怒りが真緒を支配していた
それは約一週間前の事だった
「奈千が…転院?」
平日の昼休み
教室にやって来た結花から真緒はそれを聞いた
「そうなの。
結局、まだ記憶も戻ってないし…大分スムーズに言葉も喋れるようになって、身体の状態も良くなってるからって…」
「そっ、か……」
テスト期間真っ只中の真緒は
ここ一週間ほど、奈千の元へ足を運べていなかった
「…ねぇ、真緒くん」
結花が申し訳なさそうにおずおずと切り出す
「私のクラス、明日のテスト数学があるの。…私すごい苦手で。
真緒くん、数学得意だったよね?
良かったら教えてくれないかな…」
縋るような瞳で真緒を見つめる
「んー…まあ、いいけど」
「ほんと!?」
結花の表情が一気に輝く
「それじゃあ放課後、図書室で!」
そう言い残し、結花は走り去った
「…」
何か、高校生っぽい…?
いつもは隣に、奈千が居たから
ほかの女子とああやって話す機会も少なかったし…
ましてや、一緒に勉強なんてしたことが無い
「…何か、新鮮」
照れくさそうに髪をかきあげ、自分の席に集まる田代たちの元へと戻った
「…あれ、どしたの真緒
なーんか嬉しそうな顔してんじゃん」
「なになに?何かあった?!」
「…別に?何も無いよ」
「え〜つまんねー!」
田代と南海がいつものようにはしゃぐ中心で、真緒は笑っていた
…
「…で、ここをこの式で解いて…」
放課後
真緒は約束通り、結花の勉強をみていた
「…あ、そうそう。そしたら次は…」
今日は職員会議があるらしく、図書室には真緒と結花の二人きり
「…うん、正解」
真緒の声と結花がシャーペンをはしらせる音だけが図書室に響いた
「…少し、休憩しようか。
続け過ぎても疲れるだろうし…」
「…だね」
「ん?」
ん〜と伸びをする真緒に小声で結花が呟く
「…んだね」
「…?」
俯く結花の声が聞こえず、結花の方に耳を近づける真緒
「…っ、!」
次の瞬間
「ー…!」
結花の唇が、真緒の唇に触れた
「……え?」
「…」
「…っ、!」
「……」
一瞬
何が起きたのか、分からなかった
「…ひ、楸?」
「…だった」
「…え?」
「…私ずっと、真緒くんの事が好きだった……!!」
「…っ、!!」
頬を赤らめた結花が
目に涙を溜めた結花が
気づけば真緒を、見上げていた
「…真緒くんが奈千しか見てなかったのは、近くにいた私もよく分かってる
でも…っ!!」
想いを振り払うように、真緒の胸に顔を埋める結花
「…お願い、私だけを…見て……!」
「…っ、……」
震えるか細い腕で
今にも消え入りそうな声で…
結花は、真緒から離れなかった
ザー……
「…」
天気予報は大幅に外れ、午後六時を指す夕方には大雨が降っていた
「…なんで……」
靴箱には、結花一人
「…なんで、なんで……」
唇をギュッと噛み締めて
傘も無い結花は
目の前で降りしきる雨を
恨むような目で見つめていた
「…なん…で……!」
涙の代わりに結花の中に生まれてきたのは、全く別の感情だった
「…っ、!!」
先ほどの出来事を、嫌でも思い出した
『…』
ぐい、と結花を無言で引き剥がす真緒
『真緒、くん……?』
どんな顔をしているのかと、真緒を見上げる結花
しかし…
現実は、上手くいかなかった
『…あんた、もしかして俺目当てに奈千に近付いたの』
『…っ、!!』
真緒の冷たい眼差しが、結花を射抜く
『…お前、何を企んでるんだ』
『ち、ちが…私は、ただ……!』
慌てて首を振り、真緒の袖を掴む
『私は本当に、あなたの事が…!』
パシン!!!!
『…!』
『…なら、何でそんなに動揺してんだよ』
真緒の声色は、今まで聞いたことのないほど低く…
結花は、動揺せずにはいられなかった
『…そ、そりゃぁ…動揺するよ!
いきなりそんな事、言われたら…』
振り払われた右手を庇うように左手を覆う結花
『…あんた、何か隠してない?』
『…っ、?!』
『…奈千の事で、まだ俺に言ってないこと…あるよな?』
『……』
真緒が自分から距離を取り、警戒し始めたのが分かる
…
…どうしよう
…どうしよう、どうしよう
…どうしよう、どうしよう、どうしよう……!!!!
このままじゃ、真緒くんに嫌われちゃう
折角、あの女から引き離せるチャンスだったのに…!
『…っあ…あのね、真緒くん!…』
落ち着こうと、一旦落ち着こうと真緒に笑顔を向ける結花
まずは、この状態を立て直さなきゃ
そう思い、何か別の話題を振ろうとする
しかし…
『…』
依然、真緒の表情が崩れることは無かった
『…もう外も暗いし、今日は帰る
あんたももう帰りな
…本当はもっと聞きたいことあるけど』
『…』
そう言うと
そのまま、真緒は無言で図書室を去っていった
…
「…本当、ありえない」
悲しみを通り越して、最早笑いすら出てくる
「…もう、いいよね?」
まるで全身の力が抜けたように、結花はその場に座り込む
「…もしもし?」
そして、制服のポケットからスマホを取り出して電話をかける
「…うん。それじゃあ、よろしく」
用件を済ませると、仰向けに倒れる
「…もう、どうでもいいや」
結花はそのまま目を閉じて…
時間が過ぎるのを、ただただ待った
そして、運命の十二月三十一日
真緒の元へ、一通の着信があった
『…っあ、真緒か!』
電話の相手は英治だった
「…何?これから楓さんに勉強みてもらおうとしてたんだけど…」
最近の真緒はある事のために、楓に勉強を教えてもらっていた
奈千のリハビリに支障をきたしてはならないと、テストが終わってからも、奈千の元へは行けていなかった真緒
…そろそろ、奈千の所へも行かなくちゃな
そう思いながら、準備をしていた
『…っ、それも大事だろうけど!!
今はそれどころじゃねんだよ!!』
珍しく、電話の向こうの英治は焦っていた
「?…何かあったの?」
不審に思った真緒は英治の声に耳をすませる
『奈千ちゃんが…!』
「…え、」
『ーー…』
気づけば
真緒は全速力で走っていた
「…っ、はあっ…はぁっ…!!」
久しぶりの全速力で、足がもつれそうだった
「…はぁっ…はぁ…っ!!」
頭では分かっているものの…
この状況を、素直に呑み込めなかった
「…!真緒!!」
病院に着いた真緒の元へ、エントランスで待っていた英治と楓が駆け寄ってくる
「…詳しい話は上でする。
取り敢えず、お前は落ち着いて俺たちに着いてきてくれ」
「…そういう英治が一番落ち着いて無いんだけど」
「…っ、うっせ!!
そりゃあ…お前だって落ち着いてらんねーだろ?!」
「…英治、深呼吸」
英治同様、真緒も冷や汗が止まらなかった
「…真緒、これで汗拭きな。風邪ひく」
「…あ、ありがとうございます」
楓は自分の持っていたタオルで真緒の頬を拭く
「…状況を説明すると。
奈千ちゃんの親友…だったはずの結花ちゃん?
あの子が今朝一番に、奈千ちゃんの面会に来たんだ」
そして…
「…彼女は自分のコートから、包丁を取り出して…
奈千ちゃんの胸を貫いたんだ」
ガシャン…!
「…っ、…!!」
吐き気が、止まらなかった
「っ、…真緒!」
エレベーターに乗っていた三人
空気が、張り詰めていた
真緒はその場に座り込み、必死に口元を抑える
「…っは…く…は…っ……!!」
「……大丈夫。大丈夫だ、真緒」
英治が千尋のように、真緒の背中を優しくさする
「…流石に、俺たちも見逃していた
まさかあの子が…あんな事をするなんて…」
楓の話によると
奈千の担当をしていた看護師がそれを最初に見つけたらしいが…
「き…っ…きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
悲鳴をあげた看護師は、その場から動けなかったという
それもそうだろう
彼女の目の前に広がっていたのは…
ベッドの上で血まみれになった奈千と
それを無言で見つめる、立ち尽くした結花が居たのだから
「…っは、ち…は……」
「いい、真緒。
…無理に喋らなくても、いい」
英治が辛そうな顔で真緒を見つめる
「…ぐっ…っ…!!」
悔しかった
あの時、どうして結花を帰してしまったのだろう
暗くなるから?
そんなの、関係ない
関係、なかったのに…
「お…おれ、の…せいだ…!!」
俺があの時、結花からちゃんと聞き出して居れば…!!
結花の企みに、少しは気づいていたのに…
どうして、どうしてあの時気づけなかったんだ…!!
「…真緒」
楓が真緒の前に立つ
「…」
エレベーターのドアが開き、楓が扉を背にして立った
「…もう、自分を責めるな」
立て、と真緒を立たせる楓
「…現実を見たくなければ、見なくてもいい
だけど
それで後悔するなら、目を背けずに、ちゃんとその目で見ろ。真緒」
「…はい」
楓の言葉で、少しだけ我に返った真緒
英治に肩を借り、ふらふらと歩き出した
「…さて、それじゃあ事情を聞こうか
散々事情聴取された後だろうけどさ」
真緒は、病棟のカンファレンスルームに通された
「…!」
「…」
中には警察官が三人と、結花がいた
「山本先生!ちょっと…」
中に入ろうとすると、後ろから楓は誰かに呼ばれてその場を去ってしまった
「…行けるか、真緒」
「…うん」
英治に付き添われ、真緒は部屋へと入った
「…そうか」
一方、その頃の楓はというと
「えぇ、何とか。
だけど、まだ状態は危ないのに変わりはないの」
楓と同じ、オペ科の医者である深山歩乃華(ふかやま ほのか)が何台ものパソコンモニターを展開していた
「全く…女って怖いのね、つくづく思うわ」
「怖いって…先生も女じゃ」
「何か言いました?」
間入れず、座っていた歩乃華が楓を睨みあげる
「い、いや…」
おずおずと下がる楓
「…」
見かねた歩乃華はふう、と大きくため息をつく
「…冗談はさておき、あの子…結花ちゃん?
やってくれたわね…」
頭を抱えて手元の資料に目を落とす歩乃華
「…本当、馬鹿な子」
「…」
歩乃華は、遠い目で目の前のモニターをただぼうっと見ていた
第十一話 置いていかないで
年が明けて二ヶ月が過ぎた頃
病室の窓の外で、雪が降っていた
「うー…さんむっ…」
身体を縮めながら鼻を赤くした真緒が奈千の病室へと入る
「…今日は雪も降ってるし、一段と寒いな」
そう言いながら着てきたジャンバーを脱ぎ、奈千の布団を掛け直す
「さっき英治兄ちゃんに会ってきたんだけどさ〜
兄ちゃんのやつ、まーた今日も千尋さんの家でご飯食べるって言い出してさ!
俺は今週三日連続で楓さんとメシ!
…いや、嫌じゃないけどさ?
なーんか…寂しいっていうか?!」
出来るだけ明るく振る舞うように、真緒は笑う
「…」
いつになったら、目を開けてくれるだろうか
「…痛かった、よな」
パジャマで今は見えないが…
奈千の胸元には恐らく、痛々しい傷がまだ残っているだろう
「…大丈夫。大丈夫、だよな」
まるで自分に言い聞かせるように、真緒は奈千の額を撫でた
「…あったかい」
奈千は、普段と変わらずただ寝ているだけのように見えた
「外はあんなに寒かったのに…
俺の手、冷たくないか?」
そう、冗談交じりに真緒が奈千の頬に触れたー
その時だった
「ん…」
奈千の指先が微かに動き、顔を顰めた
「…っ、奈千!!」
突然の出来事に、真緒は椅子からおもむろに立ち上がる
背後でガタン!!と大きな音を立てて椅子が倒れたのにも目をくれずに
「……ま、お…?」
奈千が目を覚ますと…
今にも泣き出しそうな、真緒がいた
…
奈千が深い眠りについていた二ヶ月
奈千は、暗い世界をさ迷っていた
「…ここ、どこ……?」
光も何も無い、ただ暗いだけの世界で
奈千は白いワンピース姿で、ただただ歩いていた
「…」
ぺたぺたと歩く自分の足音すら聞こえない、暗い世界
「…いつまで続くんだろう、これ」
不安で胸の前で両手をギュッと握る奈千
そんな時
ふと脳裏に浮かんだのはー…
真緒の笑顔だった
「…」
あの人、結局あれからほとんど来なかった…
やっぱり、記憶が戻らない私が嫌になったのかな…
「ーあんたなんか、消えちゃえばいいのに」
「…っ、?!」
どこからか、そんな声がした
「……誰?」
キョロキョロと辺りを見回しても誰もいない
「…?」
再び歩みを進めると、また聞こえてくる
「あんたがいるからー…!」
「あんたのせいで、私は…!!」
「あんたなんか、あんたなんかー…!!!」
段々と大きくなる誰かの苦しそうな声
「や、やめ…」
「あんたなんか、いなくなっちゃえばいいの!!!!」
「やめて!!!!」
より強く聞こえたその声に
気づけば同じ…いや、それ以上の声で奈千は叫んでいた
「はぁ…はあっ…」
歩みを止め、その場で息を整える奈千
「わた…わた、し…は……」
私は、いらない子なの?
『もう一人でも充分だろう』
『何言ってるの?!あの子はまだあんなに小さいのにー…!』
『お前は過保護なんだよ!そんなんじゃ、また…!』
…何?
これは…誰の記憶?
奈千の中に、波のように次々と誰かの記憶が流れ込んでくる
『あら、……ちゃん!おかえりなさい!』
この人は…誰?
『こーらっ、…お!あんたはまーたこんな泥だらけにして!』
『仕方ねーだろ!な…の練習に付き合ってたんだからよ!』
男の子…?
見覚えのある、どこか懐かしい光景
『ったく…本当、…ちはトロいなぁ』
もしかして、これって……
奈千は目を見開き、
そして…
はっきりと聞こえた
『奈千、置いてくぞ!』
「…っ、……!!!!」
その瞬間
パリン…!と暗い世界が壊れ、辺り一面が真っ白になった
「…ちゃ、真緒…ちゃ…!!」
奈千の瞳から、大粒の涙が零れる
「真緒ちゃん…真緒、ちゃん…!!」
思い出した
全部、全部思い出した
「…っく…うっく…ひっ…く…」
真緒ちゃん
真緒ちゃん…
「ごめん…ごめん、ね…!」
私のせいでいっぱいいっぱい、辛い思いをさせてしまった
「ごめんね、真緒ちゃん…ごめん…!!」
記憶が無い間も、出来る限り側にいようとしてくれた真緒ちゃん
「真緒ちゃん…真緒ちゃん…!!」
早く、早く会いたい
会って、真緒ちゃんの温もりを感じたい…
「…真緒ちゃん。今から、戻るよ…!」
そう言うと…
奈千は、ゆっくりとその瞳を閉じた
…
「…奈千ちゃん!」
しばらくして、担当していた看護師と楓、歩乃華たちが慌ただしく入ってきた
「…自分のこと、分かるかい?
今ここがどこだか、分かる?」
楓が真緒を押しのけるように奈千に向かう
「……はい」
涙ながらに、奈千は一言頷くと
「……真緒、ちゃん」
「…!!」
「……ずっと、居てくれた、の…?」
真緒の方をじっと見つめ
更にしゃくりあげる奈千
「…お、ま……き、記憶…!!」
真緒の瞳も、涙でいっぱいだった
「……いっぱい、いっぱい…待たせて、ごめんね…真緒ちゃん…!」
「…っ、……!!」
真緒は
ただただ、奈千を強く抱きしめた
「「記憶が戻った?!!」」
英治と千尋は電話の向こうで鼻をすする楓からの吉報に、思わず声が大きくなった
「…楓、あんだけ冷静だったお前が泣くとか( 笑 )」
「…英治、あとでコ○ス」
ズッ、と鼻をすすり、不機嫌そうに答える楓
「あははっ…もう、英治ったら…」
英治も千尋も、目にうっすらと涙を浮かべて笑った
「…」
「…」
その夜
奈千は真緒と病室で二人
何を話すわけでもなく…ただただ窓の外を見つめていた
「…長かった?」
「…そう、だな」
奈千の柔らかい声に、また涙が溢れる
「…当分お見舞いに来てくれなかったけど…何してたの?」
奈千の言葉にドキッとする真緒
「…てた」
「…ん?」
「……」
真緒にも聞こえていないんじゃないかというくらい小さい真緒の声
「…笑わないって、約束するか」
「…笑わないよ」
奈千がそういうと
真緒は照れくさそうに髪をかきあげて。
「…俺、英治兄ちゃんや楓さんみたいに、医者になろうと思って
それで…期末テストが終わってからもずっと、楓さんたちに勉強見てもらってた」
「…!」
「…もう、何も出来ないのは…嫌だから」
「真緒ちゃん…」
嬉しさで視界がぼやける奈千
「…お前の転院の話があった時、側で支えてやれないのは嫌だって思った」
「うん」
「…だけど、今の俺じゃあ結局何も出来なくて」
「…うん」
「だから…兄ちゃんたちみたいに、俺にも出来ることを増やしたくてさ」
「う、ん…」
「…大丈夫。お前には、俺がずっとついてる」
「…っ、…っく……」
真緒は顔を手で覆いしゃくりあげる奈千の頭を優しく撫でた
…あぁ、なんて私は馬鹿な事を考えていたの
真緒ちゃんはこんなにも、私との未来を考えていてくれたのに
「…ひっく…まお…ちゃ…!」
言葉にならない感情が、奈千をひどく混乱させた
…それでも
「…ひっく…真緒ちゃん」
真緒だって、頑張ってくれたんだ
私も…言わなくちゃいけないことがある
「…聞いてほしいことがあるの」
真緒の手をゆっくりと自分の手に重ね、深く深呼吸をする
「…あのね」
三日月が薄い雲に見え隠れする夜
静かな病室で、二人はお互いの声に耳を済ませた
第十二話 終幕と想い
「…」
始まりは、結花と真緒が出会ってしばらくたった頃の事だった
「ちょ、奈千?!大丈夫?!!」
最早、日常茶飯事と言っていいほど頻繁に何も無いところで転ける奈千
登校途中の今も、こうしてすっ転んでしまったのだった
「ったく…ほら」
「えへへ…」
ため息混じりに真緒が奈千に手を差し伸べる
「…ほんっと、真緒くんいなきゃ奈千、何にも出来ないわね」
「ご、ごもっともで…」
「いつもの事だ、気にしてない」
ふー…と息をつき、奈千が立ち上がったのを確認して二人の前を歩く真緒
「…本当、王子様って感じね」
「…え、誰が?」
結花の言葉に奈千が首を傾げる
「…今の状況で真緒くん以外に誰がいるの」
「えぇっ?!真緒ちゃんが?!!」
「…?」
「しっ!…声が大きいって!」
「あ…ごめん」
何事かと真緒が振り向くが結花が笑ってごまかす
「…それで?何で真緒ちゃんが王子様なの?」
真緒が前に向き直って音楽プレーヤーにイヤホンをさし、音楽を聞き始めると奈千が恐る恐る尋ねる
「いや…普通の男だったらあんたみたいなドジっ子、とっくに面倒になってポイしてるわよ?」
「なっ…!?」
奈千はひどくショックを受けたらしいが…
すかさず負けじと反撃に出る
「そっ…そんな事ないもん!!
確かに真緒ちゃんは思いやりがあって優しくて…優しくて…!!」
「あー…はいはい。分かってるわよ」
必死で反撃しようとする奈千の頭をポンポン叩く結花
「…ファンが増えたりして、取られないようにね♡」
「もーっ!結花のばかぁ〜!!」
こんな風な毎日が続いていた頃
この頃はまだ、平和だった
しばらく経って、この関係が崩れ始めたのは…やはり、“あの日”だろうか
「うっわぁ…ツイてない……」
台風が近かったあの日
大雨警報が出るほど外は土砂降りで
それなのに結花は、傘を忘れてしまったのだった
「どーしよ…これじゃ帰れないじゃん」
止みそうにない雨を見てため息をつき、来た道を戻ろうとする
「…あ」
「…おう」
偶然にもばったり、真緒と鉢合わせた
「…あれ?今日は奈千と一緒じゃないの?」
「あぁ。
放課後になってから部長に呼ばれてな
…すぐ来るだろうし、ここで待っとこうと思って」
「…そっか」
止みそうにない雨を見上げ、真緒は靴箱にもたれ掛かる
「…楸はまだ帰んないの?」
「…傘、忘れちゃって」
「…!
しっかり者の楸が忘れ物とか、珍しい」
いつも真緒のいない所で奈千の面倒を見てくれている結花
周りからもしっかり者というイメージが強く、実際、学級委員長もしていた
「学校に傘置いてると思ってきたんだけど…生憎、無かったみたいで」
参ったよ〜と頭の後ろに手をやり笑う結花
「…この雨の中、どうやって帰んの?」
「そうだなぁ…取り敢えず、お兄ちゃん呼ぼうかなって」
「楸、兄貴いるんだ」
「八つ離れてるけどね〜…って、うわ、薄情もの!!」
スマホに目を落としていた結花はタイミング良く来たメッセージを見て叫ぶ
「…お兄ちゃん、これから会社の同僚と飲みに行くって!何それ!!」
妹が風邪引いてもいいわけ?!
そう言ってスマホに怒る結花
「…ふっ」
「っ、あ」
思わぬ場面を真緒に見られ、顔が熱くなる結花
「楸もそういう顔、するんだな」
「…っ、悪い?!」
「いーや?…いいと思う」
「…っ、!」
この人、素でこういう事言うから…
熱くなった頬を冷ますように手のひらをパタパタさせる結花
「…奈千とはどうなの?まだ言ってないわけ?」
「!」
随分と前から真緒の想いを当時から知っていた結花
…真緒が、奈千の事を好きだという事を
「…言う言わないとか、そういうのじゃないよ」
「じゃあ何よ?」
首を傾げる結花に対し、どう言っていいかわからない様子の真緒
「…」
少し間を置いて、真緒が口を開く
「…俺は、今のままでいいんだ」
「…何それ?
じゃあもし奈千に別の男が出来たらどうするつもり?」
「…っ、?!」
「有り得なくは無いわよ?だって奈千、女の私から見ても可愛いし。
…それに現状、奈千結構モテるわよね?」
「…さっきの、まだ怒ってんのかよ」
「当たり前じゃない」
「…ごめんて」
「…ふふっ」
さっきの仕返しとばかりに真緒にちょっかいを出す結花
「…もうすぐ奈千も来るでしょうし、私はお邪魔だろうからもう行くわね」
「行くってどこに」
「決まってるじゃない。…帰るわよ」
「いやいや!おま…こんな雨の中傘もささずに帰る気?」
「…だって無いものは仕方ないじゃない」
そう言って結花が踵を返した
その時
ーーーーパシッ!!
「…!」
「…これ、使って」
真緒は結花に紺色の傘を渡した
「え…でもこれ…」
「大丈夫。…奈千が忘れた時用に、こっちがあるし」
そう言って、真緒は鞄から水色の折りたたみ傘を取り出す
「…本当、王子様みたいね」
「俺が?…ないない」
「…優しいのね」
クスッと結花が笑う
「女の子に風邪引かれちゃ、困る」
そう言って、真緒は眉を下げて笑った
「…っ、!!」
結花はその笑顔に一瞬固まり…
「…っ、じ、じゃあね!ありがと!!」
そそくさと、その場を後にした
この日から、結花は真緒に対してよそよそしくなった
それと同時に…
一番近くにいた奈千への当たりが、この日から強くなっていった
「…ねぇ、奈千?」
「んー?」
ある日の昼休み
結花が何か企んだような顔で奈千の席へとやって来た
「…今日ね、奈千宛てのラブレター貰っちゃって!」
「…え、あたし?結花じゃなくて?」
「ほらっ、開けてみなって!」
「う、うん…」
内容は今日の放課後、視聴覚室で話があるという別クラスの男子からだった
「も〜奈千ってば、モテモテじゃん!」
「いやいや…」
実はこれ、今週に入ってトータル十二通目
しかも全て違う人物からの手紙だった
「…そろそろ一人くらい、行ってあげたら?」
「でも私この人も知らないよ?話したことないし…」
「まぁ…この機会にさ、真緒くん以外の男友達作ろうよ!
奈千にも彼氏が出来るかもしれないしさっ♪」
「かっ…?!」
結花の言葉に一気に赤くなる奈千
「…それじゃあ明日、報告楽しみにしてるね!」
結局その日の放課後、奈千はやむなく視聴覚室へと足を運んだ
「…失礼しまーす……」
ガラガラ…とドアを開けると
「…!」
驚いた顔で、一人の男子生徒が奈千の方を振り返った
「…えっと…あなたが、手紙をくれた人?」
奈千がそう言った
次の瞬間
ゴッッッッ!!!!
「…っ、?!」
「おい、そこ閉めろ」
ピシャンッッ!!
奈千の後頭部に鈍い衝撃が走り、前のめりに倒れ込む
そしてすかさずドアに鍵がかけられ、奈千は閉じ込められてしまった
「…っ、どういう、事…?!」
朦朧とする意識の中、奈千は必死に声を出す
「…え、だって君が僕らを呼んだんでしょう?」
「…なに、いっ、て……?!」
すると奈千の背後から四人、男子生徒が先程の男子生徒の元へと歩みを進め、その中の一人がスマホの画面を倒れ込む奈千に見せた
「…!!」
「君、清純そうな顔して…実はこういう趣味あったんだね♪」
スマホの画面には、どこかの出会い系サイトのようで…
そこには、奈千の顔写真と名前、他の人が知るはずのない電話番号やメールアドレス、そして…
“寂しい私を構ってくれる優しい人、募集してます♡”
「なに、これ……?!」
そんなメッセージが書かれていた
「私、こんなの…知らない…!!」
そしてその時
奈千の脳裏に、結花の怪しいあの笑顔が浮かんだ
「…っ、まさか……?!!」
奈千の身体から、血の気がサーっと引いていくのが自分でも分かった
「まあまあ…そういう事だからさ♪」
男子生徒が二人、奈千の身体を地面に押し付ける
「…っ、!!」
「…“頼まれたもの”は仕方ないよね?」
そう言って、残りの三人は奈千に手を伸ばす
「いっ…いやあああぁぁぁぁぁ!!!!」
その日から、奈千は真緒と部長である悠貴以外の男子生徒と一切話すことは無かった
…
「…奈千、何でそんな大事なこと…俺に黙ってたんだ?!」
真緒が今までにない剣幕で奈千の肩を揺さぶる
「…真緒ちゃんに知られるのが、怖かったの」
「なんで…!?」
真緒は身体だけでなく、声も震えていた
「…真緒ちゃんだけには…嫌われたく…無かった……!!」
「…っ、?!!
俺が奈千を嫌いになるわけねーだろ!!!!」
真緒はそう言って、奈千を優しく抱きしめた
「お前…どんだけ俺の知らないところで傷ついてんだよ…!!
何で…何で……!!」
奈千の衝撃的な告白に、真緒はまた涙が溢れた
「頼むから…頼む、からぁっ……
俺を、頼ってくれよ…!!」
「真緒ちゃ……」
嗚咽を漏らしながら、奈千も真緒の背中に手を回した
「……ごめんね…真緒ちゃん」
静かに目を閉じて、奈千は真緒の温もりを感じていた
明くる日の朝
奈千は真緒に車椅子を押してもらい、ある場所へと来ていた
「…まだ無理なら、俺だけでも良かったのに」
「…ううん。大丈夫だよ」
パジャマに真緒のカーディガンを羽織り、膝掛けを掛けた奈千は静かに微笑む
「…本当は、もう二度とお前に会わせたく無いんだけどな……」
「…ケジメ、ってやつ…かな」
奈千の前にしゃがみ込む真緒
そんな真緒の手を包み込む
「…真緒ちゃんの手、冷たいよ」
「…今日は一段と冷えるからな」
ギュッとその手を握り、奈千の体温が真緒を包む
「…真緒ちゃん」
「…ん?」
「……ありがとう」
「……おう」
二人は目の前で待ち構える、警察署へと足を一歩、踏み出した
第十三話 あの日の空を
「…」
「……」
冷たくて、何も無い無機質な通路
コツコツ…と、歩く足音だけがやけに響いた
中へ通されると、奥の一室からすすり泣く声が廊下まで聞こえた
「…失礼します」
ドアをノックして扉を開けると…
「…っ、……」
目を真っ赤に腫らした結花がいた
「…君たちは……」
警察官らしき中年の男が一人、真緒と奈千の元へとやって来る
「…今日面会予定の、一条と連れです」
「あぁ、君が。…そうか、まあ、座ってくれ」
中年の警察官は真緒と奈千を中へ通し、椅子に座るよう促した
「…取り敢えず、前…座らせてもらうな」
真緒がそう言って椅子を引き、隣に奈千が乗る車椅子を付ける
「…えー、それでは本題に入るのだが…」
先程の警察官が、今回の面会を仕切ろうと資料を広げ始めた
しかし…
「…ありがとうございます。
ここからは少しだけ、俺たちだけにしてもらえませんか」
真緒が横で控えていた警察官の男二人と中年の警察官にそう言うと…
三人は頷き、黙って部屋を出た
「……さて、何処から話してもらおうか」
パタン、とドアが閉まる音と同時に、真緒が低く冷たい声で結花を見据える
「…奈千の記憶が戻ったことは、お前も知ってるんだよな?」
真緒が結花に尋ねると
「……」
コク、と小さく頷いた
「…お前が奈千にした事、許されることじゃないって事も…分かってる?」
「……っ…」
最後を強調する真緒の言葉に、また目を潤ませる結花
「…お前がした事。
あれ、一生かけて償っても許されることじゃないから…!!」
まるで熱を帯たかのように
真緒の言葉は、とても重かった
「真緒ちゃ…」
初めて奈千がその場で口を開く
しかし、真緒が奈千を制する
「……」
「……」
そんな真緒を見て、奈千は座り直す
「…変なサイトだか掲示板に奈千の事を載せたのはお前か?」
「…」
「…」
「……」
「……」
真緒の問いに、頭を項垂れたままの結花は小さく頷いた
「…どうして、そんな事をした」
しばらくの沈黙の後
ようやく、結花が口を開いた
「……最初はそんなつもり、全く無かった…
だけど…
どれだけ手を伸ばしても届かないって…それに気づいた時……
どうしても手に入らないなら…
壊してやろうって…
そう思ったの」
淡々と話す結花
口を閉じると、天井を仰ぐ
「…本当、馬鹿げた話よね。
自分の本望のままに、大事な友達傷付けて…」
「全く、その通りだな」
すかさず真緒が口を開く
「…お前、俺の気持ちを知ってたはずだ
それなのに楸…お前は、奈千を……」
「……真緒ちゃん」
机の上に乗せ、組んでいた指先にギュッと力を入れる真緒
そんな真緒の手に、自分の手を重ねる奈千
「…結花、あたし…本当にあなたのした事は、今でも許せない」
「…」
結花の目を真っ直ぐに見て、奈千は続ける
「…あたしが救急車で運ばれた日…あの日の出来事は、一生忘れないと思う」
「……!」
「…あたしの記憶が無いから、隠蔽出来るって…そう思ってたのかもしれない
でも、ごめん
あたしの記憶は…また元に戻って。
あの日のことを、ここで話さなくちゃならなくなった」
「奈千…?」
真緒が不安そうに奈千に視線を移す
「…真緒ちゃん、もう一つだけ…聞いてほしいことがあるの」
「……」
黙り込む結花は奈千を睨みつける
「…結花を貶めたくて、ここであの日の話をする訳じゃないの
“これからの未来”のために、
あたし達、三人のために…
あたしはここで、あの日を話さなきゃいけないの」
「…っ、!!」
「三人の未来、って…」
驚いて目を見開く結花と状況の理解が出来ていない真緒
二人を見つめ、奈千はふっと笑う
「…答えは話の一番最後。
まずはあたしの話を…聞いてくれる?」
そう言って、奈千は胸に手を当て、ゆっくりと息を吸いこんだ
…
奈千が救急車に運ばれたあの日
階段から転げ落ちた奈千を見ていたのは…
結花だけだった
『…どういう、事?』
奈千が階段から落ちる直前
結花と奈千は、階段の踊り場で会話をしていた
『だから言ってるじゃない。
“真緒くんを好きになった”んだって』
『…結花、本気なの?』
奈千が信じられないといった顔で結花を見つめる
『…』
結花は苛立つ気持ちを抑えつつ、奈千の瞳を見据える
『…なに、あたしが真緒くんを好きになっちゃだめなの?』
『そ、そういう訳じゃ…!』
焦って結花に詰め寄る奈千
しかし…
『だってあんたと真緒くんは…
ただの“幼馴染み”、だもんね?』
『…っ、……!!』
余裕振った結花の笑みに
奈千は、言い返す言葉も無かった
『…ねぇ、奈千?
あんたにとって真緒くんは…
一体何だったの?』
『何、って……』
しばらくの沈黙の後、結花は奈千に問いかけた
『…』
『急にそんな事、言われても…』
『……』
『…っ』
どう言っていいものか…
奈千が必死に頭で考えていると
結花がまた、口を開いて。
『…少なくとも、真緒くんはあんたに好意があったよ。
幼馴染みとしてじゃなく、恋愛として』
『…!』
腕を組み、壁に寄りかかる結花
目を伏せ…奈千から視線を外す
『…本当、見ててイライラする』
“どうして私じゃないの”
結花はそう言いたげに、奈千を睨んだ
『…ねぇ、結花?
なんか、今日…可笑しくない?』
『……可笑しい?』
奈千の言葉にハッと笑う
『…私が真緒くんを好きだっていうのが、可笑しいの?』
『だって真緒ちゃんは…あたしの幼馴染みで…結花は、あたしの大事な友達で……』
『…』
『…幼馴染み、で……』
『……』
あれ…
可笑しい事を言っているのは…どっち?
もしかして、あたしが間違ってるの…?
結花の顔を見て、更に困惑する奈千
『…ねぇ、奈千?』
そんな奈千を見かねて、結花はスッと奈千の目前に立つ
『…』
今にも泣き出しそうな奈千の頬に手を伸ばす結花
『……結花?』
『…あたしがあんただったら良かったのに』
『……え?』
悔しそうに、結花がそう吐き捨てた次の瞬間だった
『ーーーー!』
奈千の身体は宙を舞い…
気が付くと、一番下の床に叩き落とされていた
『……っ、…!!』
今にも途切れそうな意識の中
奈千は必死に目を開き、階段の上から奈千を見下ろす結花を見た
『…!!!!』
そこには…
あの時と同じ、怪しい笑顔を浮かべる
悪魔のような彼女が微笑んでいた
「…」
「…記憶が戻らなければ、あなたはそのままあれを隠蔽しようとしたんだと思う」
「…楸、お前どこまですれば気が…!」
「真緒ちゃん」
「…!……っ」
今にも怒鳴りそうな真緒をさとし、奈千は続ける
「…ねぇ、結花。
あたし…あなたに言わなきゃいけないことがある」
「…」
「…?」
結花と真緒が、奈千の言葉を待った
「…」
ふう、と小さく息を吸う奈千
そして
ゆっくりと、その口を開いた
「…結花
ごめんなさい」
第十四話 お互いさま
「…結花
ごめんなさい」
話し終わると…
奈千は唐突に、結花に頭を下げた
「…っ、?!」
結花も真緒も訳が分からず…
奈千は下げた頭を上げ、結花を真っ直ぐに見据えた
「…結花がそんなにも真緒ちゃんを想ってたなんて…あたし、知らなかったの」
涙ながらに言葉を紡ぐ奈千
「ずっと…ずっと、側に、居たのに…」
「…っ…」
「気づいてあげられなくて…」
「やめ…」
「…気づいてあげられなくて、ごめん…結花…っ……!」
「やめてってば!!!!」
嗚咽を漏らしながら頭を下げる奈千
耐えきれなくなった結花が立ち上がり、叫んだ
「なんっ…何なの?!
そうやってあたしを更に落とす気…?!」
「そん…なんじゃ、ないよ…」
「じゃあなに?!」
「…今更って…思うかも、しれない
でも…
あたし…結花とまた…仲良く、したいよ…!」
「…っ、?!」
「奈千…何言って…?!」
奈千の言葉に、結花と真緒は言葉を失った
「…っ…、……!!」
あれほどの事があったのに
あれだけ、結花に散々貶められたのに…
「…!!」
奈千は…
結花を、恨んでなどいなかった
「…もちろん、結花のした事を…許した訳じゃ、ない…」
パジャマの袖で涙をぐいっと拭い、結花を見つめる奈千
「けど…」
それ以上に
「…大好きな結花の気持ちに気づいてあげられなかったあたしも…悪かったの…!」
「奈千…?」
結花の身体は小刻みに震え…
力無く、その場に座り込んだ
「なん…なん、で……」
悪いのは…
奈千を陥れたのは、あたしなのに……
「…奈千……」
真緒はどうしていいか分からず、奈千の方へと目をやる
「……」
ギィ、と車椅子が軋むと…
「…!」
奈千がゆっくりと手すりを伝って車椅子から降り、座り込む結花と目線を合わせる
「…結花、」
「…っ、…」
「…仲直り、しよう?」
「…っ、!!」
そう言って、奈千は結花をゆっくりと抱きしめた
「…真緒ちゃん、魅力的だもん。
そりゃあ結花も好きになるよね」
「…」
「かっこよくて、優しくて…
結花が王子様みたいって言ってたの…今なら、分かる気がする」
「……」
「小さい時からいつもあたしのそばに居てくれたから…
それが当たり前なんだって、何も疑わなかった」
「だからって…!」
結花が何か言いかけたが…
奈千は優しく笑い、言葉を続ける
「…結花の気持ちが聞けて、本音が聞けて。
あたし、嬉しかった」
「…!」
「…あたしが頼りないからかもしれないけど…結花、あんまり相談したり悩みを話したりしてくれないじゃない?
だからこうやって…ちゃんと本音をぶつけてくれた事、本当はすごく嬉しかった」
「…っ……」
「…ありがとう、結花」
「…っく…ひっ…く…」
堪えきれない大粒の涙が結花から溢れる
「…どんなに時間がかかっても、待ってる。
あたしは…
結花の友達、だから」
…
結局、
結花は適切な処分を下されるらしく、しばらくは会えないことになった
「…奈千、大丈夫か?」
帰り道
真緒に車椅子を押されながら病院へと向かっていた
「…うん、大丈夫」
「…」
「……」
特に何を話す訳でもなく…
二人はそのまま、病院へと戻ってきた
「…あ、真緒に奈千ちゃん!!」
珍しく楓が息を切らし、病院のロビーへと走ってきた
「…その様子じゃ、悪くは無い結果になったのかな?」
「…はい!」
奈千の様子を見て、少し笑ったような表情を浮かべる楓
「あれ、楓?今日は日勤で帰ったはずじゃ…ぐっ!」
とことことバインダーを手にやって来た英治は楓の拳がみぞおちにヒットしてうずくまる
「…余計なことは言わなくていいから。
って、奈千ちゃんもしかして…歩いた?」
「っえ、何で分かっ……あ、」
楓が奈千の足元を見ると、僅かに靴下が汚れていた
「…よく分かったね。俺、絶対気づかない」
「言ってる場合か。…奈千ちゃん、どこも痛くない?」
楓が奈千に駆け寄って跪き、奈千の足元に触れる
「大丈夫です。…真緒ちゃんも居ましたし」
「…なら、良かった」
そう言って、楓は安堵の息をついた
「…で?
楓、お前は二人に言うことがあるんだろ?」
何とか立ち上がった英治が楓の方を睨む
「…正確には俺からっていうより…まあ、取り敢えずついてきてくれる?二人とも」
楓が踵を返し、真緒と奈千を誘導する
「…あれ、楓くん、“俺”口調に戻ってる……」
「それだけ安心しちゃって、素が出ちゃったって事じゃない?」
遠くから一部始終を見ていた瑠衣と千尋は、エレベーターの近くにある柱の影からクスクスと笑う
「…おい、そこの覗き魔二人。
いつまで見てる気?
感じ悪いんだけど??」
「うわっ、楓くん?!」
「いいいいつの間に?!?!!」
「…もういい」
いつの間にかエレベーターのボタンを押して二人の背後に来ていた楓
「あ、千尋さん!!」
「真緒くん!
…何か、前に見た時よりもずっといい顔してるね」
「…そう、ですか?」
真緒が自分の頬に手を当て、首を傾げる
「…行くぞ」
開いたエレベーターに楓が乗り込むと、真緒と奈千も乗り込んだ
「じゃ、後は頼むな。楓」
「分かってるよ」
エレベーターの扉の向こうで英治と千尋、瑠衣が三人を見送る
「…真緒くん!」
扉が閉まり始めた頃、千尋が声をかける
「…!」
僅かに口を動かした千尋
それを確かに受け取った真緒と奈千は笑顔になる
“が ん ば れ”
三人は奈千の病室へと向かった