第十三話 あの日の空を
「…」
「……」
冷たくて、何も無い無機質な通路
コツコツ…と、歩く足音だけがやけに響いた
中へ通されると、奥の一室からすすり泣く声が廊下まで聞こえた
「…失礼します」
ドアをノックして扉を開けると…
「…っ、……」
目を真っ赤に腫らした結花がいた
「…君たちは……」
警察官らしき中年の男が一人、真緒と奈千の元へとやって来る
「…今日面会予定の、一条と連れです」
「あぁ、君が。…そうか、まあ、座ってくれ」
中年の警察官は真緒と奈千を中へ通し、椅子に座るよう促した
「…取り敢えず、前…座らせてもらうな」
真緒がそう言って椅子を引き、隣に奈千が乗る車椅子を付ける
「…えー、それでは本題に入るのだが…」
先程の警察官が、今回の面会を仕切ろうと資料を広げ始めた
しかし…
「…ありがとうございます。
ここからは少しだけ、俺たちだけにしてもらえませんか」
真緒が横で控えていた警察官の男二人と中年の警察官にそう言うと…
三人は頷き、黙って部屋を出た
「……さて、何処から話してもらおうか」
パタン、とドアが閉まる音と同時に、真緒が低く冷たい声で結花を見据える
「…奈千の記憶が戻ったことは、お前も知ってるんだよな?」
真緒が結花に尋ねると
「……」
コク、と小さく頷いた
「…お前が奈千にした事、許されることじゃないって事も…分かってる?」
「……っ…」
最後を強調する真緒の言葉に、また目を潤ませる結花
「…お前がした事。
あれ、一生かけて償っても許されることじゃないから…!!」
まるで熱を帯たかのように
真緒の言葉は、とても重かった
「真緒ちゃ…」
初めて奈千がその場で口を開く
しかし、真緒が奈千を制する
「……」
「……」
そんな真緒を見て、奈千は座り直す
「…変なサイトだか掲示板に奈千の事を載せたのはお前か?」
「…」
「…」
「……」
「……」
真緒の問いに、頭を項垂れたままの結花は小さく頷いた
「…どうして、そんな事をした」
しばらくの沈黙の後
ようやく、結花が口を開いた
「……最初はそんなつもり、全く無かった…
だけど…
どれだけ手を伸ばしても届かないって…それに気づいた時……
どうしても手に入らないなら…
壊してやろうって…
そう思ったの」
淡々と話す結花
口を閉じると、天井を仰ぐ
「…本当、馬鹿げた話よね。
自分の本望のままに、大事な友達傷付けて…」
「全く、その通りだな」
すかさず真緒が口を開く
「…お前、俺の気持ちを知ってたはずだ
それなのに楸…お前は、奈千を……」
「……真緒ちゃん」
机の上に乗せ、組んでいた指先にギュッと力を入れる真緒
そんな真緒の手に、自分の手を重ねる奈千
「…結花、あたし…本当にあなたのした事は、今でも許せない」
「…」
結花の目を真っ直ぐに見て、奈千は続ける
「…あたしが救急車で運ばれた日…あの日の出来事は、一生忘れないと思う」
「……!」
「…あたしの記憶が無いから、隠蔽出来るって…そう思ってたのかもしれない
でも、ごめん
あたしの記憶は…また元に戻って。
あの日のことを、ここで話さなくちゃならなくなった」
「奈千…?」
真緒が不安そうに奈千に視線を移す
「…真緒ちゃん、もう一つだけ…聞いてほしいことがあるの」
「……」
黙り込む結花は奈千を睨みつける
「…結花を貶めたくて、ここであの日の話をする訳じゃないの
“これからの未来”のために、
あたし達、三人のために…
あたしはここで、あの日を話さなきゃいけないの」
「…っ、!!」
「三人の未来、って…」
驚いて目を見開く結花と状況の理解が出来ていない真緒
二人を見つめ、奈千はふっと笑う
「…答えは話の一番最後。
まずはあたしの話を…聞いてくれる?」
そう言って、奈千は胸に手を当て、ゆっくりと息を吸いこんだ
…
奈千が救急車に運ばれたあの日
階段から転げ落ちた奈千を見ていたのは…
結花だけだった
『…どういう、事?』
奈千が階段から落ちる直前
結花と奈千は、階段の踊り場で会話をしていた
『だから言ってるじゃない。
“真緒くんを好きになった”んだって』
『…結花、本気なの?』
奈千が信じられないといった顔で結花を見つめる
『…』
結花は苛立つ気持ちを抑えつつ、奈千の瞳を見据える
『…なに、あたしが真緒くんを好きになっちゃだめなの?』
『そ、そういう訳じゃ…!』
焦って結花に詰め寄る奈千
しかし…
『だってあんたと真緒くんは…
ただの“幼馴染み”、だもんね?』
『…っ、……!!』
余裕振った結花の笑みに
奈千は、言い返す言葉も無かった
『…ねぇ、奈千?
あんたにとって真緒くんは…
一体何だったの?』
『何、って……』
しばらくの沈黙の後、結花は奈千に問いかけた
『…』
『急にそんな事、言われても…』
『……』
『…っ』
どう言っていいものか…
奈千が必死に頭で考えていると
結花がまた、口を開いて。
『…少なくとも、真緒くんはあんたに好意があったよ。
幼馴染みとしてじゃなく、恋愛として』
『…!』
腕を組み、壁に寄りかかる結花
目を伏せ…奈千から視線を外す
『…本当、見ててイライラする』
“どうして私じゃないの”
結花はそう言いたげに、奈千を睨んだ
『…ねぇ、結花?
なんか、今日…可笑しくない?』
『……可笑しい?』
奈千の言葉にハッと笑う
『…私が真緒くんを好きだっていうのが、可笑しいの?』
『だって真緒ちゃんは…あたしの幼馴染みで…結花は、あたしの大事な友達で……』
『…』
『…幼馴染み、で……』
『……』
あれ…
可笑しい事を言っているのは…どっち?
もしかして、あたしが間違ってるの…?
結花の顔を見て、更に困惑する奈千
『…ねぇ、奈千?』
そんな奈千を見かねて、結花はスッと奈千の目前に立つ
『…』
今にも泣き出しそうな奈千の頬に手を伸ばす結花
『……結花?』
『…あたしがあんただったら良かったのに』
『……え?』
悔しそうに、結花がそう吐き捨てた次の瞬間だった
『ーーーー!』
奈千の身体は宙を舞い…
気が付くと、一番下の床に叩き落とされていた
『……っ、…!!』
今にも途切れそうな意識の中
奈千は必死に目を開き、階段の上から奈千を見下ろす結花を見た
『…!!!!』
そこには…
あの時と同じ、怪しい笑顔を浮かべる
悪魔のような彼女が微笑んでいた
「…」
「…記憶が戻らなければ、あなたはそのままあれを隠蔽しようとしたんだと思う」
「…楸、お前どこまですれば気が…!」
「真緒ちゃん」
「…!……っ」
今にも怒鳴りそうな真緒をさとし、奈千は続ける
「…ねぇ、結花。
あたし…あなたに言わなきゃいけないことがある」
「…」
「…?」
結花と真緒が、奈千の言葉を待った
「…」
ふう、と小さく息を吸う奈千
そして
ゆっくりと、その口を開いた
「…結花
ごめんなさい」