トイレに駆け込み個室のドアを閉める。




――なんのためにこの学校に入ったんだろう?




そんな思いが頭を掠める。


愛里と一緒にいたくて、ここまで頑張ってきたのに……


本当はいつもまとわりついてる私がうっとおしかったのかもしれない。


だからわざと部活にも入る気になったんだとしたら……


私はこれからどうしたらいいんだろう?


溢れる涙をハンカチで拭いながら、昼休みの終わりを告げるチャイムの音を、私はただぼんやりと聞いていた。


早く教室に戻らなきゃいけないと思ってるのに、体が動かない。


入学したばかりでサボりとか、怒られちゃうかな?


そう思った時、外から声が聞こえてきた。




「美羽?いるんでしょ?

もう、授業始まるよ?早く出ておいで

恥ずかしかったら、私が一緒に行くから、ね?」




愛里……やっぱり愛里だ。


私はトイレのドアを開けて、外へと飛び出した。


目の前の愛里にそのまま抱きつく。




「ごめん……私、大丈夫だから……

ちゃんと一人で帰るから……

だから、愛里……嫌いにならないで?」
柔らかな体が私を包み込む。


背中をポンポンとあやすように叩かれて、私はようやく落ち着いてきた。


愛里は優しく諭すように、私に語りかける。




「美羽のことは、嫌いじゃないよ?

だけどいつまでも私とばかりいたら、彼氏どころか、友達も作れないでしょ?

それに……やりたかった部活を諦めたくないのもあるし……


でもね?行きは一緒に行くし、もちろんお弁当だって一緒に食べる

帰り以外は今までと何も変わらないから……

だから、ね?そんなに落ち込まないで?」




私がわかったと小さく呟いたのを確認すると、愛里は私の腕を引っ張って教室へと急いだ。


愛里にまで恥をかかしちゃいけないと、私も歩調を速める。


なんとか次の授業に間に合って席につくと、みんなの視線が自分に集まっているのに気づいた。


まだ5月の連休明け。


それほど親しいわけでもないクラスメイトの好奇な視線。


横を見ると愛里は気にすることなく私に笑いかけてくれる。


さっきの一件で、目立ってしまったんだと自覚したのは、この時だった。
愛里を見習って気にしない風を装い、黒板を見る。


その時、目の端に捉えたのは、斜め前のいつもと変わらずクルクル回るシャーペン。


私の席からは2つほど机が離れているけれど、その彼の指だけはよく見える。


いつものようにそれをじっと見ていると、さっきまでのソワソワした気持ちが、不思議と落ち着くのを感じた。


私もシャーペンを取り出して、真似してみる。


けれど不器用な私には上手く回すことが出来ずに、手からシャーペンがスルリと落ちた。


カシャン――


床に落ちるシャーペンの音。


私は慌ててそれを拾う。


一瞬、身構えたけれど、誰もそれを気にすることなく、授業に集中していた。


ホッとして、また彼の方を見る。




「……っ!」




――うそ!なんで?




慌てて下を向いて、ノートをとるふりをする。


びっくりした、まさかシャーペンの彼がこっちを向いてるなんて思わなかったから――


少し間を置いてから、恐る恐る顔を上げてみる。


当たり前だけど、彼はもう前を向いていて、クルクルとシャーペンを回していた。




「――あっ!」



思わず上げた声に、みんなが私に注目する。


しまったと思った時はもう遅く、先生にギロリとにらまれてしまった。



「どうした?丸山」



ビクッと体を固まらせて、私は情けない顔で先生を見る。



「すみません……け、消しゴムを落としてしまって……」



仕方なくおずおずとそう答えると、先生は一瞬眉間にしわを寄せた。



「替えのはないのか?」



そう聞かれて、しまったと思う。


この間愛里に付き合ってもらって買ったばかりの消しゴムは、まだ新品のまま自分の部屋の机の引き出しの中だ。



「はぃ……」



よりによってなぜこういう日に持ってこなかったのかと、自分を呪う。


今はテストの真っ最中。試験監督の先生は怖いので有名な数学の男の先生だ。


注目されて当たり前のこの状況で、先生のため息がやけに耳に残る。



「どこら辺に落としたんだ?」



探してくれるつもりなのか、そう言ってキョロキョロとあたりを見回している。



「えっと、あの……」



コロコロと転がっていった消しゴムは、私の前の席の方へと消えていった。


体をずらしてそっちの方向を指そうとしたとき――



「先生、ここに落ちてました」



そう言ってスッとあげられた手。


そこには私の消しゴムがしっかりとにぎられている。


先生がそれを取りに行き、消しゴムを私に手渡してくれた。



「すみません。ありがとうございました」



「もう、落とすなよ?」



そう念をおされてコクンと小さくうなずくと、先生はまた前にある黒板の方へと歩いて行った。


私はというと、先生のことなんかもう頭になくて、ドキドキが止まらない。


シャーペンの彼の初めて聞く声。


少し高めの優しそうな声。


まさか彼が私の消しゴムをひろってくれるなんて思いもしなかった。


ただの消しゴムが特別になったような感覚だ。



――お礼、言ったほうがいいよね?でも、自分から話しかけるなんて、はずかしすぎるかも……


そんなことばかりが頭の中をぐるぐるしていて、テストなんかまったく集中できなかった。



「ちょっと、美羽?テスト、もう終わったよ?」



愛里に声をかけられるまで、テストが終わったことにも気づいてなかった。

いつの間にかテスト用紙も回収されてる。



「消しゴム、良かったねぇ?見つかってさ。相変わらずドジなんだから、美羽は」



ハハッと笑って愛里は私のおでこを人差し指でつつく。


私もつられて笑いながら、消しゴムをギュッとにぎりしめた。


それからおもいきって愛里に聞いてみる。



「ねぇ、愛里……さっき、消しゴムひろってくれた人って……だれ?」



だれにも聞こえないように、愛里の耳元でそっとささやくように言ったのに。


それなのに愛里ってば……。




「えぇ!あんた入学して一か月はたつのに知らないの?」



おおげさにおどろいてみせる愛里に私はあわてて彼女の口をふさぐ。




「ちょっ!愛里!声、大きいってば!」



シャーペンの彼にまで聞こえちゃうんじゃないかって気が気じゃない。
そんな私の気持なんかおかまいなしに、愛里はニヤニヤしながら彼の名前を口にした。



「三浦くんだよ、消しゴムひろってくれた人。なになに?気になるの?」



「ちがっ……!」



「なかなかイケメンだよ?たしか、陸上部だったかな?」



うれしそうに私をからかう愛里に、私は必死に説明した。



「そうじゃ……なくて!さっきの……お礼とか言っといた方がいいかな……って、思っただけで……」



――三浦くんて言うんだ……陸上部なんだ……



言葉とは逆に、愛里の言った彼の情報を頭の中で確認している自分がいる。



「あーそうだね?テストの最中だったし、お礼は言った方がいいかも……。それに」



「それに?」



「美羽が自分から男子に声かけようとするなんて、大進歩だしねぇ」



にやりと笑いながら、ひやかしモード全開な愛里に下心がないとはいえない私は、しどろもどろになってしまう。



「だっ……から……それは……消しゴムのお礼だってば」



そんな私の言葉なんか耳に入ってないのか、愛里は照れない照れないと言ったあと、さらっとありえないことを言い放った。



「まあ、とにかくあとでお礼しておいで?」



その言葉に、私はその場で固まる。


愛里も一緒に行ってくれるんだとばかり思ってたから。


そんな私の気持ちに気づいたのか、愛里があきれたように笑った。



「もしかして、一緒に行ってほしいとか思ってる?」



「だって、私……一人じゃ……」



情けない声を出す私に、愛里はわざと大きなため息をついてみせる。



「こないだも言ったけど、美羽は私にたよりすぎ。まぁ、いきなり一人で男子に声かけるのは、ちょっとハードル高いか……。わかった、じゃあ一緒に行ってもいいけど、美羽が自分で声かけるんだよ?」



中学のころなら、こういう場面では必ず愛里が一緒にいてくれて、男子にも私の代わりに言いたいことを伝えてくれていた。


例えば、日直が一緒の男子に伝えなきゃいけないことがあったとき、先生から男子に伝言をたのまれたとき――


だから高校生になって、急にこんな風に突き放されるなんて思ってもみなかった。


部活のことだってそうだ。


私が苦手なの知ってて、わざと運動部に入ったとしか思えない。


たしかに甘えてる部分はたくさんある。


だから、自分でもしっかりしなくちゃって思ってはいるけど……。



「わかった……自信ないけど……がんばる」



それを聞いた愛里はうれしそうに私の頭をなでる。



「よし、じゃあ次の休み時間ね?」



次の休み時間。


私は愛里と一緒に、シャーペンの彼の席にうしろからおそるおそる近づいた。



「あ……の、三浦くん?」



そして、愛里にせかされてようやく出た第一声がこれだ。


三浦くんは呼ばれたことに気づいてくるりと振り返り、私と愛里を見つけると不思議そうな顔で私たちを交互に見比べた。


それからどちらが声の主なのかわかったのか、私の顔の前で視線を止める。



「なに?」



彼の口から声が出たことで、空想から現実へと引き戻されたような感覚になる。


今、彼は目の前にいて、私を見てる。


初めてちゃんと見る彼の顔。


長めの前髪からのぞく少し切れ長の目とシャープなあごは、ほかの男子より大人っぽく見える。


細身だけどしっかりとした肩幅は、スポーツをしているせいかもしれない。



「え……と、あの……さっきは……ありがとう」



ドキドキする心臓をおさえながら、勇気をふりしぼって、なんとかそう言った。


顔なんかまともに見れなくて、おじぎするふりをして下を向く。