興福寺横の奈良公園の敷地のいたるところに置かれている灯りは、見物する人みんなを笑顔にしているよう。

「春日野園地に行くともっとすごい数のろうそくが見られるぞ」

横顔の雄也の顔が、ほんのりと照らされている。向こうには屋台が並んでいるらしく、そこに向かって人々は歩みを進めているようだ。

「みんなの祈りをろうそくで表しているんだ」

隣を歩く雄也の声もやさしく聞こえる。

「鹿にとっては危険じゃないの? 火傷とかしない?」

この辺りは昼間はたくさんの鹿がいる。観光客からもらえる『鹿せんべい』を持っている人は、鹿たちのアイドルになれる。

「お前は知らないのか? 奈良にいる鹿は、全部野生の鹿だぞ」

「へ? 奈良県が飼っているんじゃなくて?」

「鹿は山に住んでいるんだ。朝になるとエサ目当てに山からおりてきて、夜になるとまた家に戻るんだ」

雄也が指でさしているのは若草山の辺りだった。

へぇ……。野生の鹿だなんて知らなかった。

「燈花会の間はエサをもらえるチャンスも多いから居座る鹿も多いけど、火には近づかないから安心しろ」

「うん」

それからしばらく私たちは黙って歩いた。不思議と、気まずくはなかった。ろうそくの炎は、時間をやさしく変える効果でもあるみたい。頼りなく揺れている炎は、ひとりひとりの願いのはかなさを表しているよう。だけど、たくさんの小さな願いが集まれば、それは大きな祈りに変わってゆく。

初めて奈良に来た三月末を思い出す。

四月になり、傷ついた私を雄也が拾ってくれたんだよね。それから、お店で働き始めて、気がつけばもうすぐお盆。

時間の流れは、学生時代よりもずっと早く感じる。それくらい充実していた日々が遠い昔に感じた。

だけど、それももうすぐ終わってしまうんだ……。

ろうそくの灯りがぼやけて見えたときには、泣いていた。

雄也に気づかれないように鼻をすすると、あくびをしてごまかす私。

以前は、どんなことがあっても泣くことなんてなかったのに。

私も、歳をとったってことなのかな。

「詩織」

奈良公園のはずれで、隣の雄也が足を止めた。

「ん?」

振り向くこともできず、声だけで聞きかえすと、雄也は言った。

「俺は不器用だ」

と、言った。

「知ってるよ」