「そっか、奈良の夏は初めてやもんなぁ。燈花会、ってのは今日からお盆の十五日まで毎晩この辺りでおこなわれるイベントのことや。赤いシャツを着た担当の人がさっきから準備してるで」

「へぇ、お祭りみたいなものですか?」

浴衣で参加することといって思い浮かぶのは、夏祭りとか盆踊りくらい。

「もっと大人なイベントや。磨りガラス風のコップの中にろうそくを灯してな、夜に道の端や公園に置くねん。想像してみ? この辺りがろうそくの灯りでいっぱいになるんや。めっちゃ綺麗やで」

「へぇ……。それ、見てみたいな」

夜の奈良がきっと違ったように見えるんだろうな。

「ここの猿沢池はもちろん、興福寺や東大寺、春日大社にいたるまでこの辺り全体が幻想的な光に包まれるんや。その数、なんと二万個。詩織ちゃんも雄ちゃんに連れていってもらうとええわ」

最後の言葉に表情が固まる。そうだった……私は今、絶賛憂鬱中だった。

「なんや、またケンカでもしたんか?」

意地悪く顔を覗きこんでくる園子ちゃんに、

「実は……」

私は憂鬱の理由を園子ちゃんに話した。

店がなくなることを知らなかった園子ちゃんは、周りに響き渡るくらいの大声を出して驚いていたけれど、話を聞き終わった彼女が言った言葉は、

「まぁ、しゃあないな」

だった。

てっきり一緒に怒ってくれると思っていた私にとって、それは予想外の反応だった。納得できない顔をしている私を見た園子ちゃんは、「まあ」と言葉を続けた。

「詩織ちゃんの怒る気持ちもわかるけどな、雄ちゃんはそんな薄情やないって。詩織ちゃんのことも考えてくれてるはずや」

そんなこと言われたって信用できない。

だって、現に今日尋ねなかったら閉店の日にいきなり、『今日でクビ』って言いそうな感じだったし。

「あのな……」

そう言った園子ちゃんが池を見やった。

「雄ちゃんはあのお店を本当に大切にしてるんやと思うわ」

「でも、新しいお店に行けばもっと繁盛して─」

「そんなこと望んでへん。商売として儲けようとしてるんやったら、ならまちのはずれでなんてお店を開かへん」

ふう、と艶のある息を吐いて園子ちゃんは私を見る。

「雄ちゃんはあそこで穂香ちゃんを待っているんや」

「あ……」

そうだった。この間、そんなことを言っていたはず。移転の騒動ですっかり頭から抜けてしまっていた。