隼人side

 生徒会室に戻ってきた夏菜は、いつも通りの顔をしていた。
 面白くないときに笑わない彼女は、普通でも疲れていてもこんな顔だ。

 生徒会室は一般教室と違い、少々細長い形をしている。
 生徒会室のドアが、長方形の短い方の辺にあたる部分だと思ってくれればいい。

 ドアから見て右に窓、左に棚、前に黒板、中央に白い長机。
 窓側にも机が置いてある。

 中央の白い長机の周りに、ほぼ均等に置いてある丸いすに座る俺と、ドアを閉めて振り返った夏菜の視線があった。

 先に口を開いたのは夏菜だ。

「今何してるの?」

 流れで夏菜も丸いすに座る。ドア側の席だ。棚側の1番ドアに近い席に座っていた俺とは、斜めに向かい合う形になるが、実質隣に座っているのと、さほど変わりはない。

「いや、特に何も。クラスのシフト終わったし、これから仕事あるし、ただいるだけ」
「あぁ、そう」

 ただいるだけ、と言ったが、執行部員が生徒会室にいるのには、重要な意味がある。
 学校祭期間中、大小様々なトラブル、突発的に発生した仕事は、全て執行部に回される。
 仕事が発生したとき、生徒会室に人が少なければ、わざわざ呼び集めなければならない。時間のロスが起こる。
 いきなり来る仕事っていうのは、だいたい緊急性の高いものだから、その時間のロスによって、順調に進んでいた学校祭に何かしらひずみができる。

 結果、今年の学校祭が失敗する可能性が高くなる。

 俺たちがドアに近い席に座るのも、何かあったとき、すぐに対応できるようにだ。


 スマホを意味もなくいじってみたりして、時間をつぶす。
 11時まであと5分、となったところで、俺たちはお互いに無言で立ち上がった。

「隼人、行こうか」
「うん、5分前だもんね」

 何も言わなくったっていいのだが、一応形式的にこれからの行動の確認をとってみる。

 生徒会室のドアを開けると、つんざくような宣伝の声が俺たちの耳を貫いた。
 ここから1番近い階段は、生徒や一般客で人混みの絶えることがない。

「あっちから行こう」
「そうだね」

 夏菜の提案で、立ち入り禁止内の階段を使うことにした。言われなくても、多分自然とこっちに足は向いていただろう。

 誰もいない階段を、駆け足で降りる。途中で同タイミングで2人のスマホにメッセージが入った。執行部全員が所属しているチャットのものだと予想がついたので、俺だけが確認して、

「美化委員の話だ。俺らには関係ないわ」

 と、夏菜に伝えた。

 1階に降りて、体育館に伸びる廊下を歩く。ここにも人はたくさんいた。走るほど急いでもいないので、俺たちは人の流れにそってゆっくり進む。



「そういえば、どうだった?」

 言うまでもなく、告白のことである。我ながら、白々しい。

 そういえばも何も、会話らしい会話は何1つしていない。
 そのことが気になって、何か他のことを話す気も起きていなかったのに、俺はなにをどうでもいいように尋ねているのだろうか。

「ダメだった」

 しかし彼女の答えもまた、あっさりしたものだった。
 俺はどう反応しようかと間を置いて、

「そっか。残念だね」

 と、あたりさわりない言葉と態度に留めた。

 すれ違う人々は、俺たちの会話を聞いても、それが告白に失敗したことだとは思わないだろう。
 もしかしたら、そんなことを考えるまでもなく、俺たちが恋人どうしだと認識している人もいるかもしれない。

 俺たちの距離はそれほどまでに近かった。

 体育館に入る直前、夏菜は生徒会の腕章を1枚、俺に手渡した。

「はい、これ」
「あ、サンキュー」

 Tシャツの袖に、安全ピンで腕章を付ける。

 暗い体育館の中で、それがどれだけ役に立つか分からないけど、俺たちが傍にいて行動を共にする正当な理由を、具現化して証明するものだから、つけないわけにはいかない。

 吹奏楽部がちょうど演奏途中だった体育館の椅子はほぼ全て埋まっていて、立ち見客すらいた。
 その間をすり抜けて、体育館の後方に立つ。

「ヤバ、暑ッ」
 と夏菜が言ったのを、雰囲気で感じた。
 入って数秒で汗が滲むほど、体育館の温度は上がっていた。
 外の屋根がある部分より絶対暑い。
 
 体育館がサウナ状態なのは、この地域にしては珍しく外気温が30℃を越えたことも理由の1つだが、体育館には暖房以外の空調設備はないこと、スポットライトなど古い照明器具が発熱していることを考えると、施設を丸ごと新しいもの変えたいという、絶対満たされない欲求が止まらない。


 吹奏楽部の演奏はどこまでも壮大で、蒸し風呂にいる観客たちさえ魅了する。
 仕事と銘打って堂々と鑑賞できるのは、それはそれでラッキーかもしれない。
 
 演奏している姿は、人混みで全く見えないのに、夏菜は吹奏楽部がいるであろう方向をじっと見ている。

 その横顔を一瞥して、俺も同じように向き直る。


 昨日、どうしてこんなクソ忙しい日に告白なんかするのか、と尋ねた俺に、夏菜は何の躊躇いもなく、こう答えた。

『フラれるなら、この日がいいって思ったから。忙しければ、落ち込む時間も少なく済むでしょ?』

 学校祭終わったら、ただでさえ喪失感とかあるって分かってるはずなのに、わざわざ今日を選ぶことなかったろ。
 そもそも、フラれること前提で告白なんか、する必要ないだろう。

 あのとき、その言葉を言ってやれなかったのはなぜだろう?

(ねぇ、いいの? そんな理由で。フラれたら、夏菜にはもう彼を好きでいる権利はなくなるんだよ?)

 楽器の音で聞こえなくなるのは分かっていたから、俺はその言葉を飲み込んだ。
 と、同時に夏菜が俺を見たから、間違って言ってしまったかと焦る。

 夏菜は笑顔で俺に聞こえるように言った。

「すごいね、吹部!」

 安堵で息を吐いた。笑顔で頷き返す。

 学校祭が終わらなければいいのに。
 終わらなければ、夏菜が正気に戻って、独りで悲しむこともないのに。



 体育館の入り口で、元カノを見つけた。必然的に目で追う。
 出て行ってしまってからも、ぼうっと入り口周辺を見ていた。
 
 隣に知らない男子いたな。


「リア充かよ」
 後ろで、俺たちを冷かす声がした。おそらく上級生だ。

 高揚する体育館の後ろで喪失感から必死に目を背けている2人の男女を、どうやったら、リア充だと思うんだ?