関西弁というのは、早口なものだと思っていた

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北の街は夏が終わると駆け足で冬がやってくる。
そんな冬に向かう季節、僕はこの街に住み着いた。
いや、旅の延長でそのまま居着いてしまったと言った方がふさわしいかもしれない。

祭りは一年中続くわけではない。
夏にあれほどいた旅の仲間たちがひとり帰り、またひとり帰り、雪虫が舞う頃には誰もいなくなったかに見えた。

ところが、わずかばかり酔狂な連中が残っていて、北の大地のほうぼうに散らばっているのである。

あるとき、僕の旅の師匠である戸崎さんから誘いがあった。

「こんど、俺の仲間の民宿にみんなで集まるんだけどさ、シンちゃんも来ないか?」

慣れない土地で寂しさを感じ始めていたから、二つ返事で誘いに乗った。



前のエピソード――第1話
第2話

愛車ランドローバーにギターを放り込んだ。

こいつは僕の旅の相棒であると同時に、東京で少しばかり儲けていたことが幻ではないことを思い出させてくれる存在でもある。

過去の栄光、というやつか。
今は無職だから。

そして、札幌での小さなアパート暮らし。

なぜ札幌に住むことにしたかって?
実を言うと、稚内とか羅臼のような北海道らしいところに住みたかったのだ。

しかしそれは「職探し」という現実と天秤にかけた時、真っ先に諦めるべきことだった。

右側に時々海を見ながらクルマを走らせると、札幌からさほど遠くない戸崎さんの知り合いの民宿に着いた。

民宿に入ると、旅人達が集まっていた。
見慣れない顔が多かったが、見慣れない顔の人間とすぐに会話を交わすことにはもう慣れた。

酒と笑い声と旅の話と。

そう、持ってきたギターは、もちろんみんなの前で歌を歌うためである。何曲か歌を歌った。

席に戻り、少しばかり酒を飲んでいると、不意に話かけられた。

それが賀代との出会いだった。



前のエピソード――第2話
第3話

「あなたがシン君ね。私、賀代っていうの。よろしくね。」

そんな連ドラやマンガのセリフにでもありそうな自己紹介をすることもなく、賀代はとりとめのない話を続けた。

賀代がそんなセリフを綺麗に言えない理由がもうひとつあった。

それは、関西弁を話すからである。

横浜で生まれ育った僕には、関西弁というものは大阪人が話すものという先入観がある。そして、先入観通りに、賀代の出身地は大阪だった。

だが、大阪弁は早口であるというもうひとつの先入観は当てはまらなかった。

「シン君、歌上手やなあ~」

賀代のんびりとした大阪弁が、ちょっと意外に感じられた。

旅人には独特の雰囲気がある。
それがどんなものであるか言葉にするのは難しいが、旅人の世界にどっぷりと浸かってしまっていた僕には、なんとなしにそれがわかるのである。

賀代からは旅人の雰囲気が感じられなかった。
旅人の香りを纏わない賀代が、なせディープな旅人が集まるこの場所にいるのかは知る由もなかったが、大したことではないだろうと気にも留めなかった。

共通の話題は温泉だった。

賀代が住む町には温泉が多い。
「いい温泉があるから、ウチが案内しようか?」

僕は温泉にはかなり詳しい方だ。
案内などなくても、いい温泉を探すことなど簡単なことだ。

そんな野暮な事を口にすることなく、案内をお願いすることにした。

それは、温泉よりもむしろ、賀代のことが少し気になったからである。

賀代と僕は、お互い連絡先を交換した。

旅人の世界では、連絡先を交換することなんてよくあることだ。
そして、連絡先を交換しっぱなし、口約束しっぱなしもよくあることである。

だとしても、旅人の雰囲気薄い、男好きのするタイプの賀代との約束は、心躍るものがあったのは確かだ。

それは、宝くじを買って一等が当たったらどうしようと考える虚しさと似ていなくもないが、そんなことを糧に人は生きていくものだろう。



前のエピソード――第3話
第4話

明くる朝。

大広間に行くと、戸崎さんと賀代が談笑していた。

旧知の間柄といった雰囲気に見えた。

アクが強い、旅人のリーダー的存在の戸崎さんと、旅人の世界とは縁がなさそうな賀代がなぜ親しげに談笑しているのか、それは少し不自然に思えたが、戸崎さんと賀代が親しいならむしろ好都合じゃないかと脳天気な僕はどこまでも前向きだった。

戸崎さんは頼れる男である。
もう40も半ばを過ぎているのに、夢を追いかける若者のように光を放っている。
僕はそんな戸崎さんに憧れていた。

「おはようございます。ちょっと早いんですけどもう帰りますね。」

「え~、もう帰るのかよォ」

「せっかく小樽まで来たんで、少し海を眺めてから帰りたいと思いまして・・・」

「相変わらずカッコつけてんな、シンちゃんは。まあ、いいよ。気をつけてな。」

「それじゃあ、また札幌か美深で。」

賀代も「またな!」と小さく手を振った。

ランドローバーのキーをひねる。

口笛を吹きながらクルマを走らせる。
他の人に見られたら気味悪がられるぐらいにニヤけながら。

賀代との温泉の約束が、いい加減なものではなかったからだ。

「気が向いたら行く」とか「都合がついたら行く」ならばニヤけたりはしない。

「来週の日曜日の午後1時に、ほらっ!このバス停なっ!ウチ、ここで待ってるから迎えに来てな!」
きのうの晩、地図を指差しながら賀代がそう言ったのだ。

久しぶりに感じた胸騒ぎを抑えながら海を眺めていた。



前のエピソード――第10話
第11話

週末。

旅人達が白川さんの家に集まった。
それぞれが酒を飲んだりジンギスカンを食べたり談笑して過ごした。

少し遅れて賀代が数人の旅人と一緒に入ってきた。
賀代の住む町にはスキー場があり、そこでアルバイトをしながら"越冬"をする旅人が多い。
多分、そのような旅人達と車を乗り合わせて来たのだろう。

僕は電話での曇るような会話を払拭するように

「やあ、賀代ちゃん!」
と、出来る限りの軽薄さであいさつをした。

「あ、シン君もいたんやね」

まるで電話の続きのような冷淡さで答えた。

僕が何か賀代の気に障るような事をしただろうか?

いくら思い出そうとしても全く心当たりがなかった。

「せっかく来たんだから、楽しんでね。」

それは賀代に向けた言葉だったのか、自分に向けた言葉だったのか。

僕は白川さんや鹿島さんや野村さんのような既知の人達と旅の話やアウトドアの話をして気楽に過ごすことにした。

さらに遅れて、戸崎さんが来た。

「やあ、みんな元気だったか!」

「イェーイ!」

戸崎さんが来ると、場の雰囲気はいっそう盛り上がった。


白川さん達と酒を飲みながらも、やはり賀代のことが少し気になって、チラチラと見てしまう。

賀代は戸崎さんと何か楽しそうに話していた。

今度戸崎さんに賀代がどんな性格なのか聞いてみようか?
いや、まだそんなことを聞く段階でもないだろう。
そもそもスタートラインにすら立ってないじゃないか。
それどころか、賀代と温泉に行ったのは理想と妄想が交錯した白昼夢だったのではないか?

結局、大勢の中にあっても、心の中は賀代のことが巡り巡っているのだった。



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第5話

札幌に帰ってからの1週間は、とてつもなく長く感じられた。

賀代と温泉に行くのが待ち遠しかったというのもあるが、それだけではない。

無職だからだ。

やることがないというのは、それだけで時間を持て余してしまう。

かと言って、仕事を探すこともしなかった。
まだ少しばかりのカネがあったから。

朝起きると朝飯を食べる。
午前中は少しクルマを乗り回しながら昼飯は何を食べようか考える。

昼飯を買って帰り、「笑っていいとも」を見ながらそれを食べる。
その流れで「ごきげんよう」を見たあと昼ドラを見る。

テレビをダラダラと見るということが、僕にはことさら新鮮な事に思えた。

東京での仕事はいつも忙しく、テレビを見る暇など全くなかったからだ。

ダラダラとテレビを見てると、たまたまニュースを見ることもある。

「銀行破綻、か。もう世も末だな。」

世間はバブル崩壊後、経済が大変だとか言っている。
人々はみんな、うなだれて暮らしている。

そんな中、昼間からゴロゴロしながらテレビを見るのは何とも言えぬ背徳感があるにはあったが、それも悪い気はしなかった。

無職になってから、どうしようもなく爛れた日々を過ごしていたが、今日は「いいとも」も「ごきげんよう」も見ないで洗車をしたり、クルマの中を綺麗に掃除したりして過ごした。
雪化粧した峠を越え、賀代の住む町へ。
晩秋と初冬の境目よりも少し冬側にいるのかもしれない。

待ち合わせ場所のバス停の近くに、約束の時間の20分前に着いた。
ルームミラーをこちらに向け、顔を少しの間見たあと、元の角度に戻す。

待ち合わせの時間になっても賀代は現れなかった。

「ま、よくあることだわな。」

つい、独り言が出てしまう。
旅人同士の口約束なんて、反故にするためにあるようなものさ。
そう気取ってはみたものの、あと15分待ってみることにした。

ほどなく賀代が現れた。

「シン君、待った?」

「いや、今来たばかりだよ。なんか、久しぶりだね!」

「言うほど久しぶりやないやん」

賀代は笑った。

さっきまでの諦め混じりの虚無的な気分は、もうどこにもなかった。

「シン君、朝日温泉知ってる?すごくいい温泉なんやけど、そこに行かへん?」

「今日は、賀代ちゃんの案内が頼りだからね、その温泉に行ってみようよ。」

賀代の案内に任せてクルマを走らせる。
このあたりの道に明るいようで、ひとつの間違いもなくナビゲーションしてくれる。

急峻で狭い坂道を登ると、その温泉に着いた。

「じゃあ、シン君もゆっくり入ってな。」

湯に浸かりながらニヤけていた。
まだ知り合って間もないのに、もう恋人同士みたいだな、いやいや、そこまでじゃないだろう…

そんなことばかり考えていた。
いつもの僕なら、湯の質のチェックを怠ることがないのに。

湯から出たあとも体は冷えなかった。

クルマの中で、賀代が戻るのを待っていた。
待つ時間にさえ胸踊るのは久しぶりの事だ。

「お待たせ~。」

賀代もよく温まったのか、幾分頬が赤く染まっていた。

賀代の案内のままクルマを走らせる。

「ウチが好きな食堂があるんやけど、そこでご飯食べへん?」

嬉しい誘いに乗らないわけがない。

「いいねえ!行こう行こう!」

アクセルを踏む足に、ほんの少し力が入ったのは気のせいか。



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第7話

案内された食堂は、時代に取り残されたような古びた佇まいだった。

「ここ・・・で間違いないかな?」

「うん、ここやで。」

僕は、このような食堂に入るのは、極力避ける性分だ。
潔癖症というわけではない。
この手の食堂は当たり外れが激しく、自分好みの味なのか予想できないから。

バブルの恩恵で少しばかり儲けたから庶民の味など口に合わないという理由では決してない。
高級店は高級店で、やはり店選びには無駄な労力を使うものだから。

そんなめんどくさがり屋の僕は、すかいらーくやガストによく通っていた。
面倒くさくない、という理由だけで。


「ここ、ウチは好きで良く来るんやけど…シン君は平気?」

「あ、ああ。平気どころか、こういう庶民的な食堂が大好きなんだよ。」

相手次第で、心にもないことを平然と言えるのは男の才能なのだと、何かの本で読んだ気がする。


「ここの焼き魚定食、ホンマおいしいんやで。シン君も同じでええな?」

賀代に勧められるままに焼き魚定食を注文した。

「お、これ、結構いけるじゃん!」

「な、うちの言うとおりやろ?」

食事なんて、すかいらーくやガストで済ませばいいという僕の態度は、もしかすると他人にはつまらなく映っていただろうか?

それとも、賀代と一緒だから美味しく感じられるのか?


それにしても、時が過ぎるのがあまりにも早い。