第二話 現実は甘くない

「…と、いうわけだ、彩七。

お前はどの人を選ぶかね」

父親に呼び出されたのは翌日のことだった

四人の兄や姉も招集され、真ん中に座らされた彩七の前には、多数のお見合い写真が並べられていた

「お前もやっと二十歳になったんだ
…由里子や明香沙のように、良い人を選びなさい」

並べられた写真に写る男の人たち

そのどれもが、育ちが良くしっかりとした教育を受けた者ばかり

「あら、私の時は選ばせてもくれなかったじゃない?」

由里子が嫌味のようにブロンズの長い巻き髪を掻き上げる

「それなら私だってそうよ!
ねぇ、お父様?彩七にだけ甘いんじゃなくて?」

それに負けじと明香沙も血相を変えて父親に迫る

「…お前達はもう子供じゃないだろう

それに、今の生活に何か不満があるのか?」

ギロッとひと睨みするば由里子も明香沙も何も言わなくなる

「由里子は三人の息子と今また身ごもっているんだろう
明香沙は可愛い双子の姫を…

二人とも、それなりに楽しく過ごしているではないか」

横から口を挟んだのは亜門だった

「…兄上だって、そろそろ奥様を見つけても良いんじゃなくて?」

由里子が冷や汗をかきながらそれとなく話を逸らす

「俺はいい。

…まだ、運命の人を見つけ出せてないのでね」

「まあ!兄上の口から運命だなんて、明日は雷でも落ちるんじゃないかしら」

明香沙がわざとらしく驚いた顔をする

「…それで?彩七はどうするんだ」

凛翔が写真を見つめる彩七の後ろから声をかける

「…」

彩七な無言で、何も語らなかった

「…ねぇ、彩七?
せっかくお父様が良い人たちを推薦して下さったのだから…ここで決めちゃいましょうよ、ね?」

母親もなだめるように彩七に寄り添う

「…今日は決めれません。失礼します」

ガタッと席を立った彩七

後ろを振り返ることなく、扉の向こうへと消えていった

「…っ、何なのよあの子!!
昨日私が心配して声かけた時もすぐどこかへ行っちゃったし…可愛げが無いってこの事だわ!!」

憤怒した由里子がドサッと机に腰をおろす

「…こんなに良い人たくさんいるのに…勿体ないなぁ」

明香沙が残された写真を見比べつつ、ため息をつく

「…彩七は“まだ”、子供のままなんだな」

凛翔が頭を掻きながら息をつく

「子供、ね……」

亜門は先程まで彩七が座っていた席を見つめる

「…本人がその気じゃないのなら仕方あるまい

今日はこれで解散としよう」

頭首である父の一言で、その日はそれぞれ解散となった


その日の夜

彩七の部屋には、有翔が来ていた

「…えっと、どうしたの?」

普段公の場でもほとんど口をきかない有翔

そんな彼から話があると部屋に招き入れたが…

かれこれ十五分

いまだ無言のままだった

「…有翔兄?」

彩七の言葉にハッとして顔を上げる有翔

「…お前に、話があってきた」

うん、知ってる

「…」

「…」

「……」

「……」

えっと…またふりだしに戻った?

「にいさ…」

仕方なく彩七が口を開きかけた時、有翔がそれを遮った

「…彩七、お前に答えてほしい事がある」

「…なんでしょう」

緊張が走る

「…お前はこの家に生まれて、幸せだと思ったことがあるか?」

「……え?」

全く予想外の質問だった

「えっと…それはどういう…」

困惑した彩七が尋ねると、有翔がまっすぐに彩七を見据える

「…俺は、自分は幸せ者だとずっと思い込んでいた

父や母の敷いたレールの上をその教えのとおりにただただ凛翔やみんなと歩いてきた」

だけど、

「いつもどこかで、もの寂しさを覚えてた」

「有翔兄…」

彩七が長年感じ続けていたことを、どうやら有翔も感じていたらしい

「…政略結婚を聞かされた時、ついに俺にもその時がきたんだと何も思わずそれに従った

だけど、現実は甘くなかった」

自分の見合い話が出た時、自分の中でどこか胸騒ぎがしたという

「…凛翔だけが知っていたことだが……

当時、俺には将来を考えた彼女がいたんだ」

「…っ、!!」

「…よく笑うやつで、無口な俺にも優しかった」

当時を思い出すかのように有翔が語る

「だけど…兄上や父上には、敵わなかった」

最終的には別れさせられ、亜門や両親が決めた相手…今の妻との婚約が決定したらしい

「兄さんにそんな過去が…」

全然知らなかった

兄さんに彼女が居たことも、

お父様や兄上に別れさせられた事も…

「…彩七、お前には今、そういう人はいるのか」

唐突な質問

彩七な動揺しつつ、慌てて首を横に振る

「いいい、いません!」

彩七の様子に、有翔が小さく笑った

「に、にいさ…?!」

「…良かった」

「…え?」

「お前はお前のままで、安心した」

…!


有翔のこんな無邪気な笑顔、いつぶりだろう

凛翔や他のみんなといる時はいつも難しい顔をして、無口な有翔

それがどうだろう

変わらない妹を見て、こんなにも無邪気に笑う

それが何だか嬉しくて、彩七も自然と笑顔がこぼれた

「…変わらないお前に、一つ頼みがあってきたんだ」

しばらくして口を開いた有翔

「頼み…?」


「…彩七、この家を出るんだ」


それは、彩七の周囲の音を一瞬消してしまうほど衝撃的だった

「え…にいさ……家…え…?」

一瞬にして真っ青になる彩七

有翔は最後まで聞けと冷静になる

「俺は…俺たち兄妹は、“愛”を知らない

それ故に、みんなまともな育ち方をしてないんだ」

有翔は、気づいていた

…いや

もしかしたら、兄弟みんな気づいていたのかもしれない

「俺は…今の生き方が正しいのか正しくないのかなんて、分からない

だからお前には…俺たちが分からなかったものを、見つけてきてほしい」

今までになくしっかりと、強く言い切る有翔

「…家を出ればきっと、お前はたくさんの経験しなくても良かったと思う困難に出会うかもしれない」

「有翔兄…」

「だけど、それはきっといつか…彩七、お前の宝になる

俺たちが長年気づけなかったこの後悔を、これからのお前にはしてほしくないんだ」

「…っ、!」

有翔が彩七の肩をしっかりと掴み、続ける

「…愛を注げなかった俺たちを恨んでも構わない
金に目がくらんで、まともな教育もしてこなかった両親を俺は何度も恨んだ

だけど俺は俺なりに、これから俺の幸せを俺なりに探すつもりだ」

店を経営しながら、今の家族とそれを探す

それが、有翔の答えだった

「…必要資金は俺がいつでも援助してやる

だから、困ったことがあればいつでも俺を頼れ」

「にい、さ……」

涙でぼやけ、前が良く見えない

兄さんは、気づいてたんだね

私がずっと、悩んでたことを


有翔は彩七を優しく抱きしめ、口を開く

「…お前の気持ちが聞きたい
俺の押しつけなら、この話は無かったことにしてくれて構わない

だけど…

もし、お前も俺と同じ考えを持っているのなら、答えてほしい」

彩七からスッと離れると、有翔は胸ポケットから一枚の紙切れを差し出した

「…明日の午後零時、大広間の大時計が鳴った時…
家から一台の車が出る

乗るか乗らないかは、好きにしてくれ」

それだけ言うと、有翔は部屋を出た

「兄さん…っ、!」

言葉にならない感謝を胸に、彩七はひっそりと荷物をまとめ始めた