第十五話 真実はその口から

「やぁ。…待っていたよ」

零と彩七を待ち構えていたのは…

「…兄上、様」

車椅子に乗った、亜門だった

「お前が次期頭首の…」

零がその威圧に、眉をひそめた

「やぁ、君がずっと彩七を守っていてくれたんだってね

正直…感謝しているよ、有島零くん」

「…俺のこと、知ってるんだな」

「勿論!…財閥の情報力をなめないでもらいたいね」

いたずらっぽい様子で零に笑いかける亜門

「…それで、だ。

彩七が家に帰ってきたということは…目的は達成出来たってことかな?」

亜門がアーム部分に肘をついて彩七を見上げる

「…兄上。実はその事で、兄上にお話があって来ました」

「…話、とは?」

軽く首を傾げる亜門

「…兄上、私はこの家を……

この財閥を、変えたいと思います」

「……は?」

「…いつからか、兄上だけでなく…兄妹みんな、変わってしまいました

それが良い方向に向かっているのなら、私は何も言いません」

「…全員、悪い方向に向かっていると言いたいのか?」

亜門の目つきが鋭くなる

「…途中でみんな、何処かでおかしいと感じていたんです

でも、もうやり直せないって…何処かで諦めていたんです」

「……」

「私は、みんなを救いたいだけなんです

道を切り開いてくれた有翔兄さん、

有翔兄さん思いの優しい凛翔兄さん、

しっかり者の由里子姉さん、

口は悪いけど的確な判断の出来る明香沙姉さん…

勿論、全てにおいて完璧だった亜門兄さんも

みんなみんな、私が救いたいんです」

彩七の必死の嘆願は、これが精一杯だった

どんな言葉にして伝えたらいいのか

次家に帰った時、何て伝えるのがいいのか

いくつもの夜を超え、彩七はひたすらに悩んだ結果だった

しかし…

「…お前の思い違いでは無いのか」

亜門には、まだ届かなかった

「みんなを救いたい?

…笑わせる。
それぞれの道はそれぞれが生んだ結果

お前が間違っているだの正しくないだの
押しつけがましいにも程があるとは思わないか?彩七」

「それはー…!」

「…いいか?

俺たちは特別な存在なんだ
他とは違う、唯一無二の存在だ。

人の上に立つ人間は、自分や他人の情に流されてはいけない

これは、お前も幼い頃から教えこまれてきたはずだろう?」

「…そうかも、しれない

でも私は…それでも、みんなが間違っていると、何度でも言うわ!」

力強く言ったものの…

彩七の全身は、小刻みに震えていた

「…ならば何処が間違っているのか、詳しく聞かせてもらおうじゃないか」

「…昔からずっと、お父様もお母様もなかなか家に帰らなくて

たまに帰ってきては、兄上と一緒にお母様の前でバイオリンを弾いて。

お母様は、それをとても喜んでくれました」

「…記憶にはある」

「だけどいつからか…それすら無くなって

自分に才能が無いのかと悩んだ私は、寝る間も惜しんでバイオリンを引き続けました

…だけど、それでもお母様たちが帰ってくる頻度はどんどん減って

バイオリンの腕は上がるのに、次第に褒められることが無くなって」

目を伏せがちに、過去を思い出す彩七

「それから、いつからか…お金だけ渡されて、好きなものは好きなだけ買えばいいと、それだけでした

本当に欲しかったのは、それじゃなかったのに」

「…彩七の欲しかったものは?」

亜門がゆっくりと口を開く

「…当たり前にあったはずの、“愛”が欲しかったんです」

「…愛?」

亜門の言葉に、小さく頷く

「…私はただ、愛されたかっただけなんです

兄さんや姉さんたちがいつからか、私のことを本当に愛してくれていないと感じ始めた時…

私は、どうしてこの家に居るのか…存在意義さえ悩みました」

「…それで?」

「…お金に目がくらんだ姉さんたちを見てきた私は、それが何より辛かった

愛よりお金を取った姉さんたちを、何より恨みました」

「…それは、悪いことか?」

亜門が淡々と口を挟む

「お前、いい加減にしろ!」

「!」

「零さん…」

そこへさらに口を挟んだ零

「悪いことか、だと?

お前、それ本気で言ってんの?
だとしたらお前…人間じゃねえよ」

怒りに満ちたその目は、獣のようだった

「どんな家でも、当たり前に注がれるはずだった家族の愛情よりも金を取る?

この家、どんだけ歪んでんだよ!

…彩七が飛びだしたくなるのも、無理ないだろ」

最後の方は、とても悲しそうな声と表情だった

「…お前の血の繋がった妹だろ?
何で…何で兄妹みんな、愛してやれねんだよ!!」

激昴した零は、彩七のためだけでなく…

哀しいこの家族の形が、見えてしまっていた

「…愛する、か」

小さく息をつく亜門

「…彩七、お前は幼い頃に俺と交わした約束を覚えているか」

「…約束?」

「…両親二人が帰ってこなくなって、お前が泣きじゃくった日
お前があまりにも泣くから…明香沙まで、泣き出したあの日だ」

滅多に泣かない明香沙が泣いた日…

「あ…」

「…実はお前が産まれる前にも似たようなことがあってな

それがフラッシュバックしたんだろう
由里子が明香沙に寄り添って、
凛翔は自分も涙ぐみながら泣いている有翔の手を握っていた」

「…」

「あの日はきっと、二度と戻らないんだろうと…思っていた」

「兄上…?」

「…俺たちは、確かに間違っていたのかもしれない」

「兄上…!」

優しく微笑む亜門

「何度でもやり直せるというのなら、それに賭けてみようじゃないか

お前のいう愛が、どこまで通用するのか…」

亜門が彩七に左手を差し出す

「また一から、だな」

「…っ……」

涙ぐみながら、彩七が手を差し出す

しかし

「…!」

何かを感じた零が、彩七を後ろへと突き飛ばした

「いっ…?!」

「…おい、君は何をしている」

彩七の前に立つ零

目の前には、出した手をゆっくり降ろす亜門が怪訝な顔で見上げる

「…あんた、今何を考えていた?」

「何って…仲直りしようとしただけだが?」

「…じゃあその手のひら、見せてみろ」

零の心臓が、早くなる

彩七も何事かと身体を起こす

「…っ、!!」

彩七は、目を見開いた

「…全く、変に勘のいい子は嫌いだな」

亜門の手に握られていたもの

それは…

「…これ、毒だろ」

小さな無数の針が、固定されていた

「…悪いけど、無駄な争いは好きじゃないんだ

静かに一人ずつ、従順に教育し直してもいいんだけど…

生憎、面倒くさがりな性格でね
一気に従わせたいんだよ、俺は」

先ほどとは、明らかに声色の違う亜門

「それじゃあ、兄上……」

「仲直り?…嘘に決まってんだろ

第一、お前はうちの駒に過ぎない
帰ってきたなら、さっさと例の婚約者呼んでくるから式を挙げる準備をしろ」

「…っ、嫌です!!!!」

一瞬でも信じた私が馬鹿だった!

この兄をそう簡単にクリア出来るとは思っていなかったが…

まさかここまで演技してくるなんて!

悲しさを通り越して怒りを覚える彩七

「…お前の婚約者、俺の欲しい人脈なんだ
お前さえそっちに嫁いでくれたら…お前の要求を叶えんことも無い」

「ふっ…ざけんじゃねえぞ、てめえ!」

零がブチ切れた

「お前、ほんと腐ってんな?

お前の妹だろ?自分の欲しい人脈?
…はっ、お前にとっては家族も自分の道具なのかよ?!」

「…それがどうした。

うちの財閥を大きくしていくため、または維持するためには必要な事だろう?」

にやりと笑った亜門が、心底怖かった

「安心しろ

彩七、お前が嫁いだ後にいくらでも男なんてくれてやる
そこで好きなやつ見つけて、いくらでも後継ぎを産めばいい

まあ、うちの駒が増えるに越したことは無いからな」

亜門が笑いながらそう言った直後

零は車椅子ごと亜門を蹴り倒した

「零さ…!!?」

「…お前、うざい」

心底嫌なものを見るような目で亜門を見下ろす零

「…一応、病人なんだけどな」

痛む身体をゆっくりと起き上がらせる亜門

「病人なら病人らしく大人しくしとけっつーの

余計なことこれ以上口走ってみろ
…容赦しねーぞ」

「……」

零さん…

普段の亜門なら零の蹴りも、難なく避けられただろう

だが幸か不幸か

凛翔による傷が痛むせいで、思うように動けなかった

「…駒じゃねえ
紛れもなく、今を生きる人間だろーが」

零の言葉に、目に涙をいっぱいに溜める彩七

駒じゃなくて

今を生きる、人間


…こうやって誰かに必要とされる日を

彩七は幼い頃から、待ち望んでいた

「…今日は俺の負けのようだ
お前たちの好きなようにしろ」

目を閉じた亜門がそのま床に仰向けに寝転がる

「…お前の考えが変わらない限り、何も変わんねーぞ」

「…そうかもしれないな」

小さく笑う亜門は、そのまま目を閉じた

「…彩七、行くぞ」

「…」

彩七は一度、亜門を振り返り…

「…私、諦めませんから!
これから何度でも…兄上を説得して、変われるようにしますから!!」

そう言い残し、零の手に引かれて部屋を出た

「…素晴らしい絆だ」

しばらく自分には無かったものが

見れたような気がした亜門

「…人間、変わると言うのは簡単だ

実際に変わるのは、もっと難しいがな」

倒れた車椅子から投げ出された亜門は

青空がどこまでも続く空を見上げ、しばらくそのまま寝転んでいた