しかし、テレビ以上に激しく議論していたのは、インターネットの世界だった。電子掲示板には匿名で書き込まれ、どんどん炎上していた。

『娘が強姦されたからって、殺人はヤバイwww匿名』

『お腹の赤ちゃん、どうしたんだろwww匿名』

『本当に、妊娠してるかも不明www匿名』

『妊娠してたら、堕ろすに決まってるだろwww匿名』

『でも、強姦も相当罪重い。もしかしたら、殺人以上かもwww匿名』

『男子大学生、人生終わりwww匿名』

『それより女子大生の彼氏が、一番かわいそうwww匿名』

『その彼氏、俺www匿名』

『嘘つけwww匿名』

『風俗嬢の彼氏とか、それこそ人生終わりやwwww匿名』

僕は掲示板サイトを閲覧したとき、初めて今の日本の情報化社会に不安と恐怖を感じた。
「やっぱりあの事件は、有名なんだなぁ………」

僕は学習イスに座りながら、書いていた反省文の手を止めた。そして、iPadカバーを開けた。

iPadを開けると壁紙とダウンロードしているアプリが、ディスプレイに表示される。その中のヤフーのアプリをタッチし、僕は美希さんが働いている店の名前をキーボードで入力する。慣れた手つきで文字入力を済まし、僕は検索をタッチした。

「………」

液晶画面が変わり、美希さんが働いている風俗店の公式サイトが映る。それだけで顔が赤面し、僕の鼓動が速くなる。

そのまま公式サイトをタッチすると、美希さんが働いているホームページの画面が映った。ホームページの画面はぼかした女性の顔写真が一枚上に大きく掲載されており、その下に、日記や出勤情報が記載されている。それと、お店のランキング情報。お店のランキング一位は、佐藤利恵と書かれていた。それは、「美希さん………」と、僕は彼女の本名を口にした。

彼女の顔を思い出し。彼女の悲しげな笑顔を思い出して。

僕は、日記をタッチした。タッチすると新たに更新されている、佐藤利恵さんの日記が上がっていた。それは、佐伯美希さんが新しく更新した最新の日記だ。


「や、やったぁ」

自然と、僕の顔がほころぶ。

ーーーーーー最近ではネットを通じた、一般的なサービスが風俗でも主流となっている。名刺ではなく、風俗嬢に日記を書いてもらえるシステムになっている。しかも驚くことに、ネットから好きな風俗嬢に登録出来たりもするらしい。つまり、アイドルみたいに応援出来るのだ。

「すごい時代だなぁ………」

僕はそう言いながら、佐藤利恵と書かれた美希さんの日記にタッチした。

【二人だけの秘密の共有者さん。秘密の共有者さんの気持ちは、すごく分かります。いじめを我慢するのは、すごくしんどいですよねぇ。でも、会えてうれしかったぁ。ここだけの話。私は、秘密の共有者さんの味方ですよ。また、来てね】

ーーーーーードクン!

美希さんの日記は、僕の体と心を癒してくれる。彼女に優しくされればされるほど、美希さんへの想いが募る。

「………」

美希さんのことを考えながら他の風俗嬢の日記を閲覧していると、しばらく更新されていない日記が目に入った。

「坂口かな………」

僕は、その風俗嬢の日記をタッチした。ディスプレイに、彼女の日記が表示される。日記は4月9日から投稿されておらず、出勤予定も空白となっている。年齢は、22歳と書かれていた。

「4月9日……22歳………」

坂口かなさんの日記を見て、僕の背筋が冷たくなるのを感じた。僕の頭の中に、風俗嬢強姦事件のニュースが急に警告のように反響した。

「まさか………?」

僕のその声は、掠れていた。



『4月25日《金》午前8時43分』




ーーーーーー会議室ーーーーーー。

二週間の謹慎処分を終えた僕は、朝から担任の佐藤先生と教頭先生に会議室に呼ばれていた。

「反省文は、書いてきましたか?」

「はい」

教頭先生がそう質問してきたので、僕は二人の先生の前に書いてきた数枚の反省文を差し出した。

「………」

教頭先生が書いてきた僕の数枚の反省文を受け取り、それに目を通す。ペラペラと反省文をめくった後、「いいでしょ」と、教頭先生は言った。パイプ椅子から立ち上がり、会議室から出て行く。

「栗原君、次は同じことをしないように」

そう言って佐藤先生も、会議室から出た。
何だか久しぶりに感じる、自分の教室。

僕をいじめていた髪の毛を赤く染めた不良も教室にいたが、もうバカにしたりや殴ったりはして来なかった。それと同時に、赤髪の不良のケガも大したことがなくて安心した。

「ふぅ。あいつのケガがひどかったら、謹慎も長引いていたかも知れないからな」

美希さんと学校でも会える喜びを噛み締めながら、僕は胸をなでおろした。

「美希さん………」

自分の席に向かうと、美希さんの姿が見えた。

彼女は学校の女の子と比較しても綺麗で、風俗で働いているなんてとても思えない。

「美希さん、反省文書いて学校でも会え………」

「美希ちゃん、おはよう」

「美希、ノート見せて。授業中ずっと寝てたし、今までの分ずっとノート取ってなくて………」

僕が美希さんに喋りかけようと思ったそのとき、男性と女性の声が割って入った。

「…………」

視線を声のした方に向けると、見たことのない男性と女性の姿が見えた。

男性は僕の机に座りながら、宙で足をぶらぶらさせている。女性は、その横に立っている。

「裕ちゃん、またぁ。別にいいけど………」

美希さんに裕ちゃんと言われた人は、爽やかな男性だった。

背はあまり高くないが、美希さんとは対照的な小麦色の肌をしていた。運動をしているのか、制服の上からでも分かる、がっちりとした筋肉質な体型。ワックスで黒い髪の毛をおしゃれにセットし、整った顔立ちをしていた。


ーーーーーー誰?

僕は、疑念を抱いた。そして眉をひそめ、美希さんに裕ちゃんと言われた男性を見た。

「あ、ごめん。栗原さん。裕ちゃん、その席栗原さんの席だから………」

「あ、悪い」

僕とは違う、下の名前で美希さんに呼ばれている裕という男性と圧倒的な関係の差を感じた。

ーーーーーー美希さんとは、どういう関係?

僕は、不安そうにそう思った。

「あ、栗原さん。紹介するね。入学式休んでいた木村裕也君と、隣のクラスの工藤友梨ちゃん」

美希さんが可愛くえくぼを作って、二人の名前を教えてくれた。僕は、工藤友梨という女性の方に視線を向けた。

髪の毛をおしゃれに一つに結んでおり、パッチリ二重の目。目元に小さなホクロがあり、色気を感じる。

「君が、栗原さん………?」

工藤友梨という女性が僕の視線に気づいたのか、声をかけてきた。

「は、はい」

近くで見るとこの工藤友梨という女性も美しい方だが、美希さんの方が美しい。
「へぇ」

僕の返事を聞いて、工藤友梨が目を細めて笑った。

「悪い、栗原。お前の席、借りてたわ」

木村裕也は机から飛び降り、僕の肩にポンと手を乗せた。そして、自分の席に戻った。

木村裕也の席は、僕の前の席だった。入学式のとき空席だったあの席は、木村裕也の席だったらしい。

「裕ちゃん、ノート」

美希さんが自分のカバンからノートを取り出し、僕を通り過ぎて木村裕也の席にノートを届けた。

「ありがとう」

裕也が、美希さんのノートを笑顔で受け取る。

「あ〜あ、私もこのクラスがよかったなぁ。幼馴染なのに、私だけ違うクラスなんてなんだか二人に嫌われた気分だよ」

美希が裕也にノートを渡すのを見て、友梨がうらやましいそうな顔をした。

ーーーーーー幼馴染ーーーーーー。

美希さんと裕也と友梨の三人は、どうやら幼馴染らしい。

他愛のない友梨の発言が、僕の頭に岩石が落ちたような衝撃を与えた。

「それに同じ幼馴染の私よりも、美希は裕也との方が昔から仲がいいからね」

「友梨、そんなことないから。裕ちゃんとはただの友だちだし、友梨と一緒の関係だよ」

口では美希さんは恋愛感情を否定していたが、顔はリンゴのように真っ赤になっていた。しかも色白肌のせいもあってか、顔が赤いのが目立つ。

美希さんはちらちらとと、裕也の方に視線を向ける。裕也は一生懸命、美希さんのノートを写していた。

「ふーん、そうなんだ」

「そ、そうよ。そんなことより裕ちゃん、ノート写し終えたら返してよね。友梨も、いきなり変なこと言わないで」

美希さんは怒ったような口調だったが、表情は楽しそうに笑っているように感じた。

僕と話しているときよりも、ずっと楽しそうに感じる。仕事のストレスを、友達と発散しているのだろう。

「美希さん………」

僕の切ない声は、今の美希さんの耳には届かなかった。
午前中の授業を終え、今は昼休みの時間を迎えていた。しかし、授業中は息が詰まるほど苦しかった。

僕の後ろの席に座っている、美希さん。その美希さんのため息が何度も漏れ、「栗原さんと席、変わりたいなぁ」という声も聞こえていた。

「美希さん………」

僕は、美希さんと裕也の恋愛を阻害する、大きな壁のようで複雑だった。美希さんと席の近くになれたのは嬉しいことだが、僕の目の前に彼女の好きな人がいる。それが、複雑だった。

こんだけがんばっている美希さんには幸せになって欲しい気持ちと、この恋愛に失敗して僕に振り向いて欲しいという気持ち。この二つの気持ちが、ぶつかり合う。

「………」

午前中と同じように僕の机の周りで、三人は楽しそうに話していた。

美希さん。裕也。そして、隣のクラスの友梨。

僕は自分の席から離れ、右手にiPadを持って教室の隅に移動した。遠くから美希さんを見たら、やはり楽しそうに笑っている。

「………」

美希さんの僕に接する態度が冷たくなったのは、二人が現れたのと同時だった。しかも、裕也と喋っているときの美希さんの顔は、すごく楽しそう。

「………」

僕はiPadから、美希さんが勤務している風俗店を調べた。文字入力をし、検索をタッチする。液晶画面に店の公式サイトが写り、僕はそれをタッチした。ぼかした女性の写真が載せられており、その下の出勤情報をタッチした。美希さんの出勤情報を確認すると、今日も出勤することが分かった。




『4月28日《月》午前0時38分』




『学校ばっかり喋って、店には来てくれないんですね。栗原さん………』

「………」

『もしかして私より、友梨のことを好きになったんですか?私、普通の女の子じゃないから………』

「それは、違う」

崖の上。下は、雄大な青い海。一歩踏み外したら、海に落ちてしまいそうなギリギリのところに美希さんは立っていた。

『じゃ、なんで会いに来てくれないんですか?栗原さん、お金持ちなんでしょ。仕事しなくても、平気なんでしょ。やっぱり栗原さんも、普通の女の子が好きなんですねぇ』

「それは、関係ない。それより、そんな所に立っていたら危な………」

『さようなら、栗原さん』

僕の呼び止めを最後まで聞く前に、彼女は崖から落ちた。僕の視界から、大好きな美希さんの姿が消えた。

「美希さぁぁぁぁぁぁぁん!」

大声で叫びながら手を伸ばしたが、視界にはいつもの真っ白な天井しかなかった。

ーーーーーーどうやら、美希さんが自殺する夢だったらしい。