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「はい、今から席替えを始めます」
昼休みも終わって、担任の佐藤先生が教室に入って来た。午後からのホームルームの授業が始まり、予定していた席替えを今からするらしい。
「未来、今度こそ窓際の席になるように神様に祈っとけよ。窓際だからな、窓際。それ以外のことは、今は祈るじゃねぇぞ」
前の席にいる裕也が、真剣な表情を浮かべて僕にそんなことを言ってきた。
「わ、わかってるよ」
口ではそう言った僕だが、心の中では全然違うことを祈っていた。
ーーーーーー美希さんと近くの席になれますようにーーーーーー。
僕の願いは神様に届いたか分からないが、ツクツクボウシの鳴き声が非常にうるさく聞こえる。
「では、取りに来てください」
佐藤先生の合図と同時に、生徒たちが教卓に置かれた手作り感満載のボックスの中に順番ずつ手を入れる。ボックスの中身は、数字の書かれた紙が生徒の人数分入っている。
「………」
僕は、黒板の方に視線を向けた。黒板には基盤目状に直線を引いており、その四角の枠の中にクラスメイト人数分の数字が書かれている。
休んでいる美希さんの分を先に佐藤先生が引いたのか、数字の20のところにはもうすでに佐伯と名前が書かれていた。
ーーーーーー美希さんと近くの席になるためには、21を狙うしかない。
僕はそう思って、さらに祈りに力を込める。
「次、栗原さん」
「はい」
佐藤先生に名前を呼ばれ、僕は教卓に向かった。
「未来、数字の4を狙えよ。俺は、5の窓際の席が取れたしな」
裕也は嬉しそうに、僕に数字の5が書かれたなんの変哲もない白い紙を見せる。
「わ、わかってるよ」
口ではそう言った僕だが、本当は数字の21しか狙っていなかった。
僕は教卓の前まで行き、手作り感満載のボックスの中に手を入れた。ガサガサと紙が擦れる音がし、僕の心音が大きくなる。
僕はボックスの中から紙を一枚握り、そのまま右手を外に出した。僕の右手に、二つ折りにされた白い紙がしっかりと握られていた。
ーーーーーードクン!
僕の左胸の鼓動が、一回大きくなった。
「はい、次の人」
次の人と入れ替わり、僕は自分の席に戻った。
「未来、何番だった?」
僕が席に戻ると、裕也が興味深しげな顔をして聞いてきた。
「今、見るところ」
そう言って僕は、二つ折りにされた白い紙をめくった。ドキドキと、自分の心臓の鼓動が高鳴っているのを感じる。
「………4だ」
白い紙を開けたと同時に、僕の瞳に数字の4が飛び込んだ。
ーーーーーーまた、美希さんと離れた。
「やった。また俺たち、一緒だな」
「そうだね、ははは」
裕也が小さくガッツポーズをして喜んでいたが、僕は彼とは正反対の気持ちだった。
「美希さん………」
空いている教室の窓の外から聞こえるツクツクボウシの鳴き声が、僕をバカにしているように聞こえる。
*
『10月6日《金》午後6時38分』
ーーーーーー秋休みーーーーーー。
「………」
美希さんと二人だけの世界も、もう少しで終わろうとしていた。
「………」
僕の隣に座っている彼女は、秋を彩る真っ赤な鴨川の紅葉に見とれている。
辺りが暗くなりつつある秋の夕暮れ時の時間帯に、血のように赤い紅葉が人々の心を奪う。時間帯のせいもあってか、鴨川には手を握りしめているカップルが多い。
涼しい秋風に木々が揺れる音と、川の流れる音が僕の耳に大きく聞こえる。それと、自分の心臓の鼓動がいつも以上に大きく聞こえる。
「あの、僕。君のことが………」
ーーーーーー今から、4日前ーーーーーー。
*
『10月2日《月》午前9時10分』
うだるような暑さも終わって、涼しい秋のシーズンを迎えていた。学校は明日から短い秋休みに突入し、生徒たちはいつも以上に嬉しそうだった。
「………」
その気持ちは、僕も一緒だった。
窓から見える、真っ赤に染まった紅葉の木。今僕は、紅葉のように顔を真っ赤にしているのだろう。
「体調不良のため、長らくお休みしてました。佐伯です。今日から、またよろしくお願いします」
久しぶりに聞いた、透き通ったきれいな声。その声を耳にするだけで、僕の鼓動が速くなる。
ーーーーーー美希さん。
教壇に立っている美希さんの方に視線を向けると、それはまちがいなく佐伯美希さんだった。
ーーーーーードクン!
僕の心臓がドクンと跳ねた。
「ごめんね、未来さん」
その日の学校の帰り道、美希さんが僕に謝ってきた。
「えっ!」
僕は、不思議そうな顔をした。
「私、お店の松岡店長と、学校の担任の佐藤先生から色々話を聞いてたんだ。私のこと、ものすごく心配してくれてたんだって」
「あ、当たり前じゃないか」
美希さんが学校に来なくなった日から、僕はインタネットから美希さんが働いている風俗サイトを毎日欠かさずチェックしていた。そして松岡店長にも、美希さんが今度いつ出勤するか同じような質問を繰り返していた。
今思えば、僕の行為はストーカーだったかもしれないが。
「ありがとう、未来さん」
僕のした行動に美希さんが笑って喜んでくれているのなら、それは、ストーカー行為じゃなかったと言える。
空が朱に染まる。
夏と違って日が沈むのが早くなったせいか、秋の夕暮れが寂しく感じる。気温も下がり、少し冷たい風が吹き抜けた。
「明日からお休みですが、美希さんはまた仕事ですか?」
久しぶり過ぎて敬語で話す、僕。
本当はなんで休んでいたのか理由を聞きたかったが、もちろんそんなことは聞けるわけがなかった。
「ははは、なんですか?その変な喋り方」
久しぶりに耳にした、美希さんの馴れ馴れしい口調。
「………」
全てが久しぶり過ぎて、目頭が熱くなる。
「今週は、仕事を休みます」
「そうですか?」
それを聞いた瞬間、僕の気持ちが沈んだ。
ーーーーーーまた、美希さんと会えなくなる。
と、思っていたら、「未来さん、今週の金曜日私とデートしませんか?」
「えっ!」
まっすぐな瞳で僕の顔を見つめる、美希さん。思いもよらない美希さんの言葉に、僕の頭が真っ白になる。
「デ、デート………?」
脳内にグルグルと同じ言葉が回っている単語を、僕は口にした。
「そうですよー。それとも、私のような変な女は嫌いですか?」
「そ、そんな訳ない。僕は、君のことが………」
興奮して無意識に、僕は彼女の両肩に手を置いていた。
「はっ!ご、ごめん」
それに気づいた僕は、慌てて彼女から手を離した。
「全然、いいですよ。それより、未来さんは私に何を言いかけたんですか?」
目を針のように細くし、彼女はむっと僕の顔に近づけた。
久しぶりに見る彼女の澄んだ瞳が西に沈んでいく夕陽に反射し、燃えているように映る。
「え、それは……」
『君のことが好きだ!』なんて言えない臆病者の僕は、「な、なんで、急にデートなんか誘ってくれたんですか?」と、とっさに頭に浮かんだ言葉で嘘をついた。
ーーーーーー自分の想いを彼女にぶつけたい。
そんな臆病者の僕は、それを思うだけで心臓の鼓動が激しくなる。
「………お礼です」
「えっ!」
彼女がさらに僕の方に一歩近づいて、そんなことを言った。僕の心臓の鼓動が、さらに激しくなる。
「ど、どういうお礼?」
僕は、小さな声で彼女に訊いた。
「私を心配してくれたお礼です。それと、私の秘密を守ってくれている、お礼です」
にっこりと微笑んでそう答えた彼女に、僕の頬がかすかに赤くなった。
「美希さん………」
まっすぐな瞳で見つめる彼女の澄んだ瞳が、僕の心音を大きくする。