水嵩が増してきた。下腹部が水に浸かり、震えが背筋をかけ上がった。足を止め、水の温度に馴染むのを待った。
 今まで、冷たいと思わなかったのは、そんなに弘美のことが気がかりだったのか、と隆は胸の内で呟いた。そう、気がかりだ。生死がわからないから、気がもめるのだ。それだけか。弘美は俺にとって、いや、考えたってどうにもならない。弘美の生死は既に決まっているのだ。確かめるだけが俺の役目なのだ。
 地図で確かめてあった四つ角に来た。
 角を曲がると道幅が狭くなった。道端の商店のガラス戸に大きな丸太が突っ込んでいた。戸の桟が折れ、ガラスの破片が飛び散っていた。貯木所に繋いであった丸太が流れ出したのだ。暴風雨の中を避難所へ急ぐ住民をなぎ倒した丸太だ。商店街を過ぎると、斑になった家並みの向こうに、湖のような水面が広がっていた。水の下は畑らしかった。水面のあちこちに靴や木切れが漂っていた。
 目の前を中年の女の二人連れが歩いていた。追い越しかけて歩調を緩めた。高ぶった話し声が耳に入ってきた。
「停電して間もなく浸水し始めたの、子供の手を引いて家を出たら、胸まで浸かる波が来た」ともんぺい姿の女が言った。
「転んだけど、あの子の手は離さなかったんだぎゃ。あの子も、凄い力で握っとったのだぎゃ。だけんど、起き上がろらとしたら、前より大きな波が来たの。そんで、何もかんも、分からんようになって、しもうたんだぎゃ」
 連れの女が手を伸ばして肩を支えた。
 もんぺい姿の女は、すすりあげるように続けた。
「気がついたら、私、電信柱につかまっていたのだけど、あの子はは」」
隆は歩調を速め、追い越した。
 振り返り、子を亡くした母親を見たい思いを押し退けて先を急いだ。
弘美が乗り降りしていたであろう停留所に来た。水面の右手に二階建ての家が数戸あり、左手に社宅らしい二軒長屋が並んだ一画が見える。二階建ての方へ行こうとし、水の中にある筈の脇道を探した。
「何処へ行きゃす」
背後から年配の男が話かけてきた。
 隆は弘美の住所を言った。男は目で促して歩きだし、社宅が真っ直ぐに見えるところの水面を指さした。
 あれが弘美の家なのか。だったら、軒先まで浸水したはずだ。