これは、陸の孤島と呼ばれているある田舎町で起きた小さな恋のオハナシ。
三月某日。私は高校を卒業した。
「あたしのこと忘れちゃいやだよ」
「電話するからね」
「一人暮らし始めるから、いつでも泊まりに来て!」
三年間仲良くしてくれたお友達との別れを惜しみながらも、私の目はあなたを探し続けていた。
「ねぇ、敏(さとし)くん、すっごい女の子に囲まれてる!」
泊まりに来てと言った晴子ちゃんが、大きな声を上げて指を指した。
玄関先にいる私たちは、晴子ちゃんの指を指した方向であるグラウンドの奥に、大勢の女の子に囲まれた敏くんを見つけた。
「ひゃあ、凄いね〜。流石学年一のモテ男くん」
「みんなボタンを狙ってるのかな……でも、この女の子の数だと全裸になっちゃうんじゃない?」
「うげぇ、晴子変なこと言うなー!」
晴子ちゃんともう一人のお友達の繭ちゃんの会話がすり抜けてしまうほど、私は彼をまっすぐ見つめた。
敏くんは三年前、高校入学と同時に大阪からこの陸の孤島と揶揄される田舎町にやって来た。
都会育ち故に垢抜けた風貌をした敏くんは、瞬く間に校内の人気者のなったのだ。
ルックスがいいだけでなく、分け隔てなく話し掛ける気さくな所や、周りを明るくさせる笑顔が魅力なんだ。
私も……初めて会った時から敏くんに恋をしていた。
だけど、言葉を交わしたのは挨拶を除けば数えるほどしかなかった。
同じクラスだった二年の頃、落とした消しゴムを拾ってくれた時と、バレンタインデーで晴子ちゃんと繭ちゃんでクラス全員分のチョコを作って渡した時だけ。
「落としたで」
「あ、ありがとう」
「これ、よかったら食べて……」
「ええん? うまそーやなぁ!」
私は未だにその時の状況を気持ち悪いくらい鮮明に覚えている……。
「有理子!」
「ひゃっ」
突然、繭ちゃんに肩を叩かれて、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「有理子、何度も呼んだのに反応遅すぎ!」
「ごめんね? 繭ちゃん」
私がしゅんと眉を下げて謝ると、二人の友人は無言で目を合わせたまま肩をすくめた。
ちょっと呆れているよね。
「あたし、有理子が心配なんですけど」
「有理子が一人暮らしって、怖いよね」
この二人はいつもそうだ。
私は少し抜けているみたいで、それが不安らしい。
「有理子、あんた絶対、家族と将来の彼氏以外の男家に上げちゃだめだからね!」
晴子ちゃんは私の方を指指しながら、強く言い聞かせるように言った。
「下手に上げると、“襲ってもいいよ”って相手は解釈するからね」
繭ちゃんの言葉に私はびっくりして目を丸くした。
大学生になるからって、男の人と関わる機会は変わらずないと思うから大丈夫だけど。
心配してくれる人がいるのは幸せなことだけれど、心配しすぎだって。
私は心の中で抗議をするけど、面と向かって言える訳がなく、笑顔で分かったよと頷いた。
それからは学校から離れるのが名残り惜しくて、ずっと取り留めのない話を沢山した。
だけど、時間は無限じゃない。
後ろ髪引かれる思いで三年間過ごした学び舎を後にし、手を繋いで駅前まで向かった。
晴子ちゃんと繭ちゃんは高校の近所に住んでいるけど、ここから三つ隣の町出身の私は電車通学だった。
「またね」
「元気でね」
「体には気を付けてね」
卒業式で散々泣いたにも関わらず、私達は抱き合ってわんわん泣いた。
夕方に来る電車はたった一両しかないのに、車内は私を含める生徒数人と、高齢者の人が数人しかいない。
四人が座れるボックス席に一人座り、窓から見える景色を眺めていた。
電車は学校の最寄り駅から四個目の駅で停車し、車掌が「間もなく発車します」とアナウンスすると同時に。
「待って!」
男の子の声が聞こえた。
その声を聞いた瞬間、私の心臓は止まりかけた。
姿を確認しなくても、地元のものとは違うイントネーションですぐに分かった。
声の主は敏くんだった。
敏くんは息を切らしながら歩いていき、私が座っている所から前列右側のボックス席にどかっと腰を降ろした。
この駅から乗ってきたと言うことは、敏くんの友達の香月(かつき)くんのお家に行ってたのだろうか。
私はドキドキしながら、息が上がっている敏くんを見つめた
私は情けない。
折角、すぐ近くにいるのに声を掛けることが出来ない。
最後なんだから、好きの一言くらい言えばいい。
だけど、臆病な私はスマートフォンをいじる振りをしながら盗み見るだけ。
敏くんは雲の上の存在で、路傍の石の私が話し掛けるなんて烏滸がましい気がしてしまう。
だから、石ころらしく敏くんの姿を目に焼き付けて、高校時代の淡い初恋の思い出にしよう。
そう思っていたのに――――
突然、耳をつんざく電車のブレーキ音が耳に入った。
「きゃっ」
それと同時に電車は激しく揺れて、私は座席から落ちてしまった。
痛い……。
座席の肘掛に頭をぶつけてしまったらしい。
再び席に腰を降ろし、痛みを堪えていると、頭上から独特のイントネーションを含んだ声が聞こえた。
「自分、頭ぶつけたみたいやけど大丈夫か?」
さ、さ、敏くん!?
目の前に、膝を折って私を見つめる敏くんがいた。
自分って大阪では二人称でも使われるらしいから、私のことかな?
だけど、憧れの敏くんが話し掛けてくるとは夢にも思わず、私はこう返した。
「私のこと……?」
「当たり前やん。電車、俺ら以外誰も乗ってへんで」
ははっ、と白い歯を見せて笑う敏くんと、二人切りと言う事実に私は頬が熱くなるのを感じた。
「だ、大丈夫です……っ」
私はドキドキし過ぎでこれ以上敏くんを直視することが出来なくなってしまい、目線を床に落とした。
「それならよかった……女の子やから顔に痕が残ったらあかん」
敏くんは私の前髪を手に取り、額を晒した。
異性に免疫のない私は、瞬時に真っ赤になってしまう。
「あ、悪い」
敏くんは私の異変に気付くと、バツが悪そうに前髪から手を離した。
電車の急ブレーキの原因は、線路に野生の鹿が飛び出して来たことだった。
車掌さん曰く、ブレーキは間に合わず撥ねてしまい、電車はしばらく停車するそうだ。
普通なら有り得ない出来事だけど、ド田舎の路線ではたまに起きたりする。
いや、この周辺だけかな?
それがきっかけかは定かじゃないけど、何故か、敏くんは私がいるボックス席に向かい合うように座りだした。
「電車動くまで、なんか話さへん?」
「私でいいの……? 面白い話とか出来ない」
「おもろい話は求めてへんから大丈夫やって。進路とか、有理子さん自身のこと教えてや」
い、今私の名前!
「私のこと、覚えていたの?」
「当たり前やん。去年同じクラスやったし」
嬉しい……! けっして派手なの一員でもない私を覚えていてくれたなんて。
ほんの少しでも、敏くんの中に私がいることに思わず頬が緩んだ。
「うん、敏くんとお話したいです」
「なんで敬語やねん」
固くなっている私を見て、敏くんは小さな笑い声を零した。
私達は好きな食べ物や、誕生日、血液型などを質問し合いながらおしゃべりをした。
「有理子さん、大学どこ?」
「私は奈良の若葉(わかば)大だよ。敏くんは?」
本当は噂で知っているけれど、会話のキャッチボールをしていたくて敢えて聞き返してみた。
「嘘……俺と一緒やん!」
「えっ!?」
同じ大学なの!? 噂では大阪の咲島(さきじま)大学のはず。
敏くんならそこでも余裕で受かるのに、どうしてランク下げてまで変更したのかな。
「学部は?」
「文学部だよ」
「俺は経済学部やから、何個か被る講義があるかもな」
夢みたいだ……敏くんと同じ大学に通えるなんて。
私は嬉しさのあまりついつい口走ってしまった。
「大学生になっなら、私と仲良くしてくれませんか?」
「マジで!?」
敏くんは私の言葉に酷く驚いたかのように、切れ長の瞳を見張ったまま私を見つめていた。
まずい、調子に乗り過ぎたかも。
キモいって思ったかな……。
私は、敏くんが自分を気持ち悪いと感じていると思い込み、慌てて頭を深く下げて謝った。
「ごめんなさいっ。今まで話したことほとんどないのに、仲良くしてなんて、気持ち悪いよね」
敏くんの顔を見るのが怖くなって、頭を下げたまま上げようとしなかった。
そんな私に、敏くんは「頭上げえ」と話し掛けた。
「違うんや。びっくりしたのはほんまやけど、引いたん違う」
「え……」
「有理子さんに仲良くして言われて嬉しかってん……有理子さん俺のこと嫌ってる思てたから……」
私が敏くんを嫌ってる?
目を丸くさせて、首を傾げる。
「二年の時、挨拶しても俺の前だけぎこちなかったし、話し掛けても笑わへんから、嫌われとるって思った」
敏くんは私から視線を逸らしたままぽつりと呟いた。
知らなかった……敏くんがそんなことを思っていたなんて。私のことなんて、認識すらされていないものと思っていた。
もし、敏くんに嫌われたら立ち直れないけど、私が敏くんを嫌っているって誤解されるのも辛いよ。
「私……嫌いじゃないよ……」
気付けば散々腫れぼったくなった目から涙がじわりと浮かび上がって、ポロポロと頬を伝い落ちていた。
告白なんて無理だと思っていた。
だけど、今は敏くんに私の気持ちを知って欲しいの。
「私、敏くんの前になると緊張してしまうの……他の人の前だと笑えるのに、胸の鼓動が暴れて上手く笑えなかったの。私……挨拶してくれた時嬉しかったよ。消しゴム拾ってくれた時も、チョコを受け取ってくれた時も」
「そうやったんや……」
震えた涙声に加えて、吃り気味だけど、敏くんは私の言葉に耳を傾けてくれた。
「だから、嫌いじゃないよ。ううん、好き、だよ……?」
真っ直ぐ敏くんの目を見つめながら、ずっと胸に秘めてきた二文字を言葉にして伝えた。
ついに、敏くんに想いを打ち明けてしまった。
私は今人生で最も緊張している。大学の面接試験よりもずっと緊張している。
私の想いは迷惑じゃないのか不安で仕方ない。
固唾を呑んで、無言を貫く敏くんを見つめていると、敏くんの切れ長の瞳は私を映した。
「有理子さんの気持ち、よおわかったわ。すげー嬉しい――――でも、ごめんな」
やっぱりそんな気がした。
実は両想いでした、なんて少女漫画や恋愛小説のように起こるわけなんてない。
「いいの。私は、聞いてくれるだけで充分だよ」
「俺な、有理子さんのこと好いとるよ。でも、それは男女の意味やない」
うんうん、と相槌を打ちながら敏くんの話を聞く。
「こんな俺を好いてくれてありがとう」
敏くんは私の両手を優しく握り締めたまま、お礼を言ってくれた。
「私こそ、ありがとう……」
私はポロポロと涙を流したまま笑顔を浮かべた。
それから、電車は動き出し、二十分後に私の地元の最寄り駅に到着した。
「春から友達してよろしくな」
「こちらこそ」
敏くんに手を振りながら、電車から降りた。
発車してどんどん遠くなっていか電車をホームからじいっと見つめる。
胸に秘めた想いは伝えたけど、私の中で新たに一つの秘密が生まれた。
それは、敏くんへの想いを抱き続けていくこと。
「好きだよ……」
いつかあなたじゃない人を好きになれる日が来るまでは、好きでいることを許してください。
end.