そのオーラは、怖くて怖くて……。
すぐに頭を下げて謝る。
それはもう、最大限の謝罪の気持ちを込めて。
「反省しているみたいだな、須藤」
「……そ、それはもう!何でもしますので、お許しを……」
そこまで言って、私はハッとする。
これは、また地雷を踏んだな。
「ふーん、なんでもね?」
「は、はい……」
やっぱり。
そこに食いついた成宮先生。
「今回は許してやろう。その代わりに、放課後職員室まで来るように」
「はい……」
許しては貰えたものの、良からぬ特典が付いてきたよう。
その後の授業は、成宮先生からの威圧感もあり、目もバッチリ冴えてしまった私は、放課後にガクガクブルブルと震えながら、受けることになった。
「さようなら」
部活に向かう人や、バイトへ向かう人、友達と遊びに行く人、教室でガールズトークを始める人。
放課後になり、学校中が騒がしくなる。
「本当、茉莉はバカだね」
「ごめんなさい……」
「はぁ」と大きなため息をつきながら、呆れている悠陽ちゃん。
これは、数学の時間にやってしまった、私の失態について。
自分でもバカだと思う。
今日はただでさえ、朝のホームルームで目をつけられていたのに、授業でも居眠りをしてしまうなんて……。
そして、おまけに「何でもしますので」なんてことを成宮先生に言ってしまった私。
これから職員室へ行き、何を言われるのだろうか。
恐ろしくて震えが止まらない。
「じゃあ、私バイトだから」
今日悠陽ちゃんはアルバイトの日。
学校の最寄り駅前の喫茶店でアルバイトをしている。
放課後すぐにシフトが入っているらしく、あまりゆっくりしていられないのだ。
「茉莉、頑張るのよ?もしなんかあったら連絡して?」
「ありがとう、悠陽ちゃん」
冷たく突き放すこともある悠陽ちゃんだけど、私のことを気にかけてくれるとても優しい親友だ。
手を大きく振って、悠陽ちゃんを教室から見送った。
「さてと、行きますか……」
気が重い。
重たい足を引きずりながら、職員室へと向かう。
教室から職員室へはそんなに離れていない。
だからか、すぐに着いてしまった。
「ふぅー」
大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
逃げることもできない私は、意を決して職員室のドアを開けた。
「失礼します」
この学校には怖い先生はいないものの、やっぱり職員室はピリッとした空気が流れていて、あまり好きじゃない。
早く用事済ませて出よう。
そう心に決めて、成宮先生のところへと急いだ。
「おー、須藤。待ってたぞ」
「それで、あのー何をしたらいいでしょう」
何か雑用を頼まれるのは決まっている。
それならさっさと終わらせて帰りたい。
「自分から聞くなんて、やる気満々だなぁ。」
感心、感心!とご満悦な様子。
やる気は微塵もないんですけどね。
「よし、じゃあ今日は……」
あまり綺麗とは言えない成宮先生の机の上から、何やら資料を取り出して渡された。
「……じゃあよろしくな〜!」
手をヒラヒラとさせて、ニコリと笑う先生。
絶対私を使って面白がってるよね。
まぁ、懲りずに居眠りしている私が悪いんだけど。
「失礼しました」と一言残し、職員室を後にした。
頼まれたのは、成宮先生が担当している分のクラスの子に配る課題プリントをホチキスでまとめて欲しいとのこと。
先生が担当するクラスと言えば、この学年全クラスのため、ざっと200人分程だ。
数字を考えただけで、あまりの多さにクラっとする。
おまけにまとめるだけでなく、印刷も頼まれ、とんだ災難だ。
3枚のプリントを200枚ずつ印刷をかけ、重いプリント類を教室へと運ぶ。
「成宮先生、鬼だよ……本当」
教室についた頃には、残っている生徒は誰もいなかった。
一人寂しく雑用をこなすのも嫌だが、その姿を見られる方が恥ずかしいからと、ホッとする。
空いている机にずらりとプリントを並べて、3枚組にまとめていく。
誰もいない教室に、部活の暑苦しい掛け声と虚しいホチキスの音だけが鳴り響く。
何が良くて、私はこんなことをしてるんだろう……
今頃優雅におやつを食べながら、貯めているドラマを見る至福の時を送っていたかもしれないというのに。
日が傾き始め、騒がしい声が静まり始めた頃。
「はぁ〜終わった〜っ」
最後のひと束をホチキスでとめて、腕を天井に向けてぐっと伸ばし、凝り固まった身体をほぐす。
予定より早く終わらせることが出来た……と思う。
あまりの多さに夜までかかってしまうのかと、憂鬱になっていたけれど、今は夕方。
なんとなく得した気分だ。
よし、帰ろう。
そう意気込んだ途端、教室に響き渡る鈍い音。
「ったぁ……」
勢いよく立ち上がったあまり、机に足をぶつけてしまった。
痛い、痛すぎる……。
やっぱり今日は厄日かもしれない。
憂鬱になりながらも、重い資料を両手に抱えて、成宮先生が待つ職員室へと向かった。
「失礼します」
両手に抱えたプリントを持ちながらドアを開けるのは、至難の技だ。
何とか開けて職員室の中へ入り、成宮先生を探す。
「おー、須藤!終わったか〜」
何を呑気な……
成宮先生ときたら、優雅にコーヒーなんかいれて、くつろいでいる。
先生という仕事は、朝早くから夜遅くまで大変なんだろうということはわかるが、雑用を頼まれて1人で頑張っていたさっきまでの私を思い出すと、なんだかムカついてくる。
「全部終わらせましたよ」
「ありがとな、助かった」
私から重いプリントを受け取って、笑顔を向けながらお礼を言う先生。
先生が好かれる理由はこの笑顔にあるかもしれない……とそう思った。
「お前にしちゃあ、早いほうだな。今日は俺、帰れないかと思ってたよ」
この余計な一言がなければ。
ムカつく、ムカつく、ムカつくー!!
お前にしてはって、失礼すぎない?
怒りがふつふつとこみ上げてくるが、こうなったのも自業自得だと、その気持ちをぐっと抑える。
教室に置いていたカバンを肩にかけて、生徒玄関へと向かって歩く途中でのことだった。
この学校は特殊な形をしていて、校舎との間に小さな中庭がある。
綺麗に整えられた芝に、大きく立派にそびえ立つ木。
その気には、青々とした葉が1面に生い茂っている。
そんな中庭が、渡り廊下から見えるのだ。
「寄っていこうかな……」
今日はなんとなく、そんな気分。
モヤモヤとした気持ちが、そこに行けば晴れそうな気がした。
そうと決まれば、行動は早い。
玄関で靴を履き替えて、部活の声を他所に、中庭へと足を運んだ。
私の髪や肌を滑るように通り抜ける風が、とても心地よい。
高校に入学してから、丸1年と少し。
この中庭に来たのは初めてだった。
いつも廊下から見ていたけれど、こんなにいい所だったなんて……
もっと早く気づくべきだった。
……なんて、ちょっぴり後悔をする。
定期的にまた来よう、そう思いながら、風に揺れる葉と雲が泳ぐ空を見上げながら歩いていると、さっきまで気がつかなかった人の気配を感じた。
大きな木の下。
ちょうど木の葉のおかげで、日陰になり、葉っぱの隙間から木漏れ日が差し込むそこで、1人の男の子が寝転がっていた。
それも、腕を空に向かって伸ばし、大きな手で小さな四角い枠を作って、ただ空を見上げていた。
「なんて綺麗な人なんだろう……」
人を綺麗だと思ったのは、初めてのことだった。
テレビに映る俳優さんや、女優さん、モデルさんなど可愛い人、美人な人、かっこいい人はたくさんに見てきた。
でも、ここまで思わず見入ってしまうほど綺麗だと感じたのは初めてだ。