・キミ以外欲しくない

都心から少し離れた郊外でも、見渡せば背の高いビルが立ち並んでいる街。
この場所も都会なのだと、ビル群を見上げる度に思い知らされる。

地元を離れ、就職してから何年経ったのだろう。
すぐに思い出せないのは、違和感がない位この街に馴染んでしまったということなのかな。


忙しなく往来している車の多さや人混みに、何度地元に帰りたいと思ったことだろう。

そんな私が今日まで過ごしてこれたのは、この人のおかげ。


「ん?」


不意に顔を見上げた私に気付き、優しくて温かい眼差しを向け返してくれる。
その瞳に映っている自分の姿も、幸せそうな笑顔だから。


「ううん、なんでもない」


___いつまでも、隣にいたいと願わずにはいられなくなる。


「大抜擢だな。頑張れよ」

「はい?」


上司に呼ばれ、素っ頓狂な声で返事をした。
それもそのはずなのだ。
出社した途端、上司に名指しで指名された上に手招きされ。
デスク前に到着した私に、突然投げかけられた上司からの激励のお言葉だからだ。

四十代半ば、頭皮の薄くなった立派なオヤジ腹の上司は状況が飲み込めていない私を前に、何やらニコニコ満面の笑みを浮かべている。
そんな上司に、疑問を投げかけるのは当然だろう。


「あのぉ、私がなにか……?」

「忘れたのか? 建設予定のマンションの件、室内の間取りや設備関係諸々について社内から提案を出すよう上から指示があったことだよ」

「あぁ、はい。そういえば、ありましたね」


マンション建設の場合、通常なら専門チームを構成し該当メンバーが中心となり、計画が進んでいくのだが。

今回のマンションに限り、我が社では珍しく所属部門関係なしに社員全体から募った企画案だった。
それは、社長の思い付きから。などとも言われていたけれど。
いつもは誰かの補佐として働いていた私は「どうせ採用されるわけもないし」と気楽な気持ちで提案書作成し提出した。
しかし、提案書が一時選考を通過してしまい、たどたどしく初めてのプレゼンを終えた矢先の出来事だった。


「あれが採用されたんですか? 本気ですか?」

「今回の物件は『女性目線で』というのが一番のコンセプトだったしな。君の提案がベストだと判断されたんだろう」

「嘘でしょ?」


そう答えてしまうのも無理はないのだ。
あの提案書には、私の願望と妄想と理想が詰め込まれた、いわばシンデレラ空間だったから。

何処のどいつが、あんなものを採用しようと決めたのだろう。


不信がる私をよそに、上司は高笑いを続け「まぁ、一旗揚げて来い」などと背中を強く叩かれた。

よろめきながらも手渡された資料は、ずっしりと大量に両手に乗せられ。
一番上の用紙に記された関係者メンバーの一覧に、自分の名前が載っていることに気付き、やっと嬉しさがこみ上げた。


誰かの補佐でもなく、ちゃんとした一員として仕事に携われるんだ。
嬉しい。……けど、大丈夫かな。


「今日、顔合わせするらしいから。西本と一緒に会議室に行けよ」と付け加えるように口にした上司は、既に別の仕事にとりかかっているのか、パソコンの画面に目を向けたまま私に指示を出した。

西本雪乃(にしもとゆきの)二十九歳。
国領グループ設計・建設部門所属。
ごく普通の家庭に育ち、頭の出来も普通だった為、ごく普通の社会人に仕上がった。
良いことでも悪いことでも目立たず、代わり映えのない毎日を送っている。


「雪乃おめでとう」

「ありがと」


先程上司が口にした「西本」とは、私ではない。
デスクに戻った私の隣りに座っているこの子が、上司が言っていた「西本」。
正確には「この子も、西本」というべきかな。


西本佳乃(にしもとよしの)二十九歳。
私と同じ名字で、名前が一字違いの同期だ。

間違われることもしばしばなのは、入社当時からのことだから慣れている。

でも、佳乃は「仕事の出来る西本」で、私は「出来ない方の西本」なのだ。
この違いだけは、同じ部署内に居ても不思議と誰も間違えない。


話を戻すと、実は提案書が通ったのも「西本佳乃」の方であり。
単に上司が間違えて私を呼んだのだろうと思った位なのだ。


「今回は私が手掛けたかったなぁ。お茶出しや下働きしに行くだけじゃつまんないよ」

「ちょっと、それって私が何時もしていた仕事をバカにしてる?」

「そういう意味じゃないけどさ」
「やっぱり責任のある仕事がしたいじゃない?」なんて口にした佳乃は、内心自分の提案が選ばれると思っていたのかもしれない。

それが、よりによって私の提案なんかが選ばれてしまったから。
つい本音が出てしまったのだろうか。


「今回の仕事で成功することが出来たら、昇進も夢じゃないかもね」

「何言ってるのよ、佳乃ならそうかもしれないけど。私だよ? 今回はきっと誰かの気まぐれか何かで採用されたに決まってるよ」


ナイナイ。と顔の前でヒラヒラ手を動かし否定する。
そんな私の手を「ガシッ」と掴んだ佳乃は、力強く言った。


「ちょっとぉ、始まる前から弱気にならないで。女性社員が上を目指せるチャンスなんだからね」

「そんな責任重大みたいなこと言わないでよ」

「重大よ。雪乃でも昇進出来たら、他の女性社員達の励みにもなるんだしさ」


……ん?
今、なにげに引っ掛かること言わなかった?
私「でも」昇進出来たらって、どういう意味よ。


たまに毒づかれることも慣れているけど。
こういう時の返し方が、微妙に分からないんだよね。

ヘラヘラ笑えば、軽くみられるだろうし。
かと言って、腹を立てて見せれば「冗談も通じないヤツ」とか言われちゃいそうだし。


「とにかく、一時間後には顔合わせだからね」


さっきの言葉はスルーして佳乃に告げ、パソコンの電源を入れた。

顔合わせの時間五分前。
二十四階に位置している第一会議室の扉を前に、さっきから棒立ちしている。
隣りには、一緒に職場を出てきた佳乃もいるというのに、緊張感からなかなかドアが開けられないでいた。
そんな私に痺れを切らせたのは、やはり佳乃で。


「ねぇ、いつまでこうしているつもり? 早く入らないと始まっちゃうわよ?」と急かされてしまったけれど。
初めて任された仕事に、今頃になって慌てているのだ。仕方ないじゃない。


「分かってるよ、入る。今、入るから」


そう言いつつも、ドアノブに手がかけられない。
やはり凡人だなぁ、と我ながら思う。


「何時までも出口を塞ぐな、邪魔だ。どけ」


躊躇していた私の背後から、とてつもなく恐ろしい声が向けられ。
出しかけていた手を、思わず引っ込めてしまう。


「あ、副社長」

「え?」


佳乃の声に反応し、振り返ると。グレーのスーツと紺色のネクタイが目に飛び込んだ。
見上げると、怪訝な表情で副社長が私を見降ろしていた。


「失礼しました」と佳乃と二人で左右に別れ、ドアへの道を作る。
そんな私に向かい、副社長が冷たく言った。


「中にいる人間に用があるなら、早く呼べ。会議が始まれば関係者以外立ち入り禁止だ」

この偉そうな副社長は、国領真司郎(こくりょうしんじろう)。
国領グループ社長の一人息子である。
そう、世に言う御曹司ってやつだ。

父上である現社長もお歳を召してきたため、最近ではこの副社長がそろそろ社長に就任するのではと噂されている。

人望も厚く、私のような平社員を偶然見かければ、優しく声をかけてくれる家庭的な印象の社長。
そんな社長とは対照的に、壁を作り人を見下すような視線を向け、顎で人を使っている様な副社長は、どうも苦手なタイプだ。

できれば、あまり関わりたくない人物であり、接点を持ちたくない相手。
などと偉そうに言える程、平社員である私と副社長の間に関係性があるはずもなく。
副社長室と私の職場は階も違うし、仕事柄顔を合わせる人間も違うのは当然であり。

勤務中の社内で顔を合わすことなど、皆無なわけで。
よって普段から警戒する必要も無い相手なのだ。

そんな人が、目の前に居ることが夢を見ているような現状に気が緩み。
副社長に対し、夢と現実の区別がついていないような口答えをしてしまった。


「失礼ですね。違います、私は関係者です」

「なら、何故入らない?」


少しイラッとしたように、睨まれているのは気のせいじゃない。
今の私は、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまったからだ。