第九話 予想外の結果

「詩音、忘れ物は無いかい?」

空港で飛行機を待つ詩音とライアン

「えぇ。…二ヶ月以上も滞在していたホテルを去るって、何だか寂しいわ」

瑠璃を探す間、ずっとお世話になっていたホテルを今朝チェックアウトした詩音

そこで仲良くなった同世代の従業員は泣きながら見送ってくれた

「…人と人との出会いは一期一会って言うし、きっとまたどこかで会えるわ」

別れは惜しむものじゃなくて、また出会うためのきっかけ

詩音はそう自分に言い聞かせ、小さく笑った

「そろそろ飛行機が到着するはずだ。

…行こう」

ライアンが腕をスッと出す

「…よろしくね、ライアン」

出された腕に自分の腕を絡ませて、二人は飛行機へと向かった


「…そういえばライアン、あなたカリフォルニア出身って言ってたけど…」

飛行機が出発して暫くした頃、詩音が口を開く

「あぁ、高校生まで住んでいたんだ

都会の一人暮らしに憧れてね、卒業と同時に出てきたんだ」

懐かしむように昔を語り始めるライアン

「僕は結構田舎の出身でね、若い頃は都会暮らしに憧れたんだ」

「若い頃って!今でも十分、まだまだ若いわよ」

おかしいこと言うのね、と詩音が笑う

「…もうすっかり年をとったよ

いろいろな経験をしてきたしね」

詩音に負けず、茶目っ気たっぷりにウインクするライアン

「…如何わしい言い方に聞こえるのは私だけかしら」

テイクアウトのコーヒーに口をつけ、ライアンから視線を逸らす

「心外だな!僕はどう見ても紳士だろう?!」

珍しくライアンが好戦的だ

ならばと詩音もそれに乗る

「え〜?意外とムッツリだったりするんじゃないの〜?」

横目でにやにやしながらライアンを見る詩音

当のライアンは少し顔を赤らめ、ゴホンと咳を一つして切り替える

「…あまり、大人をからかうものじゃないよ」

それも何だかおかしくて笑ってしまう

「…さぁ、そろそろ着く頃だろう

気を引き締めていかなきゃね」

それから数分後、私達は目的のカリフォルニアへと到着した


「ええと…住所は多分この辺りで合ってると思うんだけど…」

大きなキャリーバッグを引きながらマシューから貰った紙切れとにらめっこする

「…詩音、ここだ」

ライアンが目の前のビルを指差す

「うわぁ…何ここ…」

目の前のビルは見た感じ、高さ二十階ほどありそうな大きなビルで

圧倒されながらも、詩音はライアンとビルへと入った


「いらっしゃいませ。
ご利用は何階でしょうか?」

大きなエントランスの奥で受付を済ませる

「十八階になります。こちらからどうぞ」

受付の人に案内され、指定の階へとエレベーターで向かう



いよいよだわ…

何故か緊張して、小さく震える詩音の手

それを隠すかのように、もう片方の手で包み込む

「…肩の力、抜いていいと思うよ」

「へ?」

隣で全て見ていたライアンが微笑む

「幼馴染みだろう?
初対面じゃないんだから、大丈夫」

「…幼馴染みだからこそ、緊張するのよ」

少し拗ねたように言う詩音


まもなくして、十八階に着いた

「「……」」

エレベーターから降りた詩音は状況が掴めず、口をぽかーんと開けている

「…ええと…取り敢えず、中に入って話を聞こうか」

ライアンが明らかに引きつった顔で詩音を促す

「そ、そうね…」

二人の目の前に現れたのは

夜の世界に相応しい、色とりどりのライトがきらめく異色のバーだった


「あら…いらっしゃい

…珍しい顔ね、観光客?」

ガラス戸を開けて出迎えてくれたのはバーのママらしき女性

かなり濃いめのメイクに大胆なワインレッドのドレスに身を包んだ彼女はライアンと詩音を奥のカウンターへと案内した

「うちは知る人ぞ知る…って感じのお店だから、あなた達みたいな新人は珍しくてね」

彼女はくすくすと笑いながら、二人をちらちら気にするほかの従業員を見る

「あの…実は私、この人を探してここに来たんです」

詩音が自分のスマホで瑠璃の写真を彼女に見せる

「…あぁ!あなた、あの掲示板の子だったの!

えぇ、あの掲示板であなたにメールを送ったのは私。バーボン。よろしくね」

長い黒髪をかきあげ、詩音に握手を求める

「…失礼なんですけど、もしかしてバーボンさんって……」

詩音が握手に答え、おずおずと尋ねると

「えぇ、男ね」

バーボンはいわゆる、ニューハーフというやつだった

「ここはそういう類の駆け込み寺っていうの?
…まあ、そんな所ね」

周りの従業員たちもみんなそう

バーボンはそう言って優しく笑い、二人を見つめる

「…それで、あなたはどうして彼を探しているんだったかしら?」

酒棚から何種類か選びながらバーボンが尋ねる

「…数年前から行方不明になってたらしくて。

だけど、私は何も知らなくて…弟から聞かされて、それを初めて知って
居ても経ってもいられなくなって、瑠璃を探しに来たんです」

詩音は、ことの経緯を全て話した

バーボンは黙って詩音とライアンの前に赤いリキュールを置き、詩音を見つめた

「…それは、彼がどんな目的でここへ来たのかを確かめずにって事よね?」

「…身勝手なのは、十分わかっています。

だけど、何年も連絡よこさずに何をしているのか、日本でみんな心配してるんです!…私も含めて」

最後の方は声が小さくなり、詩音は下を向いた

「…まあ、会ってみれば分かるでしょう

そろそろ帰ってくると思うわ」

「…バーボンさんの言う瑠璃に似た人って…今は何をしているんですか?」

「さあね。…私はあまり人のテリトリーに入らない主義でね

みんなそれぞれ、踏み込まれたくない場所ってあるでしょう?」

それが何だか詩音に言われているようで、詩音は顔をあげられなかった

「…」

詩音が見ていられなかったライアンが口を開こうとしたー…

その時だった


ーカランカラン、

「…あら、おかえりなさい」

バーボンが開いたドアの方へと声をかける

詩音とライアンはゆっくりとそちらに視線を移し、ドアの方を見た


「……っ、…!!」


詩音は、声が出なかった

驚いて口元を手で覆う詩音

背中越しのライアンには見えていなかった

ライアンはただの客だとバーボンに向き直る

…しかし、隣の詩音の様子が明らかにおかしいことにライアンは気づく

「…詩音?」

店に入ってきた人はそれが見えておらず、ライアンの二つ隣にドカッと座る

「ママ、また新しい人拾ってきたの?
…僕いつもので」

目深に被った灰色のフードをパサッと取る

「…っ、……」

大粒の涙を流す詩音

しかし彼にはそんな光景、映ってもいなかった

肩くらいの黒髪には青いメッシュがいくつも入っていて

カラコンだろう、綺麗な水色の瞳が長い前髪から覗いた

「…なに?」

自分を見つめるライアンに不機嫌そうに問う

「…あぁ、いや。すまない」

咄嗟に目を逸らすライアン

ライアンに問うた彼に、詩音は隠れて見えなかった

「…君、名前は?」

大きめの灰色のパーカーを脱ぎながら彼が言う

「…ライアンだ。こっちが…詩音」

ライアンが身体を反ると、下を向いてハンカチで顔を覆う、詩音が彼の視界に入る

「……詩音?」

名前を聞いた途端、彼の眉が歪む

「……ちょっとごめん」

立ち上がった彼は下を向いていた詩音の顎を捉え、上を向かせる

「…っ、!!!!!」

「おま……っ!!!」

驚いた彼は詩音から手を離し、後ずさり

「なん…で……」

信じられないというように、声を震わせる

「……瑠璃…?」

詩音が涙でぐちゃぐちゃになりながら、彼に言う

「……」

「お願い…答えて…!」

彼に縋るように歩み寄る詩音

…すると彼はふう、とため息をつき

「…人違いだろ」

そう言って、先程のパーカーをまた目深に被り店を出た

「…帰る」

バタン!!と勢いよく閉まるドアにビクッとする詩音

「…詩音……」

ライアンが詩音の肩を抱く

「…バーボンさん…あの人が…あなたが言っていた人……?」

「…えぇ」

「…違う、あんなの、瑠璃じゃない…!」

信じたくなかった

いつも私の後ろをついてくるような瑠璃が

いつも笑顔で私を迎えてくれた優しい瑠璃が

ヘタレで泣き虫で、私がいないとだめだめな瑠璃が…

「…っく…ひっく……」

私のことを、瑠璃はあんな風に見たりしない

先程の彼の目に私が映った途端、

嫌なものを見るような目で、明らかに私を拒絶していた

冷たくて、何も映してくれないようなあの瞳が…

詩音は、怖かった


「…詩音、入るよ」

その夜、ホテルに入った詩音の部屋にライアンが来る

「…彼はきっと、驚いただけだ
明日もう一度、話をしよう」

ベッドの上で膝を抱えてうずくまる詩音を見て、隣に腰掛けるライアン

「…」

「彼が、詩音が探していた人かい?」

「……ちがう」

静かに答える詩音

「…あんなの、瑠璃じゃない……」

ひどく、寒気がした

瑠璃にあんな目をされたことなんて一度だってない

それどころか、初めてなら尚更だ

「…あんな冷たい人、もう二度と会いたくない」

「詩音…」

こんなはずじゃなかった

最初に会えた時、何て言おう?

あの笑顔の瑠璃に会えることが前提で、楽しみで…


だけど

詩音の想いは、一瞬で打ち砕かれた