あの日からあなたは僕の天使でした。上


第一話 可愛い私の幼馴染み

ピピピピ…ピピ…ピピピ…

「ん〜…うるさいなぁもう…」

真っ暗で静かな部屋で、一際大きな音を鳴らす目覚まし時計

「…あれ〜?どこで鳴ってるの…」

手探りで頭元に手をやるが一向に手に触れない

「あ〜もう…何処で鳴ってんのよ!」

がばっ!と勢いよく起きると

「…あれ?私のじゃない」

少し奥にあった自分の目覚まし時計を持って確かめるが、彼女の時計は鳴っていなかった

「…さては“あいつ”だな」

よいしょ、と身体を起こして部屋を出る

「お母さーん!まーた瑠璃の目覚まし鳴ってるんだけど!!」

少し怒った口調でキッチンにいる母の元へと向かう

「もう、いつもの事じゃないの
何なら今日もあんたが起こしに行ってあげなさいよ」

「おばさん、今日いない日?」

「そういえば昨日から夜勤って言ってたわねぇ…
遅刻したら困るし、あんた行ってきなさい」

母親の多恵(たえ)から合鍵を渡され、渋々向かうことにした

部屋着のまま家を出て、同じマンションに住む隣の部屋の鍵を開ける

「もう…るーりー?起きてるー?」

玄関から声をかけるが返事がない

「全く…何でいつもいつも私が起こしに来なきゃならないのよっ」

どすどすと足音を立てながら彼の部屋へと向かう

「瑠璃!目覚まし時計うるさい!早く起きて!」

ドアを開けると、目覚まし時計はまだ鳴っていた

カチ、と目覚まし時計を止めるも部屋の主はまだ起きる気配が無い

「〜…っ、いつまで寝てんのよ!寝坊助瑠璃!!」

ばさぁっ!と彼の布団を剥ぎ、大声で呼びかける

「…っ、くあぁ〜……

…ん?詩音ちゃん…?」

「…やっと起きたか。お・は・よ・う」

顔を引きつらせながら彼を見下ろす


私は詩音(しおん)、中学三年生。
見ての通り、少しいらっちな性格してる
だけどそれもこれも全部、この気の抜けたような頼りない幼馴染みのせい!

そしてこの幼馴染みは瑠璃(るり)、同じく中学三年生。
いつもぼーっとしていて、何考えてるのか全然分かんない
そしてぼーっとしてるもんだからしょっちゅうドジをやらかす

危なっかしくて、放っておけないんだ

「もう、瑠璃ってば!早く起きないと遅刻しちゃうわよ」

「まだ大丈夫だよ〜…いま何時〜?」

「…7時20分」

時間を聞いた瑠璃は驚いて飛び起きる

「詩音ちゃんどうしよう!遅刻しちゃう!」

「だから早く起きろって言ってんの!」

ぽかっ、と瑠璃をはたく

「いった〜い…詩音ちゃん、暴力反対〜…」

涙目ではたかれた部分を抑えつつ、準備を始める

「準備が出来たらまた来るから、それまでにちゃんと準備しておくのよ?」

はあいと大あくびしながら言われるもんだから頭にきてもう一発くらわせる

「ちゃんとしてよね!」

バン!と後ろ手に扉を閉めて隣の自宅へと戻る

「瑠璃くんちゃんと起きた?」

けらけらと笑いながら多恵がキッチンから顔を出す

「布団跳ね除けて起こしてやったわ!

もう、瑠璃ってばなんであんなに頼りないのかしら!」

ぷんぷんと怒りながらも自分の支度を始める

「…ねーちゃんの声の方がうるさかった」

ダイニングで朝ごはんを食べていた弟の聖(さとし)がぼそっと呟く

「はあぁ?!聖のくせに生意気!」

掴みかかろうとした所で多恵がすかさず間に入る

「聖に罪は無いでしょ?
あんたももう中学三年生なんだから、お姉ちゃんらしくなさい」

「…ふん」

聖の方をジロっと睨みつけ、テーブルにつく

「そういえば瑠璃のおばさん、最近すごく忙しそうだね」

瑠璃の母親は看護師なのだが救急でヘリコプターに乗る、いわゆる“フライトナース”だ

「そりゃあフライトナースですもの
憧れるわよねぇ、かっこいいわ」

うっとりとした顔で言う多恵

「ならお母さんも看護師さんになれば良かったのに」

目玉焼きを頬張りながら詩音が言う

「あのね、詩音。
看護師さんって大変なのよ?
ちょっとやそっとじゃ、なれないの」

お母さん、勉強嫌いだし

そう言ってまたキッチンへと戻る

「…ねーちゃんは、進路どうすんの」

目の前で食べ終わったお皿を片付けながら聖が問う

「んー…そうねぇ、私も医療関係に就きたいって思ってるんだけど…」

中学三年生の秋

一番大事なこの時期に、詩音はまだ進路が決まっていなかった

「…俺も、医療関係に行きたいな」

「お、聖も?

うーん…聖には何が合うかなぁ」

そんな話をしていると、気づけば時計の針は8時前を指していた

「うっそ、やば!」

慌てて身支度を整えて玄関に向かう

「お母さん!行ってきまーす!」

「行ってらっしゃい!気をつけてね」

洗面所で化粧をしていた多恵が顔を覗かせる

「やっば〜!瑠璃はもう準備出来てるんでしょうね…?!」

ガチャ、とドアを開けると…

「ちょっと、瑠璃!!!」

玄関先で、途中まで靴を履いた瑠璃が座ったまま寝ていた

「起きなさいってば!!遅刻するじゃない!!」

パシッ!と頬を叩くとはっと瑠璃が目を覚ます

「あれ、詩音ちゃん…?おはよう…?」

「おはようじゃないわよ!遅刻するから…ほら、立って立って!」

詩音が瑠璃の手を引き、身体を持ち上げる

「ほら、走るわよ!」

「ま、待ってよ詩音ちゃん〜!」

4階のフロアから一気に階段を駆け下り、少し先にある学校まで一気にダッシュする

「ちょっと瑠璃!遅い!早くしないと門閉まっちゃう!」

駆け足で後ろを振り返ると遥か後方に息を切らした瑠璃が

「ま、待ってよ詩音ちゃん…
僕もう走れない…」

「何言ってんのよ!

…もう!荷物持ってあげるから、ほら」

瑠璃から鞄をとり、その手を取る

「私がリードするから、走るよ!」

「し、詩音ちゃん〜!」

陸上のキャプテンをしている詩音はとにかく足が速い

荷物を持っていようが、そのペースはなかなか落ちない

一方の瑠璃は天文学部の部長

普段あまり身体を動かさない分、運動は苦手分野だった

「…っ、詩音ちゃん、重くない?」

息を切らして走りながら瑠璃が言う

「重たいわよ!でもこうでもしないと遅れるでしょ!」

「…詩音ちゃん……」

ありがとう

何故かどうしても、いつもこの言葉が口に出せない

言えばきっと、彼女は笑ってくれるのに…

自分の情けなさをぐっと堪え、詩音に置いていかれないように引かれる手に合わせて走る

「…詩音ちゃん……」

「んー?なに?」

詩音の息も切れ始めている

「…何でもない」

「?」

「…行こっ!」

詩音に笑顔を向け、詩音も特に気にする様子もなく走り続けた


キーンコーンカーンコーン…

「が、学校が近くて助かった…!」

ぜーはー言いながら教室に入ってきた詩音

「あ、詩音!おっはよ〜!」

「まーた息切らしてるし…寝坊?」

「違うわよ、瑠璃の寝坊!」

いつも一緒にいる女子二人がお疲れ様と詩音を迎える

最初に声をかけてきたのが紗季(さき)
おしゃれが大好きで流行には特に敏感

もう一人が絢音(あやね)
学年トップクラスの成績で教師達にも一目置かれている秀才

この二人とは中学に入ってからの付き合いだけど、とても仲良しで。

「相変わらず母親してんね〜楽しそう」

「紗季のばかっ!楽しくなんて無いわよっ」

「まあまあ」

絢音が笑いながら詩音を制する

少し離れたところで、別の声が聞こえる

「おう、瑠璃!今日も寝坊か〜?」

「目覚まし時計が全然聞こえなくて…」

たはは…と頭にてをやる瑠璃

「私の部屋まで聞こえてた目覚ましが聞こえないなんて…どんだけ眠り込んでたのよ」

ふん!と顔を逸らしてグラウンドに目をやる詩音

「あ、詩音見てみて!滝沢くん!」

「ほんっと、人気者だよねぇ…」

紗季と絢音の目線の先には、グラウンドでサッカーボールを必死に追いかける、滝沢くんの姿があった

「詩音はああいうのタイプじゃないの?

滝沢くん、いつも取り巻きがいて側に近寄れないんだよねぇ」

はあぁ…と紗季が悲しそうにため息をつく

「詩音は瑠璃くんでしょ。
まあ、弟みたいなもんだろうけどさ」

「はぁ?!あたしが?!?!!

…っ、な、なわけないじゃん!絢音の言う通り、弟みたいなもんだし!」

二人に背中を向け、腕を組む詩音

私が瑠璃のことを?

…そんな事、あるわけないじゃない!

こんな頼りない瑠璃よりも、もっと頼りがいのある男が私は好きなの!

そう自分に言い聞かせ、席につく

少し離れたところから、瑠璃が悲しそうな瞳をしている事に気付かずに…

第二話 気持ちの拠り所

「詩音ちゃんっ!」

たたた…と廊下の向こうから瑠璃が駆けてくる

「瑠璃?」

「どうしよう詩音ちゃん!

僕、さっきの移動教室で何処かに落し物しちゃって…」

泣きそうな顔で訴える瑠璃

「…もう、分かったわよ。
今日は部活も無いし、放課後一緒に探してあげる」

ふう、とため息をついて了承する

「ほんと?!詩音ちゃんありがとう!」

嬉しそうに、無邪気に瑠璃は笑った

「…たまたま、部活が無かっただけ感謝しなさいよね」

「うん!」

夏の大会で部活を引退していた詩音

しかしその後も後輩の育成のために時々コーチとして部活に出ていた

「…ほんと、手のかかる幼馴染み」

ぼそっと呟き、踵を返す

「詩音ちゃん…」

残された瑠璃の声だけが廊下に虚しく響いた


そのままトイレに向かった瑠璃

ポケットから、一枚の紙を取り出す

「進路…どうしよう」

瑠璃もまた、進路に悩んでいた


特にやりたい事がある訳でもなく、
これといった特技も無い

幼い頃から詩音の後ろをついて行くばかりで…
自分の事でさえ、詩音の方が詳しいと思うほどだった

「詩音ちゃんは…医療関係に進みたいって言ってたけど…」

詩音らしいと小さく笑う

気の強い所も、
何だかんだ世話焼きな所も…

「頼もしいなぁ、詩音ちゃんは」

比べて自分はどうだろう?

すぐにものを無くすし、
勉強は出来るけど運動音痴で。

おまけに優柔不断だから選択を迫られた時、いつも詩音が横から選んでくれる

「…一番無くしちゃいけない物ですらなくすなんて…本当にどうしようもないな、僕」

両手で目元を覆い、視界を閉じた


ー…放課後


「…それで?
瑠璃は一体何を無くしたのよ」

「キ、キーホルダーなんだけど…
このくらいのやつ」

手で大きさを表す瑠璃にまたため息

「キーホルダーくらい、また買えばいいじゃない
わざわざ放課後に残って探さなくても…」

「それじゃだめなんだ!!」

「!」

珍しく、瑠璃が叫んだ

「…っあ、ご、ごめん…」

「…そんなに、大事なもの?」

「…うん」

くるっと瑠璃に背を向ける詩音

「…さっさと見つけて、帰ろう」

そのまま歩き出した詩音は目を凝らして手前の廊下付近から探し始めた

「詩音ちゃん…」

何だかんだ言いつつ、詩音は本当に面倒見が良い

面倒くさいだのだるいだの

言葉では何と言おうと最終的には手を差し伸べてくれる

「…甘えすぎてる、かな」

今更ながらにそれを感じ、苦笑いする

詩音同様に、瑠璃も探し始めた


あれから探すこと約三時間…

「全然見つかんないんだけど…」

「…」

詩音の額には汗が浮かんでいた

「んー…もう暗くなるし、明日また探さない?
お母さんたちも心配するだろうし…」

「…っ、!

…そう、だね……」

諦めきれないといった表情をしたものの、外は既に薄暗くなっていた

「ほら、荷物まとめて帰るわよ」

詩音が肩から鞄を下げて前を歩く

「…」

「…瑠璃?」

「…詩音ちゃん、」

「?どうしたの」

口を開き、何かを言いかける

「…っ、……」

しかし再び口を閉じ、首を横に振る瑠璃

「えと…詩音ちゃんは進路、どうするのかなって」

言いたいことはこれじゃない

詩音も気付いているのだろうが深入りはしなかった

「んー…医療関係に行きたいなーっていうのは今朝も聖と話をしたんだけど…
まだ何になりたい!っていうのが決まらなくて」

瑠璃は?と尋ねられるも、全く思い浮かばない

「…まだ全然、決まってなくて」

「もうっ!瑠璃のやりたい事で良いんだよ?

瑠璃は“男の子”なんだから、これからはちゃんと自分の力で決断していかなきゃ」

それに、と詩音が付け加える

「いつまでも、私が傍に居てあげられるわけじゃないしさ」

少し寂しそうに、詩音は笑った

「そうだな〜…まあまだ次は高校生だし?普通に学校生活を楽しむのも良いんじゃない?」

「高校生…」

「私みたいに専門の所へ行かなくたって、十分自分の力になると思う」

青春ってやつ!

「そこで自分のやりたい事や夢が見つかるかもだしさ」

いつだって前向きな詩音には、一切の迷いが無かった

そんな詩音が、瑠璃は心底羨ましかった

迷いのない真っ直ぐな詩音が、

いつだって前向きに歩く詩音が。


そんな詩音の泣き顔を見たのは、それからすぐの事だった

「うっ…うっ…」

「ちょっと、泣かないでよ…」

「まだお若いのに…」

瑠璃は、衝撃を受けた

目の前には喪服を着た沢山の人がいて、

その中心には、詩音たちのお父さんがまるで眠っているかのように沢山の花に囲まれていた

「だから私は反対したんだよ!
こうなる前に、ちゃんと注意したのに…!!」

詩音の祖母らしき人が怒りを爆発させながら現れる

「お義母さん、もう良してください…
あの人も、そんな事望んでません」

「望んでない?…そんなわけあるかい!
あの子はね、私の反対を押し切ったんだ。そうだろう!」

ついていた杖を横暴に振り回し、多恵を困惑させる

多恵は散々泣いたのか、泣き腫らした顔はやつれているようにも見えた

「…おばあちゃん、ちょっと静かにして」

口を挟んだのは、聖だった

「聖までそんな事を言うのかい?

…全く、親の育て方が悪いんじゃないのかい」

ジロっと多恵を睨みつけ、元来た方へと付き添いの人と消えていった

「…聖、ごめんね」

多恵が悲しげな瞳で聖の頭を撫でる

「大丈夫」

はっきりとそう告げ、真っ直ぐに多恵を見据えた

「…」

聞いた話によると、多恵と詩音たちの父親は駆け落ちしたらしい。

詩音たちの父親の家は厳しく、先程現れた詩音の祖母がいい相手を見つけてきたにも関わらず、父親はそれを跳ね除けたらしい

その上、多恵と結婚すると多恵を家に連れてきた

それには祖母も大激怒。

家を出て行けと言われ、多恵と駆け落ち

それからかなり苦労したらしいが…祖母に何とか認めてもらうことができ、今に至るという

「…」

何て声をかけたらいいのか

瑠璃は、背中越しの詩音を見つめることしか出来なかった


詩音たちの父親の死因は、飛行機の墜落事故だった

この事故で多くの死傷者が出て連日のニュースでも大きく取り上げられた

各地を転々と単身赴任で仕事をしていた詩音たちの父親

次の転勤先へ行く途中、この事故に巻き込まれたらしい

不運の事故で沢山の犠牲者が出てしまった今回

航空会社からは、謝罪があったそうだ

「し、詩音ちゃ…」

どうにかしてあげたいと、詩音を呼ぶ

「…っ、!!」

振り向いた詩音は、大粒の涙を流していた

「…るり……」

か細く自分の名前を呼ぶ詩音

見ていられず、その場から詩音を連れ出した


「…っ、…っく…ひっく……」

嗚咽混じりに泣きじゃくる詩音を優しく抱きしめる瑠璃

「…」

辛いだろうな

苦しいだろうな…

いくら単身赴任だったとはいえ、父親の事が大好きだった詩音

離れていても、一日たりとも連絡を欠かさなかったらしい

長期休みやゴールデンウィークには手紙やプレゼントをダンボールいっぱいに詰めて送り、父親を喜ばせていた詩音

どんなに遠く離れていても、その気持ちは変わらなかった

「…ひっく…る、り…」

「…」

「…ごめ、…ごめんね……」

何で謝るの?

詩音は、何も悪いことをしていないのに

「ごめん…ひっく…ごめんね…瑠璃」

「詩音ちゃん…」

まだ中学生の瑠璃には、優しく抱きしめることしか出来なかった


翌日。

詩音が隣からやって来た

「瑠璃、あたし医者になる!」

唐突な宣言だった

「医者になって、沢山の人を助けたい。
これからきっと、医療はどんどん発達する

…一人でも多くの人を、助けたいの」

真っ直ぐな瞳で、一点の曇りも無かった

第三話 カウントダウン

あれからほどなくして、

詩音は見事、県内トップクラスの医療系の専門学校への合格を掴んだ

「詩音すごい!お医者さんなんてなれないよ」

「頑張ってね、詩音!」

紗季と絢音が飛び跳ねて喜ぶ中

当の本人である詩音は何故か浮かない顔をしていた

「でも…その割にはあんまり嬉しそうな顔してないわね、詩音?」

絢音の問いに、苦笑いを浮かべる

「あの学校、全寮制で。

…家に聖とお母さん残していくのが不安っていうか」

「あー、何となく分かるかも」

紗季もこの春から県外の美容系の専門学校への進学が決まって

一人暮らしを始めるため、詩音の気持ちが何となく分かった

「私は県内の大学だからな〜
自宅通いは変わんないんだよね」

絢音は県内有数の進学校に進学が決まっている

「そういえば、瑠璃くんはどうなったの?」

紗季がチラッと前の方の自分の席についている瑠璃を見る

「瑠璃は…地元の高校を選んだみたい」

家から近いから

そんな理由で決めたと聞いたが…

瑠璃にもきっと、何かしらの考えがあるのだろう

合格が決まった時、瑠璃も嬉しそうな顔をしていた

「これからお互い進路は分かれちゃうけど…また定期的に会おうね!」

紗季が目に涙を浮かべながらそう言ったので、絢音も詩音も泣きそうになった


月日はあっという間に流れ、いよいよ明日が卒業式という日

前日ということで、三年生は学校の大掃除

三年間お世話になった校舎に恩返し

そんな意味もあるらしい

「でも掃除なんて面倒だよ〜」

紗季がほうきに顎をついて項垂れる

「こら紗季〜?こうやってみんなで掃除出来るのも今日が最後なんだから、最後くらいちゃんとしなさいよね」

絢音が黒板消しを窓の外ではたきながら言う

「も〜最後とか言わないでよぉ…」

じわぁと涙目になる紗季

「やだやだやだ!
絢音にも詩音にも当分会えなくなるじゃん!!やだ寂しい!!!」

思わず泣き出す紗季

「紗季ってば…もう、仕方ないなぁ」

よしよし、と詩音は紗季の頭を撫でる

「夏休み、絶対帰って来なよ?
私も彩音もここで待ってるからさ」

「し、詩音〜」

それを聞いていた周りの生徒も、少ししんみりとしていた


「瑠璃〜!」

中庭の掃除をしていた瑠璃に、一人の男子生徒が話しかけてくる

「お前、地元の高校にしたんだってな」

「家から近いし、僕よく寝坊しちゃうからいいかな〜って」

「お前頭良いのに、もったいねえよなぁ」

ぞうきんを持った男子が窓を拭き始める

「詩音は、同じところに行かなかったんだな」

ふと、そんなことを言われる

「詩音ちゃんは…お医者さんになるから」

「え、あいつ医者になんの?!」

驚いた顔で瑠璃を見る

「詩音ちゃん、優しいから」

ふふっと笑う瑠璃

「…前から思ってたんだけどさ、」

「んー?」

「瑠璃、たまに女に見える」

「え…」

「ほら、袖のとこ。萌え袖って言うの?それしてたり…

何か、仕草が女だなぁって思う時がたまにある」

「そうかな〜」

今まであまり意識していなかった分、首を傾げる瑠璃

詩音とずっと一緒に居たからだろうか

…いや、

でも詩音は周りの女子に比べると女の子要素が少ない

どちらかといえば男前な方だった

「…」

「あ、いや悪い意味で言ったんじゃないぞ?
最近“かわいい系男子”も流行ってるみたいだしさ」

考え込む瑠璃に慌てて訂正する

「ふーん…」

妙にその言葉が引っかかり、瑠璃はその日ずっとそれを考えていた


「ただいまー…」

帰宅した瑠璃は部屋の電気をつける

「…あ、そうか。今日もまた夜勤って言ってたっけ…」

看護師の母親は相変わらず忙しく、家に居る方が少なかった

「…」

ふと、リビングにあるコルクボードに目をやる

そこには、沢山の写真が貼ってあって…

そのどれもに、詩音が映っていた

「女の子みたい、か…」

確かに瑠璃は昔から、可愛いものが好きだった

部屋にはぬいぐるみが沢山あるし、

服だって明るい色やパステルカラーが多い

スキンケアだって欠かさないし髪はいつもさらさら

「…確かに、女の子みたいかも」

自分を振り返ってため息をつく

物心ついた時から、何となく女の子っぽいものに引かれた

“かっこいいもの”より“かわいいもの”に惹かれ

戦隊ものやヒーローになんて全く興味無かった

「変わらなくちゃだめ、かな」

男らしくない自分に少しだけ嫌悪感を感じた

同時に、今までの自分が何だったのか、分からなくなった


どんなに悩んだり迷っても、朝はやってくる

いつものように詩音が瑠璃を起こしに来て帰る

「こうやって起こしてもらうのも…今日が最後か」

ぽつりと呟き、部屋を出る

「…あれ、今日は瑠璃が早い」

ぽかーんとした顔の詩音

身支度を整えた詩音が玄関のドアを開けると、既に支度を済ませた瑠璃が立っていた

「卒業式だし、せめて最後くらいはちゃんとしなきゃと思ってさ」

「最後だけってどういうことよ」

詩音も笑いながらゆっくりと歩き出す

「…ここも、こうやって二人で歩くの最後だね」

桜の並木道を歩きながら瑠璃が呟く

「寂しくなるなぁ…瑠璃は春からもここを通るんだろうけどさ」

「通学路は変わらないからね

…隣に詩音ちゃんが居ないのは寂しいけどさ」

「寝坊したりしないでよ〜?
あ、聖に瑠璃を起こしてって頼んどこうか!」

「流石にそれは気が引けるよ〜」

「私には気が引けないってこと?!」

「じ、冗談だって!」

「瑠璃〜!!」

パタパタと、結局いつものように駆けて行くように学校へと向かった


そして式が終わり、詩音と瑠璃は屋上に来ていた

「これで義務教育も終わりかぁ…
なんだか、しんみりしちゃうね」

春の暖かい風に吹かれながら、詩音が呟く

「…高校生になっても、頑張ってね」

「何言ってんの!瑠璃も頑張るんだよ?」

目が潤む詩音

「…詩音ちゃん、これ」

瑠璃が詩音に差し出したのは、綺麗なとんぼ玉で出来たキーホルダーだった

「綺麗!…って、これもしかして瑠璃が作ったの?!」

「うん。…僕、あんまり手先が器用じゃないからあんまり上手く作れなかったけど…」

手作り感溢れるそのキーホルダーは

詩音には、見覚えがあった

「これもしかして…私が昔、瑠璃にあげたビーズのキーホルダー真似た?」

「あ、分かっちゃった?そう、これこれ…」

そう言って瑠璃はポケットから同じくらいのサイズのキーホルダーを出す

「随分と前だけど…詩音ちゃん、僕と一緒に落としたキーホルダー、探してくれたでしょ?

これを探してたんだ」

大きさは整っておらず、所々に大きなビーズが入っているいびつなキーホルダー

それでも、瑠璃にとってはこれが一番のお守りのようなものだった

「…そんなに、大切にしてくれてたんだ。それ」

「そりゃあそうだよ

だって、詩音ちゃんから貰った初めてのプレゼントなんだもん」

ギュッとそれを握りしめ、そのまま胸に手を置く

「離れてても、詩音ちゃんが頑張ってるなら…僕も頑張らなくちゃなって、思うから」

なにか吹っ切れたように、瑠璃は笑顔を見せた

「…ちゃんとご飯、食べてね?」

「うん」

「寝坊とか…しないようにね?」

「うん…」

「たくさん思い出作って…夢、見つけてね」

「…うん」

「それから…それから……」

言いたいことはたくさんあるのに

涙が邪魔して、

心がぐちゃぐちゃで。

お互いに涙が溢れて、その場に座り込む

「…ほんとは、寂しいよ…瑠璃やみんなと…離れたく、ない…」

初めて、詩音が本音を漏らした時だった

「本当なら…近くの医療系の学校に入るつもりだった…
だけど、パパもういないから…全寮制の学校に行くしか、道が無かった…」

詩音は端から進路を早々に決め、志望校も固めていた

しかし突然の不運で父親を無くし、思っていた学校を受験出来ず…

結局、遠く離れた学校への進学を余儀なくされたのだった

「ねぇ、瑠璃…私、このままここを離れたら…いつかみんなに忘れられちゃうのかな…」

ずっと、ずっとみんなと育ってきたこの街

一人離れるのは…とても辛かった

「…どんなに離れていても、毎日必ず連絡する

詩音ちゃんが寂しくならないように、僕がちゃんと、覚えてる」

「…本当に?」

「本当に。…僕じゃ、頼りない?」

そう言って、詩音の顔を覗き込む瑠璃

「…瑠璃のくせに、生意気よ」

詩音は、笑っていた

第四話 瑠璃の憂鬱

あれから二年、

瑠璃の小柄な背は166cmまで伸び、声変わりもした

勿論、詩音とは毎日のように連絡をとっている

“今日は実験があるの!化学苦手だったのに、不安だよ〜(´・_・`)”

“今日こっちは晴れてるけど瑠璃の方、大雨マークになってた!大丈夫?”

“今日ね、瑠璃の好きそうなメニューが学食に追加されたの!また今度写真送るね!”

他愛のない会話ばかりだったけど…それが瑠璃の日課でもあり、楽しみだった

「おーい、瑠璃!」

同じクラスの島田が駆けてくる

「明日隣のクラスの前田が女の子呼んでカラオケに行くって言ってるんだけどさ〜お前行かね?」

「あー…悪いけど、今日用事あって」

「なんだ〜じゃあ、しょうがないな」

「ごめん。また誘って?」

島田は元来た方へと戻る

「…ごめん、島田。

僕賑やかな場所は得意じゃないんだ」

島田が去った方に、そっと呟いた


家の近くの高校を選んだとはいえ、それなりに充実していた瑠璃

だけど

やっぱりいつまで経っても、詩音が隣にいない環境には慣れなかった

初めの頃は本当に苦戦した

寝坊は今でもしょっちゅうするし

忘れ物だってしてしまう

そんな時

いつも隣の席で、『しょうがないなぁ』って笑いながら教科書を半分見せてくれた詩音を思い出す

「…本当、詩音ちゃん離れが出来ないな」

俯いた瑠璃の呟きは真夏の蝉の声にかき消された


「そういえば瑠璃〜、あなた進路はどうするの?」

夏休みに入り、珍しく母親の七海(ななみ)が朝から家に居た日

唐突に、進路の話が出た

「…僕まだ高校二年生なんだけど」

「もう高校二年生!…詩音ちゃんはお医者さんになるって専門学校に行ったんでしょう?

瑠璃もそろそろ決めなくちゃ!」

笑顔でコーヒーを飲みながらタブレット端末で新聞を読んでいる

「進路、ね…」

二年前にも、同じ言葉を何度も聞いた

「本当に、何もしたい事がないの?」

「うん」

「…あなた頭はあるんだから、視野は広く持った方がいいわよ?」

「学力だけじゃ、どうにもならないよ」

聞いているのか分からない目をしてテレビに視線を移す

『本日は一般的にあまり知られていない、この病気について特集を組んでいます!』

「…」

ミルクを沢山入れたカフェオレを飲みながらぼーっと眺める

『本日のメインはこちら!“性同一性障害”!

…こちらの病気、一般的にはあまり知られていないとの事ですが…どのような病気なのでしょうか?』

アナウンサーらしき女性が専門家の男性に問いかける

『性同一性障害、と聞くと皆さんはどんな事をまず思い浮かべるでしょうか?』

「性同一性障害……」

「あら、珍しいニュースしてるのね」

瑠璃の言葉に七海も顔を上げてテレビを観る

「…皮肉よね。
身体は男や女として生まれてきたのに、心の中では自分は女、もしくは男って思うの」

「…身体と心が、一致しないって事?」

うんうん、と七海が頷く

「私はあまり見たことないけど…きっと、すごく辛いと思う。この病気」

「…」

食い入るように、瑠璃もテレビの画面を見つめる

『周りの人にカミングアウトするのは、とても勇気がいることです

受け入れてもらえるのか、最悪、拒絶されてしまう場合もあるようで…』

「…どうして、カミングアウトしたら拒絶されるの」

目を伏せるように、瑠璃が呟く

「…認めたくない、っていうのかな
“普通じゃない”事に、嫌悪感を抱くのよ」

「…お母さんも、そう?」

何気なく聞いたつもりだった

「…」

「…お母さん?」

「…どうかなぁ」

何かを隠すように、誤魔化すように作り笑いを浮かべる

「私もフライトナースになって数年経つけど…一般的な臨床の場にいたキャリアは少なくて。

一人一人をまじまじと見たり傍に居た事が少ない分、難しいかな」

「…そっか」

「でも詩音ちゃん、本当にすごいわよ

医者なんて、なりたくてなれるわけじゃないからね」

再びタブレット端末に目を落とし、ページをめくる

「…僕は、詩音ちゃんみたいには…なれない」

テレビから目をそらすこと無く、瑠璃は言った

「みんなそれぞれ得意分野があって、苦手分野がある。
詩音ちゃんと同じになる必要なんて無いわ」

ふふっと笑いながら七海が言う

「…詩音ちゃんみたいに、なりたいの?」

「詩音ちゃんみたいに…?」

うん、と大きく頷く七海

「詩音ちゃんみたいにかっこよくて、頼りがいのある男の子になりたいかって話」

「…あぁ、そういう事」

ふい、と七海から顔を背ける

「…そうだね」

どこか気持ちが入っていないような、そんな声だった

「僕ちょっと出かけてくるね」

「あら、どこに行くの?」

「…ちょっとそこまで」

飲み差しのマグカップをテーブルに置き、テーブルに置いていたスマホを持って家を出た

「…っ、……」

家を出てエレベーターに乗った瑠璃

何故か心臓は、バクバクと打ち止まらない

「なん、で…っ…」

ギュッと胸のあたりを握りしめ、俯く

「僕は、違う…違うから…!」

先程のテレビの特集が、どうしても頭から離れない

「僕は、…僕は違う!!」

必死に頭を振って、先程の光景を忘れようとする

誰にも受け入れてもらえないなんて、そんなのあんまりだ!

「ぼく、は…ちが……」

ずるずると、壁にもたれるように座り込む

確かに昔から、全然男の子っぽくなかった

ギャーギャー騒ぎながら外を駆け回る他の男の子たちをみて、冷めた目をしたり

何方かと言えば、家で詩音とドールハウスで遊ぶ方が好きだったし

男の子特有のかっこいいものへの憧れより、女の子らしい可愛いものがすきだった

それに

女の子を見ても好きとかそういう感情なんて一切無かった

詩音は特別だったけど…
恋愛対象では無く、本当に大切な幼馴染み、だった

「…認めたくない、か」

誰にいうでもなく、口にする

「…一度、現実見た方がいいのかな」

瑠璃はその足で、ある場所へと向かった


「…診断結果ですが……」

目の前の医者が難しい顔をする

「…」

「…あなたは、“性同一性障害”と見てまず間違いないかと」

「っ、…!」

一番、聞きたくない言葉だった

「ですが…好意の対象が男性では無いという事から、はっきりとは言えません

なので、これからあなたがどうしたいのか、今後を考えた上でまた聞かせてください」

「…はい」

好意の対象…

瑠璃の心に、深く突き刺さった


とぼとぼと家路を帰りながらも、その表情はとても暗かった

空は日が暮れる頃で綺麗なオレンジ色をしていて

瑠璃の心を、一層暗くした


確かに中学生の頃、誰かに好意を持つことなんて一切無くて。

だけど、女子がかっこいいと騒いでいた滝沢くん…

彼のことは、目で追っていた時があった

でもそれは、あくまでも“憧れ”と思っていた

男子が男子に抱く、尊敬のような憧れ

それが好意だと、あの頃は微塵も思わなかった

「あれも…実はそうだったのかな」

今ならそう思える

「…詩音ちゃん、元気かな」

顔を上げた瑠璃はいつの間にか、昔詩音とよく遊んだ公園の前に差し掛かっていた


キィ…キィ……

ブランコに乗り、空を仰ぐ瑠璃

「…詩音ちゃんが知ったら、なんて言うだろう」

嫌がられる?気持ち悪がられる?

それとも…

「…やめよう。今考えても、答えなんて出そうにないし」

ぶんぶん頭を振って、かき消す

「そろそろ帰ろうかな」

キィ、とブランコから立ち上がろうとした時だった

「?!」

バッ!と後ろから目元を手で覆い隠され、目の前が真っ暗になる

「えっ、ちょ……」

突然の事で困惑する瑠璃

「まっ…誰?!」

慌ててその手を振り払うと…


「やっ!」


笑顔の詩音が、立っていた

「…っ、詩音ちゃん!!」

あまりに唐突な出来事で、驚きを隠せない

「夏休みだし、外出許可とって帰ってきちゃった☆」

いつもの笑顔で瑠璃に笑いかける詩音


先程のブランコに並んで座り、どちらともなく話し出す

「もー、本当大変でさ〜…
課題は多いし覚えること沢山だし…」

「でも何だかんだ、楽しそうだね」

「そうね〜校則も緩いから…ほら、この通り髪の毛染めちゃったし!」

いつもポニーテールをしていた長い真っ直ぐな黒髪は

緩くウエーブが入った栗色の髪になっていた

「瑠璃、ちょっと見ない間に背伸びた?」

「あ、分かる?…166になったんだ〜」

「うっそ!…中学の時は私と同じ158くらいだったのに…!」

「僕にも成長期がきたのかもね」

ふふっと笑って悔しがる詩音を見る

成長期、か…

何だか自爆した気分になるのを必死に堪える

「それで?なんで瑠璃こんな所に居たの?今日おばさん休みだったんでしょ?」

多恵から聞いたのか、一度先に家に帰った詩音は知っていたらしい

「あー…何だか外に出たい気分だったから」

詩音の方を向かずに、自分の足元に視線を落とす

「…恥ずかしかったのか!」

久しぶりの母親でどうしていいか分からない

きっと、詩音はそう思ったのだろう

「…そうかもね」

寂しそうに笑う瑠璃の心が、この時の詩音にはまだ分からなかった

「おばさん、また仕事に行っちゃったみたいだし…

瑠璃、今日うちでご飯食べていきなよ!お母さんもおいでって言ってたし!」

「…本当?」

「うん!聖も瑠璃に会いたがってると思うしさ♪

ほら、立って立って!」

詩音に手を引かれ、家路に戻る


「…詩音ちゃん!」

「んー?」

突然詩音を引き止めたものの…次の言葉が出てこない

「もー…どうしたの瑠璃?
なんだか今日、らしくないよ」

疲れてるの?と笑いながら詩音が振り向く

「…そう、かも」

「じゃあ美味しいご飯いっぱい食べて、元気出さなくちゃね!行こっ!」

再び詩音に手を引かれ、歩き出す


…今は、まだ言うべきじゃない

詩音が、これを聞いたらどうするだろう

ショックを受けるだろうか、

受け入れてくれるだろうか…

そのうち言おう、言おうとするうちに

気付けば僕達は大人になっていた

第五話 多忙なドクター

「先生!次の患者さんお願いします!」

「はーい」

診察室でペラペラとカルテをめくりながら返事をする

「次の方、どうぞ〜」

頭の後ろで綺麗にお団子を作った詩音は今年、二十四歳になった

無事に医師免許を取得した詩音は地元の病院に勤務が決まり、かれこれ三年目になる

「今日はどうされましたか?」

「なんだか腰が痛くて…」

どこの科へ行きたいか、とりあえずの希望が無かった詩音は外来でドクターをしていた

「それじゃあとりあえず、検査してみましょうか

お話をお聞きしただけでは分からないこともあるので」

「はい、お願いします」

「坂口さーん!お願いしまーす」

奥で別の作業をしていた看護師に声をかける

「それではこちらにどうぞ」

看護師の坂口さんが患者さんを誘導し、診察室で再び一人になる

とそこへ、ガチャ…と開いたドアの向こうから一人の女性が入ってくる

「…ちょっと、いつもノックくらいしてくださいって言ってるじゃないですか」

「あら、いいじゃない
私とあなたと仲でしょう?」

入ってきた女性は楽しそうに笑う

「深山先生、お昼は行ったの?
今日は患者さんが多いといえ、しっかり休憩は取らなきゃダメよ」

女性は詩音に持ってきたコーヒーの缶を手渡す

「…っていうか、二人の時に敬語使い合うっていうのもおかしいわよ」

詩音がくだけて言うと、女性も笑う

「そうね。…姉妹なのに敬語だなんて、私たちも大人になったものだわ」

彼女は深山歩乃華(みやま ほのか)。

姉妹、といっても詩音と歩乃華の血は繋がっていない

亡くなった詩音の父親が多恵と結婚する前に別れた妻との間の子

それが歩乃華

いわゆる、異母姉妹というわけだ

「聖は元気?」

歩乃華と血は繋がっていないものの、聖は歩乃華にとっての弟でもある

「んー、多分?
この間久しぶりに帰ったら黙々と勉強してて」

「あの聖が?…珍しい事もあるのね」

何度か聖に会ったことのある歩乃華は楽しそうに笑う

「何か理学療法士を目指してるらしくて。

…いずれ、私たちと同じ場所に来るかもね」

「そうなれば楽しくなりそうねぇ」

歩乃華が嬉しそうに笑う

「…お義母さんは、元気?」

歩乃華は早くに母親をも亡くしているため、多恵が時々様子を見に行ったりしていた

「そうね…元気よ」

「お義母さん、本当によくしてくれるから…私も助かってるの」

本当の親子で無いとはいえ、早くに両親を亡くしている歩乃華の心の拠り所は多恵だった

「詩音や聖に気を使ってあまり会わないようにしていたのだけれど…

お義母さんは、全部分かってた」

祖父母も病気をして身寄りが無かった歩乃華

心細かったけれど、多恵の支えで何とかここまで来れたのだった

「お母さんは、歩乃華も自分の娘って思ってるからね」

貰ったコーヒーの缶をプシュッと開ける

「嬉しいわ。…あなたからも、お義母さんからもそう言ってもらえて」

歩乃華も缶を開ける

「当たり前じゃない。

聖は男きょうだいだけど…歩乃華は私のたった一人の、女姉妹なんだから」

ニカッと笑う詩音が眩しがった

「それで?歩乃華は今日もこれからオペ?」

「えぇ。今日は三件ほどこの後入ってるわ」

「うへぇ…三件も一日にするの?」

「ふふっ、忙しい時は大体そんなもんよ」

苦い顔をする詩音に笑いかける

「そっかぁ…大変そうだけど、頑張ってね」

詩音がヒョイっと飴玉を投げる

「私の好きなピーチじゃない。

ありがたく頂くわ」

そう言って、歩乃華は診察室を出た

「ほんっと、苦労の耐えない人だこと…」

ふぅ、と息をついた詩音は息をつく

「今度帰るとき、歩乃華も誘ってみんなでご飯にでも行こうかな」

先のことを計画しつつ、詩音の頬は緩んでいた


その夜

「ねーちゃん、いる?」

珍しく、一人暮らししている詩音の家に聖がやって来た

「あら、珍しいじゃない。あんたが来るなんて…

まあ上がっていきなさいよ」

聖を家にあげ、ソファに座らせる

「それで?何かあったの?」

炭酸のペットボトルを聖に手渡し、向かいのソファに座る

「…ねーちゃん、瑠璃兄に最近会った?」

「え、瑠璃?…いや、最後に会ったのは成人式くらいだし…かれこれ四年くらい、会ってないけど…」

突然懐かしい幼馴染みの名前を出され、嫌な予感がする

「…瑠璃に、何かあったの?」

ここ数年仕事がとても忙しく、まともに実家にも帰れていない詩音

瑠璃とも疎遠になって、連絡も取っていなかった

「何かあったっていうか…」

聖の言葉に、目を見開く

「…瑠璃兄、三年くらい前に消えたんだ」

「…きえ、た…?」

瑠璃が、消えた…?

信じられなくて、何度も聖の肩を揺する

「ど…どういう事?!瑠璃が消えた?!

…っ、しかも三年前って…なんでその時に言ってくれなかったのよ?!!」

取り乱した詩音が必死に聖に迫る

「ちょ…ねーちゃん落ち着いて!

瑠璃兄が居なくなったのは、今までにも何回かあったんだって!」

「…どういう事よ」

少し冷静さを取り戻した詩音は聖から離れる

「…ねーちゃんが寮に入った後から、ちょくちょく家出みたいな事繰り返してたらしくて。

おばさんも心配してたんだけど…長くても一週間くらいでいつも帰ってきてたから、もう放っておいていいからっておばさんに言われて」

「…」

「…流石に心配になったおばさんが居なくなってから一ヶ月過ぎたくらいに警察に捜索願を出したんだ」

「瑠璃は、見つかったの…?」

聖がうん、と小さく頷く

「だけど、何だか様子がおかしくて。

…おばさんと瑠璃兄、その後一緒に病院に行ったんだ

そしたら…」

「…そしたら?」

「…瑠璃兄、病気っていうか…まぁ、発覚して」

「…今は、何処にいるのか分からないの?」

ふるふると首を横に振る聖

「…単身でアメリカに行った所までは知ってるけど…そこからは、知らない」

「ア、アメリカ?!」

突拍子もない話に目を丸くする

「俺まだ学生だし、探しに行こうにも探しに行けなくて。

だけど、瑠璃兄には昔から勉強教えてもらったりお世話になったし…もう頼れるの、ねーちゃんしか居なくて」

ギュッと膝の上で拳を握りしめ、辛そうな顔をする聖

「…そんな事があったの」

パッとソファから立ち上がり、部屋の窓から外を眺める

今夜は満月の前日で、夜景と綺麗に夜空に光が映える

「…私、探しに行くよ」

「!

でもねーちゃん、仕事があるんじゃ…」

「うちの病院、腕利きの医者が沢山いるし…暫くは大丈夫」

それに、と付け加える

「普段私にお願いとかしてこない聖が初めてお願いしてきたんだもの

お姉ちゃん、頑張らなきゃ」

聖の肩に優しく手を置き、微笑む

「そうと決まれば明日には出発するわ!

お母さん達に、よろしくね」

「…ねーちゃんは相変わらずだな」

昔からすると言ったことは聞かなくて。

誰がどう否定しようが自分の納得のいくまでやり遂げる

そんな姉だった

「私も瑠璃の事は心配だし。

アメリカって広いからな〜…何ヶ月探せば見つかるかな?」

笑ってみせるものの、少し不安があった

「まあでも、気長に待ってて。

瑠璃は必ず、私が連れて帰ってくる」

その日、日が昇るまで聖とたくさんの話をした詩音

聖が帰った後、早速向かう準備をして家を出る

「…歩乃華にも連絡しとこうかな」

病院の方には既に連絡を入れており、しばらくの間休暇を貰うという形で渡米する事にした

「…あ、もしもし歩乃華?」

家を出る直前、玄関に座り込み歩乃華に電話をかけた

『珍しいわね、詩音から電話があるなんて

…どうしたの?』

「急なんだけどさ〜、私今からアメリカに行こうと思って」

『…それはまた急な話ね。何をしに行くの?』

一瞬間を置いて、歩乃華が言う

「…幼馴染みが消えたらしくて。

本人の親とかお母さんは探さなくていいって言ってるみたいなんだけど…やっぱりジッとしていられなくて」

詩音の言葉を聞いた歩乃華が楽しそうに笑い

『あなたらしいわね』

そう言った

『その幼馴染み、見つかるあてはあるの?』

「それがなーんにもなくて…
まだでも、何とかなるかなって!」

あっけらかんとして笑う詩音

『…無事に帰って来なさいよ、詩音』

少し声を低くした歩乃華がはっきりと言う

「もちろん!

…連れて帰ってきたら、歩乃華もみんなと一緒にご飯に行きましょ?
きっと楽しいわ!」

わくわくしながら言う詩音に微笑ましく了承する歩乃華

『こっちでも何かあったら連絡するわ』

それじゃ、気をつけて

そう言って電話を切る

「…それじゃ、行きますか!」

赤い大きなキャリーバッグを手に、空港へと向かった

第六話 優しさの矛先

無事にアメリカへとやって来た詩音
現地に着く頃には、すっかり夜になっていた

「えーと予約したホテルは、っと…」

スマホの地図を頼りにタクシーで向かう

「お、あったあった!

なんだ思ったより大きいし綺麗じゃない!」

着いた先はそこそこ有名な大きなホテル

早速チェックインを済ませ、部屋へと入る

「…聖に啖呵切った手前、ちゃんと連れ戻さなきゃいけないんだけど…

まず、瑠璃って何の病気だったの?」

肝心なことを聞き忘れていたが特に気にする様子もなく…

「ま、会ってから聞けばいいか」

深く考えないのが取り柄なポジティブガール

持ってきたノートパソコンを開き、情報収集を始める

「三年前に渡米した日本人は、っと…

うへぇ、そりゃ何万人といるよね…」

見たところ、やはり一筋縄ではいかないようだった

「聞き込みしようにも…これじゃあ本当、何年かかるか分かったもんじゃないわね」

ふぅ、と呆れながらため息をつく

それでもここまで来たらやるしかない

翌日から、詩音の瑠璃探しは始まった

「Excuse me(すみません)?」

街行く人たちに片っ端から声をかけて行った

「…だめだ、全然手がかりが無い」

一日中近隣を回って情報収集に取り掛かったが…

これといった情報は無く、一日が過ぎた

「まあまだ一日目だし、こんなものよね」

次の日も、その次の日も

詩音は必死で瑠璃を探した


ー…瑠璃を探し始めて二ヶ月が経った頃

詩音は、とあるバーに通うようになった

「…今日は何か、収穫はありましたか?」

バーテンダーのライアンがカウンター越しに詩音に話しかける

「…ゼロね。

分かってはいたけれど…先が見えないんじゃ、どうしようもないわ」

はあぁ…とカウンターに突っ伏す詩音

「君みたいな可愛い人にこんなに大事にされて、彼は幸せ者だね」

そう言って詩音にグラスを差し出す

「今日はいつにも増してお疲れみたいだから、甘くしておいたよ」

グラスの中のリキュールは淡いピンク色で、キラキラとしていた


…ライアンは今年で二十九歳になるため五つ年上

大人な雰囲気を持っていて、いつも落ち着いている

ダークブラウンのオールバックに

左に二つ煌めくシルバーのピアスと右には赤いピアスが一つ

全体的に顔・スタイルも整っているため、客評もかなり良いらしい

疲れた詩音は差し出されたリキュールを口に含み、まただらんと身体を預ける

そんな詩音の元に、もう一人バーテンダーがやって来る

「やぁ、詩音。調子はどうだい?」

「マシュー…この通り、ヘトヘトよ」

詩音の隣に座ったこの男はマシュー。

歳は二十六歳と詩音と歳も近いため、それなりに会話も弾む

ワックスで遊ばせた少し長めの黒髪から覗く青い瞳が美しい青年だった

「まだ例の幼馴染みは見つからないのかい?」

「二ヶ月探して手がかり一つも無し。

…本当、どこに行っちゃったのかしら」

盛大にため息をつく詩音

見兼ねたマシューが口を開いた

「…ねぇ、詩音?ちょっといい話があるんだけど聞かない?」

「…なに、また賭け事?」

ギャンブルが好きなマシューからは、何度もカジノ等への話があった

しかし目的以外のことに興味が無い詩音はあっさりと断り続けた

「違う違う!確かにギャンブルも魅力的だけども!

…実は知り合いに探偵がいてね、下手に一人で探し回るより効率が良いかなって」

「探偵?…何でもっと早く教えてくれなかったのよ」

むぅ…と頬を膨らませる詩音

「あはは、ごめんごめん!
それじゃあ僕の方から連絡を取っておくよ

明日にでも、掛け合ってくれると思うからさ」

そう言ってマシューはどこかに電話をかける

「…あぁ、僕。
実は君に依頼したいって子がいて…そう、例の探し人の事なんだ

…うん、分かった。それじゃあ」

プツン、と電話を切ったマシューは詩音にグッドサイン

「明日の午前十時、向かいのカフェに来てくれるそうだ」

「え、もう約束取り付けたの?!」

まだ任せるとは言ってないのに…

あっけらかんとする詩音を横目に、あっさりと決まってしまった

「マシュー、彼女をあまり困らせてはいけないよ」

目の前で全てを見ていたライアンが呆れた表情で諭す

「大丈夫!彼は僕の古い友人なんだ。
信用してくれて構わないよ」

どうしよう…物凄く不安。

不安がる詩音を見兼ねて、ライアンが口を開く

「初めてなんだから、詩音も不安だろう。
明日の朝だろう?僕が同行しよう」

「ほ…ほんとに?!」

「あぁ。可愛い君を危険な目に合わせるわけにはいかないからね」

ぱちんとウインクするライアン

「もー、だから危なくないってば〜」

口を尖らせるマシューに眉を下げてライアンが笑いかける

「お前を信用していないわけじゃない。

ただ、慣れない環境で不安な上にさらに不安が重なるのは酷だろう
詩音は僕にとっても特別な人だからさ」

「…もう、分かったよ〜」

渋々了承したマシューは店の奥へと消えた

「…ごめんね詩音。迷惑だったかい?」

「ぜ、全然!
むしろライアンが居てくれるなら心強いわ!」

感謝してもしきれない…

「それじゃあ明日、向かいのカフェで待ってるよ」

ライアンと約束を交わし、店を出る

滞在しているホテルに戻った詩音はいつものようにノートパソコンを開く

「人に頼りっぱなしじゃだめだよね…私も、頑張らなくちゃ!」

この頃詩音は、ある掲示板に書き込むようになっていた

ツールは、人探しのものだった

行方不明者など、そこには何千何万人という人の情報が入っている

そこに瑠璃の情報を入力し、少しでも情報提供が無いかと少しの可能性にかけていた

「…あれ、何かメールがきてる…?」

一件だけきていたメールを開く

「……え?」

メールの内容は、意外なものだった

“あなたの探し人、拝見しました

もしかしすると、うちに居る子がその子かもしれません

掲示板にあった写真とよく似ていて、現在はカリフォルニアにいます

もしもお力になれることがあれば、是非こちらにいらして下さると幸いです”

「…カリフォルニア?」

ニューヨークに滞在している詩音と情報提供者はカリフォルニア

「真反対じゃん…」

唖然とする詩音は背伸びをするように画面から仰け反る

「…」

まさか瑠璃、そんな所まで…?

瑠璃の真意が分からず混乱する詩音

「…とりあえず明日、ライアンと話だけでも聞きに行きましょう」

メールをくれた人に詳しい詳細が欲しいと返信をして、詩音は眠りについた


「…」

詩音は、夢をみていた

『詩音ちゃん、待ってよ〜!』

『もう、瑠璃ってば遅い!早くしないと置いていかれるじゃん!』

『そんな事言っても…僕もう疲れたよぉ』

泣きべそをかきながら詩音の後をのろのろと付いて行く幼い瑠璃

小学校が地元になく、隣町の小学校に通っていた二人の通学はバス

乗り遅れると、確実に遅刻ルートだった

『…っ、もう!じれったいわね!
瑠璃!ランドセル詩音に貸して!』

バッ!と瑠璃からランドセルを取り、再び走り始める

『し、詩音ちゃん…!!』

『ほら、これで走れるでしょ?早く早く!!』

幼い日の、詩音の記憶だった

そしてそれは次第に流れ、二人が中学生の時のものに変わる

『も〜…瑠璃、いい加減にしないと本当置いて行くわよ?』

駆け足のまま後ろを振り返る詩音

『し、詩音ちゃん…流石…陸上部のエースだね…』

ぜーはー息を切らして何とか付いて行く瑠璃

『天文学部の部長さんはもう少し体力が必要みたいだけどねー』

嫌味っぽく舌を出し、前に進む詩音

『も…もう走れない…!』

『ったく、情けないなぁもう!ほら、鞄貸しなさい!』

結局大きくなっても二人は相変わらず

男前な詩音と頼りない瑠璃

それでも二人は、いつも一緒だった…


「…ん……」

スマホのアラームで目が覚めた詩音

「…ゆめ、か…」

懐かしい、詩音にとって大切な思い出だった

「…もっと、ちゃんと連絡取っておくべきだったな」

仕事があれよあれよと忙しくなり疎遠になった瑠璃

きっと、寂しかっただろうな…

周りに友達はたくさん居たけれど、きっと自分の悩みを相談出来るようなタイプじゃなかった瑠璃

唯一の支えが、詩音だったから。

「…見つけたら、たくさん話しなきゃね」

自分に言い聞かせ、身支度を始めた


「…」

暫くして、詩音の手が止まる

「…瑠璃、本当にどうして……」

今まで明るく振舞ってきたものの、既に心が折れそうになっていた詩音

「…もしかして、私たちから遠ざかりたかったのかな」

そう考えると、迷惑なのかも…と珍しくへこむ詩音

「私、余計な事してるのかな…」

そんな時、詩音のスマホが鳴る

「……はい」

電話に出た詩音の声は、とても小さかった

『あぁ…詩音、おはよう。僕だ』

電話の主は、ライアンだった

「おはよう。…ごめんなさい、今ちょっと考え事をしていたから…」

声の調子が良くなくて、と苦笑い

ライアンはすぐに声色を変え、電話越しでも分かるほどの迫りを感じた

『詩音、大丈夫かい?!
あぁ、無理だけはしないでくれよ?

今日の事も、嫌なら今でも断ってくれて構わない。マシューが勝手に取り決めたものなのだから。それから…』

あわあわと珍しく慌てるライアンが何だかおかしくて、詩音はくすくすと笑い出す

『し、詩音…?』

ライアンはきっと、電話越しに赤面しているだろう

「ライアンって、意外と可愛いのね」

詩音の言葉に返せないライアン

『…っ、大人をからかうのはよしてくれ、詩音

それだけ元気なら、大丈夫そうだな。
どうする、君の滞在するホテルまで僕が迎えに行こうか?』

ライアンが、来てくれることになった


数十分後、ライアンがやって来た

「やぁ、詩音!…うん、顔色も良さそうだし、大丈夫そうだな」

「ふふっ、可愛いライアンのおかげよ?
今日はよろしくね」

ライアンと握手を交わし、ライアンの車に乗り込む

「…緊張しているのかい?」

運転するライアンの横顔はとても様になっていて、思わず見惚れてしまう

「…少しだけ、ね」

ふい、と車窓の外に視線を移す詩音

「今日も可愛いね、詩音」

詩音の頬にライアンの長い指がつたり、何だかくすぐったい

「…もうっ、そうやって今まで何人の女の子を口説いてきたんだか!」

照れ隠しのように言い返す

「…僕は、自分の惚れた女性しか口説かない主義だからね

そんな沢山の人には言わないよ」

「まあ、紳士だこと」

わざとらしく茶目っ気たっぷりに言う

「…そろそろ着くよ、いいかい?詩音」

「…えぇ」

目的地に着き、車から降りる

「大丈夫、僕がいるから」

スッと腕を出したライアンの腕に掴まり、カフェに入った

第七話 交差する想い

「…初めまして。エリックと申します」

黒い紳士帽子をとって胸の前に置き、詩音とライアンに一礼したこの男

彼こそが、マシューがよこした探偵の男だった

見たところ、詩音とそう年代は変わらないエリック

銀髪に帽子と同じ黒いコートを羽織り、かけていたサングラスを外す

「…マシューから話は聞いていましたが…やぁ、美しい人だ」

詩音の前に座り、うっとりと見つめる

「…早速だが、本題に入らせてもらおう」

口を開いたのはライアンだった

「おぉ、そうだった。

…君は、人探しをしているんだったね
特徴とか写真があれば嬉しいな」

詩音の手を取り、手の甲にキスをする

「…ええと、写真ならここに」

戸惑いながらも詩音が鞄から一枚の写真を取り出す

それは四年前、詩音が瑠璃に会った最後の写真だった

「これは…着物というやつかい?
よく似合っているね、詩音」

成人式の写真だったので、詩音は着物、瑠璃はスーツでビシッと決まっていた

「隣に写ってる、この男の子を探してほしいの」

「ふうん…名前は?」

「瑠璃…南瑠璃よ」

「ミナミルリ…うん、覚えた」

詩音に写真を返すと机に肘をついて手を組み、真面目な顔になる

「…早くて一週間後、マシューに連絡しよう」

「本当?!」

「ただし!」

喜ぶ詩音にビシッと人差し指を向ける

「…詩音はこれで、僕に何をくれるのかな?」

「ええと…報酬ってこと?」

「そう」

「えっと…お金、とか?いくら?」

「…」

詩音がしどろもどろに提案するが、エリックは首を縦に振らない

「…詩音。彼が見つかった時、君を一日僕に貸して欲しい」

「…私を?」

とんでもない提案をするエリックに気付かない詩音

「エリック!そんな大胆な真似、許さないぞ!」

エリックを睨みつけるライアン

「…なに、君は詩音のフィアンセか何か?」

「そうではないが…」

「なら、口を出さないでもらえるかな

これは僕と詩音との“正当な”取り引きだ。部外者は口を出すんじゃない」

冷たく射抜くエリックに、ライアンは何も言えなかった

「…それで、詩音はどうする?」

「瑠璃が見つかるなら…いいわ、あなたに賭けようじゃない」

詩音も負けじとエリックに乗る

「…決まりだな。

一週間後、必ずマシューに連絡しよう」

それだけ残し、エリックは店を出た

「…っ、詩音!君はなんて約束を…!」

ライアンが詩音の肩に掴みかかり、焦りを露わにする

「…っ、でも!このまま何ヶ月も何処にいるか分からない瑠璃を私一人で探し続けろっていうの?!

…そろそろ、私も日本に戻らなくちゃいけないの」

詩音に残されているのはあと一ヶ月

病院の方もそれ以上は伸ばせないと、ぎりぎりの所まで伸ばしてもらったのだ

これ以上、病院やみんなに迷惑はかけられない

「…私ね、日本で医者をしているの

毎日たくさんの人を診て、たくさんの人を診察してきたわ」

窓の外を眺めながら、詩音が言う

「…早く、瑠璃を見つけなきゃ」

「詩音…」

切なく呟いたライアンに、後ろから優しく抱きしめられる

「…ライアン、ありがとう

私一人じゃやっぱり不安で。あなたが居てくれて心強かった」

「…僕は、何もしてないじゃないか」

詩音の肩に顔を埋めるライアン

「…あなたは私の恩人よ、ライアン」

振り返って彼の手をとる

「あと少しの間だけど、よろしくね」

にこっと笑いかけた詩音が眩しかった


その夜、

詩音はライアンの自宅に招かれた

「いやぁ、すまない。君が来ると分かっていたらもっと色々出来たんだが…」

「全然!私は何でも嬉しいわ」

紺色のエプロンを付けたライアンが次々と料理を並べる

「ライアンって料理も上手なのね!

…将来、素敵な旦那さんになりそう」

美味しそうな料理たちを眺めて幸せそうに呟く詩音

「…詩音は、料理とかしないのかい?」

「私?…私はからっきしだめね。
よく実家のお母さんが作り置きしてくれたご飯を持って帰っていたもの」

ふふっと笑い、出されたワインをあおる

「…今日は詩音の探しものが進展した記念だ。たくさん食べてほしい」

その日は遅くまで、ライアンと語り明かした


「…ライアン、私今日も早いからそろそろ寝るね」

シャワーを借りた詩音がバスルームから出てくる

時刻は既に夜中の一時をまわっている

「ごめんね、服まで借りちゃって…
やっぱり、ライアン大きいね」

ライアンのTシャツを借りた詩音

サイズは明らかに大きく、ミニワンピースのようになっていた

「…よく似合っているよ、詩音」

とても優しい笑顔で、ソファに座っていたライアンは立ち上がる

「本当?…何だかすごくいい匂いがする」

首元に鼻をあてると、微かに柔軟剤の匂いが香る

「…何かしら?花…ローズ…でも違うような……?」

首を傾げつつもう一度鼻を近づけようとした時

「…ライアン?」

背後から、詩音を包むようにライアンの手が伸びる

「…詩音にとって、瑠璃はどんな人なんだい?」

「…瑠璃?」

思いがけない質問に、ふと考える

「そうね…ドジでヘタレで頼りなくて…頭はいいけど運動が全く出来なくて…」

「…だめだめじゃないか」

苦笑いを浮かべるライアン

しかし、詩音はとても楽しそうだった

「だめだめなのが、瑠璃なの!
頼りがいのある瑠璃なんて、瑠璃じゃないわ」

くすくすと笑いながら昔の事を思い出す

「…早く会いたいわ」

愛しい人を呼ぶように、そう呟くと

「…それじゃあ僕は、君にとってどんな人なんだい?」

そのままのノリで聞いたのだと思った

「んー…そうねぇ、頼りがいがあって、かっこよくて…瑠璃とは正反対って感じかしら!」

笑顔で振り返る詩音は驚く

「…正反対、か」

少し寂しそうな顔をしたライアンが居たからだった

「も、もちろんライアンの事も好きよ!
私の恩人だもの、嫌いになんてならないしなれないわ」

ライアンの頬にそっと手を添える

「…今日の夜、またお店に行くわ
ゆっくり話をしましょう」

「それじゃだめなんだ!」

珍しく声を大きくするライアン

「…ライアン?」

おずおずと彼の顔を覗き込む

ハッとしたライアンは慌てて詩音に背を向ける

「…見ないでくれ、こんな顔…」

しかし見ないでくれと言われたら見たくなる好奇心旺盛な詩音

くるっとライアンの正面に立つと、再びその顔を覗き込む

「…っ、!!」

自分でもどうしたらいいのか分からない

そんな表情だった

「えと…もしかして、何か困ってる?」

鈍感な詩音は全く分からない

「あぁ、困っているさ。…本当に」

はぁ…と額に手を当て大きなため息をつくライアン

「…もう今日は遅い、寝よう」

一人暮らしのはずのライアンの寝室に向かうと、キングサイズの大きなベッドがあった

「…それじゃ、おやすみ」

詩音に背を向けて、ライアンは眠りにつく

「…変な人」

詩音もベッドに入り、気持ちいいふかふかのベッドで眠りについた


「…」

三時間ほど過ぎた頃

ライアンは目を覚まし、身体を起こす

「…詩音、寝ているかい?」

隣で寝息を立てて寝ている詩音

思わずその額を撫でては愛おしさが増す

「…君にはきっと、僕が映ってはいないんだろうね」

詩音

君の目に映っているのは…瑠璃かい?

彼が見つかったら…もうここにはいないのだろう?

「…そうだよね、君は彼を探しに遠くからはるばるやって来たのだから」

目的を果たせば元の場所へと帰る

そんな当たり前の事も、ライアンには耐えられなかった

「…出会うべきでは、無かったのかもしれないね」

再びベッドに横になり、詩音を抱きしめる

「…叶うことなら、ずっとこの腕の中にしまい込んでしまえたら……」

瑠璃、君はずるい

幼馴染みという関係が、とても羨ましくて

僕の知らない詩音をたくさん知っている君が、羨ましい

こんなにも素敵な女性に、これほど愛されているのに…

こんなにも君を愛してくれる人を、いつまでも待たせるんじゃない

…だけど、

もう少し、もう少しだけ…

彼女を、詩音を僕に貸して欲しい

結果がどうであれ、今この腕の中にいる愛おしい存在が…僕の腕から、離れないように


彼の心の中でそう呟き、包み込むように彼女を抱きしめたライアン

彼女の額に、優しくキスをして…

第八話 涙の理由

「詩音、待たせたね」

約束の一週間後、いつものバーに来ていた詩音にマシューが話しかける

「例の探してた子、見つかったらしい」

「そ、それ本当なの?!」

驚いて目を丸くする詩音

「いくら僕でも嘘はつかないよ。

…一番早いので明日の午後二時、空港から飛行機でここに向かうといい」

マシューから一枚の紙切れを渡される

「カリフォルニア…」

それは、カリフォルニアにあるとある住所だった

「彼は今、そこにいるらしい

…まあここからどうするかは、自分で決めな」

「…っ、マシュー!本当にありがとう…!」

用件を伝えて立ち去るマシューの後ろ姿に叫ぶ詩音

それに応えるかのようにマシューはひらひらと手を振った


「やっぱり瑠璃、カリフォルニアに居たのね…」

渡された紙切れを眺めながら、詩音の声のトーンが下がる

「…知っていたのかい?」

向かいのカウンターでカクテルを作っていたライアンが言う

「えぇ。…少し前からある掲示板を利用してて

そこに、瑠璃に似てる人がうちにいるってメールがあって…」

ことの経緯を、全てライアンに話した

「…それで、いつカリフォルニアに向かうんだい?」

「マシューが教えてくれた、一番早い便で向かうわ

…時間は限られてるの。早い所、連れて帰らなくちゃ」

そう意気込んで計画を立て始める詩音

「…本当、敵わないや」

小さくため息をつくライアン

「ん?なんか言った?」

「…なにも?」

いたずらっぽくライアンは笑う

「詩音、君カリフォルニアに行ったことはあるのかい?」

「え、無いけど…」

カウンターから身を乗り出すようにして問うライアンに戸惑う詩音

ライアンは、分かっていたとばかりに笑顔を見せる

「見知らぬ土地に一人で行くなんて危ないだろう?

…僕も同行しよう。カリフォルニア出身、と言えば心強いかな?」

詩音の表情がぱあぁっと明るくなる

「本当?!…ライアン、あなたには本当に感謝してもしきれないわ!」

ぱっと詩音がライアンに抱きつく

「店はしばらくマシューたちに任せよう
向こうへの案内は、任せてくれ」

目的地が決まり、詩音は準備をするといつもより早めに店を出た



詩音が出た後のことだった

「ねぇ、オーナー?」

「どうしたんだい、マシュー」

難しい顔をして食器洗いをするライアンに、マシューが話しかける


「…オーナー、詩音に惚れてるでしょ」


いたずらっ子のような視線をライアンに送る

「…わぁお。

冗談のつもりで言ったんだけど…どうやら嘘じゃないらしい」

ライアンの複雑そうな表情を見て、笑顔を見せる

「…詩音には?」

「…伝えてない。

というか、伝えるつもりもない」

「どうして?」

マシューが不思議そうに言う

「どうして、って…

詩音は、恐らく瑠璃に惚れている。
だから、それを僕が邪魔をしたくないんだ」

食器洗いが一段落すると、ライアンはマシューに向き直る

「…惚れた女だからこそ、彼女には一番幸せな道を歩んでもらいたい

それが僕の願いだ」

ライアンが優しく笑う

しかし目の前にいるマシューは不服とばかりにため息をつき、持っていたほうきに顎を乗せ、目を閉じる

「彼女の幸せは彼女が決める。
それはオーナーが決めることじゃない」

「…さあね」

小さく笑いながら、付けていた黒い腰エプロンを外す

「…本当にそう思ってる?」

「…どうしてそんな事を?」

「確かに詩音は瑠璃に惚れているんだと僕も思う
自分の仕事を投げてまで、はるばる海外まで探しに来るくらいだからね」

閉じていた目を開け、ライアンを見つめる

「でも僕なら、それほど愛してくれる女性を放って逃げたりなんかしない」

真っ直ぐに、ライアンの瞳を捉える

「気に入らないんだよ、瑠璃ってやつの事が。

失踪して何年も経つのに、家族でさえ諦めていたのに…」

ふう、とまたため息をつく


「詩音が可哀想だ」


マシューの瞳は、悲しげだった

「…それは、瑠璃への文句かい?」

黙って話を聞いていたライアンが口を開く

「ライアン、僕は君にも言いたい。

詩音は瑠璃が好きだから諦める?
それこそ、僕は間違っていると思う」

ビシッと人差し指をライアンに向ける

「恋愛はゲームなんかじゃない。

一度惚れたなら何処までも、何処までも追いかける
一生を賭けた、男の勝負だ」

いつになく真剣なマシュー

圧倒されつつも、ライアンが口を開く

「…友達以上には、なれたと思う

だけど…瑠璃が見つかったら、詩音は僕なんて見向きもしないだろう」

先程まで詩音が座っていた席に視線を移す

「それまでの間、僕が詩音の瞳に映っているうちだけは…努力しようと思ってる」

「ライアン…」

「言われなくても分かっているさ。

…マシュー、明日から暫く店のこと、頼んだよ」

「…任せてくれ」

マシューと拳をコツン、とぶつけ合い、笑顔になるライアン

「詩音は僕にとっても大切な人だ。

しっかり頼むぜ、ライアン」

マシューがとびきりの笑顔でライアンの背中を押した


「…いよいよだわ」

一足先にホテルに帰った詩音は震えていた

「…いざとなると緊張するなぁ」

詩音が瑠璃に会った最後の日

何一つ変わらない瑠璃を見て、不安もあったけど…

何一つ変わらない瑠璃を見て、安心した自分もいた

『詩音ちゃん!久しぶり!!』

相変わらず何処か抜けている瑠璃は、あの時もネクタイが曲がっていた

『あ…ご、ごめん!
実は寝坊しちゃって…!』

うだうだ言いながらも、瑠璃のネクタイ直してあげたっけ

『詩音ちゃん、お医者さんになれたの?!
夢、叶ったんだね!おめでとう!!』

それから、満面の笑顔で抱きしめてくれたっけ…

『じゃあ僕が病気したり怪我をしたら、真っ先に詩音ちゃんの所へ行けるね!』

あの笑顔が、就職してからもずっと詩音を支えてきた

「…瑠璃……」

…会いたいよ

「…る、り…」

早く会いたい

「…っ、瑠璃…っ!」

瑠璃、瑠璃…


長い間、会えなくてごめん

仕事を言い訳にして、実家にもなかなか帰れなかった


…いや、帰らなかったんだ。

連絡だって、就職してからはいつも瑠璃からだった

ご飯や地元の祭りに時々誘ってくれて…

だけど仕事を言い訳に、私はどれにも行けなかった

「ごめん…ごめんね…」

大粒の涙が力いっぱい握りしめた拳の上に落ちる

仕事が楽しかったのも事実だし

仕事が忙しかったのも事実

だけど

帰ろうと思えば帰れたタイミングはいくらでもあった

それでも私は、帰らなかった

「…一人立ちしようとしたのが、仇になったかな」

瑠璃は私がいなきゃ何も出来ない

そう思って、地元を私は離れた

…でも

「本当に一人立ちしなくちゃいけなかったのは…私の方だったのかも」

瑠璃がいたから、今の私がいて

瑠璃がいたから、今があって…

「散々待たせて、今更って思うかもしれないけど…」

夜空に浮かぶ、微かに見える星を窓の外から眺め、口にする

「…明日迎えに行くからね、瑠璃」

持っていたスマホの画面には、成人式に撮った満面の笑顔の瑠璃と詩音

…ねぇ、瑠璃。

もう一度だけ、あなたに会いたい。