第十二話 帰国ときっかけ
「え、明日?!!」
詩音が明日帰国するという話を持ち出したのは、ライアンの店だった
「ちょ…いくらなんでも急すぎない?!
僕、まだ詩音と話し足りないんだけど?!」
マシューが泣きそうな目で詩音に縋り付く
「マシューやライアンには、本当にお世話になったわ
そろそろタイムリミットだし、私も仕事に戻らなくちゃ」
マシューの頭をよしよしと撫でながら笑う
「…にしても、本当に君は真っ直ぐだね」
カウンター越しにグラスを拭いていたライアンが苦笑い
「君みたいな人がいなくなると、この店も寂しいねぇ…」
「あら、またいつか来るわよ!
そうねぇ…次のまとまった休みにでもまた来るわ!」
「次っていつ?!ねぇ、いつ?!」
「マシューったら!
…そうね〜お正月くらいかしら?」
「…当分先じゃん」
半泣き状態で口を尖らせるマシュー
「ふふっ、きっとあっという間よ!
それじゃあ私、もう一つ行くところがあるから行くね!二人とも、ありがとう!」
笑顔で手を振りながら去る詩音
ドアが閉まると、ライアンは背を向けた
「…オーナー、寂しいね」
「…そうだな」
いつになく小さなその声に、マシューは中へと入った
「ちょちょ、オーナー?!」
「…ホールのお前が何で中に入ってきた」
ライアンの目には、涙が浮かんでいた
「…詩音、瑠璃とはどうだったの」
「…上手くはいかなかったらしい」
ふう、とため息をついて次のグラスを手に取る
「上手くいかなかったって…それじゃあ詩音は一人で帰国するの?」
元の席へと戻ったマシューが尋ねる
「そういう事だな
…やっぱり、まだ詩音には時間が必要らしい」
淡々と口にしながらも、ライアンの声はいつもより元気が無かった
「時間が必要なのは、オーナーもでしょ?」
マシューが頬杖をつき、ライアンを見つめる
「…そうかもしれないな」
開店前の店は、いつにも増してひどく静かだった
一方、その頃詩音はというと…
「詩音ちゃん、もう帰っちゃうの?!」
バーボンの店に足を運んだ詩音は別れの挨拶をしに来ていた
「えぇ。心変わりするとうじうじしちゃって面倒なの、私
バーボン、あなたにも本当にお世話になったわ」
「私は何もしてないじゃないの」
寂しそうに詩音の横に座るバーボン
「いいえ!あなたがあの時私にメールをくれなかったら、今頃私はまだ彼を探していたわ
…本当、感謝してもしきれないわ」
お気に入りのリキュールを口にして、ふうと息をつく
「…日本に帰っても、また帰ってきてくれるでしょう?」
バーボンが詩音の手に自分の手を重ねる
「もちろんよ!
たくさんの思い出話を持ち帰って、またこうやってあなたとお話に来るわ」
「…約束よ?詩音」
この日、グレイとシュウは店に来なかった
「…疲れた」
一日のうちに挨拶をしようとした詩音は予想以上に疲れていた
「明日帰るって…こりゃ筋肉痛になるわね」
ホテルのベッドに身体を投げ出し、大の字で天井を見上げる
「…色々なことがあったなぁ」
瑠璃を探しにアメリカに渡って
ライアンの店でライアンやマシューに出会って
掲示板のメールからバーボンにグレイ、そして…
探していた彼にも、会うことが出来た
「…お母さん達になんて報告しよう」
彼がいつでも帰ってきやすいように、私なりに準備しておかなくちゃ
重たい身体を起こした詩音は荷造りを始める
そんな時
ピンポーン…
ホテルの部屋のベルが鳴った
「こんな夜中に…誰だろう」
よいしょ、と身体を起こしてドアを開ける
「…忙しいところ、ごめんね」
「る…シュウ!」
そこには、シュウがいた
「明日帰るって聞いたから…見送りしようと思って」
「もう、空港で良かったのに」
彼の気遣いが嬉しくて、思わず笑顔になる詩音
「…ねぇ、詩音ちゃん」
「ん?」
「詩音ちゃんは…彼のこと、どう思ってるの?」
シュウが彼というのはライアンの事だった
「どうって…私の恩人?」
「…恩人、か」
一瞬、少し安心したような表情を見せたのは気の所為だろうか
「詩音ちゃん、彼はきっと…」
シュウが言いかけた時、またベルが鳴った
「詩音ちゃん!遅くにごめん…って、誰??」
「あぁ、君も来ていたのか」
顔を覗かせたのは、ライアンとマシューだった
「みんな、忙しいのに来てくれたのね!」
詩音は嬉しくなり、二人も部屋へと上げた
「へぇ〜、君が噂の!
僕はマシュー!ライアンの店でバーテンダーしてるんだ〜♪」
「当たり前なんだけど…今更自己紹介って何だか不思議ね」
詩音がくすくすと笑いながら見ていた
「だけど本当、寂しくなるね…詩音」
ライアンが差し入れと持ってきていたお酒をあおる
「もう、みんなして!
そんなに寂しがらないで?また帰ってくるからさ!」
「絶対だよ?!絶対!!!!」
マシューがいつになく泣き虫なのはアルコールのせいだろうか
「…またね、詩音ちゃん」
夜遅くまで語り明かした詩音たち
翌朝、昼前の便で詩音はアメリカを旅立った
キィィン…と遠ざかり小さくなる飛行機
空港では
ライアンにマシュー、
バーボンにグレイ…
もちろん、シュウも見送りに来ていた
「…」
詩音が去った後、シュウの心には新たな想いが芽生えていた
詩音の帰国後
詩音から事前に連絡を受けていた聖と歩乃華が空港で出迎えた
「ねーちゃん!!」
「おかえり、詩音」
少し会わなかっただけなのに、やけに懐かしく感じる二人
「…ただいま!」
詩音は満面の笑顔で二人に飛びついた
「…え、それじゃあ瑠璃兄はしばらく帰ってこないって事?」
そのまま行きつけのお店にご飯を食べに来た三人
聖は、少し寂しそうな顔をした
「でもまあ…瑠璃くんも、自分をちゃんと見つけたら、帰ってくるんでしょう?
それなら、私たちはあの子がいつでも帰ってこれるように、準備して待ってなくちゃね」
歩乃華が明るく振る舞う
「そうよ!私たちは私たちなりに準備しましょ!」
二人の前では詩音もとても元気だった
ところが…
聖を歩乃華に送ってもらい、一人で帰宅した詩音
一人暮らしだった家は、当然静かだった
「…ただい、ま」
無造作に靴を脱ぎ捨て、部屋の電気をつけずにシャワーを浴びに行った
ザァァァァ…
シャワーを浴びながら、詩音の心はうずめいていた
あの時、どうして言えなかったんだろう…
シュウを呼び出したあの朝
詩音は、最後まで一番聞きたかったことが聞けなかった
“瑠璃は、私のことどう思ってるの?”
ただのお節介な幼馴染みだろうか
それとも…
「…次に会う時まで、もっと強くならなくちゃ」
そう自分に言い聞かせ、しばらくシャワーに打たれていた
「ふう…」
シャワーを浴びた詩音はようやくリビングの電気をつけてソファに座ろうとした
「…!!」
テーブルの上には、詩音が好きなものが沢山並んでいた
ハンバーグにオムライス、
スパゲティに肉じゃが…
「おかあ、さん……っ、」
それは
詩音の帰国を聞いた母親の多恵が、詩音のためにと用意していた
多恵は、詩音の帰国を聞いた時
瑠璃と一緒ではない事を聞き、娘を元気づけようとしたのだった
詩音がいつも座っていた席の所に、メッセージカードが四つ、置いてあった
“詩音、お疲れ様。
私もあんまり料理出来ないけど…お手伝い、頑張っちゃった!”
「歩乃華…」
“無理なお願いして本当にごめんなさい
姉ちゃん、本当にありがとう”
「聖…」
“よく帰ってきました!
お母さん、いつでも詩音が帰ってくるの、待ってるからね!”
「お母さ…ん…」
最後のカードは、瑠璃の母親からだった
“詩音ちゃん、本当にありがとう
私はもう、とっくに諦めていたと思っていたの
だけど、あなたが仕事を置いてまで必死にあの子を探してくれてるって聞いて…
居てもたってもいられなくなりました
瑠璃が今、どこで何をしているのか…私には分かりません
だから詩音ちゃん
あの子のこと、またお話しに来て欲しいな
あなたが瑠璃の幼馴染みで良かった
あなたみたいな子が瑠璃の傍にいてくれて、瑠璃も幸せ者よね
本当に、ありがとう”
「おばさ…」
涙で前が見えなくなる詩音
詩音がいない間、みんなが代わる代わる部屋を掃除しに来てくれていたことも多恵から聞いていた
日本では日本なりに、みんな瑠璃のため詩音のために動いてくれていたのだった
「幸せ者は私だよ、おばさん…!」
嬉し泣きで胸がいっぱいになる詩音
瑠璃はいつ、帰ってきてくれるかな
そんな事を考えながら、ただただ感謝の気持ちでいっぱいだった