わたしはゆっくりと顔を上げた。風で髪が頬にかかる。
康介と同じシャンプーの香りがする。
わたしを見る優也の瞳は何故か揺れていて、痛みをこらえているような表情をしている。
優也はたまに、こうやって悲しそうな顔をする。
康介みたいに素直じゃなくて、
翔太みたいに熱くなくて、
わたしみたいに冷たくない。
わたしはそんな優也が好きだ。
恋愛感情じゃないけど、守りたくなる。
あーたんとばあちゃん以外、守りたいと思った人はいなかった。
優也は、きっと悲しい人だ。
悲しいけど、優しい人。
そして本当は、きっとすごく寂しがり屋だ。
きっと誰かを愛したいと思っている。
愛されたいと感じている。
そう思ってるような気がした。
「ただいま。」
そう言ってアパートの部屋に足を踏み入れる。
ただいま、なんて、ばあちゃんが死んでから初めて口にした。
「おっ、おかえりー!」
そう言って笑顔で出迎えてくれるのは、わたしの家族…?になったらしき男、有馬康介。
具体的に何か変わったというわけではないが、この家に住ませてくれるようだ。
「ああー、もー、玲奈にこの家の住人になってほしくねーんだけど。」
そう駄々をこねるのは、ソファで寝そべるヤンキー、翔太。
でも、なんだかんだ言って、翔太はわたしを追い出してはこない。
それに翔太の女に絡まれた日から、一度も女を連れてこなくなったような気がする
わたしの錯覚か?
ふっ。
このツンデレ野郎が。
「ただいまあ!!」
そう言って靴を脱ぎ捨てて、わがやのように駆けこんでゆく保育園のスモック姿のあーたんは、すっかりこの家のマスコットキャラクターと化した。
そしてそんなあーたんを抱きあげて洗面所に連れて行くのは田中優也。
世界で一番優しい人。
「玲奈ー!オムライス一緒につくろーぜ!」
その時、康介がいきなり肩を抱いてきた。
!
『っ…離して!!やめて!!』
『ごめんな…玲奈。』
っ!!!
わたしは思わず康介の腕を強く振り払ってしまった。
顔を上げると、傷ついたような顔をした康介がいた。
「っ….」
ごめん…
康介とわたしの間に気まづい沈黙が流れた。
康介と気まずくなったことなんてないのに…
男が怖い。
康介で克服できた気持ちになっていた。
でも、あのトラウマは今でもわたしを呪っている。
「えーっと…?」翔太が私達を交互にみた、「お、お二人さん?」
「ご、ごめんな。」
そう言って困ったように笑う康介を見て、わたし何してんだろって思った。
「俺、ちょっとコンビニ行ってくるわ。」
そいって玄関を出て行く康介に、わたしは何も言えなかった。
今になっても呪い続けるあの日のトラウマ。
ひどいよ…こんなに時間がたった今でもわたしを呪うなんて…
もういいでしょ?
わたしだけが苦しんでいてバカみたい。
わたし、あんたたちに何をした…?
あんたたちは、わたしがこの四年間、どんな思いをして生きてきたと思う…?
十四年の重い痛みで済んだのに…
それをあんたたちは、十八年間の呪いへと変えたんだ。
いや、これからもきっと続くだろう。何十年間も呪われ続けるのかもしれない。
ただでさえ辛かったわたしを、あんたたちはもっと苦しめた。
康介の元に来て、もう終わったかと思った。
だけどこの痛みは、一生わたしに付きまとうような気がした。
「っと、どうか…した?」
翔太がわたしの顔を覗き込んできた。
わたしは無言で椅子に腰を下ろした。
康介は何も悪くない。
なんにも、なんにも悪くない。
全部わたしのせい。
きっとびっくりしたよね、いきなり思いっきり腕を払われて。
そんなことされたら、誰だって傷つく。
わたしはやっぱり最低な人間なんだ。
康介はなかなか帰ってこなかった。
きっとわたしのせいだとは思うが、部屋にはなんだか気まずい空気が流れていた。
ただそんなことを知らないあーたんはさっきからきゃっきゃしてはしゃいでいる。
康介に対してこんなに悩んでいる自分が不思議だ。
ついこの前までだったら、きっと何も気にせず、自分の人生を単独で歩んでいただろう。
人間関係が嫌いで、ただあーたんといられればそれで十分だった私。
それがなに?今は、同じ学年の高校生男子を些細なことで傷つけてしまい悩んでいる?
どういう心境の変化だろう…って自分なんだが。