ガラスの心に気づいたなら 〜 1



「時間はまだまだあるんだからさ。」


いつも焦ってた。


なんでかわかんないけど何かに追われてる気がして、焦ってた。


まだまだ頑張れるって思ったら、なんかわかんないけど視界がにじんできた。


康介はそんなわたしを見て、自分まで泣きそうな顔をした。


「なんで…康介が…かなしそうにするのっ…?」


なんでよ。

なんでわたしのために悲しくなってくれてるの…?


腹部が痛くてわたしはよこにあったゴミ箱をとって吐いた。

感情が入り決まって息ができなくなって吐いた。

「っ…ぉえ…」

康介はそんなわたしの背中を嫌がらずに撫でてくれた。

何度もなんども謝りながら…
そのあと康介は氷を持ってきてくれて、額と腹部の上に置いてくれた。

「さらに弱っちゃったな。ごめんな。」

優しすぎるよ。

わたし…その優しさに甘えちゃうよ?

「到底この家から出れそうにねーな。」そう目尻を下げて申し訳なさそうに笑う康介は優しすぎる。

「わたし…ほんとに出ないかもよ?」

「いつまでもいろよ。俺は大歓迎だけど?」

っ…
わたしは心がなくて、誰も信じない…
















と思っていた。


五日目の朝、体調は大分良くなった。


相変わらず受け答えはしない私だけど、人の話は一応は聞くようにした。


人も覚えた。


まあ、よくこの家に住んでいる人だけだが。

というのも、この家にはいつもいろんな人が出入りしている。

そしてみんなで笑いながら話したり、恋愛問題で少しもめたり、たまに喧嘩したりと、人間味あふれる生活が手に取るようにわかる。

わたしには程遠い幸せな時間だ。

そしてもう一つわかったことがある。

それは、この家には家族がいないということ。

普通ならきっと父母子供という関係になっているだろうが、この家の住人は皆バラバラだ。


面白い…わたしは純粋にそう思った。


「今日は起きあがれるようになったんだ。」

そう呟きながらテーブルにスープを運んでくる、第一印象が真面目くんだった彼は、田中優也。


わたしは優也と心で呼んでいる。彼は今では…寂しい印象。


未だに話したことはないが、自分でも怖いくらいにあーたんを任せられる。

こんなの初めてなことだから、自分でもなんだか恐ろしい。

人に頼らず生きるときめた自分が、なんで今更…?

その疑問が浮かんでは、すぐに消す。

今の時間を否定したくない。現実を見たくない。

「あーちゃんは今ベランダでシャボン玉してるよ。心配しなくても大丈夫だよ。」

そう無表情で語る彼を見て、わたしは泣きたくなる。

解放感が震えるほど嬉しい。

肩からにがおりた感覚は、体を痙攣させる。

痺れるほど嬉しくて、それでいて怖い。

自己満足に浸っている自分が憎い。

あーたんの母親は、わたしなのに…


そして未だに誰にも私たちが親子だと気づかれていない。


あーたんのろれつが悪いから、聞き取れないというのが現実。

ちゃんとわかるのはわたしだけ。

でもきっとそれも時間の問題だろう。


「温かいうちに食べて。」そう告げ背を向ける優也。


と言っても部屋は狭いから向かいの椅子に腰をかけて教科書を開く。

家全体で2ldkあるかないか。

そんな中に人が密集しているもんだから、人間臭くてむし熱い。

でも、それがなんだか新鮮だったりする。

「たっだいまー!」

そう勢いよくドアを開けて金髪頭が入ってきた。

名前は…なんだったかな。

なんちゃら翔太。

家に帰ってくるのは不定期だ。

「って、お前まだいんのかよー。俺の女怒らせたやつー。」


翔太は何かとわたしに絡んでくる。


でも、なぜだか本物の嫌悪は感じない…




だって、わたし、知ってるから。




本当に嫌われる気持ち。




本当に嫌っている人のオーラ。知ってるから。

「おはよ。」

そう言って背後から声がした。

康介だ…

振り返らなくてもわかる。

きっと今は眠たそうに切り長の目を細めてて、ちいさくえくぼをくぼませているだろう。

さっきまで敷布団の上で眠っていた康介は、わたしに一応配慮してくれているのか、部屋の隅っこに布団を用意してくれている。


でも、わたしは汚い…純粋じゃないんだ…


こんなに素直で綺麗な康介たちのそばにいる資格は…ない。



康介は前に回ると寝癖のついた髪をくしゃっとしてわたしの前に屈み込むと、「だいぶ元気そうじゃん。」

そう言って目を細めて笑った。


康介の目をじっと見つめた。

今、康介の黒い、キラキラとした瞳にはわたししか映っていない。

わたしだけを見ている…

「な、なんだよ。」そう言って顔を引き離す康介は、今もわたししか見ていない。

なんともいえない気持ちが心を赤く染めた。


「康介。」

「お、おう。」康介は心なしかおどおどしている。

久しぶりに心が温かくなった。

くすぐったい気持ちになった。




「ありがと。」




わたしはそう言って、思わずふっと笑ってしまった。


康介は目を見開いて突っ立っていた。

その間抜けな表情にまた笑みが溢れる。

周りのみんなも驚いたような表情でわたしを見ている。

それがおかしくて、あははっと声を上げた。


「見てみてー!」

そう言ってかけてくる我が子を抱きしめると、初めて、喜びが湧き上がった。


「あーたん、大好き。」


そうつぶやいてあーたんの頬に口づけすると、ふわっと石鹸の香りがした。