頂上からは、街灯に照らされた町全体が見下ろせる。
夜空には、星がポツポツと現れ始めた。
この裏山には、いつからかは忘れたけど、ずっと行き続けている。
それに、誰かと誰かを想って、この景色を一緒に見ていたような記憶も少し残っている。
だけど、何が本当で何が嘘かもわからないこの世界で、自分の記憶なんて信用することができなかった。
だからいつもひとりで、誰からもらったかもわからない望遠鏡を持って、いつも綺麗に輝く星を眺めていたんだ。
夏の星は美しい。
ぐるりと一周回ってみて、一つ一つの星をじっくりと観察してみる。
「え……」
すると、さっきまで星と月しかなかった星空に、突然見慣れない光が現れた。
その光は眩しいほどに輝きを放っていて、なぜかこちに向かって近づいてきている。
もしかしたら、UFOというやつかもしれない。
わたしはとにかく怖くて、何をしたらいいかわからずに、ただその場で体を伏せていた。
そっと目を開けてみると、すぐそばの茂みから煙が上がっているのが見えた。
近づくのは怖くて、だけどなんだか気になって、その場を離れることはできなかった。
「きゃっ!」
その茂みから出てきたのは、全身半透明の見たことのない生き物だった。
向こうも少し驚いたように、じっとわたしを見つめていた。
「な、なに」
日本語が伝わるかなんてわからないのに、出てくる言葉はそれだけだった。つい、夢を見ているんじゃないかと思ってしまう。
そしてゆっくりとわたしの方に歩み寄り、目の前まで来てからわたしを不審な目で見てきた。
さっきまで暗闇でよく見えなかった容姿が、目の前にしてみるとハッキリと見える。
意外と整った顔立ちで、少し人間に近いような顔。
わたしとあまり変わらない身長。
今すぐにでも倒れそうな、ひょろひょろの体。
半透明なせいで全て見えてしまっている臓器。
少し人間にも見えるけれど、やっぱり違う。
「あなたの名前は?」
伝わるわけないってわかってるのに。だけど聞いてしまうんだ。だって伝わりそうな姿をしているから。
わからないけれど、どこかわたしと似ている表情をしている気がした。
「ピロ」
その声も人間とそっくりだった。
扇風機に向かってしゃべった時のような声ではなく、わたしたちの聞いたことのあるような日常的な声だった。
ピロ……
本当の名前なのかな?わたしの言ったこと伝わったのかな?
なんだか嬉しくなってきて、たくさん話したくなってきた。
「わたしは"セイヤ"。よろしくね」
ニコッと微笑んでみせるけど、ピロは理解していないようで首をこてんと傾げていた。
彼が口にした言葉は、名前かはわからない。ただわたしが勝手に名前だと思い込んだだけ。だから、"ピロ"には何か意味があるのかもしれない。
わたしは母親であるわけじゃないから、いちから言葉を教える方法はわからない。
とにかく何度も"セイヤ"と繰り返してみた。
「セイヤ。わたしはセイヤ」
自分の方を指さして、何度も何度も言い続けた。
「ピロ。きみはピロ」
そしてピロの方にも指をさして、"ピロ"と言い続けた。
「セイヤ。ワタシハセイヤ」
なんと、そう言ったのはピロだった。
わたしは驚きのあまり、山からに転げ落ちそうになってしまった。
ピロがわたしの名前を呼んだのだ。
もちろん、それがわたしの名前だとはわかっていないみたいだけど、なんだかワクワクしてきた。
「セイヤ」
わたしはピロの手を取って、わたしの方に指をさした。
「ピロ」
そしてピロの方にも指を向けた。
「キミハ、セイヤ……」
「そう!」
「ワタシハ、ピロ!」
「そうだよ!」
ピロは嬉しそうに、"セイヤ""ピロ"を連呼していた。
わたしも嬉しくて一緒に連呼した。
宇宙人と仲良くするだなんて、普通の人ならきっとできないよね。やっぱりわたしはひとりぼっちだから……
「ごめん。帰らなきゃ」
最近買ったばかりの腕時計は、八時を指していた。
おばあちゃんに心配かけてしまう。早く帰らなきゃ。
ピロのことは少し心配だったけど、そのままほっといてあげることにした。
きっと言葉の意味はわかっていないんだろうけど、手を振ると、ちゃんと振り返してくれた。
今日はなんだか、いつもよりも不思議なものと出逢えたな。
「おい」
声をかけられ、自分が寝ていたことに気がついた。
「授業中だぞ」
「すみません」
先生にポンと軽く頭を叩かれ、教室中からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
わたしはいつもひとりで、一緒にいてくれる人なんて誰もいなかった。
それは、わたしが友情というものに興味がなかったのもあるけれど。
家ではおばあちゃんが一緒にいてくれるけど、学校ではいつもひとり。
まぁそんな生活にはもう慣れてるけど。
寝ぼけながら手元にあるノートを見ると、相変わらず何も書いていなかった。
しかし、端っこに小さく『ピロの服買う』と書いてあった。わたしこんなこと書いたっけ?
よく覚えてないけど、確かに服を買ってあげなきゃ可哀想だとは思っていた。
だけど勝手に服を与えてもいいのか、少し不安でもあった。
でも体が半透明だからね……
この地球で生きていくのなら、服は必須だよね。うん、そうだ。臓器が丸見えじゃ、大変だよ。
そして、赤ペンで『ピロの服買う』の字を丸で囲った。
──キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴ると、みんな教室から出ていった。もちろんわたしも一緒に。
今から放課後で、みんなが部活に専念する時間。あまり目立たないけど、わたしも部活に入っている。
その部活は『天体観測部』。
なんと部員はたったの二人で、することはただ星空を観察すること。
わたしは裏山で星空を観察するため、あまり部活には参加しない。
だから、わたしは部員ではないと言ってもおかしくはない。でも決して退部することはなかった。
久しぶりに行ってみようかな、と気まぐれに部室である理科室を訪れた。
──ガチャ
少し重たいドアを押すと、中に誰かいるのが確認できた。
その人はすぐにこちらを振り向いて、驚いた顔をしていた。
「松乃じゃん!久しぶりだな」
「うん。菊池は毎日部活来てんの?」
黒色のサラサラの髪の毛に、綺麗な目。まぁまぁイケてるコイツは、菊池夜斗。
"ナイト"という名前通り、わたしと同様でなかなかの星空オタクだった。
「俺は毎日来てるよ。最近は空を通り越して、宇宙の方にも興味があってね」
菊池はふふと笑って、窓の外を眺めた。
まだ空は明るくて、太陽がギラギラと輝いている。
この太陽の光は……
「八分」
菊池は右手で太陽を遮りながら言った。
「太陽の光が地球に届くまで、八分かかるんだって。意外と長いんだよね」
そう言うと右手を下ろして、わたしの方を向いた。
「でももっと長い星あるよね」
「うん。何億光年かかる星もたくさんあるからね」
何億光年……わたしが生まれたずっとまえ。
そんな時代の星の光が、今やっと届くのか。
もうその星は存在していないのかもしれない。そう考えると、あまり深く考えたくない宇宙も、面白いなと思えてきた。
「宇宙って面白いだろ」
菊池はふにゃりと笑った。
「お前は、宇宙人とか信じる?」
「う、宇宙人……」
その言葉に思わずドキッとしてしまった。
「俺は信じてる」
「え……」
なぜか菊池は真剣な顔で話していて、それがまたわたしを焦らす。
もしかして、ピロのこと知ってるんじゃないかって。
「だってあんなに広い宇宙だよ?そりゃあいるに決まってるよ。逆にいなかったら怖いから」
その言葉を聞いて、わたしはふっと胸をなでおろした。
よかった。バレてない。
ピロのことが世界中にばれてしまえば、きっとピロの命が危ないことになってしまう。
だから、絶対に言ってはいけないんだ。
「どうかした?」
「あ、いや、そうだなって思って」
不思議そうな目で見つめてくる菊池に、わたしは下手くそな笑顔で返した。
「あ、あともう帰らなきゃ。じゃあね」
「え、ちょっと」
止められそうになったけど、無理矢理理科室を飛び出した。
さっきまで明るかった太陽は、少しオレンジ色に輝いていた。
どうしよう!星が出るまで時間がない!
今日もピロがあそこにいるかはわからないけど、服を買うって決めていた。だから買わなきゃいけない気がした。
わたしは靴を荒く履いて、すぐに走り出した。
夏に走ることなんてなかなかなく、少し体が鈍っているような気もするけど、力を振り絞って暴れるように走り続けた。
幸いなことに、この学校の周りには色んな店が並んでいるため、とても助かる。
その中には結構人気な服屋があって、そこはピロにぴったりの服もあるはずだ。
わたしは迷わずその店に入っていった。
そういえばピロって男の子かな……それとも女の子?
よく容姿を思い出してみるけど、住む星の違う生き物の性別なんてわかるわけがない。
とにかく、どっちでもいいような大人しいワンピースを買うことにした。
いきなりズボンとか、シャツとか、肌に影響がありそうなものは選ばないようにすることに。
そしてすぐにレジで会計を済ませ、また道を走り抜けた。
今日は家に帰らず、直接裏山に行くことに決めた。
じゃないと、一番星が見られないから。
それに、早くピロに会いに行きたいし。
ピロはこの服、喜んでくれるかな?またわたしの名前を呼んでくれるかな?
そんなことを考えているとワクワクしてきて、もっと早く行きたくなってきた。
いつもなら結構しんどいと感じる山道も、今日は軽々と乗り越えられた。
空はすでに暗くなっていて、星が出ようとしているところだった。
肺が破裂しそうなくらい息が荒くなったところで足を止めた。
「セイヤ」
わたしの場所、いつも星空を眺めている場所にピロが座っていた。そしてわたしの名前を呼んだのだ。
「ピロに見せたいものがあるの」
わたしはまだ整っていない息づかいで、ウキウキしながら袋から服を取り出した。
中から取り出したのは、茶色で無地の少し大きめのワンピース。
これなら性別がどちらでも着られると思って買ってみた。
それをピロに見せると、ピロは不思議そうに首を傾げた。
「これは、フク。ピロのだよ」
わたしはそう言って、ピロに着させようとした。
「ボク、ヤダ!」
ピロはわたしの手を振り払って後ずさりした。
え、今のって……
「ピロがしゃべった……」
わたしが教えた言葉は、"セイヤ"と"ピロ"だけなのに。どうして、そんな言葉知ってるの?
いったいどこでどうやって……
「ピロ、ヤダ。ヤーダヨ」
「ダーメ!」
嫌がるピロに、なんとか無理矢理着せることに成功した。可哀想だけどしょうがないよ。
だって服を着ておかないと、臓器丸見えだし、街中なんてとても歩けない。
これはピロのことを思ってだから。
「ナニアレ」
ぶすっとした顔のピロが指さしたのは、まるで宝石のような星が散りばめた夜空だった。
「ホシ」
わたしはそう言いながら、地面に指で星を描いてみせた。
するとピロはそれをそっと撫でて、楽しそうに笑った。
「ホシ!」
ピロは嬉しそうに"ホシ"を連呼した。
ピロといると、まるで自分が母親になった気分になる。
母親って、こんなに楽しくて、でも大変なんだね。
ピロはどんな星に住んでたのかな?
この地球から見えるのかな。光が届くまでどのくらい時間がかかるのかな。
いつかピロに聞けるかな。
隣にいるピロを見てみると、すっかり星空の虜になっているのがわかった。
そんな姿はとても幼く見えてしまう。
ピロはいったい何歳なのかな……
見た目は大人っぽいのに、中身は思いっきり子供。
性別だってそうだ。"ボク"って言うから男の子かと思えば、時々かわいい仕草をするから女の子かもしれないし。
ピロは本当に謎だらけだ。
ねぇピロ。その謎、いつか教えてね。
「グゥー」
そう音をたてたのは、わたしのお腹だった。
そういえば、まだ家に帰ってなくてご飯を食べていなかった。
きっとピロもお腹が空いているはず。
「行こっか」
わたしは立ち上がって、ピロの手を握った。その手は少し冷たくて、プニプニしていた。
ピロは首を傾げていたけど、わたしの隣に立ち上がって、素直に着いてきてくれた。
裏山を下ったところには、すでに街灯が眩しく夜道を照らしていた。
さっきまでいた裏山の方から、色んな虫の鳴き声が聞こえてくる。
「夏だな」
そう小さく呟いてみると、いつものようにピロが首を傾げた。
「ナツ……」
ピロは不思議そうに周りを見渡していた。
何がナツなのか、探そうとしているみたい。
「キャア!」
夏の夜に感動していると、脇にある小さな田んぼから一匹のカエルが飛び跳ねてきたのだ。
だけどわたしが驚いたのはそこじゃなかった。
そのカエルに対して驚いているピロに、わたしは思わず驚いてしまった。
ピロは甲高い、女の子がゴキブリを見た時みたいな声で叫んだんだ。
やっぱりピロって女の子?
「ぷっ」
怖がるピロとは正反対に、わたしは思わず笑ってしまった。
「カエルだよ。そんなに驚かなくても大丈夫」
そう言ってケラケラ笑っていると、ピロはわたしの手をギュッと力強く握って、訴えるような目で見つめてきた。
「うん、ごめんね。じゃあ行こうか」
不安にさせてしまったみたいで、ブルブルと震えるピロ。早く安心させてあげなきゃ。
「バカ」
「は?」
ピロは小さくそう呟いて、下を俯いた。
は?バカ?なんだとー!?
今すぐ怒ってやりたかったけど、それは堪えておいた。宇宙人と喧嘩なんて経験ないし。
またそんな変な言葉をどこで……
「バーカ。セイヤノバーカ」
「バーカ。ピロのバーカ」
言い出すと止まらなくて、お互いにずっと言い合いを続けた。
バーカバーカって何度も言い合って、最後には笑いあって。なんだかピロと一緒にいると、不思議な気持ちになる。
なんだろう……今まで感じられなかった何かがある。胸の中が少し温かくなっていく感じ。なんだろう……
「ピロ、バカヤダヨ」
ピロは少しムッとした顔でそう言った。
ピロの言葉にはイントネーションがなく不自然で、ちょっと面白い。
それもきっといつか自然になっていくんだろうけど。
「着いたよ」
家に着いたはいいものの、これからピロをどうしたらいいのかわからなかった。
家の中に入れるのは、おばあちゃんがいるからとても困難だ。
おばあちゃんにバレたら、きっとすぐに警察を呼ばれてしまう。
「ピロ」
いいことを思いついたわたしは、人差し指でピロの肌をつついて、大きく丸のポーズをしてみせた。
すると、ピロは少し戸惑いながらも、肌の色を透明に変えた。
ピロの肌の色は自由自在に変わるらしい。それを利用して、ピロの姿が見えないように透明にしてもらった。もちろん臓器もね。
そして透明なピロの手を引っ張りながら、ゆっくりと扉を開けて家に入った。
「星夜」
玄関にはすでにおばあちゃんが立っていて、怒っているような顔をしていた。
おばあちゃんは怒ってもあまり怖くないけど。
「ごめんなさい。今日は部活に行ってて、直接山まで行っちゃって。次から気をつけます」
「まったく」
おばあちゃんは呆れたようにため息をついて、リビングまで行ってしまった。
わたしは、玄関の端にピロを座らせ、「ここにいて」とジェスチャーで伝えた。
まるで犬に"待て"をさせているみたい。
わたしもおばあちゃんに続いてリビングに向かった。
今日は少し疲れたのか、自然と大きなあくびが出てくる。
伸びをしながら椅子に腰掛けると、おばあちゃんがご機嫌そうに寄ってきた。
「今日はビーフシチューよ」
おばあちゃんには、さっきの呆れ顔などどこにも見当たらなく、嬉しそうな笑顔だけが浮かんでいた。
「なんでビーフシチュー?」
おばあちゃんがビーフシチューを作るなんて、クイズ番組の景品で、大量の牛肉を貰ってしまって仕方なく作ってみた時以来。
「お隣の佐々木さんからいただいたの。牛肉をくださるなんて、ものすごくいい人よね」
お隣の佐々木さんと言えば、とても陽気で笑顔の絶えない優しいおばさんというイメージ。いつも何かあれば気にかけてくれるし、色んなものを譲ってくださる。
「でも、ニンジンとジャガイモは、スーパーで買ったの。まぁそこは許してよ」
おばあちゃんはふにゃっと笑って、わたしの目の前の椅子に座った。
このビーフシチュー、ピロにあげたいな。
「おばあちゃん。今日は疲れたでしょ?後はわたしがするから、おばあちゃん先に寝てていいよ」
「え、本当?じゃあお言葉に甘えて」
おばあちゃんの部屋は二階で、わたしの部屋も二階。だけど部屋は別々。
もちろんおばあちゃんのことを思ってだけど、本当はピロと食べたいからっていうのもある。そんなこと言えないけどね。