なぜか鍵が開いていて、安易に中に入ることができた。
こんなことをしていたら、泥棒の家に泥棒が入って大変なことになっちゃうよ。
玄関もそのままで、わたしの学校のローファーが定位置に置かれていた。
「星夜……」
わたしがさっさと二階に上がらなかったせいで、リビングからおばあちゃんが出てきてしまった。
もちろん驚いた顔をしていて、でも少し嬉しそうにも見えた。
「最低だよね。誘拐犯のくせに自分を弱く見せるなんて」
わたしは本気でショックだったし、信じたくはなかった。
だけどいずれは知る真実だったんだろうな。
おばあちゃんはわたしの言葉に反論できるわけなく、その場に泣き崩れてしまった。
その間に二階のわたしの部屋に向かって、わたしは突っ走った。
わたしは部屋の前で立ち止まり、一度深呼吸をした。
ピロに忘れられてないかなとか、嫌われてないかなとか、急に不安な気持ちが湧き上がってきたからだ。
ドキドキしながらもそっとドアを開けてみると、少し光の差し込んだ部屋の隅に毛布にくるまったピロが居座っていた。
「ピロ!」
「セイヤ!」
わたしは嬉しくって思いきりピロに飛びついた。
何も言わずに家を出てしまい、ご飯もあげずにひとりぼっちにさせてしまったというのに、ずっと同じ場所に座って待っててくれたなんて……優しすぎるよ。
「どうして……どうしてここにいてくれたの?」
理由はないのかもしれない。
だけど待っててくれたという事実だけは確かだから、何か思いはあったのかもしれない。
「ダッテ、セイヤ、マッテテ、イッタカラ」
びっくりした。
以前よりもたくさん言葉を覚えていたからだ。
この部屋にいながらどうやって勉強したのか……
わたしは抱きしめていた体を離して、ピロの目を見つめた。
相変わらず綺麗な顔立ちで、本当に人間みたいなのに中身は可愛らしい宇宙人。
そんなピロはとても愛らしかった。
「本当にいい子だね」
わたしはピロをもう一度抱きしめた。
するとピロは戸惑いながらわたしの背中に手を置いた。
なんか可愛いな……
「コレナニ?」
そういえば久しぶりに聞いたな、『コレナニ』。
"コレ"とはどれのことを指しているのか……
一瞬悩んだけれど、わたしの背中をぐるぐるしてる手でこの状態のことを言ってるんだとわかった。
「ハグ」
「ハグ?」
「そう。大好きな人とか、大切な人とかをギュってするんだよ」
「ダイスキナヒト?タイセツナヒト?ギュット?」
ピロは首を傾げながら言葉を繰り返した。
その時やっとわたしは自分の言動の意味に気がついて、ピロの体を離した。
わたしにとってピロは、大好きな人?大切な人?
どっちもなのかな?
それってどういうこと……?
こんなにも胸が熱くなっていくのは、どうしてなのだろう。
複雑な気持ちがわたしの心の中を満たしていった。
「あと、どうやって言葉を覚えたの?」
不自然だった。
外には出ていないはずなのにどうして言葉を覚えたのか。
「コレ」
ピロが差し出したのは、テレビのリモコンだった。
「うそ!テレビで覚えたの!?」
これまたびっくり。
リモコンの扱い方とかテレビのチャンネルのこととか一切話してないのに!
やっぱりピロは天才なんだな、と思うとわたしも鼻が高い気がしてきた。
子育てってこんな感じなのかな?こんなに楽しいものなのかな?
わたしはピロと一緒に成長していきたいなと、そう心から思った。
あまりこの家には居たくないので、すぐに荷物をまとめて部屋を出た。
ほとんどが学校の道具を占めていて、買ってもらった服や雑貨は全部置いて帰ることにした。
これからは全くの他人として生きていくわけだし、気持ちを改めようという考え。まぁ元から他人だったのだけれど。
「ピロも一緒に行く?」
問題はピロだった。
もちろんここに置いていくつもりはないし、でも一緒に暮らすことは困難となる。
わたしはピロと一緒にいたい。だけど家に連れていけるかがわからない。
「イク」
ピロはわたしの手を握ってニッコリ笑った。
そんな顔されたら……
「一緒にいようね」
一緒にいられるかわからないけど、できる限りのことはしよう。
握られた手をギュッと握り返して、階段を降りてみると玄関でおばあちゃんが知らない人達に囲まれているのが目に入った。
この服装は、警察官だ。
「あなたが松乃星夜さんですか?」
ガッツリした体型の男性にいきなり声をかけられ、思わず「ひっ!」と変な声を出してしまった。
「は、はい。わたしが松乃星夜です」
「親御さんとは再会できましたか?」
男性の警察官は少し心配そうにわたしに尋ねてきてくれた。
「はい。これからは向こうの家で暮らすことになりました」
「星夜……」
おばあちゃんは、聞こえるか聞こえないくらいの声でわたしの名前を呼んだ。
おばあちゃんと会話を交わすのは、きっとこれが最後なんだ。
だから本当に思っていることを言う。
「わたしの人生を支えてくれてありがとう。だけどあなたはわたしを堂々と騙した犯罪者。そんなあなたとはもう二度と会いたくありません、さようなら」
深々とお辞儀をすると、その場が凍りついたように静かになったのがわかった。
これでもう終わり。もう二度と帰って来ることもないだろうし、会うこともない。
だからこうやってきちんとお別れをするんだ。
「なんで……」
震える声と鼻をすする音で、おばあちゃんが泣いているんだと気がついた。
わたしはゆっくりと頭を上げてその様子をただただ見ていた。
きっと何かを言おうとしているのだけど、出てくるのは涙ばかりで上手く話すことができないんだ。
そして最後には手のひらで顔を覆い、その場にしゃがみこんでしまった。
その「なんで」は、わたしが出ていくことに対してじゃないんだと思う。わたしが「ありがとう」って言ったことなんだと思う。
感謝の気持ちを伝えたのはたったの一瞬だけど、それがおばあちゃんにとって嬉しかったのかな。
わたしはこの場にいても仕方がないと判断を下し、透明になったピロの手を握りしめながら家を出ることにした。
警察官の人に敬礼をされ、わたしも深くお辞儀をしてから家を出ると、外には心配そうにしている佐々木さんが立っているのが見えた。
わたしは何も言葉を発さずにニコッと笑ってみせた。
すると、佐々木さんは安堵の表情を浮かべて家に戻っていった。
わたしが佐々木さんが警察を呼んでくれたんだと気がついたのは、後のことだった。
「ただいま」
抱えていた大荷物をドンと玄関に下ろすと、体が一気に解放感に襲われた。
車の中でお父さんは特に話しかけてくることはなく、家に着くまでずっと沈黙が続いた。
だけどその沈黙は決して悪いものではなく、お父さんの優しさから生まれたものなんだ。
「おかえりなさい」
リビングからお母さんが駆け寄ってきて、荷物を受け取ってからわたしの顔色を伺った。
「大丈夫だよ。言いたいこともちゃんと言えたし、後悔はないよ」
お母さんの思っていることがわかったから、わたしは微笑みながらそう言い、残りの荷物をもう一度抱えた。
「よかった」
お母さんは胸をなでおろし、荷物をわたしの部屋へと運んで行く。わたしも続いて運んで行った。
「ついてきて」
そして小さな声で透明になっているピロに呼びかけ、階段をゆっくり上って行った。
「荷物整えたら下に来てね。お昼ご飯できてるから」
お母さんはニコッと笑って部屋から出ていった。
「ピロ、ここが本当のわたしの家だよ」
「ホントウノ?」
わたしの複雑な家庭環境なんて知らないピロは、"本当の家"という言葉に疑問を抱いたようだ。
だけどこんなにも純粋なピロに、そんなこと絶対に話せない。なぜか暗い現実を知ってほしくないんだ。
「荷物を整え終えたらお父さんとお母さんに話すから、静かにここで待っててね」
「ウン、マッテル」
ピロはわたしが一度ひとりぼっちにさせてしまったのに、いつでもわたしの言葉を信じてくれるんだ。
やっぱりそこが素直で純粋で、わたしたち人間とは違うところなんだろうな。
やっと荷物を全て整え終え、わたしはリビングの目の前で深呼吸をしている。
「宇宙人と仲良くなったら一緒に住みたい」なんて言ってもきっと信じてくれないだろうし、バカバカしいと思われてしまうに違いない。
けれどお父さんとお母さんはわたしを信じてくれたんだ。
いつまでもわたしを待ち続けてくれて、帰ってくるまでずっと信じてくれていた。
もしここでわたしがピロのことを秘密にしていたら、きっと後から悲しまれてしまう。
もうこれ以上迷惑はかけたくないし、悲しませたくない。だから言わなきゃならないんだ。
そう決意を固めてからリビングに足を踏み入れた。
「何このいい匂い!」
リビングに入った途端、鼻翼をくすぐるような匂いがわたしを包み込んだ。
「よかった!星夜が戻ってくるまで何年間も研究したんだからね!」
エプロンを身にまとったお母さんが嬉しそうに笑った。
椅子にはすでにお父さんが座っていて、お母さんと一緒に笑みを浮かべていた。
なんだか急に胸が温かくなってきてまた、これが家族なんだなって思わされる。
「それで、お昼ご飯って?」
あんなにいい匂いのする食べ物は一度も食べたことがない気がして、ワクワクしてきた。
「見てごらん!」
お母さんはわたしの手を引き、テーブルの上を指さした。
「すごい……」
テーブルの上には大きなホットプレートが置かれていて、その上には焼きたてのホットケーキが並べられていた。
実はわたしはホットケーキやパンケーキなどのケーキは食べたことがなかった。
前の家では外出をすることをあまり許されず、わたしが家を出る時は学校へ行く時と星を見に行く時くらいだったんだ。
だから一緒に外食に行ったり、買い物に行ったりなんて一度もなかったと言っても過言ではない。
わたしはすぐさま椅子に座り、大げさに手を合わせた。
「いただきます!」
大きなホットケーキをお皿に移して、上にバターとシロップをたくさん乗せた。
「本当に嬉しそうだな」
「だって初めてだもん!」
もごもごと口を動かすお父さんは、微笑みながらわたしの様子をしっかりと見ていた。
本当はピロの話をする時にドキドキするはずなのに、なぜか今ドキドキしてしまう。でも無駄ではないんだよね。
そして、緊張しながらも一口食べてみた。
「美味しい!!」
わたしは思わず声を張り上げた。たぶん近所まで届いてると思う。
今のわたしはピロがニンジンを食べた時みたい。
お母さんはクスクスと笑って、よかったと喜びの表情をみせていた。
「実は……お父さんとお母さんに話さなきゃいけないことがあるの」
目の前のホットケーキに乗ったバターとシロップは溶け込んでいっていた。
わたしが話し終える頃には全て溶けちゃうのかな。
「どうかしたの?」
お母さんは心配そうに聞いてきた。けれどお父さんは少し緊張気味な表情をしていて、どうやら嫌な話だと予想したようだ。
「信じてもらえるかわからないけど……」
どんどん速くなっていくわたしの鼓動は、リビング中に響き渡っていた。
「わたし、この前あの山で宇宙人と会ったの」
これだけでもかなり緊張するし、何を言われるかわからない恐怖もある。
もちろんお父さんとお母さんは内容を理解できていなくて、口を開けて呆然としている。
「宇宙人……」
お父さんはそう言ってから表情を変えた。目を大きく見開けて驚きの表情へと変化させた。
「それでね、その宇宙人とは仲良くなったんだけど、あの子には家族もいないしわからないこともたくさんあって、ひとりぼっちにはさせたくないの。だから……」
「だから?」
ごくりと唾を飲み込んだ。今更、バカにされるんじゃないかって不安になってきてたまらない。
だけど、決めたことはやらなきゃ。
「だから、この家で一緒に住んでもいい?」
きっとそんなに緊張することではないのだけど、なぜか異様に緊張してしまう。
宇宙人と一緒に住みたい。って言ってるのと同じなのに。
それなのにこんなにも緊張してしまう。
「宇宙人ねぇ……」
お父さんは頭を抱えて悩ませていた。そりゃあそうだよね。
「その子を連れて来れる?」
お母さんは少し声を震わせていた。宇宙人が怖いのか、それとも宇宙人とわたしが友達だということが怖いのか。
わたしは頷いてリビングを出ていった。
「宇宙人なんていると思うか?きっと星夜の思い込みだよ。もしかして幻覚が見えるんじゃないか……?」
階段を上がっている途中に、リビングからお父さんの呆れたような声が聞こえてきた。
やっぱりそう思われちゃうよね。
「信じてあげましょうよ。星夜は嘘ついたりなんてしないんだから」
「だけど、宇宙人だぞ?さすがにな……」
後からお母さんの声も聞こえて、やがて会話へと変わっていった。どうやら二人ともわたしの発言に対して驚いたようだ。
あたりまえか。
わたしは部屋にいるピロを連れ出して、急いでリビングに戻る。
「お父さん!お母さん!」
「星夜……!」
ピロは肌を人間と同じ色に変えていて、容姿はまるで人間のようになっている。
驚きのあまり声を失ったお母さんは、手を口に当てて目を見開いていた。
「コンニチハ、ピロデス」
「しゃ、しゃべれるのか!?」
お父さんも目を丸くして椅子に座ったまま固まってしまった。
二人とも石のように固まって、ただ静かにピロを眺めていた。
「ピロは、いい子でとても賢いの。わたしにとって大切な存在だし、ピロからはたくさんのことを学んだの」
わたしが力強く説得するのと反対に、ピロは隣で呑気にニンジンをかじっていた。
次は空気を読む練習させなきゃね。
「そうか。星夜を変えてくれたのはこの子なのか」
「それなら……ね」
まだ少し怯えているようだけど、お父さんとお母さんは一緒に住むことを許してくれた。
まだ慣れないピロとの生活はわたしも少し不安だし、きっとピロも不安だと思う。
だからお互いに助け合う存在であることが大切なんだよね。
気まずい雰囲気の中、わたしは残りのホットケーキを頬張っていた。
やっぱりバターとシロップが溶け込みきっていて、あまり味がしなくなっている。気のせいかもしれないけど。
「ピロくんにもあげる?」
お母さんは怯えているせいか小声でわたしに尋ねてきた。
ピロはというと、珍しく初めて見るホットケーキを「コレナニ」と言わずに大人しく座っていて、ただひたすらニンジンをかじっていた。
どうやらピロの中でニンジンに敵うものはないらしい。
「ううん、大丈夫」
「そっか」
リビングにはしばらく沈黙が続き、ピロのニンジンをかじる音とわたしのお皿にフォークが当たる音だけが響き渡る。
お父さんもお母さんも困った様子で、二人顔を見合わせてため息をついた。
こんな様子では、これからどんな生活になっていくのか全く見当がつかない。
そんなわたしの心の中は、嬉しい反面不安でいっぱいだった。もしかしてピロが家族に嫌われてしまうかもしれないし、ピロがこの家を嫌ってしまうかもしれない。
考えれば考えるほど恐ろしいことが次々と思い浮かんでしまう。
「セイヤ」
なぜかピロはわたしの名前を呼んでニッコリ笑った。
そうか。わたしを安心させてくれるのはこの笑顔で、ピロが名前を呼んでくれるからわたしは一緒にいたいと思えるんだ。
「ピロ、大好きだよ」
わたしはそれだけ言ってまたホットケーキを頬張った。