ボクはキミの流星群

話はそれで終わった。

「そんな……」

怖くて恐ろしくてそれ以上言葉が続かなかった。

わたしを育ててきたおばあちゃん、いやわたしが勝手におばあちゃんと呼んでいただけで、実は全く知らない他人だったんだ……

わたしは誘拐されて、監禁生活を送ってたってことなんだ……

「松乃……ずっと言えなくてごめんな」

菊池は唇を噛み締めながら下を俯いてそう言った。

わたしにはそんな菊池を責めることはできない。だってわたしのせいなんだもの。自業自得だよ。

菊池が謝る必要なんてないのに、なんで謝るの?どうして自分のせいにしてしまうの?

「わたしのせいだよ。わたしがあの時星を見に行こうって言わなかったらよかったんだよ」

そうだよ。全部わたしのせい。

そんなのわかってるのに、やっぱりどこか淋しいし悔しい。

「星夜ちゃん、わたしたちはできる限りのことをしてあげたいの。だからお父さんとお母さんを探さない?」

菊池のお母さんから出た言葉には驚いた。

探すなんてきっと無理だ。いや、無理に決まってる。

どこに住んでるかなんて全く予想がつかないし、まず生きているかもわからない。

手がかりはゼロに近い。

「みんなで考えてみればいい案が見つかるはずよ。きっと生きているだろうし、星夜ちゃんのことを探してると思うよ」

わたしのことを探している……それが本当ならとても嬉しいけど、嘘だったら悲しすぎるよ。

わたしのこと邪魔だと思っていたかもしれない。それなら会いに行かない方が絶対にいい。そっちの方が二人は幸せな日々を送ることができるもの。

━━グウウウ

「あ……」

朝ごはんを食べていなかったわたしは、ものすごくお腹が空いていた。

でも食欲はあまりなかったと思うんだけど。

「昼ご飯さっきついでに買ったから……」

菊池はコンビニの袋を取り出して、机の上にお弁当やらパンやらを並べた。

自転車に乗ってた時かな。お母さんの忘れ物ってお昼ご飯だったのかもしれないね。

「ご飯食べてからゆっくり考えようか!」

菊池のお母さんはパンと手を鳴らして、重くなった場の空気を変えようとした。

わたしもいつまでも引きずるのはしんどいなと思い、机に並べられていたサンドイッチを手に取った。
夕方まで考え込んだけど、結局いい案を思いつくことはなかった。

わたしは菊池の部屋にあるベッドに座りこんで、昼食に食べたサンドイッチの袋をひたすらピリピリとちぎっていた。

そのせいでわたしの周りはプラスチックのカスだらけ。

それにしてもこの部屋は広いな。

広い部屋にひとりでいることに違和感を覚えるのは、ピロがいないから?

ピロがやって来たのは本当に最近で、でももう何年も一緒にいるみたいな気持ちになっている。

わたしが家を抜け出したのは今日なのに、わたしがピロと離れたのは今日なのに。

どうしてなんだろう……

すると、

━━ガチャ

「松乃」

部屋のドアが開くと同時に、菊池がわたしの名前を呼んだ。

その呼ぶ声は落ち着いていたけれど、表情は淋しそうで悲しそうに見えた。

「なに」

返したわたしも同じような声だったと思う。

だってわたしも淋しくて悲しいから。

「久しぶりにさ……星空……見に行かない?」

わたしは思わず目を見開いた。

なぜなら、菊池から言うとは思っていなかったから。

わたしがあの時誘ったから迷惑をかけたのに、それなのにわたしと星空を見たいなんて言うわけがないと思ってたのに。

「もちろん」

わたしはそれだけ言って微笑んだ。

それから菊池も安心したように頬を緩めた。

なんだか不思議な気持ち。

今までそんなに親近感のなかった菊池と一緒にいて、こんなにも安心するだなんて。

なんだか世界が変わったというか、なんだろう。

これが本来の生活のはずなのに、まだ慣れることができない。変に緊張してしまうんだ。

幼い頃は一緒にいたのに、どうしてなのかな。


リビングに戻った菊池に続いて、わたしは周りに散らかったプラスチックのカスをゴミ箱に捨ててから部屋を出た。

「こんばんは……」

その時、いきなり知らない声がわたしに向かって飛んできた。

その声の主は、リビングのソファに腰掛けて片手にコーヒーカップを持っている男性。

短めの髪の毛にキッチリとした顔で、スーツを着たままぐったりしていた。

きっとこの人は菊池家のお父さんなのだろう。

「きみは誰?」

突然現れた女のわたしを不審に思ったのか、鋭い目つきで名前を尋ねてきた。

「……松乃星夜です」
「……!?セイヤちゃん!?」

お父さんはさっきとは全く異なった目で、驚きの表情を見せた。

そりゃあそうだよ。誘拐されたんだもの。生きていたかも確かじゃなかったのに。

「生きてたんだ……」

なぜか泣きそうな目でわたしを見つめて、優しく笑っていた。

その笑顔につられてわたしも微笑み返す。

菊池の人を思いやるところは、お父さんに似たのかな。

でもお母さんも優しい人。きっとお父さんとお母さんの二人ともが優しいから、菊池も人のことを思えるんだろうな。
そして、菊池家全員とわたしで星を見に行くことになった。

家から裏山まではやや距離があるものの、自動車で移動するほどではなかったため、みんなで歩いて行くことにした。

午前中降っていた雨は止んでいて、お昼間は大きな太陽が照りつけていた。

どうやらわたしたちの地域はそこまでじゃなかったよう。

街はだんだん夜になるために準備をし始めているけれど、まだ空には星が姿を現していない。

わたしは、星が出ていないとまだ夜じゃないと思う。

わたしたちは、いくつかの店が並んで賑やかになっている通りの反対側にある、あまり人気のない暗いアスファルトの道を進むことに。

菊池家によると、こっちの道の方が近道だと言う。

「星夜ちゃんは今も星が好きなの?」

家を出てから長く続いた沈黙を破ったのは、菊池のお母さんだった。

街灯の灯りがなく、光の差し込まない暗いこの道でも、優しそうなその顔はハッキリとわたしの目に映った。

「はい。毎日星空を見に行ってました」

わたしは夜空に向かって微笑んだ。

例え天気の悪い日でも、星が見えない日だとしても毎日見に行くのがわたしの日課。

それをずっと守っていくはずだったのに、つい昨日破ってしまったところだ。

「だけど、昨日は見に行けてないんです。だから今ものすごくドキドキしてるんです」

わたしはそっと胸に手を当ててみた。

確かにそこの動きは速くなっていて、それが緊張を示しているのか不安を示しているのかはわからない。

もしかしたら二つともなのかもしれない。

「よかったわ。星夜ちゃんは将来星みたいに輝かしい人になれるわよ」

お母さんはまた優しく笑った。

わたしは照れて赤くなった顔を隠すために、下を向いた。

だって星みたいに輝かしくなれるとか、最高の褒め言葉でしかないもの。

「何より、星夜ちゃんが元気でよかったよ」

お父さんは明るい声色でそう言ってから、大きな声で笑った。

血の繋がらない菊池家の人が、こんなにも自分のことを心配してくれていたんだと思うととても嬉しかった。

こんなに優しい菊池家と仲の良かったお父さんとお母さんは、いったいどんな人だったのかな。

わたしのお父さんとお母さんはどんなことを考えているのかな。

今もちゃんとどこかで生きてるかな。

わたしのこと覚えてるかな。

わたしに戻って来てほしいって思ってるかな。

妄想を広げていくと、だんだん不安な気持ちも生まれてきた。

もしかしたらわたしのことを邪魔に思うかもしれない。わたしのことを必要としていないんじゃないかって。

もしそうだとしたら、わたしの居場所はどこにもなくなってしまう。

わたしは本当にひとりぼっちになっちゃうのかな。

いや、違う。ピロがいた。ピロはそばにいてくれるはず。

だってピロはいつでもついてきてくれて、何度もわたしの名前を呼んでくれた。

たまに芽生えるピロに対しての不思議な感情はこれだったんだ。

きっと"安心感"がわたしの心を癒してくれたんだ。

さっきまでの"ひとりになることへの不安"は全て消え、なにか温かいものでわたしの心の中は埋め尽くされた。
「懐かしいなぁ」

公園に着くと菊池家全員が声を揃えてそう言った。

そして、わたしがいつも使っている裏山へ繋がる近道をただひたすらに登り続けた。

午前中に大雨が降っていたせいで、地面の土はぐちゃぐちゃで少し臭かった。

その環境は十四年前を想像させるもので、ブルブルと鳥肌がたった。

「あの時もこの道を通ったんだっけ」

菊池はそう呟いてからわたしの方に顔を向けた。

わたしは首を傾げてみせた。

だって十四年前のことは記憶にないんだもの。

「不思議だな。なんで綺麗に全部忘れてしまったんだろうね」

菊池はうーんと悩んでいるように眉をひそめた。

わたしもそう思ってるよ。なんで忘れちゃったんだろうって。

少しくらいは記憶に残っていてもいいはずなのに、何ひとつと残っていないのだ。

わたしの記憶に残っているのは、おばあちゃんと呼んでいた知らない誰かとの日々だけ。あとは最近のこと。

お父さんとかお母さんとか、あの災害のことなんてひとつも思い出せない。

なんでなんだろうね……

「ちょっと!星夜ちゃん見て!」

いきなり声をあげたのはお母さんだった。

かなり興奮している様子で、さっきの落ち着いた姿はどこかにいっていた。

そんなお母さんの指さす方に目を向けると、今までに見たことのないような美しい星空が広がっていた。

「きれい……」

四人揃ってそう呟き、四人揃って星空を仰いだ。

夏の空は思うよりも綺麗なもので、わたしたちの心を一瞬にして和ませてくれる。

「あの時と……一緒だ」

菊池は瞳に星空を映らせて小さく唇を動かした。

「あの時もこんなに綺麗だったの?」
「うん、とても綺麗だったよ。だって俺、あれから星空にハマったんだよ?本当に感動しちゃったんだよ」

菊池は眉を下げてふわりと笑った。

━━ガサ

その時、すぐ隣に立っている木が少し揺れた気がした。

なにかいるのかな?動物?それとも人間?

━━カサカサ

次は草むらが音をたて出した。

いったいなに?誰?

わたしは気になって、木の音のする方へ恐る恐る足を歩ませた。

「あのー……誰かいるんですか?」

一応声をかけてみる。

ただ好奇心が湧いてきただけで、声をかけた意味は特にない。

━━ガサ

「わぁ!」

すると、草むらの中から少し歳をとった夫婦が姿を現した。

わたしは驚きを隠せず、大声を出してその場に尻もちをついてしまった。

なぜか夫婦揃って悲しそうな表情を浮かべていたのだ。

「星夜ちゃん……!」

菊池のお母さんは声を震えさせて、今にも泣きそうな顔でそう言った。

「セイヤ……?」
「嘘でしょ……」

すると、目の前に立っている夫婦も声を震えさせてわたしを見つめた。

その瞬間にわたしは察した。


この人たちがお父さんとお母さんなんだって。
「お父さん……お母さん……」

堪えていた何かがわたしの中で爆発してしまった。

わたしはその場でただただ泣き叫んだ。

「セイヤ!生きてたんだ!」

お父さんとお母さんは、二人して強くわたしを抱きしめてくれた。

誰かに抱きしめられたのは久しぶりで、その感覚がわたしに新しいことを教えてくれる。

これが本当の温かさで、これが本当の愛なんだと。

わたしが十四年間味わうことのなかった愛情を、今ここで確認できた。

でも、今の気持ちを一言で表すなんてとても無理。

色んな気持ちが一度にこみ上げてきて、流している涙の意味もわからない。

再会できた喜びなのか、わたしのそばから離れたことに対しての怒りなのか。

だけど、

「ずっと会いたかった」

それだけはわかった。

「星夜、家に帰ろう」

お父さんは優しく笑ってそう言った。

たった一言だったけど、その言葉が嬉しくて流れる涙は止まることはなかった。

「よかった。めでたしだな」

そう言ったのは菊池で、なぜか菊池までもが涙を流していた。

「菊池さん!」

お父さんとお母さんは菊池家がいることにも気がついて、とても安心したような様子だ。

「これからは昔と同じだね」

そう、これからは毎日本物の愛情と共に過ごすことができる。もう偽りの愛情とはお別れなんだ。

そんな変わらぬ日常が実は一番幸せなことで、それ以上の幸せは存在しないんじゃないかってわたしは思う。

だからそれだけでじゅうぶん。

だってそれがいちばんの幸せだから。
なんだか幸せな気分になって目覚めたので起き上がってみると、全く知らない景色がわたしを取り囲んでいた。

いったいここはどこ?

壁にある時計は六時を指していて、窓から差し込む明かりから今は朝だということがわかる。

のそりとベッドから降りてから大きくのびをした。

カーテンを開けて太陽の光を浴びると、なぜか自然と自分の顔に笑顔が浮かんだ。

そして、どこなのかわからないこの部屋を見渡してみる。

ここはなかなかの広さの部屋だけど、置かれた家具は少なく、壁も真っ白で雑貨はひとつも置かれていなかった。

まるで引越ししたての家みたい。

閉ざされているドアのノブもピカピカで、まだ誰も触ってないみたいに綺麗だった。

わたしはそのドアノブを掴んで部屋の外に出てみた。

目の前には長い廊下があって、その先には階段が。

まるでテレビでよく見かけるモデルルームみたい。

その長い廊下にも傷一つなくツルツルで、窓から差し込む光に照らされていた。

廊下をゆっくり歩き進めると現れた階段。

階段もツルツルで、気をつけて降りないと滑って転んでしまいそうなほど。

わたしは手すりを掴みながら慎重に降りて行った。

すると、下の方から音が聞こえてきたのだ。

カチャカチャとお皿の擦れる音、チチチというコンロの音。

きっと誰かが朝食でも作っているのだろう。

わたしはその音のする方へと足を歩ませた。

「あら、星夜。おはよう」

その音はやはりキッチンからの音で、そこでお母さんが料理をしていたのだ。わたしの予想的中。

「おはよう。ここがわたしたちの家?」

わたしは冷蔵庫からお茶を取り出しながら聞いてみた。

「ええ、そうよ。そういえば昨日ね、帰りの車で星夜寝ちゃったから大変だったのよ。疲れきってて起きなくて、無理矢理ベッドに寝かしたの」
「お母さんがしてくれたの!?」

お母さんはクスクスと楽しげに笑ってフライパンを揺らした。

そういうことだったんだ。わたしが知らないうちに運んでくれたんだ。

「ありがとう」

わたしはニッと歯を出して笑ってみせた。

単純に嬉しかったし、別にそれは作り物の言葉じゃない。本当に思っていること。

本音で「ありがとう」って言えるなんて、わたしにはあまりなかったことなのに。

本当に再会できてよかったな。

「この家って新居なの?」

わたしはコップにお茶を注いでから一口飲んだ。

「うん。あの災害があってから引越したの」

お母さんは少し悲しそうな顔をして、焼きあがったウィンナーをお皿に並べた。

「だけどね、星夜がいなくなったから一軒家に住むことはやめて、マンションに住み移ったの」

すると、お母さんは炊飯器の蓋を開けてしゃもじでたくさんの米粒を掬った。

「そのマンションには何年間も住んだけど、ある時突然星夜と出会える気がしたの。本当になんとなくで、根拠も何もないんだけど。だけど確実な気がして、広い一軒家に引越したら本当に出会えたの」

お母さんはまた微笑みを浮かべてわたしを見つめた。

「運命だね」

わたしは嬉しくて嬉しくて、どうしてなんだろうとかどういう意味だとかそんなことは考えなかった。

理屈もなく、根拠のないもの、それは運命。

わたしたちが再会できたのは、運命の関係になったから。きっとそうなんだ。いや、そうでしかないよ。

お母さんは楽しそうにお皿をリビングに運んだ。

わたしも自分の分をリビングのテーブルに並べてから、椅子に座った。

「おお、おはよう」

お父さんは、まだ寝癖がついたままの髪の毛をかき回しながらリビングに登場した。

家族全員揃っての朝ごはんだなんて久しぶりで、ワクワクするしドキドキもする。

「いただきます!」

三人は声を揃えて手を合わせた。

お母さんの作る朝ごはんはいつぶりに食べるのか。

本物の愛情がこもったこのご飯をしっかり食べよう。何度も何度も噛み締めて。

わたしの目からは無意識に涙がこぼれ落ちていた。

「美味しい……」

お母さんの作るご飯は世界一美味しい。それにきっと間違いはない。

こんなに美味しい食べ物、今まで食べたことないもの。

「美味しい……美味しい!!」

完食するまでわたしの涙は止まらず、お箸の動きも止まることがなかった。
「今日は晴れている地域が多いようですね」

リビングに置かれたテレビには、驚いた顔でコメントをするアナウンサーと、それに共感して頷いているアナウンサーの姿が映し出されていた。

わたしも確かに、と頷いた。

昨日は警報が出るくらい雨が降っていたのに、今日は快晴と言えるくらい太陽が元気よく顔を出している。

「星夜、今日は何か自分で予定決めてる?」

テレビに吸い込まれそうになっていたわたしに、お母さんが優しく尋ねてきた。

予定か……

「……前住んでた家に荷物を取りに行こうと思ってるんだけど……」

あの家には大切な望遠鏡だって置いてあるし、ピロだってひとりで淋しく待っているはずだ。

とても気まずいけれど行かなきゃいけない気がするんだ。

お母さんは苦笑いをして、首をこてんと傾けた。

「いいわよ。それは星夜一人で行った方が良さそうね」

そうだよね。
だって全く他人の『おばあちゃん』がいるかもしれないし。

それにピロも家に残っているわけだし、わたし一人じゃないと困ることがいくつもある。

「でもここから一人で行けるのか?」

わたしが支度を始めようとした時、お父さんが慌てて引き止めてきた。

そうか。この家に来たのは昨日のことで、周囲にどんな建物があるのか、ここはどんなところなのかわたしは全く知らない。

だから当然あの家に辿り着くことはできない。

「送って行こうか?」

お父さんは少し顔を赤らめながらそう言った。

「何緊張してるのよ」

お母さんはクスクスと笑ってお父さんの背中を叩いた。

「だって、星夜はもう十六だぞ!?思春期真っ最中の娘に送迎のお誘いをしてるんだよ!?緊張するに決まってるだろ!」

必死に赤面の理由を説明するその姿がなんだか面白くて、わたしもクスクスと笑ってしまった。

わたしは十六歳の思春期真っ最中だけど、普通とは違って両親に対しての嫌悪感は全くない。

だけど、もしわたしたちが離ればなれにならずに過ごしていたら嫌いになっていたのかな。

決して、そんなわけないとは否定できない。

大好きに決まっているけれど、不安定な心が反抗してしまうかもしれない。

しかし、そういう時期を乗り越えてから大人になるのだから、その時期も大切にするべきなのかな。

「じゃあ、お父さんに送ってもらう」

わたしはお父さんのそばに行って微笑んでみせた。

「わかった。連れて行ってあげる!」

お父さんはニコッと笑ってガッツポーズをしてみせた。
住所はわたしから教えて、そこまでナビに従って送ってもらった。

辿り着いた場所は十四年間住み続けたあの家で、特にいつもと変わりのない様子だった。

「行ってらっしゃい」

わたしが車のドアを開けると、お父さんはそれだけ言って見送ってくれた。

わたしは何も言わずに頷いてから、体を家に向き直した。

今からあの人と再会するのか……

なんだか複雑な気持ちで、顔を合わせるのが怖かった。

「あら、星夜ちゃん!?」

ドアノブに手をかけた時、すぐそばから聞き覚えのある声がした。

「佐々木さん!」

その声は、いつもお世話になっていたお隣の佐々木さんの声だった。

佐々木さんは心配そうな目でわたしを見つめてきた。わたしが戻って来たことに驚いているのかな。

「突然だけど、あなたのおばあちゃんの名前って知ってる?」
「……知りません」

そういえば一度も聞いたことがなかった。

下の名前が"佳代子"だってことは知っていて、自分の名前が松乃星夜だから、松乃佳代子だと考えていた。

だけど、直接本人からは聞いたことがない。

佐々木さんはわたしの隣にやって来て、バッグの中から何かを探り始めた。

「これを見て」

渡されたのは一枚の紙で、それは名刺と呼ばれるものだった。

そこに書かれた名前は

『中野佳代子』。

「これはわたしがここに引越して来た時にもらった名刺なの。表札も"中野"だったのに、星夜ちゃんが来てから全部"松乃"に変わったの」

わたしは驚きのあまり声も出なかった。

佐々木さんはそんなわたしに対して、続けて語り始める。

「戸籍をどうしてるのかまでは知らない。けど、あの人は完全なる犯罪者なの。だからここからは離れた方がいいわ」

犯罪者……

わたしはそれを知らずにずっと一緒に生きてきたのか。

そんな立派な犯罪をしている老人と家族の設定だったという真実に、思わずゾッとした。

「わたしは本当の家族を見つけたんです。だからもうここに戻って来るようなことはありません。今まで本当にお世話になりました」

わたしは佐々木さんに深くお辞儀をしてから、まだツヤツヤのドアノブに手をかけた。
なぜか鍵が開いていて、安易に中に入ることができた。

こんなことをしていたら、泥棒の家に泥棒が入って大変なことになっちゃうよ。

玄関もそのままで、わたしの学校のローファーが定位置に置かれていた。

「星夜……」

わたしがさっさと二階に上がらなかったせいで、リビングからおばあちゃんが出てきてしまった。

もちろん驚いた顔をしていて、でも少し嬉しそうにも見えた。

「最低だよね。誘拐犯のくせに自分を弱く見せるなんて」

わたしは本気でショックだったし、信じたくはなかった。

だけどいずれは知る真実だったんだろうな。

おばあちゃんはわたしの言葉に反論できるわけなく、その場に泣き崩れてしまった。

その間に二階のわたしの部屋に向かって、わたしは突っ走った。