「ただいま」

今日はいつもと違って、おばあちゃんは玄関に立っていない。

まさか、まだトイレの中にいるわけじゃないよね?

とにかくピロをわたしの部屋に移らせて、わたしは自分ひとりでリビングに行くことにした。

「ただいま」

おばあちゃんはリビングの椅子に座って、沈むように頭を抱えていた。

そしてわたしの声でやっと気がついたのか、「おかえり」と無理矢理笑顔をつくって、キッチンに入っていった。

わたしは、おばあちゃんの気持ちが全く読めないことが悔しい。

生まれた時からずっと一緒のはずなのに、なぜわかってあげることができないのか。とても悔しかった。

「お腹空いてるでしょ?心配しないでも、ちゃんと用意してあるからね」

おばあちゃんはそう言って、昼食をテーブルに置いた。

今日は冷やし中華。夏にぴったりのご飯だ。さすがおばあちゃん。

わたしはいつもの椅子に座ってお箸を持った。

とても美味しそうな冷やし中華に見とれていると、おばあちゃんが横から何かを差し出してきた。

オレンジみたいな赤みたいなよくわからない色つきのジュースで、それはわたしの食欲を奪っていった。

「ニンジンジュースよ。健康にいいらしいから、飲んでおきなさい」
「ニンジンジュース!?」

忘れていた。あのダンボールに入った大量のニンジンのことを。

わたしはニンジンが好きでも嫌いでもなく、食べろと言われれば食べられる程度だった。

しかしそれとは別で、生で食べることや、このようにジュースにして一気に摂取することには抵抗があった。

まぁ飲んでみてもいいかなと思い、コップに手を伸ばし口の中に注いだ。

「にがぁい」

これが正直な感想。上手に言えば、大人の味。

おばあちゃんはクスクスと笑って、自分も一杯飲んだ。

わたしは味を誤魔化すために、すぐに冷やし中華を口に運んだ。

「ん!美味しい!」

冷やし中華は相変わらず美味しくて、さっきまでの苦味を消してくれた。

残ったニンジンジュースは、ピロにあげてあげたらいいかも。でも、今頃ニンジン食べてるか。あとさっき買ったキャンディー。キャンディーは、わたしの分も残しておくように念を押して言っておいた。

「星夜。お父さんとお母さんの何が知りたいの?」

さっきまでとは違う様子で、おばあちゃんが口を開いた。

それは真剣な眼差しで、少し震えているかのようにも見える。

何が知りたいのか。それはわたしにもよくわからない。

なぜか急に知りたくなったんだ。この十六年、一度も両親の話題が出てこなかったからかもしれない。

そういう時期になったのかもしれない。

「人柄とか名前とか。顔だって見てみたいし、詳しい死因でもいい。なんでもいいから、そろそろ知っておきたいんだ」

そうだ。わたしの本当のお父さんとお母さん。わたしが生まれた時、どんな風に思ったのかな。どうして"星夜"という名前をつけたのかな。

わたしはそんな小さなことでも知りたい。

それに顔だって一度も見たことがない。写真を探ってみても、見当たるのはわたしだけの写真と、おばあちゃんと二人だけの写真。

どうやって亡くなったのか、知りたい。わたしは、事故で亡くなったということしか知らない。それしか教えてもらっていない。

もっと、親のことをもっと知っておきたいんだ。

「そうねぇ……それはわたしが言えることじゃないの……」
「それ、どういうこと?」

意味がわからない。どういうこと?言えることじゃないって、なに?

「わたしは」

おばあちゃんは声を震わせて、椅子に座ったままテーブルに伏せてしまった。

わたしがいくら声をかけても、おばあちゃんはおいおい泣いてしまって、言葉を発することができなかった。

「おばあちゃん……」

なぜかその涙には同情できず、わたしは複雑な気持ちのままリビングを出ていった。