「おばあちゃん?」
おばあちゃんはトイレの中に閉じこもってしまって、全く出てこようとしなかった。
「大丈夫だから、学校行ってきて。いってらっしゃい」
急に体調でも崩したのか、と勝手に解釈して学校のバッグを肩にかけた。
お父さんとお母さんの話、聞けなかったな……
また帰ってきてからゆっくり話を聞こう。
「セイヤ」
玄関にいるピロは小さくそう呟いてわたしに手招きをした。
ピロの肌はいつもの臓器丸出し状態に戻っている。
呼ばれた通りに向かって行くと、ピロは玄関に置いてある古臭いバッグを指さした。
これが欲しいのかな?別に問題はない。
「あげる」
わたしはそういってピロに渡した。
このバッグはわたしが幼い頃使っていたバッグで、なぜかものすごく汚れていて、穴もたくさん空いていた。その穴はおばあちゃんが縫ってくれたけど。
そして、わたしは玄関の端の方に大きなダンボールが置かれていることに気がついた。
こっそり開けてみると、中には大量のニンジンがゴロゴロと入っているのが目に入った。
わたしは、おばあちゃんは無防備だなぁと思いながら、二本探りだしてピロにあげたバッグの中に入れてあげた。
ピロの全身を眺めてみると、とても違和感を覚える場所があった。
「これもあげる」
ピロには髪の毛が生えていなくて、脳みそ丸見え状態だったのだ。
これはさすがに大変だと思い、あまり使っていないニット帽をプレゼントした。
さっそく被らせてみると、少し違和感があるのか頭をブルブルと震わせていた。最初はそんなものだよね。
「行こうか」
「ウン」
わたしはピロの手をギュッと握ってドアノブに手をかけた。
「いってきまーす!」
閉じこもっているおばあちゃんに聞こえるように、さっきみたいに大きな声で言ってから家を出た。
さて、これからピロをどうしようか。
学校に連れていくのはとてもじゃないけど、いやとても危ない。
もし他の人にバレてしまえば……
恐ろしい妄想が頭の中をよぎった。
でもって裏山に連れて行くにも時間がない。
どうしよう。
「バイバイ、セイヤ」
「え、どこに行くの?」
頑張って悩んでいるわたしに向かって、いきなりバイバイとか言い出すものだから、宇宙人だからといってもさすがに驚く。
でも言葉が伝わることはなく、ピロは勝手に歩き出してしまった。
昨日も自由にしていたはずだ。いったいどこに行っていたのかな。
とにかく時間がないので、わたしは学校に向かうことにした。
━━キーンコーンカーンコーン
幸い、チャイムと同時に教室に入ることができて遅刻は免れた。
そして何事もなかったかのように朝のホームルームが始まる。
「えー、明日から夏休みですね。前回の期末テストで欠点が一つでもあった者は、補習を受けるように」
すると、なぜか先生はわたしをカッと睨んだ。わたしが優秀じゃないからだと思うけど。じゃないとしたらいじめだよ。
あぁ、すっかり忘れていた。
明日から夏休みだっていうこと、完全に忘れていた。
わたしは前回の期末テストで欠点を二つ取ってしまったのだ。
一つは理科。今回の範囲がわたしに合うものではなかったから。もし空や星に関係するものであれば、満点なんて楽勝だった。これは言い訳にすぎないけどね。
二つは技術家庭科。この教科は、テスト勉強を一切しなかった。だって学ぶ意味なんてないじゃないか。少なくともわたしに、今後役立つようなものはないし。
補習なんて毎年受けているから慣れているんだけどね。そんな慣れ、きっと必要ないのだろうけど。
「お、松乃。今日部活来る?」
休み時間に廊下を歩いていると、菊池と偶然出会った。
来る?と聞いてくるということは、コイツは行く前提ってことだ。
「行かない」
そう冷たく返してあげた。
わたしは家庭のことを詳しく知らなきゃならないから。
「お前に話しとかなきゃならないことがあるんだよ」
「ふーん。わたしも話さなきゃならないことを話すんだ、おばあちゃんに。だから今日は帰ります」
「おばあちゃん?」
菊池は驚いた顔をしてから、すぐに顔色を戻した。
コイツの話さなきゃならないこととか、絶対どうでもいいことだし、そんなのにつられるわけがない。
わたしのお父さんとお母さんのこと、これは他の誰にも聞けない大事なことだから。
「じゃあね」
そう軽くお別れをしてから教室に足を踏み入れた。
「あれ?もう下校だけど?」
「知ってるし」
菊池はニヤリと笑って言ってきた。
知ってたし。今日は終業式だから下校が早いってこと、知ってたし。
イライラしながら、そのまま生徒玄関まで行った。
もちろん夏休みも部活はあるけど、わたしは行かない。行くつもりは少しもない。
外靴に履き替えて、上靴を袋に包んでからからバッグに入れた。
校門を出ると、ちょうどお昼間で賑わっているお店がズラリと並んでいる。
特に用はないけれど、ずっと眺めていると無性に入りたくなってしまう。
わたしが入ったのは、不思議な雰囲気を醸し出している雑貨屋さん。
そこは学生の遊び場と言っても過言ではないほど、学生で溢れている。
入口には、少し気持ち悪いぬいぐるみが吊るされていた。それは世にいう『キモカワ』というやつだ。
その中をくぐり抜けると、ガヤガヤとした店内へと吸い込まれていった。
周りには色が恐ろしいほどカラフルなお菓子や、使う目的のわからないおもちゃなどが並べられていた。
それが学生を虜にさせるのだろう。
さらに足を進めてみると、大きな望遠鏡が置かれているブースが現れた。その外見は、わたしの愛用しているのに、少し似ていた。
どうやらとても高級なものらしく、遠くにある星を正確に観察することができるという。
そんな素晴らしい望遠鏡がこんな店に置かれているとは……
望遠鏡の周りには、星座にまつわる本や雑誌、ゲームが置かれている。
でもやっぱり、わたしを一番魅了させたのは望遠鏡だった。
「世界で有数の望遠鏡!ぜひあなたも体験してみては?」
いきなり耳に飛び込んできたのは、とても張り切った男性の声。その声は小さなテレビからタブレットのようなものから出ていて、どうやら望遠鏡のPR動画だったみたいだ。
体験と言われても……今は真昼間だ。無理に決まってる。
もちろん昼間も星は出ているのだけれど、わたしたちには、見えない。
「ボウエンキョウ……」
その声はさっきの張り切った男性の声ではなく、聞き覚えのある声だった。
「ピロ!?」
茶色のワンピースを身にまとった細身の生き物。その姿を見て宇宙人だと思う人は、わたしくらいだろう。
もしかして昨日もここに?
「昨日もここに来たの?」
「チガウ」
驚いた。ピロに話が伝わったんだもの。
街にいる人々の会話を聞いて、自分で一生懸命解釈しているのか。それが急成長の理由か。
それもかなり難易度の高いことで、ピロはやっぱり賢いんだと思い知らされた。
「帰ろっか」
少し気になっていたカラフルなキャンディーを買ってから、わたしたちは店を出た。
逸れないようにと手を繋いで電車に乗った。
「昨日はどこに行ってたの?」
楽しそうに窓の外を眺めていたピロに尋ねてみた。
「ダガシヤ」
なるほど、駄菓子屋か。だから昨日は子供みたいな言葉を新たに発していたのか。
駄菓子屋は、通りの一番初めに見える店で、いつも子供たちで賑わいを見せている。
そこに行ったというわけか。
「お腹空いたな」
そういやまだお昼ご飯を食べていない。
学校がお昼に終わったので、なんとなくお弁当もないのにそのまま寄り道をしてしまった。そりゃあお腹が空くよね。
「アゲル」
そう言ってピロが差し出してきたのは、今朝バッグに入れてあげたニンジンだった。
かわいい……それに優しい。
なんていい子なんだと感動しながらそれをピロに返した。
「これはピロの。わたしのじゃないよ」
そう言うと、ピロはニッコリ笑って頷いた。
電車を降りていつもの道を歩いていると、わたしの中でまた疑問が生まれた。
ピロはどうやってあそこまで行ったのかな。
電車はお金が無いから絶対使えないだろうし、徒歩だとしたらあんなに遠くまで行かないはず。
今のピロはというと、池を游ぐ鯉や亀を不思議そうに観察しているところだった。
「ねぇピロ」
そう呼びかけるとすぐに返事をしてくれる。
「どうやってあそこまで行ったの?」
ピロはその言葉に少し困惑しながらも、最終的には理解してくれた。
「デンシャ」
「電車!?お金は!?」
ありえないと思っていた返答に、思わず大声が漏れた。
まさか、わたしのお金盗んでたりしてないでしょうね……
「ピロ、トウメイ、ナッタ」
ピロは透明になって電車に乗り込んだと!?立派な犯罪じゃないか!
「それはダメよ。いい?これからはわたしと一緒に行こうね」
優しく手を握ると、珍しく『ヤダ』を発さずに嬉しそうに頷いた。
雑貨屋でカップルでも見たのだろうか。
また足を進めると、いつもの猫がわたしたちに擦り寄ってきた。
もちろんピロは驚いていて、わたしの体にガッシリとつかまっていた。これは抱きしめているとも言うのかな。いや、それとは違うか。
「ナニコレ」
ピロは震える声で猫を指さした。
相変わらず猫は、わたしの足に体を擦り付けている。
━━ニャア
猫が甘えた鳴き声を出すだけでも、ピロは怯えていた。
「猫だよ」
「ネコ?」
すると猫はピロの足元に寄り、スリスリと顔を擦り付けたのだ。
「ピロ、ネコヤダ!」
出ました。お決まりの『ヤダ』。
こういう時だけは子供になっちゃうんだよね。
「ごめんねー、じゅうぶんに構ってあげられなくて。また明日会えるからね」
また明日会えるとは、普通はありえないんだけどね。わたしは"特別補習"を受けなきゃならないから。
それに関しては別に問題ないけど。
そして、ギュッとピロの手を握りなおして道を真っ直ぐ進む。
スタスタと足を進めると見えてくる、赤い屋根の家。
その家を左に曲がると、わたしの家が姿を現す。
ピロはワクワクした様子でわたしの家を指さした。
「セイヤ、イエ」
どうやら『星夜の家』とか、『ピロは透明になった』みたいに、上手く言葉を繋がることはまだできないらしい。
でもかなりの単語を覚えたよね。それでもすごいと思うよ。
「オバアチャン……」
「あ」
わたしが鍵を開けている最中に、ピロがそう呟いた。
そういえば、おばあちゃん大丈夫かな……
少し不安に思いながら、わたしは扉を開けた。
「ただいま」
今日はいつもと違って、おばあちゃんは玄関に立っていない。
まさか、まだトイレの中にいるわけじゃないよね?
とにかくピロをわたしの部屋に移らせて、わたしは自分ひとりでリビングに行くことにした。
「ただいま」
おばあちゃんはリビングの椅子に座って、沈むように頭を抱えていた。
そしてわたしの声でやっと気がついたのか、「おかえり」と無理矢理笑顔をつくって、キッチンに入っていった。
わたしは、おばあちゃんの気持ちが全く読めないことが悔しい。
生まれた時からずっと一緒のはずなのに、なぜわかってあげることができないのか。とても悔しかった。
「お腹空いてるでしょ?心配しないでも、ちゃんと用意してあるからね」
おばあちゃんはそう言って、昼食をテーブルに置いた。
今日は冷やし中華。夏にぴったりのご飯だ。さすがおばあちゃん。
わたしはいつもの椅子に座ってお箸を持った。
とても美味しそうな冷やし中華に見とれていると、おばあちゃんが横から何かを差し出してきた。
オレンジみたいな赤みたいなよくわからない色つきのジュースで、それはわたしの食欲を奪っていった。
「ニンジンジュースよ。健康にいいらしいから、飲んでおきなさい」
「ニンジンジュース!?」
忘れていた。あのダンボールに入った大量のニンジンのことを。
わたしはニンジンが好きでも嫌いでもなく、食べろと言われれば食べられる程度だった。
しかしそれとは別で、生で食べることや、このようにジュースにして一気に摂取することには抵抗があった。
まぁ飲んでみてもいいかなと思い、コップに手を伸ばし口の中に注いだ。
「にがぁい」
これが正直な感想。上手に言えば、大人の味。
おばあちゃんはクスクスと笑って、自分も一杯飲んだ。
わたしは味を誤魔化すために、すぐに冷やし中華を口に運んだ。
「ん!美味しい!」
冷やし中華は相変わらず美味しくて、さっきまでの苦味を消してくれた。
残ったニンジンジュースは、ピロにあげてあげたらいいかも。でも、今頃ニンジン食べてるか。あとさっき買ったキャンディー。キャンディーは、わたしの分も残しておくように念を押して言っておいた。
「星夜。お父さんとお母さんの何が知りたいの?」
さっきまでとは違う様子で、おばあちゃんが口を開いた。
それは真剣な眼差しで、少し震えているかのようにも見える。
何が知りたいのか。それはわたしにもよくわからない。
なぜか急に知りたくなったんだ。この十六年、一度も両親の話題が出てこなかったからかもしれない。
そういう時期になったのかもしれない。
「人柄とか名前とか。顔だって見てみたいし、詳しい死因でもいい。なんでもいいから、そろそろ知っておきたいんだ」
そうだ。わたしの本当のお父さんとお母さん。わたしが生まれた時、どんな風に思ったのかな。どうして"星夜"という名前をつけたのかな。
わたしはそんな小さなことでも知りたい。
それに顔だって一度も見たことがない。写真を探ってみても、見当たるのはわたしだけの写真と、おばあちゃんと二人だけの写真。
どうやって亡くなったのか、知りたい。わたしは、事故で亡くなったということしか知らない。それしか教えてもらっていない。
もっと、親のことをもっと知っておきたいんだ。
「そうねぇ……それはわたしが言えることじゃないの……」
「それ、どういうこと?」
意味がわからない。どういうこと?言えることじゃないって、なに?
「わたしは」
おばあちゃんは声を震わせて、椅子に座ったままテーブルに伏せてしまった。
わたしがいくら声をかけても、おばあちゃんはおいおい泣いてしまって、言葉を発することができなかった。
「おばあちゃん……」
なぜかその涙には同情できず、わたしは複雑な気持ちのままリビングを出ていった。
片手にコップを持って部屋に入ると一番に、幸せそうにキャンディーを舐めているピロの姿が見えた。
「美味しい?」
「オイシイ」
ピロはニコッと笑ってそう答えると、ベーっとカラフルに染まった舌を見せてきた。
今朝渡したニンジンは完食したらしく、少しだけお腹が膨れているようにも見えた。
ピロには少し太ってもらいたかったし、ガリガリよりはちょうどよかった。
手に持っていたコップを勉強机の上に置いてみると、ピロは不思議そうにそれを見つめていた。
「ニンジンジュースだよ。ピロが飲んでいいからね」
「ヤッタァ!」
ピロは嬉しそうにコップに手をつけた。
わたしも袋からキャンディーを取り出して、思いっきりベッドにダイブした。
「はぁー」
ため息をつくと幸せが逃げる、と誰かから聞いたことがある。
でもため息をついてる時って、すでに幸せが逃げている時じゃないのか?幸せが逃げたからため息をつくんじゃないか?
わたしはずっとそう思い続けてきたため、お構い無しにため息をついていた。
「ピロのお父さんとお母さんって、どんなひと?」
「……?」
わかるわけないか。まだわからないよね。
だって地球に来てまだ一日しか経ってないもんね。
ピロはいきなりひとりぼっちになっても平気なのかな。親が恋しくならないのかな。
ピロはたまにわがままを言うけれど、親に関してのことは一切言わない。
もしかしてお父さんとお母さんのこと、認知してないのかな……
「えらいね、ピロは」
わたしがそう言うと、ピロはこてんと首を傾げて笑った。
きっと意味はわかってないんだろうけど、いいことだっていうのはわかるんだろうな。
わたしよりもピロの方がずっとえらいのかもね。
今日は窓に突き当たる激しい雨の音で目覚めた。
どうやら昨日はあのまま寝てしまったみたいだ。
そんな!バカな!
わたしが星空を見ずに寝てしまったというの!?
今まで一度も見逃したことはなかったのに!
わたしは頭を抱えながら、もう一度ベッドに倒れ込んだ。
昨日置いておいたコップの中からニンジンジュースが綺麗になくなっていて、ピロが全部飲みほしたことを表している。
「セイヤ」
そのピロはというと、部屋の端に膝を抱えて小さくうずくまっていた。
なぜかカーテンが激しく揺れていて、そこから大量の雨が部屋に降り注いでいる。
なるほど。
昨日みたいに太陽を見ようとしたら、運悪く大雨で濡れてしまったのか。
あの日お風呂に浸からせてしまってから、きっと水に対しての恐怖心が芽生えてしまったのだろう。
あれはわたしのせいだけど。
普通に部屋を濡らされるのは嫌だったので、窓を閉めてカーテンも閉め切った。
どうやら今日は太陽の光が浴びられないみたい。
「ここで待っててね。あとで帰ってくるから」
ブルブルと震えるピロの体に毛布を被せて、わたしだけでリビングに向かった。