朝、めざまし時計で目覚めることはほとんどない。いつも起きたい時間に目が覚める。
もちろん遅刻だって習慣のひとつとなっている。
今日もいつもと変わらず気まぐれで起き上がる。
あくびをしながら大きく伸びをして、部屋の中を見渡した。
窓のそばのカーテンがなぜか風に揺られていて、そこからは朝日が差し込んでいた。
のそりとベッドから降りて、その揺れるカーテンを開けてみた。
「あっ」
ちょっと驚いたけど、そこまで大きな声は出なかった。
ピロが窓に座って朝陽を眺めていたのだ。
その朝陽は明るく眩しくて、昼の太陽とはまた違う明るさを感じさせる。
前に太陽の光を浴びないと、うつ病になるという話を聞いたことがある。
それから毎日光を浴びるよう心がけているけど、あまり太陽の光が好きではないわたしは、光を受けて気持ちがいいとは思わない。
だけど、静かに吹く夏の風はとても心地のよいものだと思う。
もし生まれ変わったら風になりたいなって思ったこともあったけど、最近は星になりたいという気持ちの方が強い。
どちらとも誰にも言えない秘密だけどね。
「え、今五時?」
こんな朝陽を見ることができるなんて、遅起きのわたしにはありえないことだった。
だからいつもより感動させられたのか。
でもなんでこんな時間に起きられたんだろう……
これもただの気まぐれなのかな。
後ろを振り向くと、この間買ったばかりの黒いシンプルな時計が、音をたてて時を刻んでいた。
秒針が一周すれば一分経ち、秒針が千四百四十周すれば一日が経つ。
時間は短いと思えば短く、長いと思えば長く感じるものだ。
そういえば菊池が、太陽の光は約八分で届くって言ってたっけ。
秒針が八周すれば八分経つ。初めて聞いた時は長く感じたけど、今考えるとものすごく短い。
「セイヤ?」
ピロの声でわたしは我に返った。やっぱり宇宙のことを深く考えすぎると頭が痛くなってくる。
特にすることもないので、部屋に置かれた小さなテレビをつけて天気予報をチェックした。
晴れマーク。
それだけ確認してテレビを消した。
あくびをしながら窓から離れて、制服に手をかけた。
「あ」
ピロがいる……着替えられないじゃん!
まだ性別ははっきりとしていないけれど、やっぱりどこか恥ずかしい。
「んぅーー……ここにいて!」
わたしはピロを窓の位置に定着させて、無理矢理クローゼットの中に入り込んだ。
中は整理整頓されていなくて、たくさんの服で溢れかえっていた。
こんなところで着替えられるかって、無理に決まってる!
だけどピロの目の前で着替えるよりかは、全然平気だった。
なんとか着替えを終えて、窮屈なクローゼットの中から飛び出した。
賢いピロはまだ窓のそばにいてくれて、わたしの方を振り返って微笑みかけてきた。
「行こっか」
そう言葉にしてみたはいいけど、いったいどこに行けばいいのかはわからない。
わたしが学校に行っている間はどうしたらいいんだろう……
いくら賢いからと言って、家にいさせるのはとても危険だ。
おばあちゃんにバレたらどうなることか。
裏山に行かせるのが一番なのかもしれないけど、星の出ない昼にいても何も面白くはないだろう。
そういえば昨日はどこにいたのかな……
「セイヤ」
ピロはわたしの手を握って、肌を透明にさせてみせた。
そうか。透明になっておけばどこに行っても大丈夫なんだ。
わたしは透明なピロを連れて、慎重に歩みながらリビングに入っていった。
「おはよう。今日はえらい早起きね」
おばあちゃんは驚いた顔をしてわたしを見つめた。
「でしょ。わたしもよくわからないんだけどね」
おばあちゃんに透明になったピロが見えるはずもなく、とりあえず難所を乗り越えることに成功した。
そしてリビングの椅子まで辿り着くと、おばあちゃんがお皿を持ってきた。
今日はシンプルな和食。
お味噌汁に白ご飯、ほうれん草の胡麻和えにカツオのたたきだった。
ピロの好きなニンジンはどこにも見当たらず、なぜかわたしがガッカリしてしまった。
「隣の佐々木さんいるでしょ?」
また佐々木さんの話だ。牛肉の次はなんだ?
「ついさっきね、佐々木さんのお母さんの妹の旦那さんのお姉さんからだって言って、ニンジンを二箱分分けてくださったのよ」
わたしは、頭の中で人間関係を整理するので精一杯だった。
佐々木さんのお母さんの妹の旦那さんのお姉さん?
なんかの呪文みたい。
とにかくどっかの誰かさんがニンジンを分けてくれたというのだけは理解できた。
「へぇー、太っ腹ね。おばあちゃんもいつかお返ししなきゃね」
わたしはもぐもぐと口を動かしながらそう言った。
そのニンジン、後で一本二本盗んでやろう。
悪気はないよ。だってピロのためだもの。
「明日からビーフシチュー祭りね、あはははは」
おばあちゃんは甲高い声で大笑いした。
何がそんなに面白いのかはよくわからない。けど、おばあちゃんの楽しそうな笑い方にはいつもつられてしまう。
家にいる時はこんなにも楽しいのに。なんで学校は楽しくないのだろう。
なんでみんな楽しそうに笑わないのだろう。
ずっとこのままでいいのに。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせてそう言ってから、キッチンにお皿を置きに行った。たぶんだけど、今ピロはわたしの隣に立っている。
「あー!」
流しを見て思い出した。そういえば昨日、お皿を洗わずにそのまま放置していたんだった。
どうしよう!おばあちゃんにバレてたらどうしよう!
絶対怪しまれるよね。
わたしは急いで重ねられた食器を洗って、何事もなかったように済ませた。
「ねぇ……そのお皿」
「あ、おばあちゃん!ちょっと聞きたいことあるんだー!」
不審そうにボソッと呟いたおばあちゃんを無視して、話を逸らすためにわたしはうるさいくらい大きな声で話しかけた。
もしおばあちゃんがピロのことを知ったら、悲鳴をあげて倒れちゃうよ。
「宇宙人がいるー!」ってね。
「わたしのお父さんとお母さんって、どんな人だったの?」
するとおばあちゃんは、なぜか目を大きく見開いてキッチンを飛び出してしまった。
「おばあちゃん?」
おばあちゃんはトイレの中に閉じこもってしまって、全く出てこようとしなかった。
「大丈夫だから、学校行ってきて。いってらっしゃい」
急に体調でも崩したのか、と勝手に解釈して学校のバッグを肩にかけた。
お父さんとお母さんの話、聞けなかったな……
また帰ってきてからゆっくり話を聞こう。
「セイヤ」
玄関にいるピロは小さくそう呟いてわたしに手招きをした。
ピロの肌はいつもの臓器丸出し状態に戻っている。
呼ばれた通りに向かって行くと、ピロは玄関に置いてある古臭いバッグを指さした。
これが欲しいのかな?別に問題はない。
「あげる」
わたしはそういってピロに渡した。
このバッグはわたしが幼い頃使っていたバッグで、なぜかものすごく汚れていて、穴もたくさん空いていた。その穴はおばあちゃんが縫ってくれたけど。
そして、わたしは玄関の端の方に大きなダンボールが置かれていることに気がついた。
こっそり開けてみると、中には大量のニンジンがゴロゴロと入っているのが目に入った。
わたしは、おばあちゃんは無防備だなぁと思いながら、二本探りだしてピロにあげたバッグの中に入れてあげた。
ピロの全身を眺めてみると、とても違和感を覚える場所があった。
「これもあげる」
ピロには髪の毛が生えていなくて、脳みそ丸見え状態だったのだ。
これはさすがに大変だと思い、あまり使っていないニット帽をプレゼントした。
さっそく被らせてみると、少し違和感があるのか頭をブルブルと震わせていた。最初はそんなものだよね。
「行こうか」
「ウン」
わたしはピロの手をギュッと握ってドアノブに手をかけた。
「いってきまーす!」
閉じこもっているおばあちゃんに聞こえるように、さっきみたいに大きな声で言ってから家を出た。
さて、これからピロをどうしようか。
学校に連れていくのはとてもじゃないけど、いやとても危ない。
もし他の人にバレてしまえば……
恐ろしい妄想が頭の中をよぎった。
でもって裏山に連れて行くにも時間がない。
どうしよう。
「バイバイ、セイヤ」
「え、どこに行くの?」
頑張って悩んでいるわたしに向かって、いきなりバイバイとか言い出すものだから、宇宙人だからといってもさすがに驚く。
でも言葉が伝わることはなく、ピロは勝手に歩き出してしまった。
昨日も自由にしていたはずだ。いったいどこに行っていたのかな。
とにかく時間がないので、わたしは学校に向かうことにした。
━━キーンコーンカーンコーン
幸い、チャイムと同時に教室に入ることができて遅刻は免れた。
そして何事もなかったかのように朝のホームルームが始まる。
「えー、明日から夏休みですね。前回の期末テストで欠点が一つでもあった者は、補習を受けるように」
すると、なぜか先生はわたしをカッと睨んだ。わたしが優秀じゃないからだと思うけど。じゃないとしたらいじめだよ。
あぁ、すっかり忘れていた。
明日から夏休みだっていうこと、完全に忘れていた。
わたしは前回の期末テストで欠点を二つ取ってしまったのだ。
一つは理科。今回の範囲がわたしに合うものではなかったから。もし空や星に関係するものであれば、満点なんて楽勝だった。これは言い訳にすぎないけどね。
二つは技術家庭科。この教科は、テスト勉強を一切しなかった。だって学ぶ意味なんてないじゃないか。少なくともわたしに、今後役立つようなものはないし。
補習なんて毎年受けているから慣れているんだけどね。そんな慣れ、きっと必要ないのだろうけど。
「お、松乃。今日部活来る?」
休み時間に廊下を歩いていると、菊池と偶然出会った。
来る?と聞いてくるということは、コイツは行く前提ってことだ。
「行かない」
そう冷たく返してあげた。
わたしは家庭のことを詳しく知らなきゃならないから。
「お前に話しとかなきゃならないことがあるんだよ」
「ふーん。わたしも話さなきゃならないことを話すんだ、おばあちゃんに。だから今日は帰ります」
「おばあちゃん?」
菊池は驚いた顔をしてから、すぐに顔色を戻した。
コイツの話さなきゃならないこととか、絶対どうでもいいことだし、そんなのにつられるわけがない。
わたしのお父さんとお母さんのこと、これは他の誰にも聞けない大事なことだから。
「じゃあね」
そう軽くお別れをしてから教室に足を踏み入れた。
「あれ?もう下校だけど?」
「知ってるし」
菊池はニヤリと笑って言ってきた。
知ってたし。今日は終業式だから下校が早いってこと、知ってたし。
イライラしながら、そのまま生徒玄関まで行った。
もちろん夏休みも部活はあるけど、わたしは行かない。行くつもりは少しもない。
外靴に履き替えて、上靴を袋に包んでからからバッグに入れた。
校門を出ると、ちょうどお昼間で賑わっているお店がズラリと並んでいる。
特に用はないけれど、ずっと眺めていると無性に入りたくなってしまう。
わたしが入ったのは、不思議な雰囲気を醸し出している雑貨屋さん。
そこは学生の遊び場と言っても過言ではないほど、学生で溢れている。
入口には、少し気持ち悪いぬいぐるみが吊るされていた。それは世にいう『キモカワ』というやつだ。
その中をくぐり抜けると、ガヤガヤとした店内へと吸い込まれていった。
周りには色が恐ろしいほどカラフルなお菓子や、使う目的のわからないおもちゃなどが並べられていた。
それが学生を虜にさせるのだろう。
さらに足を進めてみると、大きな望遠鏡が置かれているブースが現れた。その外見は、わたしの愛用しているのに、少し似ていた。
どうやらとても高級なものらしく、遠くにある星を正確に観察することができるという。
そんな素晴らしい望遠鏡がこんな店に置かれているとは……
望遠鏡の周りには、星座にまつわる本や雑誌、ゲームが置かれている。
でもやっぱり、わたしを一番魅了させたのは望遠鏡だった。
「世界で有数の望遠鏡!ぜひあなたも体験してみては?」
いきなり耳に飛び込んできたのは、とても張り切った男性の声。その声は小さなテレビからタブレットのようなものから出ていて、どうやら望遠鏡のPR動画だったみたいだ。
体験と言われても……今は真昼間だ。無理に決まってる。
もちろん昼間も星は出ているのだけれど、わたしたちには、見えない。
「ボウエンキョウ……」
その声はさっきの張り切った男性の声ではなく、聞き覚えのある声だった。
「ピロ!?」
茶色のワンピースを身にまとった細身の生き物。その姿を見て宇宙人だと思う人は、わたしくらいだろう。
もしかして昨日もここに?
「昨日もここに来たの?」
「チガウ」
驚いた。ピロに話が伝わったんだもの。
街にいる人々の会話を聞いて、自分で一生懸命解釈しているのか。それが急成長の理由か。
それもかなり難易度の高いことで、ピロはやっぱり賢いんだと思い知らされた。
「帰ろっか」
少し気になっていたカラフルなキャンディーを買ってから、わたしたちは店を出た。
逸れないようにと手を繋いで電車に乗った。
「昨日はどこに行ってたの?」
楽しそうに窓の外を眺めていたピロに尋ねてみた。
「ダガシヤ」
なるほど、駄菓子屋か。だから昨日は子供みたいな言葉を新たに発していたのか。
駄菓子屋は、通りの一番初めに見える店で、いつも子供たちで賑わいを見せている。
そこに行ったというわけか。
「お腹空いたな」
そういやまだお昼ご飯を食べていない。
学校がお昼に終わったので、なんとなくお弁当もないのにそのまま寄り道をしてしまった。そりゃあお腹が空くよね。
「アゲル」
そう言ってピロが差し出してきたのは、今朝バッグに入れてあげたニンジンだった。
かわいい……それに優しい。
なんていい子なんだと感動しながらそれをピロに返した。
「これはピロの。わたしのじゃないよ」
そう言うと、ピロはニッコリ笑って頷いた。