今日は家に帰らず、直接裏山に行くことに決めた。
じゃないと、一番星が見られないから。
それに、早くピロに会いに行きたいし。
ピロはこの服、喜んでくれるかな?またわたしの名前を呼んでくれるかな?
そんなことを考えているとワクワクしてきて、もっと早く行きたくなってきた。
いつもなら結構しんどいと感じる山道も、今日は軽々と乗り越えられた。
空はすでに暗くなっていて、星が出ようとしているところだった。
肺が破裂しそうなくらい息が荒くなったところで足を止めた。
「セイヤ」
わたしの場所、いつも星空を眺めている場所にピロが座っていた。そしてわたしの名前を呼んだのだ。
「ピロに見せたいものがあるの」
わたしはまだ整っていない息づかいで、ウキウキしながら袋から服を取り出した。
中から取り出したのは、茶色で無地の少し大きめのワンピース。
これなら性別がどちらでも着られると思って買ってみた。
それをピロに見せると、ピロは不思議そうに首を傾げた。
「これは、フク。ピロのだよ」
わたしはそう言って、ピロに着させようとした。
「ボク、ヤダ!」
ピロはわたしの手を振り払って後ずさりした。
え、今のって……
「ピロがしゃべった……」
わたしが教えた言葉は、"セイヤ"と"ピロ"だけなのに。どうして、そんな言葉知ってるの?
いったいどこでどうやって……
「ピロ、ヤダ。ヤーダヨ」
「ダーメ!」
嫌がるピロに、なんとか無理矢理着せることに成功した。可哀想だけどしょうがないよ。
だって服を着ておかないと、臓器丸見えだし、街中なんてとても歩けない。
これはピロのことを思ってだから。
「ナニアレ」
ぶすっとした顔のピロが指さしたのは、まるで宝石のような星が散りばめた夜空だった。
「ホシ」
わたしはそう言いながら、地面に指で星を描いてみせた。
するとピロはそれをそっと撫でて、楽しそうに笑った。
「ホシ!」
ピロは嬉しそうに"ホシ"を連呼した。
ピロといると、まるで自分が母親になった気分になる。
母親って、こんなに楽しくて、でも大変なんだね。
ピロはどんな星に住んでたのかな?
この地球から見えるのかな。光が届くまでどのくらい時間がかかるのかな。
いつかピロに聞けるかな。
隣にいるピロを見てみると、すっかり星空の虜になっているのがわかった。
そんな姿はとても幼く見えてしまう。
ピロはいったい何歳なのかな……
見た目は大人っぽいのに、中身は思いっきり子供。
性別だってそうだ。"ボク"って言うから男の子かと思えば、時々かわいい仕草をするから女の子かもしれないし。
ピロは本当に謎だらけだ。
ねぇピロ。その謎、いつか教えてね。
「グゥー」
そう音をたてたのは、わたしのお腹だった。
そういえば、まだ家に帰ってなくてご飯を食べていなかった。
きっとピロもお腹が空いているはず。
「行こっか」
わたしは立ち上がって、ピロの手を握った。その手は少し冷たくて、プニプニしていた。
ピロは首を傾げていたけど、わたしの隣に立ち上がって、素直に着いてきてくれた。
裏山を下ったところには、すでに街灯が眩しく夜道を照らしていた。
さっきまでいた裏山の方から、色んな虫の鳴き声が聞こえてくる。
「夏だな」
そう小さく呟いてみると、いつものようにピロが首を傾げた。
「ナツ……」
ピロは不思議そうに周りを見渡していた。
何がナツなのか、探そうとしているみたい。
「キャア!」
夏の夜に感動していると、脇にある小さな田んぼから一匹のカエルが飛び跳ねてきたのだ。
だけどわたしが驚いたのはそこじゃなかった。
そのカエルに対して驚いているピロに、わたしは思わず驚いてしまった。
ピロは甲高い、女の子がゴキブリを見た時みたいな声で叫んだんだ。
やっぱりピロって女の子?
「ぷっ」
怖がるピロとは正反対に、わたしは思わず笑ってしまった。
「カエルだよ。そんなに驚かなくても大丈夫」
そう言ってケラケラ笑っていると、ピロはわたしの手をギュッと力強く握って、訴えるような目で見つめてきた。
「うん、ごめんね。じゃあ行こうか」
不安にさせてしまったみたいで、ブルブルと震えるピロ。早く安心させてあげなきゃ。
「バカ」
「は?」
ピロは小さくそう呟いて、下を俯いた。
は?バカ?なんだとー!?
今すぐ怒ってやりたかったけど、それは堪えておいた。宇宙人と喧嘩なんて経験ないし。
またそんな変な言葉をどこで……
「バーカ。セイヤノバーカ」
「バーカ。ピロのバーカ」
言い出すと止まらなくて、お互いにずっと言い合いを続けた。
バーカバーカって何度も言い合って、最後には笑いあって。なんだかピロと一緒にいると、不思議な気持ちになる。
なんだろう……今まで感じられなかった何かがある。胸の中が少し温かくなっていく感じ。なんだろう……
「ピロ、バカヤダヨ」
ピロは少しムッとした顔でそう言った。
ピロの言葉にはイントネーションがなく不自然で、ちょっと面白い。
それもきっといつか自然になっていくんだろうけど。
「着いたよ」
家に着いたはいいものの、これからピロをどうしたらいいのかわからなかった。
家の中に入れるのは、おばあちゃんがいるからとても困難だ。
おばあちゃんにバレたら、きっとすぐに警察を呼ばれてしまう。
「ピロ」
いいことを思いついたわたしは、人差し指でピロの肌をつついて、大きく丸のポーズをしてみせた。
すると、ピロは少し戸惑いながらも、肌の色を透明に変えた。
ピロの肌の色は自由自在に変わるらしい。それを利用して、ピロの姿が見えないように透明にしてもらった。もちろん臓器もね。
そして透明なピロの手を引っ張りながら、ゆっくりと扉を開けて家に入った。
「星夜」
玄関にはすでにおばあちゃんが立っていて、怒っているような顔をしていた。
おばあちゃんは怒ってもあまり怖くないけど。
「ごめんなさい。今日は部活に行ってて、直接山まで行っちゃって。次から気をつけます」
「まったく」
おばあちゃんは呆れたようにため息をついて、リビングまで行ってしまった。
わたしは、玄関の端にピロを座らせ、「ここにいて」とジェスチャーで伝えた。
まるで犬に"待て"をさせているみたい。
わたしもおばあちゃんに続いてリビングに向かった。
今日は少し疲れたのか、自然と大きなあくびが出てくる。
伸びをしながら椅子に腰掛けると、おばあちゃんがご機嫌そうに寄ってきた。
「今日はビーフシチューよ」
おばあちゃんには、さっきの呆れ顔などどこにも見当たらなく、嬉しそうな笑顔だけが浮かんでいた。
「なんでビーフシチュー?」
おばあちゃんがビーフシチューを作るなんて、クイズ番組の景品で、大量の牛肉を貰ってしまって仕方なく作ってみた時以来。
「お隣の佐々木さんからいただいたの。牛肉をくださるなんて、ものすごくいい人よね」
お隣の佐々木さんと言えば、とても陽気で笑顔の絶えない優しいおばさんというイメージ。いつも何かあれば気にかけてくれるし、色んなものを譲ってくださる。
「でも、ニンジンとジャガイモは、スーパーで買ったの。まぁそこは許してよ」
おばあちゃんはふにゃっと笑って、わたしの目の前の椅子に座った。
このビーフシチュー、ピロにあげたいな。
「おばあちゃん。今日は疲れたでしょ?後はわたしがするから、おばあちゃん先に寝てていいよ」
「え、本当?じゃあお言葉に甘えて」
おばあちゃんの部屋は二階で、わたしの部屋も二階。だけど部屋は別々。
もちろんおばあちゃんのことを思ってだけど、本当はピロと食べたいからっていうのもある。そんなこと言えないけどね。
「ピロ」
リビングから出て、玄関にいるはずのピロに小さく声をかけた。
すると、ピロは気づいたようで、ドンドン足音をたててわたしの方に突進してきた。
「セイヤ!」
「痛い!」
ピロがわたしの上に乗っかって、楽しそうな顔をしていた。
それに肌の色は半透明で、いつもの臓器丸見え状態に。
「きゃあっ!」
思わず上に乗っているピロを突き飛ばしてしまった。
ぶかぶかのワンピースから少し覗いた心臓が、ドクドクと微かに動いているのが見えたんだ。
その瞬間、ピロも生きているんだって、わたしと一緒なんだって感じた。
だけど生々しいのが気持ち悪くて、つい飛ばしてしまったんだ。
それからなぜか、わたしの心臓の動きは、だんだん速くなっていく。
何のせいなのか。よくわからないけど。
「じゃあご飯にしようか」
とにかく話題をだして、その場の空気を作りあげた。
小さなお皿とスプーンとコップを用意して、キッチンに向かった。
キッチンには、シチューの残りが入っている鍋が置かれていて、それはまだ温かそうに湯気を立てていた。
わたしはお玉で少しだけ掬って、小さなお皿の中に注いだ。
それからコップに水を入れて、リビングのダイニングテーブルの上に並べた。
わたしは、いつもならおばあちゃんが座る椅子に、ピロを座らせた。
ピロは、目の前にあるビーフシチューを不思議そうに見つめている。
ピロの住む星のご飯ってどんなものなのかな。そもそも、食事をするっていう習慣はあるのかな。
「いただきます」
わからないことはたくさんあるけど、とにかくいただきますをした。
ピロは戸惑いながらも、両手を合わせて「いただきます」とわたしの真似をした。
そしてわたしは右手でスプーンを持った。
するとピロも真似してスプーンを持つ。
「あ、違う」
ピロは上からスプーンを掴むように持っていた。小さい子にありがちなやつだよね。
わたしは正しい持ち方に変えてあげて、覚えさせた。
ピロは何も知らないけど、頭がよくて覚えがいいため、なんでもすぐに身につけてしまう。
「……」
「あ、ごめん」
うっかりピロの頭のことに感心してしまい、ビーフシチューのことを忘れてしまっていた。
わたしは、中に浮かんでいるジャガイモを掬ってみせた。
するとピロも真似て、ジャガイモを上手に掬ってみせた。
そして口の中に運んでみせる。
ピロも真似する……
「ウァァアア!!」
ピロはいきなり大声を出して、その場に勢いよく立ち上がった。
「どうしたの」
なんだかその姿が面白くて笑ってしまった。
「ピロ、ヤダ!」
そう言って、ピロはまた椅子に座り直した。
ピロの口の中からは、湯気が出てきていて、とても熱かったんだなとわかった。
ジャガイモ、嫌いになっちゃったか……
そして次は、メインの牛肉を食べてみる。
これはピロも気に入るんじゃないかな。
「ン?」
「どう?」
牛肉を食べながら首を傾げるピロの表情は、だんだんすごいことになってきた。
「ヤーダ!」
なんと牛肉も気に入らなかったらしい。
わたしは今まで牛肉を嫌いと言う人になんて、出会ったことがない。
やっぱり住む星が違うと、文化も好みも違うんだろうな。
そして最後にニンジンを食べてみた。
ニンジンって子供の嫌いな食べ物の代表だよね。
そんなものを気に入るわけがない、と諦めながらもピロに真似させた。
「どう?」
「コレナニ?」
「ニンジン」
ピロは少し下を俯きながら、ニンジンを噛み締めていた。
すると表情が一変して、またその場に立ち上がった。
「ニンジン!!」
ピロはよくわからない動きをして、わたしに何かを訴えてきた。
手をうねらせたり、足をバタバタさせたり。
美味しかったのか、美味しくなかったのか。
もしかしたら、ピロの体に何か異常が起きてしまったのかもしれない!
「ピロ!大丈夫!?」
わたしが慌てて背中を擦ってあげると、ピロはわたしに視線を合わせて、ニッコリ笑った。
「ニンジン」
ピロはそう言って、指で丸をつくってみせた。
そうなの?ニンジン気に入ったの?
「ニンジン美味しかった?」
「ニンジンオイシカッタ?」
ピロはいつもみたいに首を傾げたと思えば、すぐに首を立てて大きく手を叩いた。
「ニンジンオイシカッタ!」
嬉しそうなその笑顔が、また子供らしく見える。
──ピロピロピロリン
その時、お風呂が湧いた音楽が鳴った。
そういえばお風呂はどうしようか……
まず水の中に入るということ自体、ピロの身体に悪影響を及ぼさないのか。でも、それを聞こうと思っても、まだ聞けない。
一応入れてみようかな。
そんな考え事をしている間に、ピロのお皿の中は、ジャガイモと牛肉だけになっていた。
「あれ」
コップの中には水がそのまま残っていた。
水飲むの忘れてたのかな?
とりあえず二人分のお皿を、流しに積み重ねた。
洗うのは明日でいいよね。
そして、大人しく椅子に座っていたピロを立たせて、お風呂まで誘導する。
「ゲポ」
何の音?と思い、後ろを振り返ってみると、ピロが恥ずかしそうに体を赤く染めた。
「宇宙人ってゲップするんだね」
わたしは一人でクスクス笑っていた。もちろんピロには理解できない言葉。だからわたしが独り言を言っているみたい。
ガラガラとお風呂場の引き戸を開けると、モワッとした空気が押し寄せてきた。
窓も曇っていて、壁にも水滴がたくさんついている。
わたしはチャポンと右手をお湯に浸からせ、温度を確かめてみる。
かなり温度が下がっていることから、長い間おばあちゃんを待たせてしまったことがわかった。
ピッと『おゆだき』のボタンを押して、しばらく浴槽を眺めていた。
──チャポン
その音はさっき聞いた音と同じ。ピロが手を浸からせていたのだ。
いけるかな?入れるかな?なんて少しドキドキしながら観察してみた。
すると、少しずつ指がふやけていって、グニョグニョと解け始めたのだ。
「ピロ、危ない!」
わたしは急いでその手を引っ張り、お湯から手を引っこ抜いた。
溶けていた指は元に戻り、いつも通りの指になっていた。
とにかく、ピロをお風呂には入れてはいけないということがわかった。
「フワァ」
ゲップの次はあくび。
意外と生理現象は人間と変わらなく、わたしたち人間とだいたい同じ臓器のつくりみたいだ。
今日は結構振り回しちゃったかな。きっと疲れているんだよね。
浴槽のお湯がちょうどいいくらいに湧いてきた頃、今にも眠りについてしまいそうなピロの目が、すでに閉じかけ始めていた。
部屋に連れていってあげようか。そんな勝手なこと許されるのかわからないけれど。
スッとおんぶしてみると、やっぱり体重は軽くて、すぐに持ち上がった。
しかし身長はわたしとあまり変わらないため、おんぶしても体がほとんどはみ出していた。
──ドクドクドクドク
この音はきっとピロの心臓の音。それは、わたしの背中の奥まで響いてくる。
ピロも生きているんだなって、その音から何度も確認する。
そしてなんだか耳元がくすぐったいなと思っていると、ピロが寝息を立て始めていたのがわかった。
おんぶしているため寝顔はよく見えなかったけど、絶対かわいいんだろうなと思いながら階段に足をかけた。
階段を上り終えると、左にある小さな部屋に入る。ここがわたしの部屋。
奥の方にベッドが置かれていて、手前の方にクローゼットやら収納家具が置かれている。
とりあえずピロをその場のベッドに寝かせるけど、さすがにシングルベッドに二人で寝るのは、いくら宇宙人だったとしても抵抗があった。
まぁまだ性別はわかっていないけど。
そうだ。こういう時に布団は用意されているんだ。
確か隣の部屋の押入れの中に、布団や枕などが入っていたような気がする。その隣の部屋は、誰の部屋でもなく、物置にされていた。
もしかしたらその部屋が、死んでしまったお父さんとお母さんの部屋だったのかもしれない。
ちょうどまだ誰も使っていない様子の布団と枕が出てきたため、それをピロに回すことにした。
わたしの部屋は綺麗に片付けられていて、床はすっからかんに空いていた。
自分で言うのはおかしいってわかってるけど、綺麗なのは事実だよ?
その床にブルーの布団を敷いて、端の方に水色の枕を置いた。
よし、と小さく呟いて、ベッドに転がっているピロを布団に寝かせた。
かわいい……
あまりにも寝顔がかわいすぎて、ずっと見つめてしまい、いつの間にか時間がどんどん過ぎていっていた。
まだお風呂に入っていなかったわたしは、ピロを起こさないようにゆっくり部屋を出て、階段を下った。
わたしのお父さんとお母さん。いったいどんな人だったのだろう。そういえばおばあちゃんからは、そういう話を一度も聞いたことがなかったな。
明日おばあちゃんに詳しく聞いてみようかな。