──チリンチリン

風鈴の音が夏の風を心地よく感じさせる。

どんな暑い時でも、気分だけでも涼しく感させる。

空には大きな入道雲が流れていて、夕方だというのに、太陽がギラギラと小さな世界を照らしている。

「いらっしゃいませ」

ズラリと並ぶ店の前を通るたび、この声をかけられる。

いつも繁盛している和菓子屋、最近出来たばかりの鰻屋さん、あまり人が入っていない古本屋。

この通りには、色々な店が並んでいる。

特に都会というわけでもないこの街には、なぜか観光客がよく集まる。その理由は、地元民にはわからないことなのかもしれない。
電車は一両しかなく、人が混むと大変なことになる。

何度も人にぶつかって、何度も謝らなきゃならない。それは本当に大変で面倒。だからわたしは満員電車が嫌い。

だけど、今日は乗客が数人しかいない。だから、誰にも気を使わずに椅子に座ることができる。

車内は冷房が効いてて、さっきまで止まることなく流れていた汗も、今ではだんだん止まっていっている。

──ガタンゴトン

電車は少し揺れながら、音をたてて進んでいき、すぐにわたしの降りる駅に着いてしまった。

わたしの住む町は、それほど田舎というわけでもなく、都会というわけでもない。

でも自然溢れる素敵な場所がたくさんあって、田舎にも見えないこともない。

電車を降りると、一気に暑さが襲ってくる。

夏は夜がくるのが遅く、日照時間が長い。そのため、夕方でも暑いのは変わらないのだ。

あまりにも暑くて、腕に付けていたゴムで、髪を一つに結んだ。

それでもまだ暑さは残っている。

横断歩道を渡ると、左には池があり、右にはいくつかの店が並ぶ通りに入る。

池からはウシガエルの鳴き声が、店の中からは豆腐屋のラッパの音が聞こえてくる。

夏はこの町の景色をしっかりと観察するように心がけている。なぜなら夜がくるまでに、時間が有り余っているから。

だけど冬になれば、この景色は全力疾走して見逃している。

だから夏は、わたしに合っている季節だと思われる。


──ニャア

向かい側に渡ったところに白い猫が現れた。この猫はいつも見かける猫で、どうやらわたしに懐いているらしい。

今も、わたしの足元に体を擦り付けているところだ。

冬ならこんな状況でも、猫を蹴飛ばしてすぐに家に帰ってしまうけれど、夏はしっかり構ってあげる。

「かわいいねぇ」

この子の毛は野良猫のくせにフワフワで、とても触り心地がいい。本当に抱き枕にしたいくらい。

猫が満足するまで撫でてあげて、また真っ直ぐ道を歩き続ける。

最近出来たばかりのマンションから人が居るのかもわからない古い小さな小屋までが、ズラリと並んでいる。

もう池や店は見当たらなくて、周りには様々な家だけが建っていた。

わたしの家は、最近建てたばかりで、家の中身も外見も全て真っ白に染まっていた。

赤い屋根の家を左に曲がって、そのまま真っ直ぐ進めばそのわたしの家に着く。

この新しい家は、今でもなかなか慣れることができない。

わたしは元々少し外れた田舎の町に住んでいた。だけど、わたしの高校受験と共にこちらに引っ越して来たのだ。

「ただいま」

ガチャと扉を開けて家に入ると、玄関にはおばあちゃんの姿があった。

「おかえりなさい、星夜」

わたしの家族はおばあちゃんだけ。両親は昔事故で亡くなったらしく、おじいちゃんは去年亡くなってしまった。

おばあちゃんは、わたしのたったひとりの家族なんだ。

「今日のご飯は?」

足からなかなか抜けない靴を引っ張りながら聞く。

「今日はオムライスだよ。星夜オムライス好きでしょ?」

おばあちゃんは年の割には若くて、いつも色んなことに挑戦したがる。

普通なら和食を好むような年齢なのに、おばあちゃんは洋食を作ってくれる時がある。

オムライスはおばあちゃんが初めて作った洋食で、その時の味は今でもしっかりと覚えている。

リビングに行くと、ふたり専用の小さなテーブルがある。

わたしはそこにお皿を置いて、ケチャップを手に持った。

「今日は何描くの?」
「星だよ」
「本当に星夜は星が好きだね」

おばあちゃんは優しく笑って、わたしの背中を撫でた。

黄色い空に赤色の星。

よくわからない組み合わせだけど、わたしは星が好きなだけだからそんなのは全く気にならなかった。

「いただきます」

スプーンを手に取って、美味しそうなオムライスを小さく切り込む。

「んー!美味しいよ!」
「よかったよかった」

おばあちゃんは喜ぶわたしを見て、嬉しそうな微笑みを浮かべた。
「じゃあ行ってくるね」
「遅くならないようにね」

さっきまで顔を出していた太陽は沈みかけていて、辺りは少しずつ暗くなり始めていた。

わたしがこれから向かうのは、毎晩行っている公園の展望台。

正確に言えば、その展望台の更に高いところにある裏山だけど。

小さい頃から星が大好きなわたしは、昔買ってもらった望遠鏡で毎晩星空を眺めていた。

その望遠鏡は誰がくれたのか……それは未だにわからないけれど。

裏山まではそんなに遠くなくて、歩いて行ける距離だった。

登下校の道とは全く外れているけど、この道も歩き続けているから、たぶん目を瞑ってでも歩ける。
夏の夜は冬に比べて騒がしい。

スズムシがリーンリーンと物寂しく鳴き、たくさんのカエルがうるさく騒ぎ立てる。

確かに騒がしいけど、意外とこの音は嫌いじゃなかった。

人も少ないわけじゃなくて、自転車もよく走っている。ほとんどの人が、習い事や仕事の帰りだろう。

少し暗くなってきた町に、街灯の灯りが光り始めた。

もう夜になってしまうのかな。

色々考えながら歩いていると、あっという間に裏山に着いてしまった。

公園の入口には、展望台に行くための長い階段が作られてある。

しかし、わたしはその階段を使わない。

裏山まで行くには、この階段を使うと遠回りとなってしまう。

だから反対側にある険しい山を登るんだ。

その山を登る人は、ほとんどの人が途中でやめてしまう。だけど、わたしはずっと登り続ける。星空をより近くで見るために。

夜空にはまだ星が姿を現していなくて、本当に何もないように見えた。

わたしはこの空も好きだけど、星のある空の方がもっと好きだった。

わたしは、わたしの名前をつけたのが誰だか知らない。

お父さんかもしれないし、お母さんかもしれないし、もしかしたらおばあちゃんかもしれない。

誰がつけたかはわからないけど、星が好きだったんだということは確実だった。

せいや、セイヤ、星夜。

この名前のせいで、こんなにも星空を好きになってしまったのかな。
頂上からは、街灯に照らされた町全体が見下ろせる。

夜空には、星がポツポツと現れ始めた。

この裏山には、いつからかは忘れたけど、ずっと行き続けている。

それに、誰かと誰かを想って、この景色を一緒に見ていたような記憶も少し残っている。

だけど、何が本当で何が嘘かもわからないこの世界で、自分の記憶なんて信用することができなかった。

だからいつもひとりで、誰からもらったかもわからない望遠鏡を持って、いつも綺麗に輝く星を眺めていたんだ。

夏の星は美しい。

ぐるりと一周回ってみて、一つ一つの星をじっくりと観察してみる。

「え……」

すると、さっきまで星と月しかなかった星空に、突然見慣れない光が現れた。

その光は眩しいほどに輝きを放っていて、なぜかこちに向かって近づいてきている。

もしかしたら、UFOというやつかもしれない。

わたしはとにかく怖くて、何をしたらいいかわからずに、ただその場で体を伏せていた。
そっと目を開けてみると、すぐそばの茂みから煙が上がっているのが見えた。

近づくのは怖くて、だけどなんだか気になって、その場を離れることはできなかった。

「きゃっ!」

その茂みから出てきたのは、全身半透明の見たことのない生き物だった。

向こうも少し驚いたように、じっとわたしを見つめていた。

「な、なに」

日本語が伝わるかなんてわからないのに、出てくる言葉はそれだけだった。つい、夢を見ているんじゃないかと思ってしまう。

そしてゆっくりとわたしの方に歩み寄り、目の前まで来てからわたしを不審な目で見てきた。

さっきまで暗闇でよく見えなかった容姿が、目の前にしてみるとハッキリと見える。

意外と整った顔立ちで、少し人間に近いような顔。

わたしとあまり変わらない身長。

今すぐにでも倒れそうな、ひょろひょろの体。

半透明なせいで全て見えてしまっている臓器。

少し人間にも見えるけれど、やっぱり違う。

「あなたの名前は?」

伝わるわけないってわかってるのに。だけど聞いてしまうんだ。だって伝わりそうな姿をしているから。

わからないけれど、どこかわたしと似ている表情をしている気がした。

「ピロ」

その声も人間とそっくりだった。

扇風機に向かってしゃべった時のような声ではなく、わたしたちの聞いたことのあるような日常的な声だった。

ピロ……

本当の名前なのかな?わたしの言ったこと伝わったのかな?

なんだか嬉しくなってきて、たくさん話したくなってきた。