朝ちゃんの痴呆は進むのがはやかった。

わたしが階段を駆け下りるスピードくらいには。


1日に何度もお母さんに電話がかかってくるようになった。

朝ちゃんが行く先行く先で迷子になるからだ。


帰り方がわからないから迎えに来て欲しいという電話だった。

それはいつも朝ちゃんが買い物に行くスーパーだったり、
馴染みのデパートだったりした。

お母さんはそういう電話があると
車を出してすぐに駆けつけた。

わたしも車の助手席に乗って
何度もついていった。

朝ちゃんは大抵意味のわからない場所にいた。
さびれた公園。何もない河原。

駆けつけると
朝ちゃんは大抵ぼんやりした目をしていた。

『お母さん』

私の母は出来るだけ明るい声をかけるようにしていた。

目が醒めたような朝ちゃんの瞳がはっとこちらを向く。


『来てくれてありがとう』

と朝ちゃんはいつも涙目になっていた。

安堵の涙は 目尻の皺に溜まって、時々こぼれ落ちた。

お母さんは朝ちゃんを 団地へと送り届ける。
しっかりと戸締りをするように声を掛けてから帰る。

扉を閉めたとたん、
必ずお母さんは小さなため息をついた。

ずっと大きく見えていた背中は
本当はそうでもなかったことに気付く。