「あの…」
「髪」
「え…?」
こちらが聞く前に
先生はそう言うと
あたしの肩に掛かる横髪に手を伸ばした。
「あッ、えッ!?」
突然の出来事に一瞬驚き
それとは別に…
なぜかドキドキした。
「髪、乾かさないと風邪をひく」
心配しながらも
横髪からスーッと毛先まで
先生の指が降りていく。
静かに囁くその声と
優しい眼差しは
いつもの先生じゃなく思えた。
なんて言うか…
カッコいいんだ。
普段は医者らしく
言いたい放題厳しい事を言うから『カッコいい』なんて考えた事なかったけど…
こんな顔もするんだなって…
新たな一面も見れた気がする。
「か、乾かして来ますッ」
カッコいいとか思った瞬間
急に恥ずかしくなってしまい
先生から逃げる様に後ずさりしてしまった。
だけど。
「待って…」
先生は髪に降れていた手を
そのままあたしの手首に移動し
捕まれてしまった。
そして
思いもよらない行動をとったんだ
「限界…」
!?
また抱き締められた…
今何が起きてる!?
限界って何!?
この数日の先生
どうしちゃったの?
ドキドキさせられっぱなしで
こっちが限界だからッッ
「えーッと…」
あ~…困った。
そんないきなり…
心の準備が出来てないから。
先生は
抱きついたまま離れないし
動かないし…
それになんだか…
「…重い」
なぜか徐々に体重が掛かり
重みを増す。
そしてついに
背中にあった先生の手は
だら~んと力無く離れ
更に重みが加わった。
まさか先生
気を失ってる?
「先生!?」
またも悪い方向に考えてしまったあたしは、もう止まらない。
半分泣きべそになりながら
抱きつかれたままの状態で
先生の肩を叩く。
だけど反応がない。
怖くて頭の中が白くなる。
「先生ッ、起きて!しっかりしてッッ!!」
思わず必死になり
声を掛け続けていると
耳元から『んー…』と
寝ぼけた声が聞こえてきた。
そしてそのすぐ後
『すーッ、すーッ』と
静かな息遣いが聞こえてくる。
もしかして先生…
寝てる?
嘘~…
ここで!?
こんな状態で普通寝る!?
まさか『限界』って
睡魔の事?
…あり得る。
別に抱きついた訳でも
抱き締めた訳でもないんだ
ただ睡魔の限界で
偶然居合わせたあたしの前で
ついに力尽きたって感じか?
勝手に恥ずかしがって
照れて赤くなったあたしは…
ただの勘違いバカって事だね。
『心の準備が出来てない』って…何考えちゃってたんだろ。
それこそ恥ずかし…。
「はぁ…」
さて、現実に戻り
「どうしよ…」
このままって訳にはいかない。
部屋に運ぶ…と言っても
引きずるなんて悪いから
仕方なくソファに寝かせる事にした。
結局若干は引きずる形になってしまうけど…
仕方ない
うん、仕方ない。
なんとかソファに横にさせる。
だけど起きる気配がない…。
こんな所で寝たら
風邪を引いてしまうかも。
「先生ー。起きないと風邪引きますよー?」
声を掛けるも起きる気配がない。
かなり爆睡してるらしい…
「疲れてるんだね…」
起こすのは悪いと思い
あたしは自室から掛け布団を持ってきて、先生にそっと掛けた。
そして
彼の寝顔を見つめながら
そっと呟いた…
「…お疲れさまです」
本当に
お疲れさまです…先生
――……速水side *。+†*
「…あ?」
目が覚めたが
俺は…どんな状態なんだ?
見た事のある天井があるって事は『自分の家』ってのはわかる。
あー…眠い。
寝不足からか体はダルい。
左腕を額に当て
目を閉じジッとしていると
『カチカチ』と腕時計の音が耳に入り、ゆっくりと目を開け時間を確認。
「やべッ、仕事ッッ」
時間を見るなり
一瞬で眠気で覚め
ガバッと体を起こす。
…が、寝不足の体でいきなり起きたからか、クラッと目眩がした。
最悪だ…。
左手で目頭を押さえ
『はぁ~…』と大きく溜め息を吐く。
そういえば…
今日は仕事オフだったんだ…。
助かった…。
最近休みなんてなかったから
すっかり忘れてた。
目眩が落ち着いた所で
テーブル側に向きを変えると
目に飛び込んできたのは
数々の料理。
いつ作ったのか
料理には綺麗にラップがかけてある。
咲桜ちゃんが作ったのか?
なんて家庭的な娘なんだろ。
(オッサン発言だな)
「あ、起きました?」
1人マジマジと料理を見ていた所に、水色のエプロンをつけた咲桜ちゃんが、手にサラダを持ちながら歩いてきた。
「俺…どうしたんだ?」
「いきなり倒れる様に寝ちゃったんですよ。覚えてませんか?」
咲桜ちゃんサラダをテーブルに置き、器用に取り皿に分ける。
「あんまり…覚えてない」
辛うじて帰って来たのは覚えているが、その後は?
咲桜ちゃんが髪乾かしてなかったから、風邪ひいたらマズイとは思ったんだけどな…。
倒れる様に寝たって…
そんなに重症だったのか?
「えっと…ご飯、食べますか?」
彼女は遠慮がちに言いながら
分けたお皿を俺の前に差し出してくれた。
「あ、あぁ」
まぁとりあえず考えるのはやめ
ソファからテーブルに移り
椅子に座る。
「これ全部、咲桜ちゃんが?」
「はい。先生疲れてるから、何か栄養になるものを。と思って…」
「ありがとう。頂くよ」
箸を手に取り
さっそくオカズに手を付けた。
「あ、でもッ!口に合わないかもしれないし、胃が痛くなるかもだし…」
口に運ぶ前に止められ
ちょっと可笑しくなった。
「大丈夫だから。気にしすぎ」
咲桜ちゃんは顔を赤くしながら
俺の前に座ってソワソワする。
野菜炒めを口に運ぶのを
食い入る様に見つめられ
…食べづらい。
「うん、おいしい」
「本当ですか…?」
「あぁ」
咲桜ちゃんは
ホッとしたみたいで
安堵の笑みを浮かべた。
人の手料理を食べるのは
3・4年ぶり…
不規則な生活ばかりで
まともな飯は久しぶり。
1人だと
簡単に済ませる事が多いから。
こうして誰かと食べるのも
いいもんだな…
「あ、飲み物持ってきますねッ」
咲桜ちゃんは席を立ち
慌ただしくキッチンへと消えていった。
「何もそんな急がなくても…」
まったく…。
可愛いな…彼女は。
フッと笑顔が零れ
また箸がオカズに伸びる。
だが、止まった。
俺は今
とんでもなく
和んでるんではないか?
彼女は患者であって
ここには入院で来ていて…
で?なんだ?
この新婚夫婦みたいな空気は。
『可愛いな、彼女は』
って、何を普通にサラッと考えてんだ。
セクハラ発言も
ここまで来ると変態だぞ。
最近の俺は
頭がオカシイのか?
イカれてるのか?
「たぶん疲れているんだな…」
『疚しい気持ちはないんだ』と、何度も念を押すように自分に言い聞かせながら、黙々と食事を続けた。
――……速水side END *。+†*
あたしが作った料理が
先生の口に合ったみたいで
(お世辞かもしれないけど)
良かった、良かった。
先生とこうして
一緒に食事するのは
まだ2回目なんだよな…
ちょっと新婚生活みたいになってる気がするけど…
あくまであたしは
『先生の疲労回復』の為の料理な訳で。
勝手な勘違いはやめよう。
「そういえば、今日お仕事はお休みですか?」
コーヒーを注いだカップを先生に渡しながら、ふと疑問に思った事を尋ねた。
「あー。休み」
ほぉ、休みか。
ん?待てよ?
じゃあ今日は1日…
【 2 人 き り 】
なの!?
こっちに引っ越して来てから
1つ屋根の下
1日中2人きりでいた事なんてなかった。
それだけに
この場合はどうしたらいいのだろう…。
1人悩んでいると。
「ごちそうさま」
先生は食事が終わったらしく
お皿を数枚重ねて持ち
席を立った。
どうやら片付けてくれるらしい。
「あ、いいですよ。あたしが片付けますッ」
あたしなんかの料理を食べてもらったのに、後片付けまでさせられない。
だけど
先生からお皿を受け取ろうとするが、『これくらいしないと悪いから』と断られてしまった。
料理も1つ残らずすべて平らげてくれていて、すごく嬉しいというのに…
更に先生の優しさで
『大人』を感じる。
「風呂、入ってくる」
「はい」
こういうのも…
たまには悪くないかも。
…なんて呑気な事を考えてしまった。
あたしは今のうちに
食器をすべて洗い
洗濯を始めようとする。
だけど…
洗面所の前でストップ。
このマンション
洗面所の先がお風呂。
この扉を開けたら
すぐ先はお風呂の扉もある。
そして今
先生はお風呂を使っている…
だから何?って話になるよ。
確かにね。
いや、だけどもさ。
なんというか…
恥ずかしいじゃん?
は…裸…だし。
「…気にしない、気にしない」
洗濯をするだけなんだから!
先生が出てくる前に
とっとと終わらせればいいんだ!
呪文の様に唱えながら
洗面所へと足を踏み入れた。
幸いにも先生はまだ入浴中で
シャワーの音が聞こえてくる。
曇り硝子にうっすら映るシルエット。
先生…今裸なんだよね…。
いかん、いかん
あたし今
ものすご~~~~く
変態的思考だったよ!?
マズイと思い
首を横に振って頭から消し去る。
気を取り直して
洗濯機に洋服等を放り込み
洗剤を投入しスイッチ・オン。
洗剤を下の棚に戻す際
洗濯機の隣にある棚に
先生の服が綺麗に畳んで置いてある事に気付き、ちょっとドキッとしてしまった。
あたしはいつから
変態になったんだろうか。
『そんな事はない』と
また首を横に振って消去。
「…掃除しよっと」
『ふぅー』と一息ついた
まさにその時だった。
ガチャッ…
「え…」
お風呂場の扉が静かに開き
下半身をバスタオルで巻いた先生が現れた。
「なッ、お前ッ」
いきなりあたしが目の前に立ってるから、先生も驚いている。
「あ、えとッ!あたしはただ洗濯をッッ」
面食らったあたしは慌てふためきすぐ足下にあった何かに気付かなかった。
そしてそれに
つまづいてしまった…