私はそのまま津崎には渡さずに持ち帰ってしまった。いや、正確には渡せなかった。

シート状のアルミ箔には薬名が記載されていて、そこには〝パナルジン〟と書いてある。私はそれがただの風邪薬ではないことを知っていた。

だから気軽に『落としたよ』と、言えなかったのだ。


次の日。私はいつもと同じ時間に起きて、学校へと向かう。その途中で携帯が振動していることに気づいて、自転車を停めた。

サドルにまたがったまま確認すると画面には【着信 お父さん】の文字。


「もしもし?」

右耳に押し当てて電話に出ると、『おはよう、皐月。元気か?』と、未来よりも若いお父さんの声。


「うん。元気だよ。急にどうしたの?」

『用はないよ。ただ声が聞きたくなって』

10年後は新しい家庭を持っているお父さんも今の時点ではまだ独身。なので時間があるとこうして連絡してきては、よくお互いの近況報告をしていた。


『島は暑いだろう?』

「うん。長野のほうはどう?」

『こっちも盆地だから毎日30℃越えだよ』

再婚する前のお父さんは私とお母さんの3人でずっと暮らしていた借家に住んでいた。

荷物はひととおり運んだり、処分したりしたけれど、勉強机などは当時のままのようで、それが余計に寂しいと昔言っていたことを思い出す。


『たまにはこっちに遊びにきてくれよな。万里子には内緒で』

「いや、すぐにバレるよ。お母さんそういう勘は鋭いし、別に隠して行かなくても『お土産よろしく』なんて、送り出してくれると思うよ」

『はは、女は切り替えが早くて怖いなあ』