(side六年前の東城美香)
お葬式って本当にカナシイ。
そう、当時の東城美香は思った。
私の知らない両親の親友を名乗る人が何か私の肩を掴みながら言うけれど、私にはどう答えていいのか分からなかった。
だって、悲しいでしょう、苦しいでしょうと言われても、そうだと答えれば知らない人に抱きしめられるし、否と答えてもそれは否定される。
悲しむ義務があるとでも言うように場がそうさせる。
だけど、数日後にはここにいるほとんどの人が笑顔で働いたり遊んだりするわけで、上部だけのような気がしてしまう。
私の哀しみも、そんな嘘と同じように扱われて、私自身でさえこの哀しみが嘘のように思えてしまう。
いつか、私は笑ってしまうのだと。
その瞬間、一人生かされていることを忘れて、笑ってしまうのだと。
怖かった。この世の偽善全て。
許せなかった。そんな世界の一部である自分。
「東城美香さんですか?」
そんな時、また知らない男が声をかけてきた。そうだと答えると、
「あなたの遠い親戚に当たります、晶人です。少しお話よろしいですか?」
その男は心底優しげにそう言ったけれど、胡散臭いし面倒で、
「いや」
男を拒否した。
それが小学生の女の子が起こした精一杯の癇癪だったのだと思う。しかし、それに全く嫌な顔もせず男は座る私の横に腰かけると、
「今日はいい天気ですね」
と、定型文ながらこの場に似合わないふざけたことを言い出した。東城美香が思わず睨み付けるが男はまるで気にせず、それどころかこちらを見ることもない。
「あなたから見たこの世界は綺麗ですか?」
「は?」
「こんな日なのに、空は晴れている。葬式というものを分かっていない子供が笑顔で駆け回る。この世界は綺麗でしょうか?」
「………」
全く美しくないと思う。理想じゃないと思う。けど、この時の東城美香は男に同調したくなかった。
「綺麗である必要なんてないのよ、きっと」
その時、男がどんな表情をしていたかは知らない。
ただ、暫しの沈黙とそのあと大声をあげて男は笑った。
「なっなに?」
「東城美香さん、うちに来ませんか?」
「え?」
「あなたを引き取りたいと思いました」
まあ、もともとそのつもりで来たんですけど。
そうニヤリと笑って見せた男は、東城美香の頭を撫でた。
「やだ」
「そう言わず仲良くしましょう?」
「………」
それから暫くもなく東城美香は遠い親戚を名乗る男に引き取られた。
(side六年前の東城美香) 終
「君は誰かが偽善に晒されているのが許せない人間だ。出会った時も、両親がその対象になってたことをすごく不満に思っていた」
『もう覚えてない』
「いいよ、でも俺だけは絶対覚えてる。その偽善に満ちた世界を汚いと言わずに、綺麗である必要はないと言った君を」
『…言ったかもしれないけど、小学生の戯言よ』
「うん。でも、実際君は偽善が嫌いだけど否定することはない。むしろ、誰かのために偽善者になることを君は厭わない」
誰かを傷つけるなら、自分とでもいうように。
「誰よりも自己中心的でありたいと望むのに、自分を優先できない不器用な子だ」
『………』
「だから、友達と好きな人と僕のパワーバランスが取れなくなったら、君は自分を諦めた」
本当におバカさんだ。くしゃりと笑った晶人という一人の男。
「幸せにおなり。偽善者の君はみんなの正義のヒーローになれるはずだ」
『そんなんじゃないよ、私は。ただ、何か起こってるんだったら、私は晶人さんにはそんなのに関わらず帰ってきてほしい』
「本当に今日の君は我が儘だね。でも、もう分かってるんだろう?………君とはいられない」
『なんで?』
「君の両親を殺したのは俺だから」
男は何のためらいもなくそれを口にした。
東城美香の両親を殺した男とその男に引き取られた少女。
誰も幸せにならないシナリオ。
それを嘲笑うかのような男の愛しげな口調はただ悲しかった。
男と少女の生活は現実とは隔絶した今にも崩れ落ちそうな場所で営まれていた。少しバランスを誤れば簡単に崩壊してしまう。補填しても決して追いつかない。決定的な欠陥がそれを許さない。
それがたった一つ、男と少女の関係性が許さない。
そして、それは僕のせいだった。
『そんなの』
東城美香の両親を殺すはずだったのは、この僕だ。
『そんなことは』
僕なんだ。
『もういいんだよ』
「えっ………?」
『正義とか偽善とか偽悪とか、そんな曖昧なものはもういい。この世界がどうなったって関係ない。ただ、笑っていたい』
僕の信じた正義は、この世のあらゆる全てを許した。
人は生きていれば誰かを傷つける。それを認めてはいても許せない僕たちの先に立ち、偽善者と蔑まれても微笑む彼女は僕たちに笑うことを望む。
『晶人さんが大笑いしたところ、まだ見たことないから』
東城美香は今までで一番綺麗な笑顔をしていた。なのに、
「美香ちゃん」
ごめんね、と晶人だった男は繰り返す。
「二度と笑えないところだろうと、行かなきゃいけないところがあるんだ」
だから、さよならだ
そう言って通信を切った紫はしんと静まり返ったメンバーを振り返り、苦笑いする。
「大丈夫そうだ。作戦はこのまま決行。各自準備に取りかかるように」
それぞれ無言で頷いたが僕はそこに突っ立ったまま動けなかった。
紫を止めに東城が来る。その確信が僕には会った。嬉しいような、悲しいようなそんな気持ちに襲われる。
東城美香を正義とする僕はこの状況を喜んでいるが、東城美香を慕う僕もいるから複雑だ。
なんて面倒くさい。
やめだ。
「紫」
「うん、なんだい?」
「話がある」
いつか東城美香が言っていた。僕は偽悪的だと。そういう正義のあり方もあると。
ならば、僕はそうあるだけだ。
特別なんてつくらないと決めていた。
なのに、気がついたら特別な人達ができていて。
特別な人達と幸せでありたいと思う。
そんな未来を守ろうと思う。
正義でも偽善でもなく、ただただそう思えた時、
私はやっとしっくりする自分を見つけた気がした。
(Side東城美香)
通信が切れた。さよならだ、とそう言った晶人さんは何を思ってただろう。
「花」
「うるさい、あと私は破名」
「同じだよ」
「同じじゃない」
拗ねたように破名だと言う女がいた。それをニヤニヤ見ている男は、なんなのだろうと思ったけど、とにかくそんな悠長に考えている暇はない。
晶人さんの意思は固い。なら、直接とめるしかない。
「あなたたち、何をするつもりなの?」
「だから、正義ごっこだって言ってるでしょ」
「具体的なことを聞いてるの」
「………教えないよ、特に君には。ね?」
同意を求めるように男は破名の顔をのぞきこむ。
「そうね、そうするべきなんでしょう。でも、私は本当は正義なんて微塵も興味なんかない」
「おっ、急展開?」
「黙って。東城美香、あんた本気でこの作戦を止める気あるの?言っとくけど、命の保証もないし仮に生き残ってもあとに待ってるのは地獄よ」
試すように私を射る瞳に逃げてしまいたくなる。
けれど、その向こうに私の譲れないものがあるんだ。私が諦めたくないのは正義でも偽善でもなく、私の大切な人たち。
それだけ。
「覚悟なんて、ここに来る前にしてたよ」
「…ふん、生意気ね。でも、結構。私たちが知ってる限りを話すわ」
「えー、本気で言ってんのー」
男の方がそう声をあげるが破名に殴られる。
「私は同じことを何回も言うほど暇じゃないのよ」
「あははー、殴る方が労力だよ」
「………」
頭のネジが数本イカれているような笑い方をする男は頭をさする。不機嫌そうに睨みつける破名を気にもとめてないかのようだ。
この二人の関係はよく分からない。
「まあ、君がそう言うならお話ししちゃおっか?すごーく、気に入らないけどね」
「あなたは正義ごっこに賛成なの?」
「うーん。まあ、賛成反対っていうか、紫が決めたことだからね。僕らはそれに従うだけさ。でも、紫と違って僕は愛に生きる男だから」
愛に生きるなどと熱弁し始めたこの男に、本当に愛だの恋だのあるのか分からないけれど、協力してくれそうで助かった。
「手短に説明をお願い」
「ちぇっ、ちょっとは聞けよ」
文句を言いながらキーボードを高速で叩き始めた男は、数分後こちらを振り返った。
「ドキドキ・正義ごっこメモリアル~紫ルート~のはじまりはじまりー」
満面の笑みであった。
「………」
「むかーし、むかし。あるところに、一人のおばはんがいました」
画面に映し出された男の言うおばはんは、綺麗な女性だった。けれど、写真の顔はどこまでも冷たい。
「おばはんは夫とは死別しています。死んだ理由は日本政府による口封じのための暗殺」
「その人は何を知っていたの?」
「日本政府のあらゆる闇さ。彼は、いや彼の一族はずっと日本政府の暗部を背負ってきた」
「なぜ?」
「彼の一族は時を越えられる。過去も未来も行き来可能だ」
「なっそんなことあるわけないわ」
「俺も最初はそう思った。だけど、実際にいるんだ。君も何度か接触している」
「え?」
そんな不思議な人と出会ったことなんてあっただろうか。すれ違うだけ、クラスが同じだけなら知らないのもおかしくはないが。
「霧蒼、彼がその一族の末裔だ」
驚きに声も出なかった。
そして思い出したのは彼との出会い。夜の街で絡まれていたところを撮影されたこと。あれは今思うとなかなかない出会いではなかったか。
あのとき絡んできたおじさんはお偉いさんで、数日後ニュースで大きくスキャンダルを報道され失脚している。
そのことが、霧蒼と繋がっているような気はしていた。けれど、その理由が特殊能力保持だとは思いもしない。
そういえば、達也と別れたあの夜は不思議なことが起こったこともある。
姿を見せない霧蒼がまるで私の描いた絵の中にいるようなことを言っていた。それも何か能力に関係あるのかもしれない。
「思い当たる節はたくさんあるみたいだね」
「………」
「だが、組織を動かしているのは霧蒼じゃない。その母親さ。それがこのおばはんってわけ」
なるほど。言われてみれば霧蒼に似ている。いや、正確に言うならば霧蒼がこの写真の女性に似ているのだが。
「おばはんが霧蒼を祭り上げて日本政府に復讐しようとしてる、そういうこと?」
「そういうこと。いやー、飲み込みがが早いね!」
「それで、今日どうやってそれが成されるの?」
「うーん。それは日本政府まるごと誘拐してお引っ越しってとこかな」
「どういうこと?」
「福島第一原発に国会議事堂を作ろうってことー」
突拍子もない話だった。
彼らがやっているのは正義なんかじゃない。聖戦なんかじゃない。
「………それをして何になるの」
「政治はそこで行ってもらう。内容は全部国民に公開して政府が不興を買えばその場で爆破。日本消滅」
「日本をかけたデスゲームよ」
さらっと告げられたそれは、到底信じられるものではなかった。
「そんなの馬鹿げてる」
「だから正義ごっこなの。ただの復讐に大義が欲しかっただけ」
「そうそう。最初からふざけた作戦さ」
そう肩をすくめる二人に私はなんて言えばいいのか。
「………晶人さんはなんでそんな作戦に」
「拾われたからだよ。おばはんに」
拾われたから。
なるほどと思った。思ってしまった。それは拾われた者にしか分からない感情だ。それだけで自分の何かが救われて、その人が特別になる。
その人がどんなに間違いを犯していても。
「晶人さんも私の特別だ」
今からどんなことが起きようとそれは変わらない。
きっと、この二人にとっても。
「そう。じゃあ、これは知ってる?」
「何?」
「あなたが度々頼まれて集めた子供たち、ただ塾に入ったんじゃないわ」
「どういうこと?」
「晶人にとって体のいい駒に育てられた。このマンションで」
「見かけたことないわ」
「もちろん。あなたにはバレないように管理してた」
それもそうだろう。思えば、ここに住んでいて他の住人に出会うことは少なかったような気がする。
見ない振りをしていた代償は大きい。
「じゃあ、あなたたちと一緒に今その子たちを説得すれば味方が増える?」
「子供を使おうっていうの?」
「………それは、そうね」
私が元々その子供たちを巻き込んだのだ。知らなかったなんて甘えたことは言えない。
「それにここにはもういないわ。作戦遂行中よ」
「なっ!危険じゃないの」
「危険ね。この作戦で生きて帰れる人はいない設定だもの」
「なにそれ………」
設定。
誰も生き残るつもりのない改革。
「無責任だなとか思ってる?」
確信をつくように男が言った。何を考えているのか分からない笑顔のなかで、視線だけが鋭く私を射抜く。
知っている。彼らだけが無責任なわけじゃない。生きてるだけでみんな無責任に息をしなければ生きていけない。
綺麗事が通用する世界が理想だと思っていたし、それを目指すべきなのだと課していたのは自分だけれど、それでも今なら思うのだ。
綺麗事が通用しないから悪なんじゃないって。
「………無責任だとは思うけど、悪いわけじゃない」
「悪いわけじゃない、か」
なるほどなるほど、とそう笑う男をハナが蹴った。しかし、蹴られた側の男はさらに声をあげて笑うばかり。
「心配しないで。浮気じゃないから」
「なっ、そんな心配してない!っていうか、いつあんたと付き合った?」
「あはは」
笑う男と怒る女。
破名だと言った彼女は花だった彼女よりも口癖が悪いけど、表情豊かだ。
「んじゃ、殴られる前に次のアクションでも考えますか」
「そうね。あとで殴る。今は時間がない」
「えっ、何回殴るおつもりで?」
「さあ?気分次第」
男が肩をすくめて再びパソコンに向き合った。