「えっと、そんなのないと思うんですけど……でも、なんかあれじゃないですか?イケメンお兄さんに引き取られた美少女って………不謹慎かもしれないけど」


言っていて途中から自信がなくなったのか、小野楓の声が小さくなっていく。


最終的に、

「あっと、なんかすみません」

そう謝ってしまった。


そんな小野楓に、徐々に余裕を取り戻し始めた晶人は、クスリと笑う。


「謝る必要はないよ」

「はっはい」

はいと言いつつ頭を下げる小野楓。

嫌な感じのする人に謝ったり恐縮するあたり、彼女はやはり八方美人だ。


そして、そんな彼女の目の前の晶人という人物にも、そんなことが言えそうだが、こちらの中身は、悪魔。


「………いや、でも意外と鋭いね。女の子の勘かな」


そう、悪魔なのだ。


小野楓を試すように見る妖しげな瞳。

しかし、小野楓には何を言われたのか瞬時に理解することができなかった。

そんな彼女の代わりに、笹本達也は震える声で言う。



「それ、どういう意味ですか?」

その言葉に振り返った晶人の心底楽しげに歪んだ口元。笹本達也は晶人しゃべる前から絶望した。


「そのまんまの意味だよ」


ほら、そして紡がれるのは、最低最悪な言葉で、


「美香ちゃんの保護者っていうのも本当だけど、恋人でもあるんだ」



己のためなら人々を地獄へと誘うことの出来る化け物。






「恋人………」

呟くように繰り返したのは小野楓だった。笹本達也は目を見開いたまま、動かない。


ただ、晶人だけがその状況で微笑んでいた。


「そんなわけだから、まあ美香ちゃんと仲直りするのに助けが必要になったら、美術部のハナって子を訪ねればいいよ。合言葉は“紫”」


「ゆかり?」

「うん。そうそう。じゃあ、長いこと美香ちゃんを待たせると泣かせちゃうから」


そう言って、立ち去ろうとした晶人。しかし、笹本達也はその腕を掴んだ。


「待て」


「なーに?」

優しい微笑みの口元と反比例する目の冷たさを称えた晶人が振り返る。


「美香は………」


「ん?」


「美香は、俺が好きなんだよ」


その言葉に確かに晶人の空気はガラリと変わった。


「知ってるよ?」





「ならっ………」


「でもね___」

含みを持たせて晶人はその長身を少しだけ屈めて、笹本達也に合わせた。



「どんなに“好き”でも、絶対“必要”じゃないんだったら、意味はない」



余裕綽々の楽しむようなその瞳。だが、それでも笹本達也は楯突いてみせた。


「なんだよそれ」

けれども、笹本達也など相手にもならないとでも言うように三日月のような口元が尖った刃のような言葉を紡ぐ。


「分かんないかなー」



それは諭すような、バカにするようなそんな響きで、

「今美香ちゃんの隣にいるのは、結局君じゃないってことだよ」



そう言いつつ笹本達也の髪をくしゃりと撫でると、そのまま背を向けて二度と振り向かなかった。


小野楓は笹本達也の姿を見ていることが出来なかった。けど、その場を離れることもしなかった。

笹本達也が不意に「帰ろう」とそう言ったとき、初めて一つ頷くと、その日のことはまるでなかったように、でも夏休みが明けるまで二人は一度も会うことなく、独りぼっちの時間を過ごした。



二人は多分たくさん考えただろうが、答えのあるような内容ではなかったんだろうと思う。








Side 急進的革命者2(破名と名無し)






夏休みが終わって数日経ち、高校三年生は受験のために毎週一回は模試の地獄へと突入し、一喜一憂する。



でも、そんなことは私には関係ない。

本当は高校なんてものは、行くはずもなかったところなんだし。



けど、あの東城美香とかいう女のせいで、私は今日も美術室で紫に褒められることのない絵を描いてる。



私はこれを軽い左遷だと思う。

いや、“思いたい”の間違いか。
実際のところは、紫があの東城美香という女をそれだけ大切にしているというだけで。


これはあの女の見張りに左遷されたのではなく、抜擢されたという方が正しいというわけだ。


紫に左遷されるのと、あの女に負けるの、どちらが嫌かと聞かれれば答えに困るけど。


何はともかく、今まで私はたくさんそういったことも我慢してきた。



だけど、今回だけは無理だ。


日本改造計画が進行する中、あの女も来ない美術室で絵を描いてるのは、さすがにプライドに傷がつく。


だから、紫にあの女が来ない日は私だって来なくていいじゃないかと抗議した。


が、美術室にあの女の友達が訪ねてくるかもしれないからと聞かないんだから仕方がない。


だが、夏休みが明けて待てど暮らせど、そのお友達やらが来る気配もないし。


「………っ」


自然と持っていた筆が乱れた。


あの女は今、紫の側にいるんだろうか。

一緒にいるとしたら、いったい何をしているんだろう。


乱れた筆が呪いの言葉を書きなぐる。


「はぁ」


目の前に文字となって表れた自分の感情。行き場をなくしたそれ、渦巻く黒い感情に押し潰されそうになる。


決して消えない油絵の具で書かれたそれを破り捨てそうになる。

そんな衝動を抑えて、私はダメになったキャンパスをきちんと片付けるため、筆を置いた。


その時だった。






「すみません。“ハナ”さんっていますか?」


あの女の友達である小野楓が現れたのは。


内心ため息をつく。

なんてタイミングで来るんだこの子は。

でも、良かった。この角度であればキャンパスに書いてあるものは見えない。


「私が“花”ですが?」

にこりと微笑んでそう言ってから、そそくさとキャンパスを裏にして、手頃な壁に立て掛けた。

そうして再び小野楓を見やると、ただ申し訳なさそうに入り口で立っているのが目に入る。


「どうぞ、良かったら中へ」


「あっはい。あっ、でもあの合言葉って………」

「はい?」


「あの“ゆかり”って言えば分かるからって」


なるほど。

紫は私があの女の交友関係を知らないとでも思ったのか、分かりやすく合言葉を作ってくれたわけか。


ナメられものね。


「ああ、そうです。合言葉は“紫”」


答えながらもふつふつと怒りが込み上げる。

私はあの女が大嫌いだが、この三年一緒に部活をしていて思うのは、紫がこんなに惹かれるわけだということ。


まあ、それがまた気に入らないのだけれど。


それは置いといて、対称的にこの女は生理的に受け付けない。


腹の底は黒いくせに、それを無自覚に隠そうとする。

その癖、偽善者に成りきれない。


無自覚な善でも悪でもない中途半端者。


私は悪だし、あの女は限りなく善に近い。

けど、私と違ってあの女は中途半端者を幸せそうだとも思わないのだろう。



私は中途半端者のその幸せそうなアホ面を見せるたび、それが妬ましい。

はっきり言えば、中途半端者が羨ましい。



多分、この世にいる全般の人間のことを羨ましいと思っている。






だからといって、その感情をこんな価値のない女にぶつけたって仕方がない。


「どうぞ、おかけください」


広がる感情はおくびにも出さず、それでも私は微笑んで見せた。


私は悪だから。

本当は“花”じゃなくて、“破名”だから。



「あの、貴女に会えば美香と仲直りできるって、そう聞いたんですけど………」


「そうですか」

それだけ言って微笑み続ける私に、小野楓は混乱したように、黙って探るようにこちらを見る。


が、そんなものは怖くない。

私に唯一怖いことがあるなら、それは紫に関してだけ。



今までもこれからも、ずっと。



「あのっ」

しばらくすると、堪えられなくなった小野楓が声を上げる。


「貴女が仲直りさせてくれるんですか?」


必死に言葉を紡いでいますよとでも言うような、その握りしめた小さな拳が視界に入った。

ため息が溢れそうになる。


この女はそんなにあの女がいいのだろうか。


この女は、拾ってくれる人であれば誰でも良かったんじゃないの?


だって、東城美香にこだわる必要なんて一つもないはずだ。東城美香と出会う前と同じように、生きていけばいい。


簡単なはずだ。東城美香が笹本達也を振ったという噂を流せば、小野楓は仲間に入れてもらえる。


そうやってこの女は、純粋なフリをして、都合のいいように人を裏切り続ければいいと思う。



どうせ、どうしたって友達なんてものは入れ代わっていくんだから。






私は疑問に思いつつも、それを口には出さず、代わりに紫に言えと言われたことを口にした。


「今は無理です。今は私がどんなに手を尽くしても東城美香は、振り向いてもくれないでしょう」


「それはっ………」

小野楓は声を上げたが、全ては言わずに途切れる。


「確かに」


そう口を尖らせつつも同意してくるのを見ると、少なからずあの女の性格は分かっているらしい。


だが、だったら東城美香が自分の手に負えない人であることも分かれと思うが、そこはあくまで頑固にもバカを貫くようだ。



そして、まあ、不本意ながら合格。


「で、小野楓さん」

自然と頬が緩んだ。


やっと、仕事の時間がやって来たんだ。傷ついたプライドが、素直に喜んでいる。


まあ、そんな私をアホみたいに口を開けて見つめているこの女には、先が思いやられるけど。


「聞きたいことがあるんだけど」


「はい」



「貴女、東城美香と仲直りするためにどこまで出来ますか?」





「どこまでって………?」


戸惑ったように頬をひきつらせる小野楓。

私はまた男ウケは良さそうで女ウケ悪そうな顔だと、卑屈っぽくそう思った。


「そうですね。………今から時間ありますか?」

「えっと…はい、大丈夫ですが」

「では、案内したい場所があるので付いてきてください。時間もないことですし、もう行きましょう」


「え?」

呆気にとられて動けないでいる小野楓を放っておいて、絵の具の筆を水に突っ込む。洗おうとは思わなかった。


明日まで放置したところできっとこの筆は問題ない。


脇に置いたリュックを掴むと、まだオロオロしてる天然ぶりっ子が目に入ってきた。不可抗力だ。

だが、その表情、行き場を無くしたような手が鬱陶しい。筆でさえ最低限のことをすれば放っておいていいのに、この女ときたら。


ああ。
それとも、それも不可抗力だ、とこの女は言うだろうか。


いや、不可抗力だ、などと図太いことは言わない。そんなつもりなかった、そう言うのだ。こういうタイプは。


そう考えたとき、ふとチラリと脳裏を過る顔。



東城美香だったら、どう答えるだろう。



それさえ分かれば、私は紫の一番だったはずなのに。



「ムカつく」

気がつけば口をついていたその言葉。


小野楓の肩がビクッと跳ねる。

だけど、そんなのイライラするだけ。この女をいじめたところで、良い気味と笑えるような爽快感なんて生まれやしない。


でも、きっと東城美香をいじめるのは多分爽快だ。


弱いものいじめする奴は、弱いやつ。でも、私は違う。そんな奴らなんかと同じじゃない。


こう言うと、自分が偉いと主張したいバカに思われそうだけど。


でも。

それでも、これは驕りじゃない。


自虐だ。