「いいんじゃないんですか?」



沈黙を破ったのは自分で。


「自分だけが好きだというならそれでも」


「言われなくても___」




「でも、自分より正しいと思える相手を見つけることを怖がらないで下さい」



「なっ、何言ってんだ?この僕がっ、…怖がるとか」

「怖くないならいいんです。価値観が変わることを、世界が変わることを恐れないで」


その時ちょうど、ビルの隙間から朝の太陽の光が射し込んだ。

自分は誰に見せるわけでもなくニカッと笑って、それは多分自分の気まぐれ。



「そうすれば、このクソみたいな世界だって、意外と輝いて見えたりしますよ」





そう。

例えば、このクソみたいな世界で、こうして大人のようでガキな主を乗せて車を走らせている自分はそう悪くはない。

思えば、忘れていただけで、自分が拾われたのも主の気まぐれだった。

でも、それが自分にとっては奇跡で。



それでいいんだと思う。



「さあ、着きました。仕事です」


たとえ、ここでこのクソ主が正義ごっこ辞めたいと言っても、

彼女に魅せられてそのまま逃げても、

結果、紫とかに目をつけられても、




………そのせいで自分が死ぬ目にあっても、




結局、自分の世界はそんな悪くないと思えるほどには、どうせ自分は主の犬なんだ。








拾われ者の孤独は果てしない。



どんなに大切に飼われてても
自分がいつ捨てられるかと思うと


主の全てを許してしまう。


それでも、不安は、孤独は埋まらない。





___第五章拾われ者の色 終



正義ごっこの始まりは、




可哀想なあの人の一言だった。




___第六章 正義の色(side歪んだ正義の信者)






歪んだ正義の信者1

Side 晶人








『晶人さん、今どこ?』


胸をつく声。

俺はその声だけで全てを放り出して帰りたい気分になる。

その瞬間、彼女以外全てがどうでもよいのだと信じられる。


それだけ俺を支配してる愛しの人。


なんて、そう思ってる自分は少し気持ち悪い。全くらしくないから。でも、なんだかんだ言っても、ふわふわしたこの気持ちは心地いいものだ。




しかし、それでも俺はあの人だけは裏切れない。



「ごめん、美香ちゃん、今仕事」




拾ってくれたあの人だけは。


『じゃあ、塾に行く』

そのまま電話を切ってしまいそうな勢いでそう言った美香に、慌てて咄嗟に嘘をつくこともできずに、


「家で待ってて」


と、言ってしまった。


『晶人さん………?』


不信感たっぷりにそう言う彼女に、出来る限りの優しい声を出す。




「待ってて、欲しいんだ」







『___どれくらい?』


俺は黙り込んだ。

今は午前八時。終わるのは早くとも十一時だ。



「………ちゃんと、帰ってくるから。明日はずっと一緒にいよう?」




『そんなの遅いっ!』


突然の叫びに俺は戸惑った。

美香がこんなになるのは初めてだった。美香の両親が死んだとき以来かもしれない。


『………ごめん、晶人さん』


よほどのことがあったのだろう。

美香がこんな風になんの躊躇もなく俺に会いたいと言ってくるなんて、どう考えてもおかしい。

この美香の精神状態は、ある程度昨日の様子で覚悟していたことだった。

だが、自分が思っていた以上に用事とやらが済むのは早かったようだ。

少なくとも午前中は電話はかかってこないとそう思っていたから、昨日は頷いたのだ。



『本当に仕事なの?』

「うん」

『私、我が儘?』

「そんなことないよ」


こんなときに限って、平凡な言葉しか出てこない。


そんな自分を呪った。

なんで俺は一旦計算が狂うと、再び計算するには時間がかかるタイプなんだ?


『分かった___』

「うん」




『でも、独りは嫌っ………!』






電話の向こうからは、すすり泣く声がかすかに聞こえてきた。



その言葉だけで本当に仕事なんかどーでもよくなるんだ。

美香はこの世で唯一、大切な人。


なのに、どうして。
どうして、今なんだろう?


「………ごめん、美香ちゃん」


『うん』

「寂しくなったらすぐ連絡して。絶対出るから」

『うん』



「ちゃんと、待ってて」



『うん___』

含みのあるような返事だった。


「じゃあ___」




ツー、ツー、ツー


“早く帰れるようにするから”


そう言いかけていたのに、一方的に電話が切られたと思うのは、俺が不安なせいだろうか。


多分、きっとそう。

俺は言い聞かせるように、何度も何度も不安がる要素がないことを確認した。

待っててという言葉に“うん”とそう小さな声で言った美香。

こんなことで、美香は嘘をついたりしない。

大丈夫、大丈夫だ。


そうだ。今日は美香の好きなアップルパイを買ってきてあげよう。


きっと、落ち着くはずだ。

どっちがとは言わない。


ああ、今すぐ会いたい。




「こんなところでどうしたんですか?」


その声に咄嗟に顔を上げると破名がこちらを見ていた。どうやら俺がいないことに気づいて探しに来たようだ。


「なんでもない」

「東城美香、ですか?」


この様子だと、話しているところも見てたかもしれない。

全く、油断も隙もないな。


「そうだよ」


悪びれもなくそう言ってやると、破名は唇を噛んで俺を睨む。

眉ひとつ動かさずそれを見ていたら、破名はパッと目をそらして小さく告げた。

「始まります。お急ぎを」

「言われなくても、そうさせてもらうよ」

我ながらわざわざ探しに来てくれた部下を前に、冷たい対応だと思った。

しかし、俺は携帯をいじりながら、無言で破名の脇を通りすぎる。

それは無視に等しかったが、仕方がない。動揺を感じ取られたら、調子に乗らせてしまう。

俺は美香の監視を頼んである奴に“一挙一動報告しろ”と打った。俺がそう頼んだらあいつは絶対そうする。


破名とは違う、もっと深い信頼関係があるから、今日という日の美香も彼には任せられる。


さあ、仕事だ。
正義ごっこの時間だ。


俺が美香に今できることなんて、ない。