その手を強く握り返して、幼稚園の方は歩き出すと周りからは賞賛のような囁き声や視線が送られる。



もうこういうのには慣れてしまった。



高校生になって私は、学校での色んな役職を務め始めたのに加えて、ボランティア活動にも積極的に参加し、困っている人がいたら例外なく声をかけるようにしてきた。



もちろん罪に報いるためというのが一番な理由だ。



誰かをひどく傷つけた分、私は生きている限りできるだけたくさんの人を微力な力ながらも助けたいと思ったからだ。



第二に、私がお母さんとおばさんに宣言した夢、いつか私と同じように家族が犯罪者になって苦しんでいる人を救うためにたくさんの人と関わることが必要だと思ったからだ。



まだ人と関わるのは裏切られることを想像してしまって少し怖いし、深く関わることは未だにできないけど自分なりに頑張っているつもりだ。






そして、なによりも苦しみから逃れるため。



私にとって人助けは一種の麻薬のようだ。



受験の苦しみから逃れるためや、仕事の重圧から逃れるために麻薬を使う人たちのように、



はっとした時に訪れる罪悪感を紛らすために人助けをする。



そしてそんな気分になるのは大体陸玖を思い出す時だ。



さっきのように無意識に陸玖を探してしまって途方もなく罪悪感を感じて、まるで呼吸をするように自然に誰かを助ける。



道に迷っている人や、迷子の人、お年寄りや、妊婦さん。



探してみると、私の麻薬は至る所にあるものだ。