「ずっと表情が硬かったから。元気づけられないかなってみんなで考えていたんだ」
……知らなかった。自分の表情が硬かったことも。みんなが計画を立ててくれていたことも。
胸の中になんとも言えない感情が広がっていく。なんだろう、すごくあたたかい。
「ありがとう、みんな」
優しい星那ちゃん。ムードメーカーの橋本さん。毒舌だけど根はいい渚。
みんな、俺の大切な人達だよ。だから、次は俺がみんなを笑わせる番だ。
切なげに笑うようになった星那ちゃんを笑顔にしたい。みんなが俺にしてくれたみたいにこの場を和ませたい。
それはただの表面上の理由で、本当は君の気持ちを知りたいんだ。
その場で見ていたから痛いほどわかる。星那ちゃんの江崎くんを想う気持ちとか、恋の苦しみとかは。
どうすれば笑顔にできるかわからない。
星那ちゃんは自分の心に嘘をついてフタをしている。思い出さないように目を背けている。
でも、それだと俺達がいる意味がないんだよ。
彼女が背負っている気持ちを知った上でも、俺はその悲しみを一緒に抱えたい。
半分にすれば辛いことだって乗り越えられる。分け合えば軽くなるから。
ねぇ、好きだよ。隣で微笑む彼女に心の中でそう声をかける。
今は届かない、伝えてはいけない気持ち。もう後戻りはできないくらいに大きく膨らんでいる。
でもきっと苦しませるだけだよね。
だから。
────好きになってごめんね。
笑ってありがとうって言ってよ。
君がいたから頑張れる。
君のおかげでこの世界は変わったんだ。
「お兄ちゃーん!」
「……え、なんで」
眩しい光と、俺の名前を呼ぶ大きな声。重いまぶたを開けると、そこには驚くような人物がいた。
それは……俺の妹、広瀬杏(ひろせあん)。
今年度から小学1年生になった、まだ俺の半分も生きていないような子供なんだ。それでもこの状況を理解して受け入れている。
そんな杏はすごいと思うし、何よりかわいそうだと思う。
「ママはね、お仕事行っちゃった……」
俯きながら寂しそうな顔でそう教えてくれる。
いつもそう。俺の母さんは朝早くから仕事へ行き、夜遅くに帰ってくる。
だから杏はいつだって寂しい気持ちを抑えながら母さんの帰りを待っているんだ。
でも、今日は休日じゃないのにどうして杏が?
いつもならもう小学校に行っている時間なのに……って、俺も高校遅れる!
「お兄ちゃん、何しているの?」
急いで着替え始めたけど、のんびりとした杏の声でハッと我に返る。
あれ、待って。今日ってまさか。
「今日、お休みの日だよー?」
……やっぱり。俺としたことが、今日から夏休みだってことすっかり忘れていたよ。
そう、今日から待ちに待った夏休み。
今までは忙しくてあまり出かけられなかったけど、せっかくの高校生活なんだ。夏休みくらい羽を伸ばして思いきり遊びたい。
もちろん星那ちゃんと。いや、渚や橋本さんともだけど。
星那ちゃん、今は何をしているかな。もう起きているかな。さっそく宿題にでも励んでいるかな。
それとも江崎くんのことを考えたりしている?
わからない。わからないけど、どうしようもなく気になるんだ。
ひとりで泣いていたら、頼りないかもしれないけど力になりたい。
「よし!」
「お兄ちゃん、どうしたの?」
意気込んで立ち上がると、杏に驚かれて自分の行動が不思議だったことに気づく。
俺ってダメだな。高校1年生が小学1年生に指摘されるなんてどうなっているんだよ。
もうこのことは考えないようにしよう、と自分に言い聞かせて電話をかける。
〈……もしもし〉
「あ、渚?起きていたんだ?」
いつだか自分は寝起きが悪いと言っていた渚に、朝の7時半に電話をかける。モーニングコールにでもなれば、と思ったんだけど。
〈誰かさんに今起こされたんだよ〉
いかにも不機嫌そうな声で言われたら反論できない。
「ご、ごめん……」
〈で、用件は?〉
電話越しだからか少しこもって聞こえる。それとも、布団の中で電話しているとか?って、いくら渚でもそんなわけないよね。
と、勝手にひとりで想像を繰り広げる。いや、これは妄想になるのかな?
とにかく俺の悪い癖。
「今度あの4人でまた集まれないかなって」
〈……あぁ、篠原?〉
平静を装って言ったつもりだったけど、電話でもお見通しらしい。痛いところをつかれ言葉が詰まる。
「まぁ、その……うん、心配で……」
もう。俺ってどれだけ星那ちゃんのことを考えれば気が済むんだろう。
1日に何回彼女を思い浮かべるかなんて数えきれない。
〈それなら自分で電話でもかけろ。俺は寝る〉
ぶっきらぼうな言葉。寝起きだからかいつにも増して不機嫌。
学校での渚ならもう少しトゲがないんだけど、俺が起こしたわけだし仕方ないかな。
「わ、わかった。わざわざごめん。じゃあね」
その言葉に返事はなかった。きっと既に夢の中だろう。渚はいつも寝不足です、って顔しているもんね。
ひとりで悶々と考えていると俺の体にいきなり振動が走る。
「わっ……!杏?」
「お腹空いたー!リビング行こー」
はしゃぐ杏に腕を引っ張られ、半強制的にリビングへ向かう。
テーブルの上には置き手紙と、母さんが作ったらしい目玉焼きに味噌汁。そして昨日の晩ご飯の残りのえびピラフ。
置き手紙には〈レンジで温めて食べてください〉と書かれている。
……またか。憂鬱な気分になりながらも、2人分のご飯をレンジに入れて待つ。
いつからだろう。こんな生活になったのは。
杏が生まれたとき?俺が中学校に入ったとき?それとも、親が離婚したときだったかな。
チン、とレンジが時間を告げ、ラップを外してふたりで食べ始める。
「いただきます」
向かいに座り顔を見合わせた俺達。でも杏の表情は暗いままだった。
「杏……」
かける言葉が見つからない。どうして小学1年生の子供にこんな顔をさせないといけないんだろう。
あまりにもかわいそうで。でも、俺には何もできなくて。
結局ダメだな。全て俺は中途半端。橋本さんに言われた通り意気地なしなんだ。
「……杏は大丈夫だよ。ママがいなくても大丈夫だよっ」
しまいには幼い妹にこんなことを言わせてしまうなんて。
きっと大人びているわけじゃない。仕方ないと思っているから自分の気持ちを我慢しているんだ。
本当は言いたいはずなのに。「寂しい」「みんな一緒がいい」って。
思えば杏は物心がついてからあまり泣いたことがない。基本的に怒られるようなことはしていなかった。