「星那……っ!」


やっと追いついた星那の背中。振り返った星那の顔は涙で濡れていた。


どうして泣いているんだよ。俺の前で1度も見せなかった涙を、出会って間もない広瀬なんかに見せるんじゃねーよ。



「誤解だから話を聞いてくれよ……!」


「嘘だっ……!だって、さっきの子とキスしていたもん……っ」


やっぱり。さっきのキスを見られていたのか。あの女、何してくれたんだよ。お前のせいで─────。



「あれは本当に嘘でキスなんかしていないし、星那が誤解しているだけでアイツとは何もない」


いや、違う。俺のせいだ。キスされたのも俺の注意力が欠けていたから。あの女に誘われて断らなかったのも俺だ。


星那が泣いているのは俺のせいなんだ。

「それなら、あの子は誰なの?」


「あ、あぁ、アイツは……」


そう言いかけると向こうから例の女が近寄ってくるのが見えた。


走りづらそうな浴衣を少したくし上げて俺に手を振っている。



「悠大くーん、どうしてあたしを置いていくのー?」


何も知らない女は平気な顔をして俺の前に現れた。イライラする。ことの発端は俺なのに、腹立たしい気持ちでいっぱいだ。


「あれ?この人達、知り合い?」


首を傾げて尋ねてくるけど、その仕草にも何も感じない。



「悠大くんの友達?」


「……ああ。ただの幼馴染みだから」


本当は違う。星那は俺の幼馴染みでもあり彼女だ。


でも、このときの俺にはそう告げる気力なんてなくて、咄嗟にそう言ってその場を切り抜けようとした。

「……ねぇ、嘘だよね?悠大」


目の前の星那は震える声で俺に問いかける。きっと俺からの否定の言葉を待っているんだろう。



「……ごめんって。なんか、遊び心っていうか。もう3年目だし、正直飽きたんだよ」


繕うのも、本当のことを話すのも無意味に思えて、本心も交えながら星那を上から見下ろす。


華奢な体。抱きしめたくなるその瞳。それらを素直に受け入れられなくなったのはいつからだろうか。


ただ隣にいるだけじゃ幸せを感じなくなったのはいつからだろうか。



「最低……。悠大なんて大っ嫌い!……もう別れよう」


なんとでも言えばいい。これがきっと本当の俺だから。


「ん、そうするか」


そう思っていたけど、今まで怒ったこともなかった星那の珍しい一面を見るとそんな心も引っ込んでしまう。

「っていうか、星那だって広瀬と浮気しているんじゃねーの?」


そんな俺から出たのは思ってもいない言葉。


俺が言えることじゃないけど、星那が俺以外の男子と一緒にいるなんて信じられなかった。



「これはたまたま。それに私が好きなのは……」


あ、まただ。止まったと思っていた涙がまた星那から溢れそうになる。


「星那ちゃん、行こう」


すると、ふいに今まで黙っていた広瀬が口を挟んだ。


なんだよ、これは俺と星那の問題なのに。星那のことが好きだからって部外者に突っ込まれたくない。



「もういいから。早く行こうよ」


急かすように星那の腕を引っ張る広瀬。


星那、ごめん。もう楽しかった日々は終わりだ。

「じゃあな、星那」


「……っ」


俺の言葉に傷ついた表情を見せる星那。



「……さよなら、悠大」


呼吸を落ち着かせて出てきたのは、俺に別れを告げる言葉だった。



────星那、好きだった。


心の奥底で叫んでいる本当の想いには気づかないフリをして、俺は星那と別々の道を歩んでいくことを決めた。



「迅くん、行こっか」


広瀬の方を向いた星那は今にも泣きそうな顔で、笑っていた。そんなふたりをもう見ていられなかった。


どんどん遠ざかっていく星那。


これで終わったんだ。まさか俺達が別れることになるなんて思わなかった。


俺はきっと永遠に星那のことが好きで、星那もずっと同じ気持ちでいてくれると幼いながらも信じていたから。

「悠大くーん、これからどうする?」


「黙れ。帰る」


ピシャリと言い放って、追いかけてくる女から逃げるように家へ帰った。


不思議と涙なんて出なくて、やっと星那と別れられてせいせいしていた……はずだった。




それから寄ってくるのは星那とは全く違うタイプ。派手でうるさくて媚を売っているような奴ばかり。


最初は飽きなかった。毎日のように代わり映えする世界。そのときは楽しかった。


それでもその女に自分から触れようとは思わなかった。


家に呼んだこともあったけど俺の気持ちは変わらなかった。



やっぱり俺が近づきたいと思うのは星那だけで、近寄ってきた誰とも手を繋ぐことすらしたことがない。


別にそれでいいと思っていたんだ。


でもある日、星那と広瀬が付き合っていることを知った。


どこからの噂かはわからないが、それは離れた俺のクラスまで届いて。


信じられない。俺の心の中は一瞬で星那でいっぱいになった。


たまに向けられる熱くも切ない視線。その正体が星那だってことには気づいていたから。



どうして付き合っているのか本当に不思議だった。星那は俺のことが好きなはずなのに。


そう思うと無性に知りたくなった。


『どうして広瀬と付き合ってんの?』


そう聞きたくなった。





そして、終業式の日。


名前も知らない女子達に星那を呼び出してもらって話をした。


別れてから久しぶりに話した星那は、あの頃とは変わっていた。


少し伸びた髪の毛。前より大人びた顔。



途中で広瀬が止めにきてあまり話はできなかったけど。


────やっぱり好きだ。


そんな気持ちが芽生えるのを確かに感じた。

俺が本気になれば星那の心なんて簡単に取り戻せる。星那や広瀬を傷つけることだってできるんだ。


そのときの俺は自分を過信して、努力しようとはしなかった。きっとそれが間違いだったんだ。



星那と久しぶりに話してすぐに気づいたこと。それは、その視線がもう俺には向けられていないことだ。


それは、きっと。星那が広瀬のことを好きになったってことなんだろう。


ずっと俺ばかりを見ていた彼女が他の人を好きになるなんて、悔しかった。




2年生の始業式。俺は、学校に着いてすぐに告白された。


名前は……覚えていない。かなり派手で諦めの悪い奴だった。

『悠大くん、好きです!』


『遊びでもいいからお願いっ!付き合っ……』


遊びでもいい、なんておかしなことを言い出す目の前の女に腹が立った。


自分の身をなんだと思っているんだよ。俺は誰かに想われるようないい人間じゃない。


好きな女を……傷つけて泣かせるような奴を誰も好きになるはずがない。



でも、その女はどこまでもまっすぐで、毎日のように俺のあとを追って告白してきた。


最初は嫌な顔で見ていたが、今では空気のように無視することにしている。


だって俺には、心から好きだと思える相手がいるから。



でも、もう近づくことなんて無理だと思っていた。


星那の心がもう俺に向いていないことはわかっていたし、きっと話してもくれないと思っていたから。


だから本当に奇跡としか思えなかったんだよ。夏祭りの日、星那と再会できたことは。