だから。


「ねぇ、広瀬くん」


帰り道、私は広瀬くんの隣を歩く。その距離は一定のまま近づく気配はない。


手を繋いで歩いてくれたのも、私が誘ったデートの日だけ。それも私から言い出したことだった。



本当はもっと近づきたかったよ。君にとって1番近い女の子になりたかった。


でも、いつだって君の1番は─────。



「どうしたの?」


自分から誘ったのにごめんね。でも、今日じゃないと言えない気がしたの。


こんな結末は迎えたくない。ずっとそう思っていた。


でも、私のせいで大好きな人を苦しませるくらいなら、私はこの手から君を解放するよ。



「別れようよ」





「……どうして?」


声が震えた。


だって、いきなりそんなことを言われるなんて思っていなかったから。



今は小谷さんと下校中。ふたりで並んで少し話しながら歩いていた。


だから、まさか別れ話を切り出されるなんて思わなかったんだ。



「広瀬くん、私のこと好きじゃないよね……?」


その言葉にヒヤリとした。俺が星那を見ていたこと、知られたのかもしれない。


「ねぇ、広瀬くんは、篠原さんのことが好きなんだよね……?」


あぁ、ほら。やっぱり。いつからだろう。どのタイミングで気づいたんだろう。


気づいていたなら、どれだけ苦しい思いをさせてしまったんだろう。



「ごめっ……小谷さん、本当にごめん」


どんなに謝ったって足りないよ。星那のことを忘れようとするほどに、俺の心の中は彼女でいっぱいになっていった。

「宿泊学習の夜、何があったのか教えてくれる……?」


「俺、あの日は……」


今までにも、あのときの決断を後悔したことは何度かあった。


それでも、これが正解なんだって言い聞かせていた。これが幸せなんだって思っていた。



「星那と江崎くんがキスしているのを見たんだ」


実際に口に出すと胸がズキズキと痛む。


あのときのことは今でも忘れられない。あまりにもショックが大きくて忘れることなんてできなかった。



「そっか……。それで傷ついた表情をしていたんだね」


そう言う小谷さんの顔は今にも泣き出しそうで、それでも俺には触れる資格なんてない。


小谷さんの方が苦しいはずなのに、どうして俺の心配ばかりするの?


俺のせいで傷つけることになってしまったのに。

「知っているよ。私といるときも篠原さんのことを考えていたって」


「小谷さん……」


確かに彼女の言う通り。俺は星那と小谷さんを重ねて見ていた。


ふたりは同じ人間なんかじゃないのに。俺は自分に勝てなかったんだ。



「だから素直になって?広瀬くんの気持ち、伝えに行ってよっ……」


俺は、なんてことをしてしまったんだろう。こんなにも俺を大切に想ってくれている人に最低なことをしてしまった。


彼女は俺といる間もずっと辛い思いをしてきたというのに。



「でも、星那は江崎くんのことが……」


「広瀬くんはわかっていない!」


彼女は、俺が言いかけた言葉を大きな声で否定する。



「きっと篠原さんは好きだから別れたんだよ」


好きだから?


星那が俺のことを好きなはずがないし。好きだから別れるなんて、そんな不思議な話は聞いたこともない。


1度も俺に「好き」って伝えてくれなかった。それが何よりの証拠だよね?


星那は俺のことを好きにはなれなかった。だから別れたんだ。

「さっきの体育館での表情、私には広瀬くんのことを頑張って忘れようとしているように見えた」


星那が俺のことを……?


今日も彼女は江崎くんと楽しそうに笑っていた。俺のことなんて忘れたように笑っていたんだよ。


隣が俺じゃなくても星那が幸せならそれでいい。そう思って別れたのに。



「広瀬くんの知っている篠原さんはどんな人?」


突然、小谷さんは話題を変えるように問いかけてきた。


その顔はさっきとは打って変わって少し晴れやかだった。



「俺の中での星那は……」


星那との思い出がよみがえる。


初めて出会った日。一緒に夏祭りへ行った日。付き合った日。クリスマスデートの日。


たくさんの日々を一緒に過ごしてきた。そのどれもが大切で、絶対に忘れたくないと思っていた。

「可愛くて頑張り屋で、でも少し不器用で儚げで……本当に “ 桜 ” みたいだった」


俺は今まで星那の何を見てきたんだろう。星那を想う気持ちの強さは誰にも負けない自信があった。


たとえ彼女の心に江崎くんがいたってそんなの関係ないんだ。


ねぇ、俺があんなに一生懸命になれたのは。全部全部、星那がいたからなんだよ。



「……私には敵わないね」


寂しそうに笑って小谷さんは俺の目を見つめる。


確かに俺は、ずっと星那のことが好きで忘れられなかった。でもこんなにも楽しく笑っていられたのは間違いなく小谷さんのおかげだよ。



「小谷さん、ごめん。やっぱり俺、星那のことが好きなんだ」


無謀な恋はやめようと思った。星那がそれで幸せになれるなら俺がどうなったって構わない。ずっとそう思っていた。


でも、どんなに気持ちを押し殺そうとしてもいつまで経っても忘れられないんだ。



「……うん、わかっていたよ」


あぁ、もう。どうしてそんなに優しいの?俺は最低なことをしたというのに。


一緒にいるときに星那のことを考えていたこと。曖昧な態度で傷つけたこと。本当に後悔している。

「最後だけっ……最後だけ、抱きしめてくれませんか?」


その言葉に俺は小谷さんを引き寄せる。こんなにもあたたかい彼女のぬくもりに、泣きそうになる。


あれ、変だな。泣きたいのは俺じゃないのに。



「ありがとう、小谷さん」


そう言うと彼女は驚いたように目を見開いた。


「小谷さんと付き合えて本当に良かったよ」


俺が前を向けたのは君のおかげだよ。何度「ありがとう」と言っても伝えきれないくらい感謝している。



「私も……広瀬くんのことを好きになって良かった。だからほら、広瀬くんも笑ってよ」


そう言って彼女は今までで1番眩しい笑顔を見せてくれた。


俺も向き合うんだ。小谷さんがくれた “ 勇気 ” と、俺の目指す “ 幸せ ” を信じて。


「……ごめん、行ってくる!」





《 悠大side 》




『ねぇ、悠大くーん』


『デート行こうよー』


少し前の俺のそばには、そんなことを言って寄ってくる奴ばかりいた。それに対して嫌悪感も罪悪感もなかった。



でも。


『俺、もう女で遊ばないって決めたから』


そう、俺はもう遊んだりしない。決して道を間違えたりしない。だって本命がいるから。




最初は本当に星那との関係に飽きていた。


高校に入ってから新しい環境になり、お互いに少し溝ができていたんだと思う。


彼女が隣にいることが当たり前になっていて、毎日一緒に登下校することを面倒だと感じていた。



だから、他の女と一緒に出歩いたりして気を紛らわせた。


その時間を楽しいとは感じなかったけど、不思議とこれでいいと思っている自分がいた。


そして夏祭りのとき。星那からの誘いを断って、俺は学校すら知らない女子と会場に来ていた。


俺に告白してきた人のひとりで、浴衣に染めた髪、厚い化粧という星那とは正反対の格好。隣にいても何も感じなかった。



事件が起こったのはちょうど花火が打ち上がるとき。


花火を見ようと上を向いた瞬間、腕を引っ張られて─────気づけば目の前にいる女と唇が重なっていた。



「は?何してんの」


最悪だ。ただ気を紛らわせるだけの存在だったのに。


俺がキスしたいと思うのは星那だけだったのに、こんな形で知らない女とすることになるなんて。



「えー?したくなっちゃったんだもん」


意味がわからない。俺はお前となんてしたくない。


なんなんだよ。星那の方が何倍も可愛いのに。